死生
ねぇ、例えば君が明日消えてしまうとしたら、君は今日をどうやって生きると思う?
って、いきなり聞かれても困るよね。
僕もこんな事、急に聞かれたら、考え込んでしまうと思う。
きっと、普段から意識して考えてる人は少ないだろうね。
でも、ふと想像してみると面白いかも知れないよ。
よく人は、今日が地球最後の日だったら?ってよく言うけれど、自分だけが消えてしまうなら話は変わってくるよね。
大切な人へ手紙を残す?
それとも、残された時間を有意義に過ごす?
それとも、もういっその事、何もせずにただ時間が過ぎるのを待つ?
きっと、それに正解なんてないし、人によって答えは変わってくるだろう。
ただ、唯一共通するのは、その日は僕らにとって最後の日であるという事だけさ。
では、昔の話からある人の選択を例に上げてみようか。
それは1人の年寄りと少年のお話。
彼は病弱で、余命あと一日となった日、病院で過ごしていたそうだ。
元々長く病院に滞在していて、自らの命が幾ばくもない事を知っていた彼の答えは、意外にも素敵な答えだったのさ。
その答えは、いつもと変わらず過ごす事だった。
彼は“その日”が来るのを知っていた。
だからこそ、彼はその日をいつも通りに過ごしていたのだ。
いつものように病院の一室で、爽やかな春の空を見上げながら、たった1人で折り紙の鶴を折っていた。
しかし、彼の表情は不思議と穏やかだったのさ。
そんな彼を見ていた、同じく病を抱えた少年が疑問に思い、彼に問いかけた。
「おじちゃん、どうしてニコニコしているの?なにかいいことでもあったの?」
すると彼は、こう答えたそうだ。
「いいや、何もない。今日も一日、私は精一杯生きた。それだけだ。しかし、それが私にとって何よりもの幸せなのだ。」
少年は不思議そうに見つめていた。
そして彼は、また外を覗くと、そこには桜の花が咲いていた。
風に吹かれ、折り紙の鶴が一斉に飛び出した瞬間、彼は息を引き取ったそうだ。
人は生きる上で死を乗り越える事は出来ない。
しかし、誰しもが通る道であり、誰もが一度は恐れる物である。
だからこそ、僕は生かされている今に感謝しようと思ったのさ。
生きてゆく姿勢が大切なのだから。
ねぇ、もし君が明日消えてしまうとしたら、君は今をどのようにして生きるのだろう。
最後まで読んでいただき、
誠にありがとうございました。
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