馬鹿王子、追われる その三
「きゃああっ!」
深夜、自分自身の悲鳴で目が覚めた。
顔がひんやりと冷たい。水で濡れているのか?
「ちょっとドゥルクリール! 何をするの!」
主に悪戯をしたりするような子ではないはずなのだが。
少女の姿の水精は、叱られてしょんぼりしたような雰囲気を漂わせながら、部屋の入り口付近を指し示す。
魔燈火を灯して見てみると、そこには、二人の男が水の縄でがんじがらめにされてもがいていた。
髭面の中年男はこの宿の亭主、もう一人の若い男は宿の下働きだ。
こんな深夜に客室に侵入しようなどと、まともな宿屋ならばあり得ないこと。
まさか噂に聞く、宿泊客を攫って人身売買する人攫い宿だったのか!?
そこでふと気が付いた。
アンナがすやすや眠ったままであることに。
武芸の心得のある彼女は、気配に敏感だ。
ドゥルクリールと男たちが揉み合っていたであろう騒ぎに、全く気付かないはずがない。
いや、わたしだって、決して鈍感な方ではない。
さては、あの不味い料理に眠り薬でも盛られていたのか。
自分の迂闊さに舌打ちする。
「ドゥルクリール、ありがとう。怒ってごめん。アンナを起こしてくれる?」
水精が頷き、
「きゃああっ!」
顔に水をぶっかけられたアンナが飛び起きた。
「ちょ、お嬢様! お戯れも程々に!」
抗議してきたアンナに、事情を説明する。
すると彼女は平謝りに謝った。
「申し訳ございませんでしたっ! アンナ一生の不覚!」
いえいえ、そんなに謝ってもらう必要はないわ。
元々、こんな宿に泊まろうと言い出したのは私なのだし。
さて、それにしても。
こいつらはどうしたものだろうか。
「衛兵に引き渡しますか?」
うーん、そうするのが一番適切な対応だということはわかっているのだけれど。私たちの素性を明かさないわけにはいかなくなるからなぁ。
かといって、もちろんこのまま見逃してやって、新たな犠牲者を出すなどあり得ない。
となると……。
「ねえ、あなたたち。単独犯ではないのでしょう? 背後にはそれなりの組織が控えている。そうよね?」
髭面男に顔を上げさせて尋ねてみたが、そっぽを向いて白を切ろうとする。
私は水精を抱き寄せて頭を撫でてやりながら、
「できれば素直に答えてちょうだい。この水精の触手を耳の穴から挿入して脳みそを掻き出して、情報を読み取ることはできるのだけれど、その後食事が美味しく食べられなくなるから、あまりやりたくないのよ」
私の腕の中で、ドゥルクリールがものすごく嫌そうな雰囲気を漂わせる。
ごめん。これも駆け引きというものだから。
もちろん彼女にそんな能力はない。念のため。
男は露骨に動揺しながらも、私の言葉がはったりなのかどうか見極めようとしているようだった。
もう一押し、かな。
「ああでも、昨夜出してこられた料理よりも不味くはなりようがないか。そうね、面倒だからさっさと済ませましょう。ドゥルクリール、おね」「待て、いや、待ってください!」
髭面男は屈服し、洗いざらい白状した。
うん、素直でよろしい。
彼の自白によると、人身売買組織の本体は王都マッシリアにあり、ここタンベリーにも、小規模ながら拠点を置いていて、近隣から女子供を攫って来ては、マッシリアの港から国外へ売り飛ばしているのだそうだ。
「お嬢様、まさかとは思いますが……」
アンナが恐る恐る私の顔を窺う。
「王都の本部にまで手を出すつもりはないわよ。タンベリーの拠点を潰すだけ。ここでこの者たちを衛兵に引き渡したら、私たちを攫おうとしたという証言をするにあたり、素性も明かさなくてはならなくなるけど、拠点を潰して人身売買の証拠を明らかにすれば、私たちが証言するまでもなく摘発してくれるでしょう?」
「お嬢様、発想が乱暴すぎです」
そうかなあ。
もちろん、私自身の戦闘力は、マルグリス様に鍛えてもらっていたとはいえ、それほど高いものではないし、アンナも、ただの破落戸相手ならともかく、一流の剣士や魔道士と渡り合えるほどではない。
でも、髭面男から聞き出した話によると、拠点に常にいるのは四,五人程度で、さほど腕が立つ者もいないという。
ならば、ドゥルクリールの能力も使って奇襲をかければ、一網打尽にできるだろうし、余所から攫われてきた人たちを救出できればなお結構だ。
渋るアンナを強引に説き伏せ、私たちは男たちの案内で、タンベリーの南区画の片隅にある一軒の家へと向かった。
男たちの耳の穴にはドゥルクリールの触手が入り込んでいて、逃げようとすれば脳みそを引っ掻き回すと脅してある。
実際、彼らの生殺与奪はドゥルクリールの掌中にある。なるべくなら彼女にそんなことはさせたくないが。
私とアンナはそれぞれ男たちが用意した麻袋に入り、男たちに担がれた。
ドゥルクリールは液状化した状態で、男たちの足元に広がっている。もちろん、彼らの耳へは触手を伸ばしたままだ。
男たちが見張りの者と合言葉らしきやり取りを交わし、私たちを担いで家の中へ入っていく。
「おう、若い女二人だって?」
「へ、へい。二人とも中々の上玉で……」
私たちが入った麻袋が床に降ろされて、私は袋の口から身を乗り出した。
「馬鹿野郎! なんで縛ってねえんだよ!」
ここで一番偉いと思しき中年男が、私を担いで来た髭面に怒鳴る。
私は周囲にいた男たち七人――元々ここにいた五人と、私たちを担いで来た二人だ――全員の足元に水が伸びていることを確認し、凍結していた魔法術式を開放した。
「雷撃鞭!」
水を伝わっての電撃を食らい、男たちが倒れ伏した。
水精の身体を導体とし、雷撃鞭一発で全員倒したわけだが、彼女自身はこの程度の魔法攻撃など物ともしない。
アンナも麻袋から這い出して来る。
「上手くいきましたね。でも、こんな危険なことは今回限りになさってください」
わかっているわよ。私だって、好き好んで危険に首を突っ込んでいるわけではないわ。
家の中には、攫われてきた人たちが三人いた。十歳くらいの男の子と、十二,三の女の子そして、十六,七の娘だ。
男どもに凌辱されていたのではないかと心配したが、どうやら商品価値を下げるような真似はしなかったらしい。
ほっと胸を撫で下ろす。
それでも、かなり消耗しているようなので、水を飲ませて落ち着かせてやり、その間にアンナに男どもを縄で拘束させる。
後は、年上の方のドリスという娘に、夜が明けたら衛兵に通報するよう頼んでおいた。
これで万事解決。これをきっかけに、マッシリアの組織本体にまで司直の手が及べば言うことなしだが、それはまあいいだろう。
私たちは宿屋へ荷物を取りに戻り、夜明けまでどこかで時間を潰すとしよう。
そう思っていたのだが――。
「あの、お嬢様、一つ懸念があるのですが」
男たちを縛り終えて戻って来たアンナが言った。何だろう。
「この人身売買組織、まさか貴族と結び付いてはおりませぬでしょうか」
え、まさか――とは言い切れない。
人身売買や奴隷の所持が、少なくとも表向きは禁じられているこのガリアール王国内で、人を攫って来て、こともあろうに王都の港から出荷する。単なる犯罪組織にしては大胆過ぎるし、貴族が一枚噛んでいると見た方が良いのだろうか。
そうなると、衛兵に引き渡しても揉み消され、最悪、訴えて出たドリスたちに口封じの手すら伸びかねない。
どうしたものかな。
最悪の場合は、ユグノリアの名を持ち出すしかないか。
リーダー格らしき男を尋問して、情報を引き出せるかどうか。
髭面男ほどの口の軽さは期待できそうにないが、一応やれることはやってみよう。
私はドゥルクリールを伴って縛られた男に歩み寄り、尋問を開始した。
しかし、やはりこいつは一筋縄では行かなかった。
「ふん、俺たちの組織の上の方の情報だと? そんなこと口にするとでも思っているのか。脳みそを掻き回したければするがいいさ。どうせ口を割ればボスに消される身だ。好きにしろ」
開き直られてしまった。
こうなるとどうしようもないな。
私が考えあぐねていると、突然、轟音が響き渡った。
家の壁が破壊され、ぼっかりと大きな穴が開く。
そして、一人の少女が姿を現し、大声で叫んだ。
「ドリス! ここに捕らわれておるのかや? 儂じゃ、シュカじゃ。助けに来たぞ!」
『鏑矢の鳴る頃に』に続いて、のじゃロリキャラ登場(笑)。
のじゃロリは正義!