馬鹿王子、追われる その二
王都の冒険者酒場で聞き込みをし、マルグリス様がレニーと共に彼女の郷里であるシャロ―フォードへ向かわれたのではないかと推論した私は、翌日、アンナを伴って王都を発った。
シャロ―フォードへ向かうなら、必ずタンベリーの町を通るはず。
タンベリーに着き、宿を確保したら、冒険者の溜まり場になっている酒場で聞き込みをする。
「しかしお嬢様、殿下は謹慎処分中にもかかわらず出奔なさった身。行く先々で痕跡を残していくようなことはなさらないのでは?」
アンナがいささか言いにくそうに、進言してくれる。
それは確かにそうなのだけれど、ほんのわずかでも手掛かりが見つかれば儲けものよ。
「はあ!? ヒースリーの主が退治されたぁ!?」
いきなり、男のだみ声が響き渡った。
そちらに目をやると、二十代後半といったところだろうか、つんつん髪の体格の良い男が、エールのジョッキを片手に、向かいの席の者たちと何やら言い合っている。
「いや、本当なんだって! 魔物どもが大量に暴走して、それに興奮した主がこっちに襲い掛かって来たんだよ。それを、やっつけてくれたんだ。いやマジですげぇんだよ、あのレニーちゃんとマグってやつは!」
……はい? 何をなさっているの、マルグリス様は!
「ヒースリーの主」というのが何なのかはわからないが、察するに、ヒースリー山地に出没する魔物だろう。それも、冒険者たちがそう簡単に倒せるとは思わないくらいの大物だ。
それを退治した?
まあ、人助けのためやむを得ずだったのかもしれないが。
もちろん、「レニーとマグ」というのが、同名の他人ということはまず無いだろう。
「けどよ、お前ら、主の死体を実際に見たのか?」
「うっ、そ、それは……」
向かいの席の、麦わら色の髪のひょろりとした男が口ごもる。
「タンベリーなりウィンザーなりの冒険者ギルドに、飛竜の素材が持ち込まれたという話も聞かない。じゃあ、主の死体はどこに消えたんだ?」
なるほど、「主」というのは飛竜か。
確かに、そう簡単に倒せるような魔物ではないが……。
「跡形もなく吹き飛ばしたか、あるいは……、使い魔にしてしまった、といったところかしら?」
思わず口を挟んでしまった。
皆の視線が一斉にこちらに向く。
「はあ? 姉ちゃん、ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ。あんた魔法は素人か?」
つんつん髪が見下し切った眼差しでそう言い、ひょろっとした男の連れらしき癖のある黒髪の女も、何だか申し訳なさそうな表情で、
「あー、いくらなんでも、それは無茶ってもんだよ、お姉さん」
確かにね。
普通ならそんなこと出来っこない。
けれど――。
「お言葉ですが、世の中には常識というものを嘲弄するようなとんでもない人間がいるのですよ。先ほど『レニー』とおっしゃっていましたが、それは燃え上がるような赤髪で、やたらと胸に脂肪がついた若い女ではありませんでしたか?」
「え、あんたレニーたちを知っているのかい?」
「はい。魔法学校の同期です。リエッタと申します。レニー=シスルと、『マグ』というのは蜂蜜色の髪の美青年ですか?」
「惜しい! 美青年だけど、髪は栗色だったよ」
栗色? ああ、マルグリス様も髪を染めていらっしゃるのか。
私も、今は変装のため髪をくすんだ灰色に染め、顔も地味に見えるよう野暮ったい化粧を施している。
「そうですか。いずれにせよ、私の友人です。どちらに向かったかはご存じですか?」
「ああ。レニーの生まれ故郷が北のシャローフォードだってことで、そちらに向かっているって言ってたよ」
予想的中だ。私は小躍りしたい気分になった。
「ねえ。レニーたちと同期ってことは、フィリップ様とも?」
フィリップ? ロレイン公爵家の? 何故彼が一緒にいるのだ?
フィリップ=アーデナーはロレイン公爵家の五男で、成績もまずまず優秀、特に魔道具についての造詣が深かったが、一方では遊蕩児としての一面も持っており、魔法学校卒の箔付けをしたいがためだけに在籍している一部の貴族子弟たちと共に、王都の娼館などにも出入りしているという話だった。
最初の頃はレニーを激しく敵視していたのだが、いつの頃からか側室に迎えたいなどと言って口説くようになった。
どうも、恋愛感情というよりも父親の命令だったのではないかと思われるが。
正直、あまり好ましいタイプの男性ではない。
それはともかく、黒髪の女性に詳しく話を聞いてみると、ヒースリー山地の向こう側のウィンザーの町まで護衛した雇い主が、フィリップの婚約者だったのだという。
そしてウィンザーで、レニーたちが頭のおかしい魔道士に襲撃され、彼女たちもあやうく巻き込まれるところだったのだとか。
フィリップが衛兵に説明したところによると、その魔道士は、かつて魔法学校の有志一同で討伐した盗賊団の残党なのだそうだ。
いやいやいや。有志一同で盗賊退治をしたなんて話は聞いたことがない。
法螺話? というより、真相を誤魔化そうとした?
しかし、ならばそうまでして隠そうとした「真相」とは何だろう。
ロレイン公は、私のお父様より五つばかり年上で、宮廷魔道士の長でもある有能な――、そして冷酷で狡猾な、政治家だ。
敵なのか味方なのか、判断できる材料が少なすぎる。
いや、こんなところであれこれ考えてみても仕方ないな。
ともかく、一日も早くマルグリス様にお会いしよう。
黒髪の女と麦わら色の髪の男、それと禿頭の大男の三人は、“天翔ける翼”という気恥ずかしい名前の護衛屋なのだそうだ。
ちょうど良いので頼もうかと思ったのだが、依頼はギルドを通してくれ、それに明日はもう予約済みだ、とのことだった。
まあ仕方ない。
私とアンナだけでは少々危険なので、護衛を雇っておきたいところではあるのだが、明日ギルドに行ってみるか。
私たちは天翔ける翼の面々に情報提供の礼を言い、宿に戻った。
「お嬢様、差し出がましいようですが」
アンナがおずおずと口を開いた。
「何?」
「やはり、このような安宿ではなく、代官殿の館に泊めてもらうべきだったのでは?」
「仕方ないでしょう。謹慎処分中の身でありながら出奔なさった王太子殿下を、ユグノリアの娘が追いかけている、などという噂が立っては拙いのですから、なるべく目立たないようにしなくては」
「それはそうですが……」
まあ、私だってアンナの気持ちはわかる。
部屋は薄汚いし、先ほど下の食堂兼酒場で食べたコブイノシシのロースソテーは、どうしようもなく不味かった。
人目を憚るためとはいえ、もう少しましな宿を選ぶべきだったかもしれない。
「薄汚いだけならばまだ辛抱もいたしますが、これでは蚤や虱の巣窟なのではございませんか?」
まあそうでしょうね。
私は呪文を唱え、浄化魔法で部屋中を清めた。
「さ、さすがはお嬢様」
いえ、それほどでも。
それから、魔法陣を刺繍した布を取り出し、使い魔の水精を召還する。
「ドゥルクリール、よろしくお願い」
水精のドゥルクリールに、薄い水の膜の結界を張ってもらい、虫の侵入を防ぐのだ。
十歳前後の少女の姿をした半透明の水精が、水の膜でベッドの周りを包む。
マルグリス様の行き先がわかった安心感もあって、私は薄汚い宿屋で安らかな眠りに落ちた。