馬鹿王子、巻き込まれる その十一
※前話終盤の展開を変更しました。既読の方はご注意ください。
「案外軽いんだな」
セイとマドラが取って来てくれた飛竜の翼。
コウモリの翼のような飛膜構造で、長さは僕の背丈くらいあるのだが、同じサイズの槍とそう変わらない程度の重さしかない。
よくこれで巨体を浮かせることができるものだな、とも思ったのだけれど。
そう言えば、魔物生態学の授業で習ったっけ。
ある程度大型の魔物が空を飛ぶ場合、鳥のように純粋に翼の羽ばたきで宙を舞うわけではなく、翼で風魔法を発動して飛翔するのだと。
まあそれはともかく。
レニーが緑の蜘蛛を取り出し、僕が切断した翼をくっつけて添え木を当てた上から、幾重にも糸を巻き付けていく。
見た目は普通の蜘蛛の糸と何ら変わりはないが、数本束ねれば大の大人を吊り下げることも出来るくらい強靭なものだ。
そうして固定し、セイの背中を台にして、二人で飛竜の翼に治癒魔法を掛けてゆく。
飛竜は、おそらく治療してもらっていることを理解しているのだろう。おとなしくされるがままにしていた。
どうやらこの個体、普通の飛竜と比べてもかなり頭が良いようだ。
体格も、普通の個体――大体五mくらいのはず――よりもかなり大きいし、それだけ年を経ているのだろうか。
途中、マドラがううっと唸って、まっしぐらに駆け出した。
しばらくして戻って来たが、こちらを窺っていた怪しい輩を追い払ってくれたらしい。
僕たちを監視していたのだろうな。
ありがとう、マドラ。
治癒魔法を掛け続けて、どうにか切断部の癒着には成功したようだ。
また飛べるようになるかどうかは何とも言えないが。
飛竜は、感謝の意を表すように、僕に頭を摺り寄せてきた。
思ってた以上に懐かれた!?
まあ、せっかく治療してやったのに、結局首を刎ねざるを得ない状況になる、という事態も覚悟していたので、良い結果ではあるのだが。
「うん。どうやら、油断させておいて復讐しようとか考えているかんじでもなさそうだね。一応、契約の魔法陣は仕込んでおくけど。ごめん、背中に乗るよ」
レニーに話しかけられて、飛竜はその言葉を理解したかのように、四肢を屈めて背を低くした。
本当に利口だな、こいつ。
飛竜の背に乗ったレニーは、右手の人差し指をナイフで切り、自らの血で竜の背に魔法陣を書き込んだ。
そして、そこに魔力を流し込む。
一度刻み込まれた契約の魔法は、術者か魔物か、どちらかが死ぬまで有効だ。
もちろん、雨に打たれようが水に浸かろうが、消えることはない。
これで、万が一こいつが暴れ出しても、レニーの魔力なら何とか抑え込めるはず。
僕でも不可能ではないかもしれないけれど、やはり魔力の大きさではレニーには一歩及ばないからな。
「さて、契約終了。それじゃあ、しばらくゆっくり休んで治療しなよ」
背中から降りたレニーは、そう言って今度は地面に魔法陣を描く。
使い魔を幽明の狭間に封印する魔法陣だ。
自由に召喚できる魔法陣布はまたじっくり作るとして、ひとまず簡易の魔法陣に封じておく。
「ああ、その前に、名前を付けておかなきゃ。何がいいと思う?」
レニーが僕に尋ねた。
「契約を交わしたのはレニーなんだし、君が付けていいよ」
「そう? それじゃあ……、『アデニード』とかどうかな?」
翼を意味する古い言葉だね。うん、いいんじゃないかな。
「よし。じゃあアデニード、ゆっくりお休み」
素直に魔法陣の上に乗った飛竜の巨体は、淡い光に包まれてすぅっと消えていった。
さて、いささか予定外ではあったが、飛竜を手懐け、これで街道の障害も無くなった。
しかし――。随分と時間を取られてしまい、日没までにウィンザーに着くのは絶望的な状況となった。
「アデニードの背に乗って飛んでいけたら、余裕で間に合うんだろうけどね」
残念そうにレニーが言う。
しょうがないよ。翼をくっつけたばかりなんだから。
しかし、おそらくはこれも敵の思惑通りなのだろう。
飛竜で僕たちを害せずとも、ウィンザーへの到着を遅らせ、城壁の外で野営させることができれば、襲撃のチャンスが大きく広がる。
まあ、飛竜を使い魔にしてしまうとは、まさか予想だにしなかっただろうけど。
「セイ、乗っけてってくれる?」
レニーに呼びかけられて、有翼獅子は申し訳なさそうに首を振った。
もちろん、彼女も本気で言っているわけじゃない。
レニー一人なら、乗せて飛ぶことも出来なくはないだろうけど。
まあ、物は考えようだ。
このまま、いつ襲撃されるか、周囲の人たちを巻き込みはしないか、と神経を擦り減らすくらいなら、刺客を迎え撃って一掃するほうがいい。
一掃できれば、の話だが。
一応は急ぎ足で来てみたが、やはり日没までにウィンザーの城門をくぐることは叶わなかった。
しょうがない。今夜は野営だな。
周囲に遮蔽物の無い見晴らしのよい場所を選び、自分たちを中心にして半径五mくらいの円上に、幅一メートルほどの土の壁を、間隔を空けながら、土魔法で築き上げる。。
さらにその外側、二メートルほど離して、同様の土の壁を築く。
外側の壁は内側の壁の隙間を塞ぐように配置し、完全に外部からの射線を遮断しているから、これで狙撃の心配はないだろう。
壁の外にセイとマドラを配し、周囲を警戒してもらう。
夜だと、有翼獅子の長所である視力はさほど役に立たないけれど、魔力に対しては人間よりもずっと鋭敏だから、索敵にはかなり役立ってくれるはず。
もちろん、マドラの嗅覚はとても頼りにしている。
壁に囲まれた中で焚き火をし、携行食糧の干し肉を炙る。
「たまにはこういうのも悪くはないんだけどね。やっぱりちゃんと宿屋で食事したかったなぁ」
レニーがぼやく。
呑気なことを言っているように見えて、その手はかすかに震えていた。
さすがの彼女も、敵の夜襲の可能性が極めて高いとあっては、緊張するのも当然だろう。
巻き込んでしまってごめん、という言葉は口にしない。
きっと二人で生きて朝を迎えよう。
夜も更けて、僕たちは焚き火をたいたまま、交代で睡眠を取った。
レニーに起こされ、今度は僕の番だ。
と、その時、壁の向こうで馬蹄の音が響いた。
騎馬での襲撃か!?
セイとマドラが迎撃しようとしたようだが、二頭はすさまじい悲鳴を上げた。
「ギャンッ!!」「ギュルルルッ!!」
どうした、大丈夫か、と叫びかけて、状況が察せられた。
壁の向こうから、強烈な香り、いや、臭いが漂ってきたのだ。
「香水のにおい……?」
眠りにつきかけていたレニーが、鼻を押さえて不審そうに呟く。
くそっ! 連中、大量の香水をばら撒きやがったな。
これでマドラの鼻は封じられてしまった。
そして、壁を越えて内側にも樽が投げ込まれる。
樽は地面にぶつかって壊れ、むせかえるようなにおいを充満させるとともに、焚き火も消してしまった。
夜空は薄雲に覆われて月明かりもなく、漆黒の帳に包まれる中、死闘の幕が切って落とされた。