馬鹿王子、師を得る その八
2/3 9:30加筆修正しました。
ソレルフィールドの村は、ファルナから北へ徒歩で半日ほどの距離にある。
ケビンたち衛兵隊の面々と、スティーブと伯爵家配下の騎士たちは馬に跨り、グラハムさん、ベルナーさんらファルナの冒険者たちは徒歩で、目的地へと向かう。
もちろん僕とレニーも徒歩だ。ケビンは申し訳なさそうな表情を浮かべていたが、今の僕は一介の冒険者だからな。
ケビンの部下である衛兵たちの中にも、見知った顔は少なくないが、おそらくケビンが口止めしてくれているのだろう。全員知らないふりをしてくれている。
伯爵家の騎士たちも十人あまり。
王都の衛兵ほど練度は高くなさそうだが、戦力としてまったくあてにできないということはないだろう。
そして、ファルナの町の冒険者たち。
一応、ファルナ伯からギルドを通じての正式な依頼という形になっているのだそうだ。
ベルナーさんがグラハムさんにだいぶ礼を言っていたようだが、彼がスティーブかあるいは伯爵本人に働きかけたということなのだろうか。
やはりなかなかの影響力を持っているようだ。
メンバーは、グラハムさんとベルナーさん、それにベテランの戦士が二人。
それにグラハムさんの奥さんのデボラさんも、治癒術士として参加している。
あと、マークとバネッサもついて来ているが、さすがにグラハムさんも、彼らに危険な役割を担わせるつもりはないだろう。
そして、僕とレニーという顔ぶれだ。
建前上、今回の吸血鬼討伐は、伯爵家が主体ということになっているのだが、さてどんなものだろうか。
スティーブも一応王立魔法学校を卒業しているそうだが、マークの話を聞くに、貴族の子弟が箔付けのためだけに在籍・卒業したという典型例のようだ。
実際のところ、そういう輩は僕たちの同級生にも少なくなかったのだが。
あらためて考えてみると、フィリップは結構真面目に勉強していた部類なんだよな。
ただ、騎士たちのリーダー格らしいロイという男は、なかなか強そうだし、他の者たちからも信頼されている様子が窺える。
ソレルフィールドに到着した僕たちは、いきなり村人たちに取り囲まれた。
村の男たちが数人、スティーブに食ってかかる。
「旦那様がたを討伐するなど、冗談じゃない! あの方たちはこの村の守り神なのですよ!」
「そうだそうだ! 凶暴な魔物を退治してくださったことは数えきれないほどだし、この間だって、山賊どもにさらわれたうちの娘を助け出してくださったんだ!」
そのようなことを口々に訴える。
どうやら、吸血鬼は村人たちから「旦那様」、「奥様」と呼ばれているらしい。
「な、何なのだ、お前たちは! 邪魔立てするなら容赦はせんぞ!」
スティーブも頭に血が上っているようだ。
まずいな。このままだと流血沙汰になりかねないぞ。
「――聖なる光、悪しきを祓い穢れを清めよ。解呪光陣」
村人たちと、ついでにスティーブを、優しい光が包み込む。
魔法を唱えたのはデボラさんだ。
「な、何だこれ!?」「あ、でもなんかすっきりした気分」
「気分を落ち着かせる魔法です。少し冷静に話をしましょう」
しれっと言い放つデボラさん。
本当は悪しき呪縛を祓う魔法なんだけどな。さすがはグラハムさんの奥さん、なかなかにしたたか者のようだ。
「ぶ、無礼者! 俺まで巻き込みおって!」
「坊ちゃまも落ち着いてください。こんなところで人間同士争っていては、吸血鬼の思う壺ですよ」
「ぐっ……」
激高しかけたスティーブも、デボラさんに丸め込まれる。
すっとデボラさんの背後に回ったケビンに、窘めるような眼差しを向けられたせいもあるだろうが。
ついでに言うと、グラハムさんもさりげなく妻の側に寄り添っている。
「デボラさん、なかなかやるね。光魔法使いとしてはかなりのもんだよ」
レニーが感心している。
たしかに、術式の洗練度が高いな。たいしたものだ。
魔法使いと一口に言っても、それぞれ得手不得手はある。
ことに光魔法は、持って生まれた資質に左右される部分が大きいと言われており、レニーですらこの分野に限っては並みの神官と大差ない。正直、僕の方が少し上なくらいだ。
その一方で、リエッタのような天才も存在する。
それにしても……。
ソレルフィールドの村人たち、吸血鬼に魅了されて操られているわけではなく、本当に彼らのことを慕っているようだ。
「でもさ、あんたたちもその『旦那様』だっけ? そいつらに血を吸われているんじゃないの?」
バネッサが口を挟むと、男たちの背後に隠れるようにしていた若い娘が進み出た。
「何か勘違いされてるみたいだけど、血を吸われると言っても大したことじゃないよ。あたしも、八ツ目猪に襲われかけたところを旦那様に助けていただいて、お礼に血を差し上げたけど、ほら、牙の痕も残らないよう治してくださったし」
そう言って左腕を捲って見せる。
なるほど、確かに傷跡は残ってないな。
吸血鬼の闇魔法でも、光魔法と同じようなことができる、というのは初めて聞いたよ。
「お前たちは騙されているのだ! 平民どもは知らぬかもしれんが、吸血鬼というのはな、その昔、魔王メディアーチェの走狗として人々を苦しめたのだぞ!」
スティーブが説得を試みるが、村人たちは動じることなく反論してくる。
「いえいえ。旦那様方がおっしゃるには、あれは『夜を統べる者』とはまったくの別物で、魔王の操り人形だったんだそうですよ」
村人たちは、「吸血鬼」という言葉を絶対に口にしない。
「夜を統べる者」という彼らの自称を用いるのを徹底しているあたりにも、村人たちの心酔っぷりがよく表れている。
「な、何が『夜を統べる者』だ! 大体、領主である我が伯爵家を差し置いて、旦那様だの何だのと! 無礼にも程があろう!」
いかんな。スティーブのやつ、また頭に血が上ってきたようだ。
ケビンが間に入ろうとするも、伯爵家の騎士たちも動き出し、村人たちを威圧する。
結局、村長が村人たちを説得して、何とか解散してくれたのだが……。
「大丈夫だ、旦那様方がお強いのは皆知っているだろう、とか何とか言ってたよね」
彼らのひそひそ会話を風魔法で拾っていたレニーが呟く。
いや、さすがにこれだけの面子で不覚を取ることはないだろうが……。
どうも穏やかじゃないな。
正直なところ、僕も「善良な吸血鬼」なんていう話を信じる気にはなれない。
村人たちを助けているのは事実としても、それはあくまでも彼らを懐柔して盾とするためで、陰で悪事を働いているのではないか、という疑念はぬぐえない。
村人たちには悪いが、やはり討伐はやむを得ないだろう。
吸血鬼のねぐらは、ソレルフィールドの村外れにあった。
そのあたりには、さほどの広さではないものの森が広がっており、鬱蒼たる木立の中に少し足を踏み入れたところに、丸太を組み合わせた小屋が建っている。
そこに吸血鬼が棲みついたのがいつ頃のことなのか、もう知る人はいないという。
火炎魔法で小屋ごと焼き払ってしまおうか、などという案も出て、スティーブもその気になりかけていたようだが、ケビンが止めた。
「そりゃそうでしょ、中にいるのが吸血鬼だけだって断言できないもの」
レニーが呟く。
たしかに、やつらの餌として人間が連れ込まれている可能性もありえるのだが、ケビンとしてはむしろ、吸血鬼が火に巻かれたくらいでどうにかなるとは限らない、かえって炎に紛れて逃げられてしまうのではないか、ということを懸念しているようだ。
結局、話し合いの末に、突入部隊を編成して小屋に踏み込むことになった。
伯爵家からはリーダー格であるロイと他二名、衛兵隊からケビンの部下が二名、冒険者勢からはグラハムさんとベルナーさん。計七名が選ばれた。
うん、このメンバーなら、吸血鬼二体に後れを取ることはないだろうし、さほど大きくない小屋にこれ以上の人数は突入できないだろう。
スティーブは外で全体の指揮、という体裁だが、伯爵家配下の騎士たちも含め、誰も彼に期待はしていない。くれぐれも邪魔だけはしないでくれよ、という空気が漂っている。
実質的な指揮官はケビンで、後方支援向きの人材を各所に配置し、小屋を包囲する布陣を取った。
僕やレニーもその中に含まれており、小屋の正面、入り口が視認できる位置で、森の木に隠れて待機する。
小屋への侵入は、入り口の他に大きめの窓が一箇所。
他に小さな明り取りの窓も設けられているが、人が出入りするのは無理だ。
そして、突入部隊が小屋に踏み込み、五分ほどの時間が流れた。
おかしいな。誰一人出て来る様子がない。
事前の打ち合わせでは、万が一の場合は第二陣が突入することになっていたのだが、ケビンも明らかに様子がおかしいと判断したようだ。
彼自らが率いる第二陣、今回も七名が小屋に突入する。
そこからさらに五分。
やはり誰も出て来ない。
吸血鬼に返り討ちにされた? 一人残らず? いや、そんな馬鹿な!
「こら、止しなさい、マーク!」
デボラさんの悲壮な叫び声が響き渡る。
彼らは南に向いた窓の方で待機していたはずだが、あの馬鹿、小屋に飛び込むつもりか?
馬鹿! グラハムさんたちが返り討ちにされたのだとしたら、お前が行ってどうなるものでもないだろうが!
「馬鹿マーク! ちょっと待ちなさいよ!」
バネッサが慌てて追いかけるのが目に入った。
ええい、しょうのないやつらだな!
突入部隊計十四名をことごとく返り討ちにするような吸血鬼を倒すなんて不可能だろうけど、あの二人まで犠牲になってしまうのはなんとか回避したい。
僕もすぐさま駆け出したが、入り口から踏み込む寸前に、「ぎゃあ」というマークの苦鳴が聞こえてきた。
くそっ! なんてことだ!
バネッサはまだ無事だろうか。
小屋に踏み込み、そこで僕が目にしたものは、壁と言わず天井と言わず、いたるところを真紅に染めた血しぶきの痕。
累々と横たわる突入部隊の面々。
そして、血塗られたカタナを引っ提げて静かに佇む中年男――の姿をした吸血鬼だった。