29 唖然
「おい。杉田」
「………」
「おい。聞いてんのかよっ。杉田」
「………」
「おい! 前見ろ! 山だぞ!」
「………」
「おい!!」
「ダメだ。聞いてないな」
桜井のとても落ち着いた口調は、有野をさらに焦らせる。
それもそのはず。
「そんな落ち着いて言ってられる時かよ! ぶつかるぞ!!」
「──へ?」
杉田がやっと周りを認識した時には、もはや手遅れだった。
眼前には木。その木に三人で仲良く突っ込んだ。
「ぐはっ!」
「いーって!」
「すまない。盾になれっ」
咄嗟に桜井は機転を効かせ、二人の背後に隠れて衝撃を免れていた。
最悪の機転だと言うことは言うまでもないが。
三人が木にぶつかると、そのまま身を投げ出されバラバラに地面に落ちた。
「おい、二人とも大丈夫か?」
「な、なんとかね……」
「……ああ」
「そうか。ならよかった」
二人の背後に隠れた桜井は、結構ピンピンしている様子だ。
有野は怒りたい気持ちで一瞬一杯になったが、この状況では一人でも無傷の人を出すことができるなら、その方が良いのではないかと言う考えが頭に生まれ、怒りはたちまち消えていった。
その代わり大きなため息が出た。
「おい、杉田。本当に大丈夫なのか?」
そう。みんなの仲間だが、その中でも杉田の方がことの重大さは大きい。
「……ああ。──っ」
脳裏のよぎる長原さんの顔。
何故あの人は、あんなにも笑顔で……。
ダメだ! 考えるな。そうしないと俺は……。
ツーっと頬を伝う、涙。
ああ。ダメだ。考えないようにするなんて、忘れるなんて──無理だ。
「ぐっ」
「何一人で耐えてるんだよ」
「──?」
「そうだぞ。これではお前だけ悲しいみたいになっているではないか」
「……っ。そう、だよな……」
俺たちは一人の仲間を失ったんだ。だったら、それは全員が悲しむ出来事で、そして、全員でその辛さを共有するべきなんだ。
辛い時こそ、仲間は支えになってくれる存在なんだ。
長原さんも言っていたな。『私にとって仲間は、純粋に一緒にいて楽しいと思え、腹を割って話すことのでき、困った時に一番初めに頼りになる存在です』と。
「すまん。でも、もう大丈夫だ」
「そうか。ま、それはともかく本当に困ったね」
「そうだな。そもそも敵に対抗できていたのは長原さんの統率力あってのものだった」
それを失った今、今後やっていけるのだろうか。
「なあ、二人の意見は長原さんを助けに行く。でいいんだよな?」
「え、それ以外に何かあるの?」
「無論だな」
二人が即答した言葉を聞いて、俺は安心した。
そうだ。このまま終わってたまるか。
何故こんなにも躍起になっているのかはわからない。もともと敵だった長原さんに、俺は何故こんなにも……。いや、そんなの考えるまでもないよな。
仲間なんだから、助けたいと思うのは当たり前だ。
小さく息を吐き、覚悟を決めた。
「まずやるべきは、状況確認だな」
率先して桜井が指揮を取り始める。
こう言う時、キッチリした人は頼りになるものだ。
「私たちの持ち物は、まずそのレールガン及びテーザー銃搭載型飛行装置と──」
な、なんだそれ。長すぎないか?
俺が今身につけている装置、そんな物騒なもんなのかよ。
まあでも対人とか名前に入ってなくて良かった。
「それと、私の持っている小さな銃。携帯にお金に。と、これくらいか。率直に言ってかなりまずいな」
「いや、そんな不安になるようなこと言わないでくれ」
「いや、考えてもみろ」
敵は政府も関わっている大きな組織。敵のリーダーは頭も回るし、こっちよりも圧倒的に経済力も武器も人も多いだろう。
やろうと思えば、こっちには一切抵抗の予知なくやられる可能性もあるってことか。
これまでは完全に向こうは遊んでいたからな。
「……確かに最悪だな」
「でも、このまま何もせずに負けを認めるわけもないけどね」
有野が当然のことを言う。
「当たり前だ。自己犠牲はやめろって言ったのにな……」
「え、お前長原さんにそんなこと言ってたの?」
しまった! 小さく呟いたつもりだったが聞こえたか!
前を向けば、ニヤニヤとし、俺をバカにしたようなツラをする奴がいた。
俺はため息を吐き、そうだよ! と言い放ち開き直ることにした。
「なんだよ! なんか文句あるか!」
「いや、別にないけどさ。へーそっかーっ」
クソッ! こんな馬鹿は放っておこう。
そう思い、ふと桜井の方に視線をやると、ニヤついた有野とは反対に、とても真面目な顔をしていた。
「なんだ。どうかしたか?」
「……いや、何でもない」
なんだ? まあこんな状況だしな。真面目な顔になるのも無理はないか。
杉田は特に気にすることもなく、そのまま続けようとしたところで、先に有野が項垂れた様子でぼやいた。
「なあ、それより早くこの山から降りようぜ。もう山は懲り懲りだよ」
「確かにそうだな。けどどこに行くよ」
二人で悩んでいるところに、桜井の平然とした声が届く。
「とりあえず確実に安全だと言える場所が欲しいが、その前に今はものが少なすぎる」
「だったら……大学はどうだ」
「今、開いてんの?」
た、確かに。
「でもそこ以外に武器やらがある場所は知らんぞ」
「まあ、そうだね」
「けどあいつらの事だ。先に読んで大学に張り付いている可能性もあり得る」
長原さんの家を先に特定し、待ち伏せしていたくらいだ。俺たちが大学に行く可能性くらいは考えるはず。
それに、多分有野の家にも今は監視がいるだろうな。
あらゆる事が、難しくなっていると考えるべきだな。
「じゃあとりあえず静かに行ってみる?」
「いや、俺が空から見た方が安全だ」
「だが空から見て見えるのか?」
「ぐっ」
た、確かにな。別に俺は視力に自信があるわけでもないし。
タカならいいのにな。視力十倍だぞ。
そんな事を考えていると、桜井がため息を吐き、提案した。
「……仕方がない。私が双眼鏡を買ってこよう」
「え? でも、今はお金だって貴重だぞ?」
「そのくらいの金は持っている。私を馬鹿にするな」
あ、そういやこいつあり得ないくらい金持ちなんだった。
完全に忘れてた……。
有野もちょうど思い出したらしく、二人で顔を見合わせて苦笑いした。
「ち、小さいのでいいからな? 大きいのじゃなくて良いからな?」
「私がいつ望遠鏡を買うと言った。双眼鏡だっ。お前は頭の脳みその大きさを気にしろ」
「いや、だってあんな家見せられたんだから、ついつい望遠鏡買ってきちゃってもおかしくないかって」
「お前に心配されるほど私は馬鹿ではない」
「は、はい。すみません」
何気に桜井が怒るところはちょっと久しぶりに見たかもしれないな。
ついクスッと笑ってしまった。だがそれを桜井は見ていたようで、
「おい、お前までなぜ笑う」
「いや、別には馬鹿にしてるわけじゃないんだ。ただ最近桜井あんまり言い合いとかしなかったからさ」
「……そうか?」
本人は気づいていないのか? まあ俺だって別にずーっと見ていたわけじゃないから、俺の知らない場所でものすごい言い争うをしていたのかもしれないが。
少なくとも俺の知る限り、研究開発以外ではあまり言い合いはしていなかったように思える。
「そうか……。まあいい。それよりも早く行く双眼鏡の調達に行くぞ」
「あ、ああ。そうだったな」
今の最優先は長原さんを助けることだ。
俺たちは早速山を下山し、近くの店で双眼鏡を入手した。
「じゃ、とりあえず大学の偵察に行ってくるな」
「ああ。気にする場所は駐車場、大学の周辺。それに建物内などだ」
「分かった。それじゃあ行ってくるな」
「見つかるなよー」
「分かってるよ」
最後に有野の言葉に適当に返し、俺は飛び立った。
さて、とりあえずはある程度距離を取る必要があるよな。もし飛んでいたとしても、飛行機とかヘリコプターでも言える事だが、音で飛んでくるってバレちまう。
だからある程度離れた場所から、近くのビルなんかから見るのがいいよな。
「んー。どこがいいかな……」
『そこの近くのビルはどうだ』
「ああ。そうだな──っえ! 何だ今の声!?」
あまりの驚きにバランスを崩し、危うく紐なしバンジー(加速装置付き)をするところだった。
『驚きすぎだ。と言うかお前、気づいていなかったのか?』
「は、何が」
『そのゴーグル、大きくなったと思わないか?』
た、確かに。最近もう慣れすぎてずっと流れるように付けていたが、よく見たら耳当てになんか付いてやがる。
この耳当てが電話の役割もしてるのか。
「こりゃすごいな。で、なんで場所が分かった?」
『それくらい簡単だ。場所は位置情報で分かる』
ああ。なるほどな。
『そんなことより、近くにビルがあるだろう』
「ああ。あるな」
『そこの屋上からなら距離もあるし、良いんじゃないのか?』
「分かった」
確かにある程度距離が保たれているな。
早速ビルに近寄り、ゆっくりと屋上に降り立った。
周りを見るが、どうやら人が普段来れる場所ではないらしい。
ここならビルの人が音を気にして来ることも無いな。
「よし。じゃあ偵察するか」
俺は屋上から双眼鏡を使い、大学とその周辺をじっと見た。
「パッと見た感じじゃあんまり分からんな」
『当たり前だ。パッと見ただけで分かるのなら苦労はしない。そんな素人がいるか』
た、確かにその通りだ。
桜井の的確すぎるツッコミを受けつつ、今度はもっと入念に観察した。
すると──。
「あれ、今何か……」
見間違いか? いや、でも今確かに誰もいないはずの建物内で何かが動いたような……。
違和感のあった場所をじーっと見続けると、その時。
「あっ。誰かいたぞ」
『なに? 誰が──おい! お前近寄るなっ』
ん? なんか荒ぶってんな。
すると、次の瞬間電話の話し手が変わった。
『良いじゃん! 僕にも! で、誰かいたの?!』
『お前は黙っていろ! 邪魔だっ』
『桜井だけずるいよ! 僕だって気になるんだよ!』
何だか電話越しに揉めている声が聞こえて来る。
何なんだよこいつら。今の状況分かってんのか?
一人だけその場にいないモヤモヤ感を何故か感じながら、再び偵察に戻る。
今度は別の場所に視線を移す。
もし、俺が身を潜めるのしたらどこに潜める?
俺なら……そう。ターゲットが油断した時がやっぱり一番良いな。
俺ならどこで油断するだろうな。会室か? 食堂か? いや、会室には場所がないしな。
そもそも学食はやっていないから行かない。
いや、待てよ。会室には場所がない? それこそ俺の勝手な思い込みじゃないのか? 隠れる場所がないから大丈夫だろう。それこそがダメだったんだ。
「なら、もしかしたら……」
双眼鏡から会室内をじっと見つめ、探る。すると──。
「ん? 今……」
『何かあったか?』
すかさず入る桜井の声。
どうやら電話の取り合いは桜井が勝ったらしい。
「いや、ほんの少し違和感があった気がする」
『そうか。ならば大学に行くのはやめておくべきだな』
「大丈夫なのか?」
『問題ない。そもそも大学に置いてあった重要なもの持ってきて──長原の家に置いてきたからな』
くっ。そうか。参ったな。物によっては敵の手に渡った事で、こっちが不利になる可能性があるな。
とても怖くはあったが、知らなければならない。
俺は意を決して聞く事にした。
「何を置いてきたんだ?」
『下着』
「なっ! お前!」
『冗談だ。だが化粧品も何もかも置いてきたのは事実だ』
うっ。確かにそれは重大かもしれない。
化粧品、高いからな。それに今は誰かがずっと監視している可能性もあるし、それに発信機がついている可能性もあるから、桜井家に帰ることも出来ないんだよな……。
いうならば、シャワーも浴びれないと言うことだ。
「確かにこれは重大だ……」
『お前今何か変なことを想像しなかったか?』
「な、何のことだ」
勘の鋭いやつだ。
俺は一つため息をつき、真剣に頭を回すことにした。
何もかも置いてきたってことは、とりあえずこれ以上の戦力の強化は難しいということだ。
器具も部品も全部置いてきたってことだからな。まあその点は、今の持ち物を見れば分かることだが。
そもそも逃げられたこと自体が奇跡のようなものだ。
それにこの飛行装置にはエネルギー切れがないからな。その点が一番の嬉しいポイントだ。
それにしたって……なんで長原さんが……。
『おい、聞いているのか』
「──あぁ、わるい。何だって?」
『もう大学には行けない。多分そこら中に配置されているだろうからな。だから一度戻ってこい』
「分かった」
電話を切り、飛行装置で目立たないように帰った。




