馬鹿王子、師を得る その四
ファルナの町の北東隅に、その道場はあった。
広さ十メートル四方ほどとはいえ、屋内鍛錬場を備えているというのは、平民相手の剣術道場としては中々のものだ。
師匠のグラハムという人は、五十がらみの一見穏やかそうな男性だった。
若い頃は実力のある冒険者として鳴らしていたそうだが、引退後は稼いだ金で道場を建て、後進の指導に当たっているのだとか。
おそらく、冒険者時代に築いた人脈で、町の有力者の支援も得ているのではないだろうか。
その師匠と向き合い、マークが力説する。
「……というわけで師匠、四頭までは仕留めたんだけど、最後の一頭は、こいつが飼ってる飛竜に掻っ攫われちまったんだよ」
「すまん、言ってる意味がわからんのだが。飛竜を飼っている?」
「あー、正確に言うとあたしの使い魔なんですけどね」
照れくさそうにレニーが言う。
「笑えん冗談……、いや……こいつは驚いたのう」
信じられないものを見たような表情で、グラハムさんは呟いた。
彼も魔力は無いようなのだけどな。しかも、今レニーは魔力を並みの魔道士程度にまで抑えているというのに。レニーの実力を見抜いたのか?
まあ、本人が魔力無しであっても、訓練次第で魔力を「見る」ことはできるようになるらしい。
そもそも、「魔力」というのは、人の体内から湧いてくるわけではなく、この世界に満ち満ちる「魔素」と呼ばれるものを体に蓄積した結果、物の理に干渉する力として行使できるようになったもの、というのが通説だ。
だから、自身が魔力体質であることと魔力を感知できることは必ずしも一致しない。
とはいえ、やはり自分自身に無いものを感知するというのは難易度が高いのだが。
「なるほど。飛竜を使い魔にしているというのも、あながち嘘とは言い切れぬが……。で?」
「さすがに飛竜が相手じゃどうしようもなくってさ。だから仕方なかったんだよ」
「で?」
「いやだから……」
「で?」
うーん、一見穏やかそうに見えて、なかなか意地が悪いお人だな。
そう言えば、マークたちも、不可抗力だと言って素直に納得してもらえるとは思えない、とか言っていたっけか。
「あのう、グラハム殿。彼らは最後の一頭も倒す寸前までいっていたのですよ。邪魔してしまったのは全面的に僕たちの責任でして……」
思わず口を挟んだ僕を、グラハムさんは穏やかな、しかし値踏みするような眼差しで凝視した。
「ふぅむ。旅のお人、なかなかお使いになるようですな。いずれのご流派ですかな?」
「あ、はい。ガリアール流と、アンジュ流も少々嗜んでおります」
「ほほう。筋目正しい剣を修められているようだ」
ガリアール流、別名王統流は、王家の制式流派ではあるが、貴族全般で嗜まれている流派でもあるので、それだけで僕の素性まではわからないはずだが……。只者でないとは察せられてしまったかもしれない。
「そうだ、師匠! こいつ、もといこの人と立ち会って、勝てたら今回の課題は達成ってことでどうだ?」
マークが妙なことを言い出した。
「馬鹿者! ご迷惑を掛けるものではない!」
「だってよぅ……」
「まあまあ。僕でよろしければお相手しますよ」
そう言って、僕は師弟の間に割って入った。
元はと言えばこちらの責任だし、彼らの剣技にも興味がある。
立ち会うくらいお安い御用だ。
あと――。マークが僕に勝てるつもりでいるらしいことにカチンと来た、というのもある。
「そうですか。ご迷惑かとは思いますが、一つ揉んでやっていただけるならありがたい限りですわい」
グラハムさんが、打って変わってにこやかな表情を浮かべ、言った。
さては最初からそのつもりだったな。食えないお人だ。
「じゃあ早速」
マークが準備に取り掛かる。
せっかちな奴だな。
「木剣は各流派用のものを用意しております。ご自由にどうぞ」
グラハムさんが言った。
ガリアール流は両刃の直剣を用いる。僕が今腰に下げている剣もそれだ。
一方、アンジュ流では、東方伝来の「カタナ」と呼ばれる片刃の曲刀を用いる。
ただし、カタナは非常に切れ味鋭いが、製法が大変に難しくて手間暇かかり、そのためとんでもなく高価だ。
剣聖アンジュの曾孫に当たるアンジュ公爵家三代目当主が、私財を投じて東方からカタナ鍛冶や関連の職人、さらには専門の研ぎ師などを招聘し、ドワーフの鍛冶師の力も借りて、王国内でカタナの生産もされるようになったが、やはり貴族層でないと手が出せない価格であることに変わりはない。
ちなみに、そのせいでアンジュ公爵家は一時期かなりの経済的苦境に陥ったという話だ。
グラハムさんの流派は、「シンフェルド流」という聞いたことのない流派で、曰く、「アンジュ流の傍流の傍流」なのだそうだが、用いるのはカタナではなく、ここいらでも入手しやすい片刃の曲剣――シミターだ。
アンジュ流の本家からは邪道と蔑まれている類の流派だな。
僕は扱い慣れた直剣型の模擬剣の中から一振りを選び、二,三回素振りしてみた。
うん。重さもちょうど良くてしっくりくるな。これにしよう。
反りの深い木剣を構えたマークと対峙する。
寸止めで一本勝負。
「はじめ!」
グラハムさんの掛け声を合図に、マークが踏み込んで来る。
は、速い!
上段からの鋭い斬撃を辛うじて受け止めると、僕は跳び退って間合いを取った。
驚く僕の顔を小馬鹿にしたように睥睨しながら、マークが言った。
「魔力無しだからって舐めてたか? 遠慮せずに魔力功を使えよ」
「魔力功」――。魔力による身体強化を意味する、主にアンジュ流で用いられる用語だ。
そもそも「功」というのは、東方の武術の概念で、体内に「真気」、あるいは単に「気」と呼ばれるものをみなぎらせ、素の身体では成し得ないような動きを実現するという技術だ。
それを、「真気」の代わりに魔力でもって行うのが「魔力功」、ということなのだが……。
正直、眉唾だと思っていた。
剣聖アンジュが魔力を持たぬ身で、「真気功」とやらで魔王とすら渡り合ったなどという伝説は。
だが、今マークが見せた動きは、素の身体能力で可能なものではなかった。
「ちっ! 本気を出すつもりはねえのかよ!」
再びマークが踏み込んで来る。
やはり速い。
けど、対応しきれないほどではないな。
僕はどうにかマークの中段突きを捌き、こちらからも小手打ちを見舞う。
ふむ、この程度は躱されるか。
「僕はこう見えて意地っ張りでね。魔力無し相手に魔力を使ったんじゃ不公平だろ」
僕のその言葉に、表情こそ変えないものの、グラハムさんとバネッサが纏う空気が険しいものになった。
舐められた、と思ったのだろう。
そして、マークはわかりやすく激怒した。
「舐めんじゃねえ!!」
これまで以上に鋭い踏み込み。そして凄まじい横薙ぎの斬撃。
おい、お前それ本当に寸止めか?
僕は剣で受け止めたが、勢いを殺し切れず、体勢を崩し――。
「へ!?」
「それまで!」
グラハムさんの声が掛かった。
マークは呆気に取られたような表情を浮かべている。
勝ちを確信していたのだろうな。
渾身の一撃で僕の体勢を崩し、次の一手で勝負を決めるつもりだったのだろうが、彼自身も、一撃に力を込め過ぎたあまり、体が流れてしまっていた。
その一瞬の隙を突いて、僕の剣が彼の首筋に触れるか触れないかのところでぴたりと止まっている。
「へえ……」
バネッサは感心したように僕を見つめているが、その目付きは妙な色気を帯びている。
純粋に強い剣士に対する興味ばかりではなさそうなことくらい、僕にだってわかる。
ハラハラしながら僕たちの勝負の行方を見守っていたレニーが、何やら不穏な空気を感じたのか、バネッサに警戒の眼差しを向けていた。
「さすがですな。マグ殿とおっしゃいましたか。良い腕をしておられる。しかし、バネッサ相手に同じように行くとは思われぬ方がよろしいでしょう」
グラハムさんが言った。
口調も表情も穏やかだが、内心は穏やかではないのだろうな。
いや、それとも真摯に忠告してくれていると取るべきだろうか。
実際、バネッサはその身ごなしを見る限り、マークより強いと考えて間違いない。
「ご忠告痛み入ります。それでは僕も遠慮なく、本気を出させてもらいましょう」
「……意地はどこへ行ったんだよ」
マークが憎々し気に呟くのが聞こえたが、すまない。僕は意地っ張りである以上に負けず嫌いなんだ。
「さて、それじゃあ、やろうか」
バネッサが木剣を引っ提げ、僕に向き合う。
が、その前に――。
「グラハム殿、先ほどマークが使ったのは、“真気功”というやつですか?」
僕はグラハムさんに尋ねてみた。
「左様。我が流派は傍流の傍流ながら、剣聖アンジュの神髄を受け継いでいると自負しております」
なるほどねぇ。
今日じゃ、当のアンジュ流の本流ですら、「功」イコール魔力による身体強化と捉え、剣聖アンジュのことも、魔法が使えない魔力持ちだったのだろうと解釈しているようなのだけどな。
「ことに、このバネッサはまだ若いながら、天稟に恵まれておりましてな」
「へへっ。あたしは剣聖アンジュの生まれ変わりだからね」
「こら、調子に乗るな」
アンジュの生まれ変わり、ねぇ。まあ、天魔の再来だとか聖女の後継なんてのがいるのだから、剣聖の生まれ変わりがいたっておかしくはないのだけれど。
「なるほど、剣聖と立ち会えるとは剣士冥利に尽きますね」
必ずしもお世辞ばかりではない。強い剣士と立ち会い、自分を高めることが出来るのは、とても嬉しいことだ。
自分より年下の女性であることも、魔力無しであることも、今は忘れよう。
僕はバネッサをまっすぐに見つめ、剣を構えた。
お待たせいたしまして申し訳ございません。
次回更新もしばらく空いてしまいそうです。気長にお待ちくださいm(_ _)m
ところで、ヨーロッパ風異世界ファンタジーで、東方から旅してきた刀の使い手、というのはしばしば登場しますが、刀の研ぎはどうしてるんでしょうね。高度な専門技術が必要なので、使い手自身が研いでいます、というわけにはいかないと思うのですが。
一応、五百年前の剣聖アンジュは、父親が技術を習得していたのでそれを教わった、という設定ですが、正直無理があるかな、と思ってみたり^^;