馬鹿王子、巻き込まれる その十三
えっ、フィリップ? 魔法学校の同級生で、ロレイン公爵家の五男坊の?
どういうことだ? ボルト伯爵家がロレイン公爵家と組んだのか? それにしても、公爵の息子が直々に出張って来ることもないと思うのだが……。
とりあえず、明かりをつけるか。
「――妖精の灯火、闇夜を照らせ。魔燈火」
剣を突き付けたまま、青白い魔法の明かりをともす。
そこにいたのは、昆虫人――かと一瞬思ったが、昆虫の複眼のような眼鏡(?)を着けた若い男だった。
右手にはクロスボウを下げている。
さっき射掛けてきたのは、これの短矢だったのか。
「で、殿下!? 何故こんなところに!?」
男が驚きの声を上げる。
ああ、なるほど確かに、ロレイン公爵家の五男坊、フィリップ=アーデナーの声だな。
それにしても――。
「この期に及んでとぼけるつもりか。僕の命を狙っていたのだろうが!」
色々とレニーに失礼な態度を取っていたことは知っているし、いさぎよい男だとも思っていなかったが、さすがにこれには腹が立った。
「えっ!? 殿下のお命を!? 何で俺、いや私が!」
フィリップはなおも言い募る。
実に往生際が悪いな。ぶん殴ってやろうか。
「本当、最低なやつだね。まあ知ってたけど」
側にやって来たレニーも呆れ顔だ。
「くっ、レニー=シスル! やっぱりしくじったのか!」
彼女を憎々しげに睨みつけるフィリップ。
どうも話が噛み合わないな。
「なあ、フィリップ、正直に言え。お前は僕を殺しに来たんだろう?」
「はあ!? ち、違います! 私は父に命じられてその女を殺しに……、あ、いえその……」
ロレイン公爵が? レニーの暗殺を命じたのか? 何でまた?
フィリップに詳しく問い質してみると、彼の父ロレイン公爵は「天魔の再来」と評されるレニーが目障りでならず、息子の側室になることも拒み続け、宮廷魔道士として傘下に入ることすら拒んだため、ついに暗殺することを決意したらしい。
そしてフィリップは父親の命を受けて、レニー暗殺の部隊を引き連れてきたのだそうだ。
レニーに栗色の髪の同行者がいるという報告は受けていたが、それが僕だとは夢にも思わなかったのだとか。
「殿下は謹慎処分の身と伺っていたのですが、よろしいのですか? このようなところにいらっしゃって」
「いいんだよ。今の僕は一介の冒険者なんだから」
「……おっしゃっている意味がわかりません」
別に理解してもらおうとは思ってないよ。
「いやあ、そこまでロレイン公に恨まれていたとはね。だからって、あんたの側室になるつもりは毛頭ないけど」
レニーが冷ややかに言う。
正直、器が小さいよなぁ、ロレイン公。辣腕であることは間違いないのだけれど。
「で、さっきのがロレイン公爵家の闇、“赤鼠”だったってわけか」
噂には聞いている。
ロレイン公爵家お抱えの魔道士集団の中で、公に出来ない裏仕事を専門に受け持つ通称“黒鼠”。その中でも、暗殺、特に対魔道士暗殺に特化した影の部隊が、人呼んで血みどろ赤鼠、というわけだ。
「ヴィクターが言うには、赤鼠のなかでも選りすぐりの連中だったそうですが……。まさか、全員倒されたので?」
「一人だけ取り逃がしたよ。ヴィクターっていうのは?」
「その逃げて行った男です。父の秘書室長ですが、黒鼠を取り仕切る立場にあったようで……」
ああ、そう言えば名前を聞いた覚えがある。ロレイン公の懐刀だと言われている人物か。
なるほど、この国随一の実力者が裏の仕事を委ねる人物ならば、あの不気味さにも納得がいくな。
「ふうん、ヴィクターって言うんだ、あいつ。あんな禍々しい魔力の持ち主、初めて会ったよ。……ところでさ、さっきから気になってたんだけど。その変な眼鏡、何?」
レニーが言う。うん、実は僕も気になってた。
「変とか言うな! これは僕が開発した魔道具の一つで、真っ暗闇の中でも見える実に便利な逸品なんだ」
ほほう。
フィリップに借りて着用し、一旦魔燈火を消してみると、色彩が無く白黒の景色ながら、月明かりに照らされたのと変わらない程度の視界は確保できる。
「へえ、すごいじゃないか。元々君は、魔道具関連の科目の成績は良かったものな」
率直に感心したのでそう言ってやったのだが、フィリップは自嘲気味に笑った。
「残念ながら、父が私に望んでいるのはこのような才ではありませんので」
天魔の再来を打ち負かし、さすがは天魔の末裔よと喝采を浴びるような才か。
そんなものを親から要求される苦しさは、察するに余りあるな。
だが……。
「どうする、レニー。命を狙われていたわけだけど」
僕はレニーに尋ねた。
「いやぁ、正直腹は立つけどさ。さすがに、戦意を喪失している元同級生を殺っちゃうわけにもいかないしね。それに……、もうこれ以上血のにおいは嗅ぎたくない、かな」
ああ、僕も同感だ。
「ていうか、ごめん、マグ! あたしのせいで危険なことに巻き込んじゃって!」
はは。僕がレニーを巻き込んでしまったと思い込んでいたのだけれど、まさか僕が巻き込まれている側だったとはね。
「気にしなくていいよ。レニーの敵は僕にとっても敵、だろ?」
「……そうだったね。水くさいことは言いっこなしにしとこうか」
「そうそう」
お互いに、命懸けで相手を守る。それ以外のことは些末なことだ。
そんな僕らを、フィリップは複雑そうな表情で見ていた。
「あ、うっかりしてた。そう言えば、セイたちはどうしてるかな?」
不意にレニーが言った。
そうだ、僕もすっかり頭から抜け落ちていたよ。
赤鼠の使い魔と戦っていたようだけど、大丈夫かな?
フィリップに前を歩かせて、マドラとセイの許へ向かう。
二重の壁で囲ったキャンプエリアのほぼ反対側。そこでは、三頭の獣たちがもつれ合っていた。
黒妖犬のマドラと有翼獅子のセイ。そして、川底の苔のような緑色の体毛に覆われた馬。
「水棲馬か。こんなのを使い魔にしていたんだな」
「はい。赤鼠の一人で、たしかトマスという名の男の使い魔だと聞いています」
そいつがこれに跨って、マドラたちに一気に接近し、香水入りの樽の水をぶちまけたらしい。
そして、それと同時に残りのメンバーがキャンプエリアに突入、トマスもそれに続く、という作戦だったようだ。
で、そのトマスという男が、僕たちが倒したうちのどいつだったのかはわからない。
しかしいずれにせよ、そいつは死亡したはずだ。
「うん。主と魔力で繋がっている様子はないね。で、呪縛から解放されて逃走しようとしてるんだけど、多分あたしらのところへ向かおうとしていると解釈したセイたちが、しがみついて阻止しようとしていた――、と、そんなところかな?」
レニーが状況を分析する。
普通の馬よりも一回り大きい水棲馬の背にセイがしがみつき、右の前脚にはマドラが噛みついている。
本来の実力的には、二頭がかりなら難なく倒せる相手なのだろうけれど、有翼獅子は夜の暗がりの中では十分に力を発揮できず、黒妖犬は香水で鼻をやられてこれまた本来の力を出せていないのだろう。
「よーしよし。マドラ、セイ、よく頑張った。あとは任せろ」
使い魔たちにそう声を掛ける。
水棲馬は懸命にもがいて、なんとか逃げ出そうとしている。
その姿に憐みを覚えないわけでもないのだが……。
「水棲馬は人を水中に引きずり込んで食らう魔物だからな。見逃してやって犠牲者が出たのでは堪らない。悪く思うな」
僕の剣が翻り、水棲馬の首が地に落ちた。
「お疲れ様。大丈夫かい? ひどい傷だね」
レニーがセイを抱きかかえる。
僕も血塗れのマドラを抱きしめ、労ってやった。
幻獣である彼らには、治癒魔法は効果がない。
その代わり、人の魔力を吸収させてやることで、彼ら自身の自己治癒能力を高めることが出来る。
赤鼠との死闘で消耗している身には中々堪えるが、仕方がない。
「ちょっと待って、マグ。よく考えたら、そこに活きのいい魔力がたっぷりあるじゃんか」
レニーが意地の悪い表情で、フィリップを見た。
ああ、確かに。彼も魔力はかなり大きい方だからな。
「え? ふざけるな何で俺が……、いえ、何でもありません」
うん。そのくらいで許してやるのはかなり寛大だと思うぞ。




