馬鹿王子、巻き込まれる その二
ここから、原則としてマルグリス視点での記述となります。
僕とレニーは、王都マッシリアの北門を出て、旅の第一歩を踏み出した。
当面の目的地は、レニーの郷里であるシャロ―フォードの町だ。
七月の日差しは少し暑いが、心地よい風が吹いている。
そろそろ秋蒔き小麦の収穫時期。黄金の麦穂が風にそよぐ。
小麦を刈り取り、収穫祭が終わったら、また魔法学校の新学期が始まることだろう。
「ん? どうしたんだい、レニー」
北へ向かう街道を一緒に歩きながら、レニーが僕の横顔をしげしげと見つめているのに気が付いて、声を掛ける。
「いやぁ、髪色を変えるだけで随分印象が違うもんだな、と思ってさ」
そう。今の僕は、髪を栗色に染めている。
父上の追手がかかる可能性は十分考えられるし、義母上の実家ボルト伯爵家がよからぬことを考える恐れもあるので、少なくとも王都を出るまでは、痕跡を消しておきたかったのだ。
「まあ、数日程度で落ちてしまうんだけどね」
「ふふっ。やっぱりマグはいつもの蜂蜜色のほうがいいと思うよ。それにしても、認識阻害魔法なんか使うもんだから、一瞬誰だかわからなかったよ」
「……一瞬だけなんだ」
「そりゃあ、魔力の波動を“観”たら、マグだってことはすぐにわかったよ」
「普通、それで個人識別なんてできないと思うんだけど……」
たしかに、ある程度強い魔力を持った人間からは、「魔力の波動」と呼ばれるものを感じ取ることが出来る。
けれど、それで個人を特定できるかと言うと、普通は不可能だと思う。
「あたしだって、人を魔力で識別してるわけじゃないからね? でも、マグはもちろん、リエッタとか、魔法学校の同級生で上位ヒトケタ常連だった子たちくらいは、多分わかるかな」
いや、それでも十分凄すぎるんだけど?
「てかさ。認識阻害魔法みたいなヤバい魔法を、何でマグが習得しているのか、凄く気になるんだけど」
確かに、目の前にいる人間の風貌を認識し記憶したり記憶と照らし合わせたりすることを阻害する認識阻害魔法は、悪用されるととんでもないことになる取り扱い注意魔法の一つ。王宮内で迂闊に使用しようものなら、問答無用で斬り捨てられても文句は言えないっていうくらいの代物だ。
「いや、お忍びで城下に出る時に使えるかな、と思ってさ」
「軽っ! それでいいのか、王子様」
「はは。もちろん悪用するつもりはないからね? でも、これ結構難易度が高い上に魔力消費も激しくてね。あまり長い時間は使ってられないんだ」
「気軽に常時使えるようじゃヤバ過ぎるでしょ」
「そりゃそうだ」
それにしても、だ。
認識阻害魔法は視覚的な情報を誤認させる魔法なので、声を発したらすぐバレるし、特徴的な体臭などによってバレることもあるみたいなのだけれど、魔力で見破るっていう話は初耳だ。
レニーの魔力や魔法に関する鋭敏さは、本当にすごいとしか言いようがない。
よし。ちょっと僕も試してみるか。
「どうしたの? 目をつぶっちゃって」
レニーが怪訝そうな声で尋ねてくる。
「うん、ちょっとね。レニーの魔力を感知する練習をしてみようかな、って思って」
「ふうん?」
レニーは小首を傾げて――いや、見てはいないけど、多分そんな感じだろう――、僕を見つめていたようだけど、すっと気配を消した。
魔法学校では魔法の探求・実践以外にも、色々な講義を受けることが出来る。
武術の講義もその一つ。元々冒険者志望だった彼女は、生徒たちの間であまり人気があるとは言えない武術講座にも積極的に手を出して、そこいらの破落戸や雑魚魔物くらいなら魔法を使わずにあしらえる程度の技量を身に着けている。
とは言え、そんな彼女が気配を消してみても、僕にとっては魔力を感知するまでもなく十分気配を追えるんだけど。
「背後に回って何をするつもりだい?」
「おっ、マグも中々やるじゃない」
「いや、今のは魔力というより気配でわかっちゃった、かな」
「あ、そっちかぁ。うん、そりゃあ学校の剣術師範にもう教えることは何もありませんって言わせる人だからなぁ」
レニーの残念そうな声が、背後から聞こえてくる。
いや、そんな風に言われると照れるんだけどね。
王国内には僕よりも腕の立つ剣士は何人もいるだろうし。
それにしても、レニーは常人離れした魔力量の持ち主だけれど、それを隠蔽する技能にも長けている。
今はかなり抑え込んでいるようで、そこいらのほとんど魔法が使えないような人たちと大差ないくらいに思えてしまうんだよな。
「そうだ、レニー。魔力を抑え込んだり、解放したりを繰り返してみてよ」
「ん? いいけど、それに何の意味が?」
「いや、魔力の強弱にかかわらず、これがレニーだって認識できるかどうか、試してみようかと思って」
「ああ、なるほどね」
レニーは頷いて、抑え込んでいた魔力を解き放った。
うーん、やっぱり凄まじいな。
まあ、この状態なら魔力の強さだけで、他の誰でもない、レニーだってわかるな。
単に魔力の強弱じゃなく、レニーの特徴を掴む。
中々難しいけど、何となく本人の性格と似ているような気はする。
奔放さと繊細さを併せ持ちつつも、どこまでも真っ直ぐで、翳りの無い魔力――。
「綺麗だな」
「へ!? な、何言ってんの!?」
あ、思わず声に出してしまった。
「い、いやその。レニーの魔力、すごく綺麗だなって思って」
「こら。女性に対してそういうことさらっと口にするんじゃないよ」
別に変な意味じゃないんだけどな。
でも、自分でも恥ずかしいからこれからは自重しよう。
「まったく。それじゃあ、今度は抑えていくよ」
「うん。そうしてみて」
次第にレニーの魔力が弱くなっていく。
簡単そうにやっているけれど、これはかなりの高等技術で、そのスムーズさは天下一品と言っていいだろう。
やっぱり、魔力の強弱によってがらりと印象は変わってしまうので、変わらない特徴を掴むのはすごく難しい。
でも、ちょっとわかるようになってきたかも。
「ちょっとコツが掴めた気がするよ。次は、他の人たちと一緒にいる中からレニーを判別できるかどうかだけど……」
「ははっ。残念ながらここにいるのはあんたとあたしだけだからね」
いや、全然残念じゃないんだけど――。とレニーが小声で呟くのが聞こえた。
まあその、何だ。人が大勢いる場所に行く機会はいくらだってあるからね。
今は二人で旅を続ければいいさ。
そんなことをやっているうちに、僕たちはラークヒルという小さな村にたどり着いた。
普通、王都から北へ向かう旅人は、朝早くに発ってもう少し先のちょっと大きな町・タンベリーで宿を取るのだけれど、僕たちは出立の時間がだいぶ遅かったからな。今夜はここで泊まることにしよう。
ラークヒルは小さな村なので、宿屋は辛うじて一軒だけ。部屋数も多くないので、一人一部屋というわけにはいかなかった。
しかし、いきなり一つ部屋で寝ることになるとは……。
「不埒なことをするつもりは絶対にないから、信用してほしい」
部屋に入って一つきりのベッドを前に、僕がそう言うと、レニーは小さく溜息を吐いて、
「うん、まあマグならそう言うだろうと思ってたよ。でも、男と女が一緒に組んで冒険者をやろうっていうのなら、普通はそういう関係になっとくもんなんだよ?」
「なっ!?」
そ、そういうものなのか?
でも、やっぱり未婚の男女がそういうことをするのはいかがなものかと……。
「いやでも、やっぱりレニーのご両親に顔向けできないし……」
「うちの両親なら、結婚したのはロゼッタ義姉ちゃんが出来ちゃったからだよ」
えーと、それってつまり、結婚前からそういう関係だったってことか。
「そ、そうなのか。でもやっぱり、せめてちゃんとご挨拶はしておきたいから……」
するとレニーは悪戯っぽい微笑みを浮かべて、言った。
「ふぅん。義父さん義母さんに挨拶をした後なら、あたしを抱いてくれるってことかな?」
そりゃあ僕だって、レニーのことを女性として見ていないわけじゃない。
けど、今でもリエッタへの想いは残っているし、すぐに気持ちを切り替えることはできないよ。
そんな気持ちでレニーとパーティーを組もうだなんて提案したのは、軽率の謗りを免れないかもしれないけれど。
レニーは元々王都の冒険者ギルドで仲間を探していたのだけれど、それで良さそうな男性冒険者がいたら、そいつと寝るつもりだったのか――、なんてことを考えるほど、僕も野暮じゃない。
レニー。冗談めかしてはいるけれど、そんなにも僕のことを想ってくれていたのか。
「ごめん、レニー。今はまだ、気持ちの整理がついていないんだ。でも、ちゃんと責任は取るつもりだから」
「そういうことは、責任取らなきゃいけないようなことをしてから言うもんだよ」
気が付くと、レニーの顔が目の前にあった。
そして、彼女の柔らかな唇が、僕の唇に重なった。