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第一章【呪われた】現代・二月二十六日


 きこえないはずの音が、きこえる時がある。

 それは私を不安にさせたり、なんだか幸せな気持ちにさせたり、その時によって様々な気持ちを呼び起こす音たちだった。

 そういう音が、自分以外にはきこえていないと知った時は、それなりに衝撃だった。

 それから私は、その音について他者に言及しないようになった。

しかし私がそれらを口外せずとも、その音は変わらずきこえてきた。



 母が病に倒れたのは、私が小学二年生の頃だった。

 そして母は、あっという間に亡くなってしまった。

 母を失ってからの私には、不安な音ばかりがきこえていた。

 家にいても、学校にいても、その音のせいでそわそわした。


 当時の私は母の不在が悲しくて、できるだけ学校に残って、家にいる時間を少なくしようとしていた。

 そしてその日も、下校の音楽が校内に鳴り響くまで、図書室で本を読んでいた。

 下校の音楽に追い出されるようにして校庭に出ると、誰かのはしゃいだ声が鼓膜を揺らす。そんな声を聞いていると、私だけが別の世界にいるような、そんな気持ちにさせられた。

母が死んでからは、私の世界には色がなくなってしまったように思うほどだった。

 どうしようもなく重い気持ちを引きずったままで校庭を歩く私を、夕日が照らしている。私の影は、校舎へと長く伸びていた。

 その影をぼんやりとみていたら、それが唐突に形を変えた。

 不思議に思って顔をあげると、そこには大きな影が私を見下ろしていた。

 おそらく逃げた方がいい。

 そうは思えど、私の身体は硬直して動けなかった。

「いま、何才だ」

 深手を追った獣のような、そんな声だった。

「七才」

 私はなにも考えることができず、その問いに答えてしまった。

「そうか、七才か。十年後、むかえにくる」

 そういうとその影は、黒い羽根を広げた。

 そして私に覆いかぶさるように、その影は近づいてきた。

 私は恐怖のあまりに目を閉じた。

 長く目を閉じていたように思うが、おそらく数秒だったのだろう。

 次に目を開けた時、そこにはなにもいなかった。

先ほどとなにも変わらない、下校の風景があるばかりだった。


杏里あんりちゃん。どうしたの」

 校庭で立ち止まっていると、友人が声を掛けてくれた。

 私は先ほどの影の話を、彼女に話してみた。

「それって天狗とか、そういうのじゃない? それか、なんか。呪われたとか」

「え」

 私は絶句した。

「杏里ちゃん、へんな音がきこえる時があるんでしょ。そういう子どもは、ねらわれやすいって書いてあった」

 彼女はそういうと『チョ~こわ~い都市伝説』という本を、鞄から取り出して私に見せた。

 彼女とは幼稚舎からの付き合いなので、彼女は私のことをよく知ってくれていた。

「呪われたのかな」

 そういった私は、もしかしたら泣きそうな顔をしていたのかも知れない。

 本を開いて内容を確認していた彼女は、あわてて「ちがう。きっと、ちがうと思うよ!」といった。

 それから「へんなこといって、ごめんね」と謝罪してくれた。

「明日、先生にいってみようよ。へんな大人もたくさんいるって、みんないってるし。二組の男子も、へんな人をみたっていってたし」

 私は彼女の言葉に、力なくうなずいたと思う。


 その後、私がその影に出会うことはなかった。

 今ではその影が、本当に実在したのかさえ疑わしい。

 あの頃の自分はひどく不安定で、きっといつでも泣きたかった。



 それから十年が過ぎ、私は高校三年生になっていた。


 二月二十六日。

その日は大学の二次試験だった。

 手応えはそれなりだったので、あとは合格していることを祈るばかりである。

 二次試験が終わった後は、根津ねずにある母方の実家に顔を出すことになっていた。

 私は大学に受かっても、浪人することになっても、四月からは根津の祖母の家に下宿させてもらうことが決定している。

 父と二人で暮らしていた横浜の自宅マンションは、完全に引き払う予定である。

 父は大学で准教授の職に就いていたが、その研究室が今期で潰れることになった。そのため父は四月からは、声をかけてくれた九州の企業の研究職として働くことが決定していた。

 高校を卒業しても学校が少し遠くなるだけで、自分の生活が大きく変化することはないと思っていた。

 しかし高校を卒業してしまえば、今の生活は完全に消えてしまう。

 その事実に少しだけほっとする気持ちはあれど、どうしようもない喪失感が胸に広がっていた。


「いらっしゃい。二次試験、おつかれさま」

 祖母に会うのは、二年前の祖父の葬儀以来だった。

 そもそも母方の親族と会うのは、冠婚葬祭くらいである。

 それでもこうして顔を合わせると、血の繋がりを感じるので不思議なものである。私は母に似ており、母は祖母によく似ていた。つまり私と祖母は、それなりに似ているのである。


 祖母の家はきれいに整頓されており、私はなんだか緊張した。

 父は昔からあまり家事ができない人間で、幼い私と二人で生活するのは難しいだろうといわれていた。そのため母が死んでからは一週間に一度、家事代行の人に来てもらう生活をしていた。

今ではそれが隔週になっているが、私たちの生活は第三者の介入によって、どうにか成り立っている状態だった。

家事代行を利用した方がいいと助言してくれたのは、父の姉だった。彼女は父の特性をよく理解している人だった。彼女の助言がなければ、もしかしたら私と父は、早々に引き離されて暮らしていたかも知れないとさえ思う。


 祖母は私を客間に通すと「疲れてるでしょ。お茶を淹れるわね」と、台所へ向かった。

 久しぶりに祖母の家を訪ねるのは、私にとってそれなりに緊張するイベントではあった。

しかし私は二次試験によって、持てる緊張感をすべて使い切ってしまった状態だった。

 通してもらった客間はとてもあたたかく、私はコートとブレザーを即座に脱いだ。そしていつもの癖で、ネクタイも外した。もう一度ネクタイをしめる気力はなく、私はネクタイをカバンの中にしまった。

 客間にある仏壇には、祖父と母の遺影が飾られている。そしてなぜか俳優の春河マイが、一日署長をしている写真も飾られていた。

 なぜここに飾られているのかは謎である。人間とはつくづく整合性のない生き物であり、祖母もそうなのだと思うと安堵する気持ちさえわいてきた。


 台所からきこえてくる祖母の立てる物音は、私に懐かしい痛みを思い出させた。

 祖母が台所に立ってしまうと、祖父は必ず母の仕事に言及した。そうすると母はひどく不機嫌になる。私はそれが嫌だった。

「ダメ」

 誰もいないはずの客間から、声がした。

 台所の方からは、祖母の立てる物音がしっかりと聞こえている。

「きちゃ、ダメ」

 その声を聞いて、私は唐突に思い出していた。

 私は、この家が苦手だった。それは、母が不機嫌になるせいだけではなかった。

 この家を訪れると、必ず私を拒む声がきこえてきた。

 だからこそ私は、この家に来ることをなんとなく避けていた。

「きけん」

 その声は、はっきりと私の耳に届いていた。

 声のする方に視線を向けたところで、そこにはなにもいない。

 それでも私はその声がする度に、確かめずにはいられなかった。

「きけん、だから」

 その声に視線を向けると、なにかと目が合った。


 瞬間、私の周囲が薄く発光した。

 それはすぐに強烈な光となり、私を包みこんだ。

 あまりの眩しさに、私は思わず目を閉じた。






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