馬鹿王子、師を得る その三
その前にちょっとアデニードに食事させてくるよ。そう言ってレニーは飛竜の背に跨ろうとした。
「大丈夫なのかい? 上空で振り落とされたりしたら……」
レニーなら、風魔法で滑空して無事着陸することも可能だろうけど、追撃を掛けて来られたらひとたまりもない。
さすがにまだ、アデニードを全面的に信頼するのは早すぎるだろう。
「うーん、こうして魔力を同調させていたら、邪な考えを起こしたらすぐにわかるんだけどね。さすがに空の上で変な気を起こされちゃ堪んないか」
レニーは少し思案して、荷物から別の魔法陣布を取り出した。
「おいおい、セイも召喚するつもりなのかい? いくら君でも二頭同時に制御するのは……」
「心配ないよ。セイはもうほとんど制御の必要ないから」
初めて召喚してから一年半あまりの間に、完全に手懐けたってことか。
僕だってマドラはもうほとんど手が掛からないからな。
でも、幻獣を召喚してこちらの世界に繋ぎとめておくのは、それだけでも結構魔力を食われるんだけど……。
まあレニーにとっては深刻な問題じゃないか。
レニーが召喚魔法を唱え、有翼獅子が姿を現すと、剣士の二人――マークとバネッサが息を飲む音が聞こえた。
飛竜ほどではないにしろ、並みの戦士や魔道士の手には負えないような魔物を、使い魔と称してぽんぽん召喚して見せられては、開いた口がふさがらなくなるのも仕方ない。
「さて、それじゃあ行ってくる……、うわ、ひゃっ、ひやああああああ!」
飛竜が舞い上がり、その首にしがみついたレニーが悲鳴を上げる。
まあ、セイが付いていてくれれば心配はないだろうけど。
帰って来るのを待つ間、呆然としているマークとバネッサに、詳しい話を聞く。
彼らはそれぞれ十六歳と十七歳で、ファルナの町に住む平民の子だという。
ファルナにはグラハムという人の剣術道場があり、二人はそこの門下生なのだとか。
それにしても、平民向けの剣術道場というのはちょっとめずらしい。
ガリアール王国の王侯貴族層の間では、始祖ガリアールが修めた剣術流派である「ガリアール流」ないし「王統流」と呼ばれる流派と、剣聖アンジュを祖とし東方系の流れを汲む「アンジュ流」のいずれかが嗜まれている場合が多い。
そしてそれ以外にも数多くの剣術流派――ひとまとめにして「諸流派」、口の悪い者に言わせると「雑流」――が存在している。
しかし、単純に武器としての有用性を比較すれば、剣よりも槍の方がずっと上だ。
何しろ、間合いの広さという点で、槍の方が圧倒的に優位なのだ。
懐に入ってしまえば剣の方が有利、などというのは机上の理屈に過ぎない。
槍使い相手に間合いを詰め、剣で勝利を収めるためには、相当な実力差が必要となる。
それ故、平民層が身に着ける武芸としては、槍の方が一般的だ。
町から出る際の護身や、家畜や時には人も害する魔物を追い払うのに、より遠い間合いから攻撃できる槍の方が良いというわけだ。
何故貴族層と平民層で違いが出るかというと、魔力資質が関わってくる。
魔力資質は必ずしも親から子に受け継がれるわけではないものの、代々魔力資質の高い者同士をかけ合わせてきた王侯貴族層の方が、生まれる確率は圧倒的に高い。
そして、魔力による身体強化と、刀身に魔力を込めて攻撃力を増す技術によって、剣と槍の優位性が逆転するのだ。
もちろん、槍使いの中には槍に魔力を込めて凄まじい攻撃力を発揮するものもいるにはいるが、魔力の込めやすさという点では、やはり槍の穂先よりも剣の刀身の方が有利となる。
そんなわけで、平民相手の剣術道場というのは珍しいのだが――。
僕があれこれ考えを巡らせている間に、彼らは仕留めた双尾山猫の皮を剥いでいた。
なかなか手際が良いな。
冒険者をやっていくのなら、僕も身に付けなくてはいけないスキルなのだろうけど、また今度レニーに教わるとしよう。
ちなみに、アデニードが仕留めた一頭は、ずたぼろに食い散らかされ、魔石も真っ先に食われてしまって、もはや利用価値は無い。
後で埋めておかなきゃな。
ああ、どうせマークたちも、皮を剥いで魔石を採取した後の死体は捨てるのだろうから、今のうちに土魔法で穴を掘っておこうか。
僕が呪文を唱えて穴を掘り、魔物の死体を放り込む様を、マークたちは興味深そうに見ていた。
「すごいねぇ、魔道士さんってやつは」
バネッサが感心したように言う。
「放置しておいて他の魔物が寄ってきたら困るだろ。君たちも、不要なものはここに捨てるといいよ」
そう言ってやったのだけれど、バネッサは苦笑いして、
「いやいや、そこまでしなくても、小鬼が綺麗にしてくれるから」
小鬼というのは、せいぜい十歳前後くらいの人間の子供程度の背丈で、粘土色の肌に額には短い角、尖った耳にぎょろりとした大きな目、鋭い牙と爪を持った魔物だ。
石を打ち削って原始的な刃物を造り出す程度の知能はあり、小柄な割には大人の人間と遜色ない程度の腕力・握力を持っていて、魔物の死体を解体して巣穴に持ち帰る習性がある。
生きている人間を襲うことはまず無いが、人間の死体も解体し、十八年戦争の時などは、死体が打ち捨てられた戦場に大量発生して、随分と駆除に苦労したらしい。
やつら、「女王」と呼ばれる個体からどんどん生まれてきて、あっと言う間に増えるらしいからな。
「あー、まあ、やつらにとっちゃ、魔物の死体も人間の死体も区別ないからね。でも、それって埋葬しきれないほどの死体を生み出した人間の責任でしょ? ちゃんと埋葬して墓守もついている墓地を荒らされることなんて、めったにないんだから」
うーん、そう言われたら確かにそうだな。
思い込みだけで毛嫌いするのは良くないか。
まあでもせっかくだから、とバネッサは皮を剥いで魔石も取り出した双尾山猫の死体を、僕が掘った穴に放り込んだ。
糸のように細い目の奥から漏れる光が何だか妙に艶めかしく、一方のマークは、やたらととげとげしい視線を投げつけてくるのが少々気になったが、そうこうするうちに、飛竜と有翼獅子が舞い戻ってきた。
アデニードはその脚に、一頭の大きな牛を掴んでいる。
もちろん普通の牛ではなく、二本の角の他に、鼻先にも一本の角を持った、三角牛という魔物だ。
これだって、並みの戦士や魔道士の手には余る大物なはずなのだけれど。
どうやらアデニードが一撃で首の骨をへし折ったみたいだな。
「ただいまーっ! 大物が獲れたよっ!」
レニーが元気の良い声を上げる。
マークとバネッサにも手伝ってもらって、三人がかりで皮を剥ぐ。
「ヒレ肉ってこの辺だっけ?」
「うーん、多分そうだったと思うけど」
わいわいがやがや言いながら、特に味が良いとされる部位の肉を切り取り、薬の材料などに用いられる角も切り取って、残りは魔石ごとアデニードの餌にした。
山猫の残骸も、結局アデニードが食べてしまったので、これなら穴を掘る必要も無かったな。まあいいや。
十分に食べて満足したらしいアデニードを魔法陣に封じ、セイも同じく封印する。
町に連れて行くわけにはいかないからな。
マークとバネッサは、戦利品の山猫の皮と、せめてものお詫びに進呈した牛肉の一部を携え、僕らも三角牛の皮や肉を持って、ファルナの町へと向かった。
レニーはすっかりバネッサと打ち解けて、ずっとおしゃべりをして盛り上がっている。
元々レニーは、誰とでもすぐ打ち解ける質だからな。
でも心なしか、バネッサのことを警戒している部分があるように思えるのは、僕の気のせいだろうか。
そしてマークはというと、どうも僕のことが気に食わないようで、時々思い出したように女性陣の会話に加わりつつも、結局僕には一言も話しかけてこなかった。
いや、彼の心理が理解できないほど僕も鈍感じゃない。
魔法学校時代も、僕に好意を抱く女子は多く、その恋人や婚約者である男子に敵意を持たれることはあった。
とはいえ、王太子という身分と、リエッタという婚約者がいるという事実のおかげで、それほど大げさな事態に至ることはなかったのだが。
どうしたものかな。
レニーを盾代わりにするのもちょっと気が引けるし。
面倒なことだが……、ただ、彼らの剣技には正直興味があるので、できれば仲良くしたいんだよな。
などと考えながら歩くうちに、ファルナの城門が見えてきた。
魔物を倒してもドロップアイテムだけ残して消滅したりせず、死体が残る世界観の場合、素材として活用できない部分の処理はどうしてるんだろう。
主人公は土魔法で穴を掘って埋めることが出来るとしても、すべての冒険者がそんなふうにしていると考えるのは無理があるし……。
ということで、本作におけるゴブリンはこういう役どころになりました(笑)。
正直、そういう方向性の作品ならともかく、どちらかと言えばほのぼの寄りな作風にもかかわらず、いきなり「ゴブリンは人間の女性を使って繁殖します」とかいう設定をぶち込まれるのはあんまりす、おや、誰か来たようだ。