23 再会
長原さんとの話し合いも良好に終わった後、俺は部屋を後にして一人のんびりと過ごしていた。
翌日までは特にすることがないのだから仕方がない。と、そんな時有野がふと悪い笑みを浮かべながら顔を見せた。
「よう。長原さんとの話し合いはどうなったんだよ」
「は? お前何で──」
「隠さなくたって知ってるよ。お前ら二人で部屋に篭ってたじゃん」
まあ、確かに簡単に言えばそうなるが、お前が想像してることとは全く違うんだが。
「で、あの後どうなったんだよ」
「別に。ただ仲直りして終わりだよ」
「は? 仲直り? で、それで終わりって、そんなわけないだろ!」
「逆に何があるって言うんだよ!」
「いや、だって長原さんがその後部屋から出てきた時、なんか妙に浮かれた様子でどこか行っちゃったしさ。そんなの何かあるに決まってるだろ」
は? こいつは何を言ってるんだ? 俺はただ長原さんと話し合いをしただけだぞ?
だが有野の顔はこれまで俺が見てきた中で、三本の指に入る程真剣な表情をしていた。
「って、僕これまでそんな真剣じゃなかったすかね」
「心を読むな」
まあでもこいつがこんな馬鹿みたいな嘘をつく理由も無いしな。だが、長原さんがそんな行動に出る理由もないしな。
「なんかの見間違いだろ? もしかしたらお前が目の前にいたからそうやって逃げたんじゃないか?」
「僕はゴキブリか!」
ゴキブリを前にして逃げ出したら、どこに行ったか分からなくなるだろ。
そんなことを冷静に心の中で呟き、長原さんのことは見間違いだったという事に結論付けて考えるのをやめた。
それから夕食から就寝に至るまで特に何もトラブルもなく終わる。
その夜。俺はなかなか寝付けずにいた。
「明日……もしかしたら会う事になるかもしれない。でも、会ったらどんな目を向けられるか……」
けれど、会わなければこんな不安の中ずっと過ごす事になる。それだけは避けなければならない。
けれど……まだ、覚悟が決まっていなかった。
そして翌日。
あまり眠れかなかったため少し眠いが、それでも何とか布団から出て一階に向かった。
「あ、杉田さん。おはようございます」
「──?」
な、なんだ? これは夢か?
俺の目の前には、キッチンで少し長い髪を後ろで束ねた姿で朝食を作る長原さんがいた。
これには流石に動揺する他なく、ただ茫然とそんな光景を見ていることしか──。
「杉田さん? どうかしましたか?」
「あ、いや。おはようございます」
ただ茫然と見ていたら、長原さんからしたらただのヤバいやつじゃねぇか。
しっかりしろ俺。
頭を振って邪念を振り払いながら洗顔をし、再びキッチンに戻ってきた。
どうやら、顔を洗ってもいるということは夢ではないらしい。
錯覚か。錯視か。幻覚か……。まあいいか。
「長原さん。手伝いますよ」
「本当ですか? ではスクランブルエッグか目玉焼き。どちらか好きな方を人数分作ってくれますか?」
「はい。分かりました」
そうだな。個人的には目玉焼きの方が好きだし、四つの目玉焼きを作るか。
あ、その前に。
「長原さんは目玉焼き。半熟か硬め。どっちが好きですか」
「半熟です」
「じゃあ全部半熟でいいか」
「………」
というわけでまあ適当に卵を割って作っていく。すると──。
「な、何だ何だ! いつの間に二人で朝食作る仲になったのか!」
「は?」
「へっ?」
面倒なやつがものすごい動揺顔で俺たちを指差していた。
いや、ただ朝食作ってやってるだけなんだが。
「お前は馬鹿か」
「だ、だって……」
ああ。こいつは昨日長原さんの見間違いの動揺した顔を記憶しているらしいから、それも相まって変な想像をしているのだろう。
「あのなぁ。お前長原さんに失礼だろ」
「うっ。そ、そうだね……」
どうも奴は納得していないようだったが、何とか飲み込んでくれたみたいで、ブツブツ何やら呟きながら洗面所に向かっていった。
「すみません長原さん。あいつ、馬鹿なんで」
「い。いえ。そんな」
慣れたからなのか、それとも特に気にするほどのことではないと結論付けたからかどうは分からないが、長原さんはそれほど嫌な顔はしていなかった。
それから朝食を食べ始める。
その時には桜井はいつの間にか椅子に座っていた。
「ん。これうまいね。流石長原さんが作っただけあるよ」
「それ俺が作ったんだ」
「ゔぇっ。マジかよ」
「嘘だ」
「テメェ今のは重罪だぞ!」
分かりやすやい奴だな。
そんなことを考えながら、適当にテレビを流し、笑いながら食事をしている時のことだった。
唐突に、それは来た。
プルルルル。
「電話だ」
俺は電話の呼び出し音を聞いた途端、ビクッと体を震わせ驚いた。
そんな俺には誰も気づかず、長原さんが受話器をとった。
「はい、長原です」
しばらくはい。と何度か言い、それから最後にすぐに向かいますと告げ、受話器を戻した。
『すぐに向かいます』という言葉を。俺はすぐに想像がついた。
「みなさん。すぐに向かいましょう」
有野と桜井は真剣な表情で返事をしていたが、俺だけはそんな対応はできなかった。
「杉田さん。行きましょう」
「………ああ」
長考の末、それだけを言った。
深く考えたくはなかった。だから、途中で考えるのを打ち切ったのだ。
きっと考えたって何も変わらない。けど……ただ、不安だけが心の中にあった。
桜井と有野が先に車に乗り込み、俺一人が玄関で覚悟の決まらない中ゆっくりと靴を履いていると、突然閉まっていた玄関が開いた。
「杉田さん」
真剣に俺の名前を呼ぶ長原さんの姿が俺の目の前にあった。
「杉田さんは昨日言いましたね。子供扱いしないで欲しいと。けれど、私は思います。そうやって一人で抱え込むことは、大人の行動なのか──と」
一人で抱え込む……。
ゆっくりと玄関を閉め、俺の目を長原さんが真剣に見つめた。
「あなたはまだ一度も、人を殺めてしまった事については誰にも相談していませんよね」
「──っ!」
核心をついた質問に、俺は思わず息を詰まらせる。
前を向いていられなかった。ただ下を向き、俯くしかなかった。
「顔を上げてください。そして、私の目を見てください」
いつにも増した芯のある声に、俺は震えながらもゆっくりと顔を上げ、その真っ直ぐな目を捉えた。
「辛い経験をしましたね。だったら、他人に、私に相談してください。他人に悩みを聞いてもらえるだけでも、気持ちは少し楽になるものです。一人で抱え込まないでください。私は、ただ一人で苦しむあなたを見ていたくありません」
「………」
ただ真剣に促す彼女は、とても大人だった。
こんなにも俺のために言ってくれる人はきっと他にはいないだろう。そう思うと、口から自然に「ありがとう」と出ていた。
「実は、分かっているかもしれないが──」
俺は戦闘時の事。今不安に思っている事、懸念している事など、包み隠さず全てを話した。
話している間長原さんは、ずっと真剣に俺の話を聞いてくれた。
「なるほど。それはとても大変でしたね……」
「……はい。あ、でもこの行動を後悔しているわけじゃないんだ。ああしなきゃこっちが死んでいたんだ」
「でも、それでも人を殺めてしまった事は後ろめたくて当然ですね」
ああ、本当に。
少しの間長原さんは考えた後、俺の目を見て話し始めた。
「その初めに助けた人。その人はなんて言ってたの?」
「………確か、救急車の音が聞こえてきて、その時あの人、早く行けって言ってきたんだ。それで……そう。俺はそんなことしたら俺のせいにするだろと言ったんだが、あの人は………」
ハッ! そ、そうだ! 俺はあの時捕まるのを恐れていた。だが、あの人はそんな俺を見て笑顔で……。
「『大丈夫だ。俺たちはそんなことはしない』って……」
どうして……忘れていたんだろう。ニュースの衝撃で、忘れてしまったのだろうか。
「そうですか。そんなことを……。でも。ということはきっと大丈夫です。あなたが言っている人はきっと倉本さんでしょう。あの人は嘘は言いません」
「知ってるんですか」
「ええ。一度お会いしただけですが、とにかく印象に残った人ですから」
そこまで断言するのなら、きっとそれは本当なのだろう。
「大丈夫です。あなたが心配する事は、きっと起きません。だから、前を向いてください」
突然始まった悩み相談。けれどそれは、予想以上に効果があり、
「ありがとうございます」
俺はいつの間にかずっと決められなかった覚悟を決め、前を向くことができていた。
それから走って車に乗り込み、急いで病院に向かった。
「遅いぞ! もう何分待ったと思ってるんだ」
「すまん。ちょっとな」
「僕が一度家に戻ろうとすると、なぜか桜井がテーザー銃を向けて脅してくるし、もう生きた心地がしなかったよ!」
それは……素直に礼を言いたいところだが、桜井。それはつまり俺が今さっきしてもらった相談を予想していたということか?
それはそれで、複雑な気持ちだ……。
なぜか桜井は俺のことを微笑ましそうに……。いや、これは馬鹿にしているのか? よくわからないがそうやって見ているし、多分バレているんだろう。
「まあいいか」
一人何かを諦めて病院に向かった。
そして昨日と同じように受付に行くと、そのまま病棟に。そしてエレベーターに乗り、向かった先は一般病棟の部屋。その一つだ。
「杉田。開けるぞ」
「ああ。大丈夫だ」
思えば、こいつも色々気を遣ってくれていたのかもしれないな。
そう考えると急にこいつの態度が馬鹿ではなく、計算し尽くされたものに思えてくるから不思議なものだ。
俺は真剣な顔つきで病室に足を踏み入れた。
一人部屋に置かれたベッドの上に、倉本という人は寝転がっていた。
その人は窓越しに空を見ていたが、俺たちに気付き視線を向けた。
「……」
俺は覚悟を決めたんだ。だから──。
「久しぶりです。ヘリコプターでの一件以来ですね」
「……ああ」
倉本さんは予想以上に落ち着いている様子だった。
ゆっくりと倉本さんは上体を起こすと、俺たちを一人ずつ見てから口を開いた。
「お前は確か、あの時の……」
「ええ」
よし。大丈夫だ。今のところ冷静に会話が出来ている。やっぱり俺の考えすぎだったんだ。
「そうか。なあ、ひとつ訊いていいか?」
「ああ」
このままいけば、大丈夫──。
「俺と一緒にヘリコプターに搭乗していた二人は、無事なのか?」
「──……」
倉本さんの言葉を聞いた瞬間、息が詰まり、思考が停止した。
純粋に心配する倉本さんの目が、俺には痛すぎた。
でも、俺は……俺がやってしまった責任を、償わなければならない。だったら……ここで黙っているのは、卑怯者だ。
「──」
俺は息を吸い、深呼吸をした後しっかりと倉本さんを見た。
「残りの二人は、残念ながら……」
「……そうか……」
「俺のせいです。俺が……ヘリコプターを墜落させたから……」
自然と手に力が入るのが分かった。
そんな俺に、倉本さんは、
「待て。それは違う。あのヘリコプターが墜落したのは、君のせいではないんだ」
は? どういうことだ? 何を言っているんだ? だって、だってあのヘリコプターは──!
衝撃的な言葉に思わず叫びそうになりながらも、病院であることを考慮してグッと堪え、落ち着いて話す。
「メインローターを俺が撃ち抜いたから、それで破損して制御できなくなったんだろ?」
「確かに、君は銃を撃った。だがその弾道はメインローターにいったのではなく、操縦席に向かったんだ。いや、正確には俺の目の前を通過していった」
倉本さんの言葉が俺の頭に届いても、俺はそれを理解するのに時間を要した。が、そこで俺は先日の報道を思い出す。
窓の破片に残る銃弾のあと。まさかあれこそが二発目だというのか?
「ち、ちょっと待ってくれ。ひとつひとつ整理させてくれ」
「ああ」
俺は動揺しながらも、ひとつひとつ順序を追っていく。
「まず、俺はあなたたちの銃から逃れるために避け、そしてその後一発撃ったんだ。その弾は……」
「それは当たっていなかった。問題はその次だ」
「もう一度しっかりと構え直し、メインローターを狙って撃った弾。それが──」
「その弾が、実際にはガラスを撃ち抜き、そしてオレの目の前を通過してまたガラスから出ていったんだ」
「………」
と、ということはどうなるんだ? いや、しかし……。
「でも、やっぱりそれは俺が撃った弾が原因じゃないかっ」
「まあ落ち着いて話を聞け。目の前を通り過ぎていった弾に驚き、俺は後ろに過剰に避けてしまったんだ。その影響で、サイクリック・スティックを勢いよく後ろに引いてしまった」
サイクリック・スティックっていえば、操縦桿みたいなものか? だが、それじゃ俺の原因なんじゃ……。
倉本さんは一度息を吐き、その時のことを思い出しながら言葉を続ける。
「だが、それまでならまだ立て直せる。だが、ここからが問題だった。ヘリコプターが、ガス欠を起こした」
「な、なんで……。燃料が少ないって知らせるライトくらいはついているものだろ?」
「ああ。確かに。数分前からすでに燃料が少ないと点灯が知らせていた。だが……」
倉本さんは何か言うのを躊躇っている様子だった。
ふと長原さんは方を見ると、薄々事情を察しているのか、辛そうな複雑な顔をしていた。
「……ただ燃料が無くなりそうだから帰ってきたと伝えても、きっとあいつらは……」
それ以上は倉本さんは何も言わなかった。
ただ、下を向いて自分の手を見つめていた。
『きっとあいつらは……』その後に続く言葉は、一体何だったのだろうか。
考えたところで何も思いつかなかった。
「分かりました。あの、話してくれて、それと通報しないでくれてありがとうございます」
「いや、気にしなくていい。話なんていくらでもしてやるさ。それにあの件についてはこっちの方に落ち度があると言っていい。それは死んでいったあいつらだって分かった上で搭乗していたからな」
そう言ってくれて、俺は少しだけ救われた気がした。
俺は心から礼を言うと、一歩後ろに下がった。
それに続いて今度は長原さんが前に出てきた。
「お久しぶりですね。倉本さん」
「ああ。確か長原と言ったか。久しぶりだな」
久しぶりという言葉を聞いて、有野は俺の耳に近づきヒソヒソと話しかけてきた。
「え、二人って知り合いなの?」
「そうらしいな」
「ふーん」
実はここに来る前、玄関でそう聞かされたのだが、その事を言えば、きっとこいつはグイグイとその時のことを聞いてくるだろうから適当に流した。
「突然ですが、訊ねたいことがあるんですが、いいですか?」
「ああ」
「あなたの上司がいる所を、知っていますか?」
「………本気なのか」
「はい。やらなきゃいけませんから」
そう長原さんが告げると同時に、倉本さんは俺たちを一瞥した。
そしてどこか納得したように、そうかと言った。
「分かった。教えよう。だが、これだけは注意して欲しい。この先に足を踏み入れれば、警察に通報しようがそれは無駄だ」
「ど、どうして」
思わず俺は声を漏らした。
すると倉本さんはフッと口角を上げ、
「奴らは政治家とも裏で繋がっている。やろうと思えば上から圧力をかけられるんだよ」
そんなドラマみたいなことがあるか──と、言おうとしたところで、口を結んだ。
今朝、俺たちはテレビを見ながら食事をしていた。だが、その時ニュースで、ヘリコプターが墜落した件の続報が報じられる事はなかった。
倉本さんだってすでに目覚めて数時間が経過しているというのに、一向に警察も報道陣も来る気配がなかった。
これは単純に考えておかしいことだった。
「確かに、そうなのかもしれませんね……」
「だから、やるなら覚悟を決めろ。生半可な覚悟では死ぬだけだ」
今一度、自分を見つめ直し、倉本さんの目を見た。
「はい。覚悟はできてます」
「分かった。ならいいだろう。場所だけ伝えよう」
それから倉本さんの口から詳しい場所を聞き、長原さんはそれをメモした。
「なるほど。ここですか……。あまり離れてもいませんし、今日中に行きましょうか」
「え、今からっすか?」
おっと。緊張が抜けていたのと個人的に親しくなったと考えている影響でタメ口を利いてしまった。
いや、普通にタメ口だったか? まあ、怒ってる様子もないしいいか。
「はい。早い方がいいじゃないですか」
「ま、確かにね」
「私も特に異論はない」
有野と桜井が賛同する。
まあ俺だって別に拒否する理由はないから別にいいか。
ただ驚いて声を上げてしまっただけだからな。
「わかった。行こう。じゃあ、倉本さん。ありがとうございました」
「いや、礼を言われる筋合いはない」
そう笑顔で見送る倉本さんと、俺たちは別れた。
それが倉本さんとの最後の会話だった。




