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馬鹿王子、師を得る その十

「あたしの名はアンジュ=カシマ。かつて『剣聖』と呼ばれた女のれのてさ」


 老婆がそう言い終えるやいなや、男の厳しい声が飛んだ。


れのてだなんて言うな! ジュジュは今でも、この世の誰よりも強くて美しい!」


 老婆はかすかに頬を染め、


「やめてよ、馬鹿バート! 恥ずかしいだろ!」


 なんだか甘酸っぱいやりとりを交わしているが、そこにレニーが小首を傾げながら口を挟む。


「『ジュジュ』?」


「アンジュの愛称だよ。そんな呼び方をするのはバート(こいつ)だけだけどね」


「なるほど。あたしが『マグ』って呼ぶようなもんか。……って、いやそんなことより! 剣聖アンジュ!? アンジュ様!? 本当に!?」


 めちゃくちゃ興奮しているな。まあ気持ちはわからないでもないけれど。

 王国を絶望の淵から救った四英雄の伝説を聞かされて、憧れをいだかずに育った子供はまずいない。

 レニーも例外ではなく、そして僕自身もそのうちの一人だ。

 が――。


「レニー。小屋の中で倒れていた人たちの救助は見届けてきてくれた? 全員命に別状はなかったのかい?」


 飛竜アデニードを召喚している間に、小屋の中の状況は聞いていたのではないかと思うのだが。

 レニーの答え次第で、彼らへの対応が変わってくる。


「あ、うん。全員生きてたっていうのは聞いたよ。皆呆れてた。一人残らず、頸動脈を斬って派手に血を飛び散らせておきながら、失血死しない程度にとどめて傷口を魔法で塞ぐとか、出鱈目にもほどがあるって」


 その点に関しては僕も同感だが、何はともあれ、彼らが人間の敵ではないということは信じてよさそうだな。


「心配しなさんな。くたばっちまってないことはちゃんと確認してたよ。時々いるんだよね、死んだと思い込んだら本当に死んじゃう奴」


 老婆、もとい剣聖アンジュが言う。

 いやいや、駄目だろそれ。


「大丈夫だよ。死んだ直後なら、バートが生き返らせてくれるから」


 えっ! そんなことまで可能なのか!?

 男吸血鬼(ヴァンパイヤ)――バートさんとやらは、ふんと鼻を鳴らし、


「肉体から離れたばかりの魂をもう一度戻してやる、なんてのは死霊術ネクロマンシーの初歩の初歩だ。自慢にはならん」


「はは、それで十分だよ。正直言って、『高度な死霊術ネクロマンシー』なんてものは、あんまりあんたにやってほしくはないしね」


「ああ、ジュジュがそう言うから、習得は控えておいたんだ」


 なるほどね。まあ確かに、死者の肉体や魂をもてあそ死霊術ネクロマンシーに対しては、僕だって忌避感が強いからな。


 彼女が剣聖アンジュその人だということについては、信じる気になっていた。

 いや、とんでもなく荒唐無稽な話ではあるのだけれど、圧倒的な実力を有する彼らが、そんな与太話を僕たちに信じ込ませようとする理由が想像できない。

 レニーの強大な魔力を警戒してはいるようだけれど、それでも僕たちが太刀打ちできるような相手じゃない。

 それに第一、あの剣技。

 あんな真似ができる存在が、そうそういてたまるものか。


「魔王メディアーチェの魔法を斬ったという、伝説の魔法斬り。まさかこの目で見ることができるとは思いませんでした!」


 声が弾んでいるのが自分でもわかる。

 あれを見せられて興奮しない剣士などいないだろう。

 しかし、アンジュ様は少々ばつの悪そうな表情で、


「あー、それ与太話だから。いやぁ、噂に尾鰭がついちまってね。あの時はレイニーの防御魔法で守ってもらってたってぇのにさ」


 そう仰った。


「はい? でもさっき実際に……」


「バートが、せっかくだからやれるかどうか挑戦してみろよ、なんて煽るもんだからさ。試しにやってみたんだよね。それにかかりきりってわけじゃなかったとはいえ、成功させるまでに70年近くかかったよ」


 そ、そうだったのか。

 やはり人間に可能な技ではないってことか。


「さあ、それはどうだろうね。あたしは今でこそ多少の魔法も使えるようになったけど、元々魔法はからっきしだからさ。魔法の術理じゅつりを読み取って、その核となる術式を斬る、なんて芸当を身に着けるのには随分苦労したんだよね。だから、魔法にも造詣が深くて、なおかつあたし並みの剣技を持っている人間なら、可能かもしれないよ」


「いえその……、アンジュ様並みの剣技という時点で、常人には不可能なんですが」


「そうかい? 世界中探せばいないこともないと思うけどね」


 いやあ、いるかなぁ?

 と、そこでレニーが口を挟んだ。


「そう言えば、さっきあたしのことを『レイニー』と呼んでいらっしゃいましたけど、それってもしかして……」


「ああ、あたしの戦友にして親友の一人、天魔ロレインの愛称だよ」


「へえ。あたし、ロレイン様に似てるんですか?」


 興味津々な様子で、レニーが尋ねる。


「そうだねぇ。まあ今の時代、あたし自身のも含めて『四英雄』の血を引く人間は大勢いるからね。当時の面影おもかげがある人を見かけてどきっとすることも珍しくはないんだけど……。本当にあんたたちはそっくりだよ。レイニーとガリィ――ロレインとガリアールにさ」


 えっ、僕も? いや、そりゃあ勇者ガリアール直系の子孫だし、おまけに三公爵家とも通婚してきて、三重四重にガリアール様の血を受け継いではいるんだけど……。

 うん。でもかつての英雄に似ていると言われて嬉しくないわけはない。

 それはレニーも同じだろう、と思ったら、ちょっと微妙な表情を浮かべていた。


「うーん、ロレイン様に似ていると言ってもらえるのは光栄だし、先祖をたどっていけばあの方の血が混じっているというのもありえなくはないんだろうけど……。今のあたしの実力を、偉大なご先祖様のおかげみたいに見られるのは、ちょっと微妙だなぁ」


 なるほどね。でも僕は、君が持って生まれた才能をこつこつ磨き上げてきたところもちゃんと見てたから。


「こほん。で、お前らは何だって喧嘩を吹っかけて来たんだ?」


 バートさんが一つ咳ばらいをし、じろりとあかい目を光らせながら尋ねた。


「ああ、すみません。実は……」


 かいつまんで事情を説明する。


「ほう、王都には久しく行ってないけど、そんなことがねぇ。もちろん、あたしたちは無関係だよ」


 もう疑ってはいませんよ。

 とは言うものの……。


吸血鬼ヴァンパイヤ、もとい夜を統べるもの(ナイトロード)といえば、魔王メディアーチェの手先として人々を苦しめた存在。アンジュ様ご自身も、やつらと戦ってこられたはずですが……。人間の敵ではないひとたちもいるということなのでしょうか?」


 アンジュ様とバートさんを見比べながら問いかける。

 するとアンジュ様は苦笑いを浮かべて、


「そこんところ、根本的に誤解してるね。まあ、当時のあたしたちですら勘違いしていたことではあるんだけど。あれは吸血鬼ヴァンパイヤなんかじゃなかったんだ。メディアーチェが死霊術ネクロマンシーで人の亡骸をいじくり回して作り上げた人形。それがやつらの正体だった……んだよね?」


 アンジュ様に話を振られて、バートさんが頷く。


「そうだ。魔王のやつは『不死人形イモータルドール』などと呼んでいたようだがな。俺たち夜を統べるもの(ナイトロード)とはまったくの別物だ」


 へえ。そんな話は初めて聞いた。


「それじゃあ、夜を統べるもの(ナイトロード)は人間の敵ではないと?」


 僕がそう言うと、バートさんは苦々しげに口ごもった。

 代わって答えてくれたのは、アンジュ様だ。


「残念ながら、そうとも言い切れなくてね。人間の血を吸ってそのまま死に至らしめても何とも思わない、文字通りの吸血鬼ヴァンパイヤってのも少なくはないんだよ」


「まあな。それに、魔王が暴れていた頃には、この機に魔王の力を借りて人間を完全に支配下に置いてしまおうと考えた連中――魔王派なんてのもいてな。俺たち共存派と争いを繰り広げていたんだ」


「そうそう。でもって、あたしがガリィのもとを去って旅していた時に、その魔王派の残党が人々を苦しめていてね。退治を請け負ってねぐらに踏み込んだら、運悪くというかなんというか、残党狩りに来ていたバートと出会でくわしてしまったんだよ」


「あの時は本気で死を覚悟したぞ。まあ、結果としてはお前と出会えてよかった、ということになるんだが」


「ふふっ、ぶった斬っちまわなくてよかったよ。で、落ち着いて話をして誤解が解けたもんで、こいつと協力して残党を始末したんだ。そしたらこいつ、前々から人間の剣技ってものに興味があってちょっとばかり齧ってたそうなんだけど、あたしに惚れたとか言い出して、ついて来るようになったんだよね」


「お前の()()()、だ。お前という女に惚れたのはもっと後だぞ」


「あー、はいはい。で、こいつを弟子にしてやって、その後何やかやあって、こいつの眷属になって妻になったってわけさ」


「そ、そうだったんですか。やっぱりお二人はご夫婦なんですね」


 確かに村人たちは「旦那様」、「奥様」と呼んでいたようだけれど、見た目が不釣り合いだからなぁ。人間は夜を統べるもの(ナイトロード)の眷属になっても不老不死というわけにはいかないってことか。

 それにしても、勇者ガリアールの恋人だった三女傑の一人が、人ならざる者の妻になっていたというのは、ちょっと複雑な気持ちだ。


「さて、そんな話はさておいて、これからどうしたものかな。もうあの家には戻れんし」


 バートさんが思案顔でそう呟く。


「事情を説明して、元通りに暮らしていかれるというのは……」


 そう提案してみたが、にべもなく却下された。


「馬鹿を言うな。純朴な村人たちならともかく、貴族だの権力者だのと関わりあったら碌なことにならん、というのはこれまで幾度となく経験してきた」


 うーん、それはそうかもしれないな。

 スティーブの顔を思い浮かべながら、僕も頷かざるをえなかった。


「ああ、そうそう。念のため釘を刺しとくけど、あたしのことは他言無用だよ。何だか懐かしい顔を見たせいで、つい口をすべらせちゃったけどさ」


 はい、心得ています。


「しょうがない。しばらくは例の砦で過ごすことにするか」


「ああ、そうだね。そうしようか」


 バートさんとアンジュ様が頷き合う。

「例の砦」というのは、旧王国時代に建てられたもので、ここから程近い丘の上にあるのだそうだ。

 そこに、しばらく前に盗賊団が住み着き、近隣の村々を荒らし回っていて、ソレルフィールドにも手を出してきたので、お二人が討滅したのだとか。


「一応今は、また悪党どもが入り込んだりしないよう、骸骨兵スケルトンに番をさせているが……」


 そこでふと、バートさんは何かを思い出したように首を捻った。


「そう言えば、その盗賊どもが女子供を攫ってきていたのを救い出したのだが、それ以前から、攫ってきた人間をしばらくの期間監禁した上で“出荷”していたとおぼしき形跡があったな」


 えっ!? それって、ケビンが言っていた人身売買組織と繋がってたってことか?


「その、王都に棄てられていたファルナの娘というのも、その盗賊団に攫われたのかもしれん。もっと早くに潰しておけば……」


「それは仕方ないよ。あたしだって、あたしたちがもう一歩早く駆けつけていれば、というような経験は、いやというほどしてきたからね」


 そうなのだろうな。四英雄も、魔王軍と戦って多くの人々を救ったけれど、力及ばず悔しい思いをしたことも数えきれないだろう。

 だがそれはさておき。


「盗賊たちの霊を呼び出して、話を聞くことはできないんですか?」


 レニーがそう尋ねたが、バートさんは首を振り、


「俺にできるのは死霊術ネクロマンシーの初歩だけだと言っただろう。肉体から離れたばかりの魂を戻したり、下級死霊を使役したりする程度ならともかく、死んでから時間が経過した魂を召喚するような芸当は無理だ」


 そうか。残念だな。

 あ、でも……。


「僕たちもその砦に連れて行ってもらえませんか? 僕の使い魔の黒妖犬ブラックハウンドの鼻で、何か手掛かりが掴めるかもしれません」


 バートさんとアンジュ様が顔を見合わせる。


「ふん、仕方ないな。さっさと解決してもらわないと、またあらぬ疑いを掛けられてはたまらん」


 バートさんからは若干迷惑そうな様子も窺えたが、一応同意を得られたということで、僕たちはその砦に付いて行くことにした。

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