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25 混乱と焦り

「………」

「な、なあ。あいつの言ってること、なんだったんだ?」


 有野が場の空気を少しでも柔らかくしようとする。が、誰も何も答えない。

 沈黙だけが流れた。

 そんな空気に耐えられなくなった有野は、一人この空気を変えるために奔走する。


「な、なあ。これからどうするよ。どこに行く?」


 それでも喋り出さない。杉田の重い空気に二人は気を遣ってか、ずっと様子を窺っているだけだった。


「そ、そうだ。長原さんはこれからどうすればいいと思いますか?」

「え? わ、私ですか……」


 流石にこの重苦しい雰囲気のままではいけないと考えた長原は、意を決して有野に乗ることにした。


「そうですね……」

「あ、そういえばあいつ、名前なんだっけ?」

「岩沼だ」


 今度は桜井が口を開いた。

 どうやら桜井も乗ることにしたらしい。


「そう。その岩沼って人が『今度は第二研究所で会おう』って言ってたんだから、僕たちもその第二研究所に行けば会えるんじゃないの?」


 少しでも雰囲気を明るくするために、有野は話を続ける。

 有野は当然のようにそう言った。が、こいつは何も分かっちゃない。そう言わんばかりに、桜井も心底呆れた様子で大きなため息を吐いた。


「お前は馬鹿か。そんなわかりやすい敵の誘いに乗ってみろ。殺させるだけだぞ」


 そう冷たく桜井は言い放つ。

 長原さんも、言い方は気になったかもしれないが小さく頷いていた。


「はい。何しろそこは完全に敵のテリトリーですから。我々が足を踏み入れた瞬間、囲まれて蜂の巣にされる可能性もあります」

「えっ!? やばいじゃん!」

「だから馬鹿かと言ったんだ」


 言い返してやりたいとは思っているだろうが、流石に今のは正論だったため言い返せなかった。

 が、しかし桜井はそこで黙るのではなく、「しかし」と言って話を続ける。


「危険だと分かっていても、今はその敵の誘いに乗るのが一番手っ取り早いんじゃないか?」

「……はい。私もそれは考えたんですが……」


 頭を抱えて悩み込んでしまった。

 敵の拠点に乗り込むのは通常あまりにも危険である。

 確かに一度有野を助けるために乗り込んだが、あの時は心強い仲間だと思い込んでいた阿久津さんがいた為である。

  だが今回は助けるべき人はいない。しかしながら冬休み中に終わらせる必要があるということもあり、時間は限られていた。


「そもそもあなたは第二研究所の場所は知っているのか?」


 桜井は大前提の話を切り出した。


「はい。あの研究所は森の中にある、私が知る限り一番広い研究所です。設備も揃っており大体のことはあそこで出来ます」

「と言うことは、相手が荒っぽいことをしてきても、大抵のことでは騒ぎにならないということか」


 再び桜井は考え込む。

 流石にこの状況はこちらにとってあまりにも不利である。


「でもさ、それって逆に言えばこっちも荒っぽいことしても良いってことじゃないの?」

「いえ、有野さん。それは違います」

「え? なんで」


 間抜けな顔を晒す有野。

 そんな有野に、長原さんは丁寧に説明を始めた。


「こっちがもし仮に銃を発砲して物を壊したり、建物を破壊したり、人を殺したりすればこっちは普通に裁かれるんです」

「なんでさ! そんなの理不尽じゃないか!」

「敵は警察を操れます。けれどこちらは操れないんです」

「……そゆこと……」


 この事実には流石に項垂れる他ない。

 この戦い、完全にこっちの方が不利である。けれどそれでもやらなければならないのだ。


「え、じゃああんな誘い乗らないの方がいいんじゃいの?」

「けれど、それだとこっちがアクションを起こせない。一方的にやられるだけだ」

「じゃあどうするのさ!」

「それを今話し合っていたのでは?」


 有野は「あーー」と言いながら何度も頷いていた。

 どうやらやっと今のこの状況を理解したようだ。


 さて、こうして話し合いはしているが、これで杉田の動揺が取り払われるわけがなく、この間ずっと一人考え続けていた。

 三十分ほどしたところで、一旦車に戻ろうという提案が出され、そのまま素直にみんなで車に戻った。


 俺は一人、昔死んだ父親のことを考えていた。

 あの日、地震により死んでしまった……親父。あの親父が……本当はあんな組織の一員だったなんて……。

 それに、俺が当時から病院だったと思っていた場所……。その場所が本当は、研究所だったなんて……。

 なんで……どうしてだ?

 理由なんて考えたところで答えは出てこない。何故ならもう、親父はこの世にはいないのだから。

 だが……。いや、待てよ? もし、本当にあんなの組織に勤めていたのだとしたら、俺の母親はどうなんだ?

 何も知らないのか? それとも……。

 体が微妙に震えるのを感じた。だが、


「長原さん。向かって欲しい場所があります」


 確かめずにはいられなかった。



***



 車に揺られる事約三十分。車は自宅の前で停車した。

 時刻はすでに夜中を回っており、辺りはすっかり真っ暗になっていた。

 この時間帯なら母親も帰ってきているはずだ。


「おい。杉田っ。聞いてんのか?」

「……着いたのか」

「着いたぞ。ったく。もしかしてマイ枕忘れたとか、くだらないこと言い出すんじゃないだろうな」

「……そんなわけないだろ」


 有野のジョークを軽く受け流し、俺はゆっくりと車から降りた。

 当然他のみんなも車から降りようとしたところで、俺は手でそれを止める。


「あ、お前らは降りなくてもいいぞ。多分、すぐに……終わる」


 はずだ。と心の中で付け足し、車のドアを閉めた。

 誰も何も追及してくることはなかった。

 今はそれがありがたく感じた。

 久しぶりの自宅。その玄関を開け、靴を脱ぐ。すると──。


「おかえり」


 そう扉の奥から声がした。

 久しぶりに聞いたその声。昔ならば実家特有の安心感が出てきて、そのままただいまと言うのが普通だった。

 だが、今日は少し違った。


「……ああ。ただいま」


 ほんの少し、まだ疑っている段階だが警戒心をなるべく隠すようにして挨拶した。

 ゆっくりと廊下を進み、リビングに入った。

 すると、そこにはいつもと何も変わらない母親の姿が。

 だが今日は不思議と、どこか不気味に思える自分がいた。何かを隠している……。そう感じずにはいられなかった。

 だから……。


「なあ、母さん。聞きたいことがあるんだ。いいか?」

「どうしたのよ。そんな硬くなって」


 母親はいつものように笑顔で接してくれる。そんな笑顔が今は少しだけ怖かった。


「いや……。母さん。親父の仕事ってなんだったんだ?」

「………んー。何だったかしら」


 ここで母親が白か黒かが分かる。だが、もし親父があんな組織の勤めていると知っていて黙認していたら。理解していたら……。それは、きっと俺の敵と言うことだ。

 さあ、どうなる。

 母さんはひとしきり考えた後、あっ。と一言発し、


「そういえば、あんまり仕事のことは話してくれなかったのよね。あの人。たまについて行ったりもしたけど……」


 ということは……。いや。まだ絶対に知らなかったとも言い切れないか。


「本当に何も知らなかったのか? なんか、おかしな事とかなかったか?」

「どうしたのよ突然。変なこと訊いて」


 母親は俺を訝しげな目で見てきた。

 そりゃ当然だ。しばらく留守にしていた息子が、突然帰ってきたと思ったら、夫の仕事について訊いてきたんだ。

 そりゃ怪しむに決まってる。


「いや、ちょっと突然気になってさ」

「ふーん。そう」


 納得はしていないだろうが、それでもこれで一旦乗り切ったはず。

 母親は俺から視線を外すと、しばらく考え始めた。

 ほんの数秒ほどだろうか。静寂が生まれ、それは母親の「あ、そういえば」という突然の言葉によって破られた。


「あの人、よく帰りが遅くなったり、たまに突然帰らないって連絡がくる日もあってよく困ったわ〜」


 その目は、どこか遠くを見ている気がした。

 きっと今は亡き親父を見ているのだろう。


「ああそれと、あの人ったら突然あんたを連れていくって言い出して、その日から…通院することになったのよ。あんた覚えてない?」

「──え?」


 ど、どう言うことだ? 親父が病院に連れて行くと言い出したのか?


「覚えてるわけないわよね。物心つく前の事だし」


 母親の続けての言葉は、もはや慶の頭には入ってこなかった。

 確かに、俺は昔通院していた。だが、それは俺が何か病気になっていたからだろ? もう今は病名も忘れてしまったが。


「そ、その病名、何だったんだ?」

「……さあね」


 母親は何とも能天気な受け答えだったが、慶の方はそうはいかなかった。


「………」

「どうしたのよ。あんた大丈夫?」

「……ああ。大丈夫……」


 どう考えてもそれは大丈夫な人の対応ではなかった。

 だから今度は母親も杉田の言葉は信じなかった。


「全然大丈夫には見えないけどー?」

「心配するなって。俺は大丈夫だ」


 言い放ち、無理矢理に笑顔を作って明るく振る舞う。

 それを逆に、無理をしていると受け取られればこっちはもっと立場が悪くなるが、流石にそこまで深くは追及してこなかった。


「ふーん。まあいいけど」

「それより、最後に一ついいか?」

「なによ」


 これを訊いて、返ってくれば……この疑問は解ける。

 俺は大きく息を吸い込み、母親の目を見て訊いた。


「その、俺が通院してた病院って……どこの病院なんだ?」


 あの崩れた建物を見て俺は思っていた。どこかで見たことがある気がする──と。

 それはきっと、万人が感じる『懐かしい』というのとは違う、忘れたいと思っていた記憶が、その場所に来て掘り起こされてしまった──というほうが、きっと近い。

 だから──。


「……あぁ。病院ね。あそこはほんとに不便な場所にあったわね。名前は忘れたけど、確か森の中にあったのよ」

「……へー。そっか。ありがとう」


 それだけ言ってその場から歩き出す。

 玄関を出て、外に出てから一人トボトボと歩く。

 目の前が真っ暗になっていた。

 何も考えたくない。けど、考えずにはいられなかった。


 誰かの呼ぶ声が聞こえる。

 すまんが今は一人にしてくれ。俺は今、頭の中がぐちゃぐちゃなんだ。


「何があったんですか。話してください。相談になりますから」


 ただこの冷え切った暗い住宅街を歩いていたいんだ。


「だったら、歩きながら話をしましょう」


 俺は、一人でぼーっとしていたいんだ。


「一人では危ないです。前もちゃんと見てないみたいですしね」


 ゴン!


「いっ!」


 鈍い音が頭に響くのと同時に、おでこの辺りに激痛が走る。


「つつつっ。なんだ!」

「大丈夫ですか? 流れるように電柱にぶつかりましたね」


 前を見ると、確かに俺の目の前にぶっといコンクリート製の棒が。

 そして俺の横にはくすくすと笑う長原さん。

 そして忌まわしいことに、俺の後ろには今にも腹を抱えて笑い出すのではないかと思うほど笑うのを我慢する有野。

 それに見ていなかった振りをしながらも、唇に手を当てて笑いを抑える桜井がいた。


「お前ら……。なんだよ。俺を笑いにきたのか」

「いや、電柱にお前がぶつかったのは、お前が前を見てなかったからだろ?」


 まったく。言い訳のしようもない……が、今は……。


「今は一人にしてくれないか。考えないといけないことがあるんだ」

「だから、それを話してください」


 今度は長原さんの真剣な声が。


 話して、それで楽になれるんだろうか……。いや、そういうものじゃないか。

 これは楽になるとかならないの話じゃない。ただ、気持ちを整理する為に必要なんだきっと。

 だったら、話してみるのもいいかもしれない。


 みんなが俺に視線を送る中、俺はみんなの方に向き直り、口を開いた。


「……岩沼が言っていたが、実は俺の父親は敵の組織の一員だったんだ」


 特に驚きの声が上がることはなかったが、明らかにみんな動揺していた。

 それでも俺は続ける。


「それと、俺は今日行った旧第一研究所。あの場所を俺は知っていたんだ。昔は違う場所として認識ていたが」

「まさか、それが……」

「そう。病院だ。俺は当時あの場所に父親に連れて来られていた。あの時は何も疑わなかったさ。ただの検査と聞かされていたからな」


 だが、それは全くの嘘だった。病院と聞かされていたその場所は、俺で何らかの実験をする為の研究所だったんだ。


「そして、研究所で行われていた研究。それが多分、今俺が寝ることによって発動する、予知夢というものだったんだ」


 もしかしたら、親父にとって俺はただの実験台だったのかもしれない……。

 親父の優しさも、笑顔も。何もかもが今は嘘だったのではないかと、そう思わずにはいられなかった。


 話終えた俺は、夜空に顔を向け、ただ静かにフッと息を吐いた。


「これで以上だ」


 しばらくの沈黙。だが、その沈黙は意外にも早く打ち破られた。


「それで、さっき言ってた考えないといけないことってのはなんなのさ。今の話の中にはそんなに真剣に頭を悩ませて考えることはなかったけど」

「は?」

「だって、今のは現在までの報告みたいなものじゃないか。本当は親父さんが敵の組織の仲間()()()てのも、昔通っていた病院が、実は研究所で、実験台()()()のかもしれないってのも。全部昔の話で、今は違うじゃないか」


 有野は俺を諭すように、一言一言を丁寧に言って俺に聞かせた。

 は。ははっ。はははははっ。なんだよこいつ。

 俺は思わず声を上げて笑った。

 そんな俺をポカンと見つめる三人。

 しかし、すぐに有野も混じって笑い始めた。

 本当に、俺は考えが回っていなかった。昔の事実に、何を間に受けているんだ。

 そう。もう親父はいない。それに実験台にされていたのもかつての話。

 確かに今も予知夢は見るが、それによりなにか病気になったということもない。

 どうやら俺は一気に知った衝撃的な事実を、処理しきれなくなってしまったらしい。


「ふふっ。そうですね。杉田さんの気持ちもわかる気がします。いきなり自分の父親が、今対峙している敵の組織の一員だったとか、昔自分が実験台にされていたと聞かされれば、誰だって焦ります」


 長原さんもつられて笑みを浮かべながら、そう言ってくれた。

 そんな状況を見て、桜井は困った顔で、


「おい。私だけ笑わずにいたら、まるで私が嫌なやつみたいではないか」

「いや、お前普段からあんま笑わないだろ?」

「……確かにそうだな。周りに流される方が私の性分に反する」


 そりゃすげぇ性分だ。

 まあでも、桜井も桜井なりに俺に気を遣ってくれてるんだよな……。多分。まあその辺はあまり考えないでおこう。


「さ、もう大丈夫だよな」

「ああ。悪いな。心配かけた」


 大丈夫だ。過去のことは過去だ。今考えるべきなのは今と、未来のことなんだ。

 だから、今は前を向いていよう。

 俺たちは車に戻り、移動を開始した。



「まさか、あの子がねぇ」


 車が去った後、一人玄関にもたれながら去っていった方向を見つめながら、呟いていた。

 凍えるような寒さを感じながら、母、恵那(えな)は白い息を吐き、


「そう。まだ終わっていなかったのね……」


 遠い昔の出来事を思い出す。

 変わっていってしまった夫。そしてその仲間も──……。

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