馬鹿王子、師を得る その九
前話を一部加筆修正しています。既読の方はご注意ください。
その吸血鬼は、外見年齢は三十代半ば過ぎくらいといったところか。
来ている服はそこいらの平民と変わりないが、端正で気品すら感じさせる顔立ちをしている。
もちろん、吸血鬼の外見年齢なんてものに大した意味は無いのだが。
これほどの強さを身に着けているということは、相当な年月を経てきたと見て間違いない。
そして、吸血鬼は一人の老婆を左腕で抱き寄せていた。
腰が大きく曲がり、妙に反り返った杖をついた老婆。
真っ白い髪で顔は半ば隠れているが、垣間見える肌には深い皺が刻まれている。
この人を人質に取られていたせいで、皆やられてしまったのか?
いや、そんな程度のことで不覚を取るような面々ではないはずなのだが……。
そう言えば、吸血鬼は番だという話だったな。
女吸血鬼は何処にいるのだろう。
気配は全く感じないので、小屋の中に潜んではいないのか。
バネッサはというと、窓から飛び込むなりこの惨状を目の当たりにして、呆然自失していた。
マークがやられてしまったのは痛恨だが、せめてバネッサだけでも無事に撤退させたい。
そして、できることならあのお婆さんも救い出したいところだが……。
いや、僕とバネッサの二人でそれができるくらいなら、突入部隊の面々がとっくにやっていたはずだ。
心苦しいが、バネッサを無事逃がすことを最優先するべきだろう。
などと僕が考えていると、呆然自失状態から抜け出したらしいバネッサが、いきなり動いた。
「そんな死にかけの婆さんが人質になるだなんて思うな!」
お婆さんごと叩き斬る勢いで、吸血鬼に突っ込んでいく。
おいおいおい!
もちろん今の言葉はハッタリだろう。
人質の価値無しと判断した吸血鬼がお婆さんから手を放すことを期待しているのだろうが、そんなハッタリが通用する相手か?
ええい、やむを得ない。
僕も剣を抜き放ち、吸血鬼との間合いを詰める。
お婆さんを巻き込まぬよう細心の注意を……。
えっ、真気!?
「降魔光槍!」
凍結しておいた光魔法を解き放つ。
邪悪なる者どもを滅する光の槍を、老婆は難なく躱した。
真っ白な髪を振り乱し、真紅の瞳を光らせた老婆。
その手に握っていた杖は、カタナの刀身を忍ばせた仕込み杖だった。
老いさらばえたその体に力強い真気功を巡らせ、抜き放った刃は、すんでのところでバネッサの頸動脈を両断するところだった。
「ふん、なかなかいい反応をするじゃないか……えっ!?」
鋭い牙が覗く口元をほころばせ、余裕の笑みを浮かべていた老吸血鬼が、僕の顔を凝視して、その表情を驚愕の色に染め上げた。
「ガ、リィ……?」
呟いたのは謎の言葉。
そして、それを聞いた男の吸血鬼がひどく動揺した。
「ガリアールだとぉ!?」
「馬鹿、落ち着きな! 今の時代、ガリィの血を引く人間が、何千何百人いると思ってるんだい!」
「そ、それはそうだが……」
何だ、こいつら。勇者ガリアールや三女傑と何か因縁があるのか?
彼らの時代から生き続けてきたのだろうか。
それならば手強いのも道理だが……。
いや、それよりも。
「大丈夫か、バネッサ?」
「ああ、危ないところだったよ。ありがとう」
そう言って、首筋を撫でる。
確かにあとほんのわずかで致命傷を負うところだったのだが、それもさることながら、さっき老婆は、カタナを揮うと同時に、妙な魔力をバネッサの首筋に絡みつかせていた。
あれは何だったのだろう。
「にしても……、くそっ! 小狡い真似を!」
バネッサが吸血鬼たちを睨みつけながら毒づく。
あらためて見てみると、老婆の体からも闇の魔力が漏れ出ている。
さっきは、寄り添っていた男の強大な魔力に紛れてしまって、気付けなかった。
我ながら迂闊だったな。
「別に騙そうとしたわけじゃない。貴様らが勝手に勘違いしただけだろうが」
バネッサの言葉に、男は鼻白んだ表情で反論してきた。
「黙れっ!」
鋭く一喝すると、バネッサは深呼吸をし、真気を練り上げ始めた。
彼女の体の奥底から湧き上がる力が全身を巡っていく様が、傍目にも感じられる。
「ほう……まだ若いのに、随分と真気の扱いを極めてるじゃないか。名前を聞いてもいいかい?」
老婆が感心したように問いかける。
しかし、バネッサにしてみれば、褒められたというよりも舐められたと感じたようだ。
「見くびるな! あたしはバネッサ。剣聖アンジュの生まれ変わりだ!」
その言葉を聞いて、老婆は一瞬きょとんとした後、ぷっと吹き出した。
そして一方、男は凄まじいまでの怒りを迸らせた。
「アンジュの……生まれ変わりだと!?」
やっぱりこいつら、四英雄と余程の因縁があるのか。
彼らが討ち漏らしたせいでこれまでどれほどの犠牲が出たのかと考えると、胸が苦しくなる。
吸血鬼は憤怒の形相で床を蹴り、一瞬でバネッサとの間合いを詰めた。
くそっ、割って入るのは無理だな。
「降魔光槍!」
二つ目のストックを解き放つ。
あっさり食らってくれるとは思えないが、せめて牽制に……、はぁっ!?
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
射線上に老婆吸血鬼が割って入り、カタナを揮って――、降魔光槍を両断したのだ。
いや、自分でも何を言っているのかわからない。
魔法を“斬る”ってどういうことだよ。
しかし、現実に降魔光槍は斬り散らされてしまった。
「邪魔するんじゃないよ。危ないだろ」
そして、老婆の背後で、男がバネッサを斬った。
「勝手に殺すんじゃねえよ、馬鹿野郎が!」
男がいまいましげに吐き捨てるのと同時に、バネッサが首筋から血しぶきを上げて倒れ伏した。
へ!?
次から次へと理解を超えたことが起こり、整理が追いつかない。
「な、何の真似だ! 何故助けた!?」
そう。吸血鬼はバネッサの首筋を斬った次の瞬間、闇魔法で傷口を塞いだのだ。
血しぶきこそ派手に飛んだが、実際の出血量は致命的なものではない。
「わかり切ったことを聞くな。勘違いや偏見で突っかかって来る人間どもを一々殺していては、恨みが積み重なるばかりだろうが」
いや、それはそうかも知れないが……。
え、ということは、倒れている面々も命に別状は無いのか!?
あらためて気配を探ってみると、きわめて弱々しいものながら、たしかにかすかな息遣いが感じられた。
ふっ、と安堵で腰が抜けそうになる。
「マグ、無事かい、ひっ!」
ちょうどそこへ、レニーが入り口から踏み込んで来て、内部の惨状を目にして小さく悲鳴を上げた。
レニーの他に、後方支援に回っていた衛兵が二人ついて来ていたが、彼らも絶句している。
「大丈夫だ! 皆生きてる! デボラさんたち救護班を呼んできてくれ!」
僕がそう呼びかけると、衛兵の一人が頷き、外へ駆け出して行った。
「ぷっ、くっ、はははははっ!」
堪え切れないように笑い出したのは、老婆吸血鬼だ。
「ガリィに、『剣聖アンジュの生まれ変わり』と来て、今度はレイニーまでご登場かい。とんだ同窓会だね」
その言葉を聞いて、レニーが眉をひそめた。
「あたしの名前は『レイニー』じゃなくてレニーなんだけど……、何で吸血鬼が知ってるんだい?」
「ははっ、そうかい。名前まで似ているんだねぇ」
しみじみと呟く老婆に、男が張り詰めた声をかける。
「ジュジュ、暢気なこと言ってる場合じゃないだろう! こいつは危険だ!」
レニーの魔力量を見て取って、危機感を覚えたのだろう。
男の表情にも緊張の色が顕れていた。
「ふん、確かにね。レイニーとやり合うっていうのはぞっとしないや」
老婆は何とも形容しがたい表情を浮かべて頷いた。
何かを懐かしむような、悔いるような、それでいてどこか面白がっているような……。
その間に、男は壁に掛けてあった上着に駆け寄っていた。
赤褐色のフード付きローブのようだ。
二着のうちの一着を、老婆に投げて渡す。
自分も素早く羽織りながら、窓に向かって駆け出した。
同じくローブを羽織った老婆がそれに合流する。
「あ、ちょっ! マグ!」
思わず彼らの後を追いかけようとした僕に、レニーが戸惑いの声を上げた。
いや、危険すぎる相手だということは重々承知しているさ。
けど、彼らとちゃんと話をしてみたい。
「まったく、世話が焼けるね、マグは」
そんなことを口にしながら、レニーは飛竜の召喚に取り掛かった。
アデニードに乗って空からやつらを追いかけるつもりなのだろう。
ごめん、面倒をかけてしまって。
僕が窓から飛び出すと、外では吸血鬼に対して後方支援部隊が混乱に陥っているところだった。
組織だった迎撃をさせられるような指揮官がいないからな。
それでもスティーブは、呪文を唱えているようだが……、って、おい馬鹿! こんな森の中で火炎魔法なんか使うやつがあるか!
僕が万一に備えて鎮火魔法の呪文を唱えていると、スティーブが火炎弾をぶっ放した。
少々術式は荒いが、威力はそれなりのものだ。
しかし、その火の玉は、老婆が揮ったカタナによって斬り散らされた。
「おいおいジュジュ、無理をするなよ」
「このくらいどうってことないさ。年寄り扱いすんな」
なんだかほのぼのとした会話を交わしているが、やってることは出鱈目にもほどがある。
「魔法を斬る」だなんて、ただの伝説だと思っていたんだけどな。
スティーブの魔法を斬った吸血鬼たちは、そのまま包囲を突破し、森の中へ逃げ込んで行った。
その後を追って、僕も森に飛び込む。
くそ、速いな。魔力功を目一杯使って体力強化しても、果たして追いつけるかどうか。
どうにかこうにか、彼らを見失うことなく森の中を走り続けていると、少し開けたところに出た。
そしてそこで、吸血鬼たちは足を止めた。
上空から魔法攻撃を受け、食らいはしなかったものの、足止めされてしまったのだ。
力強い羽ばたき音とともに、飛竜が舞い降りてきて、その背中からレニーが飛び降りた。
「逃がしゃしないよ。あんたたちの馬鹿でかい魔力、アデニードは感知できるみたいだからね。空からどこまででも追いかけて行ってやる」
へえ、そうなのか。さすがは竜種の端くれだ。やるじゃないか。
「おやおや。竜種を使い魔にしてる魔道士なんて、何百年ぶりかね。リュースのことを思い出すよ」
老婆が感慨深げに呟いた。
「リュース」ってまさか、天魔ロレインが使い魔にしていたと伝えられる赤竜のことか?
「お前、いや、あなたたちは一体……」
僕の問いに、老婆が自嘲めいた笑みを浮かべながら答えた。
「薄々察してるんじゃないのかい? あたしの名はアンジュ=カシマ。かつて『剣聖』と呼ばれた女の成れの果てさ」