7 孫は男の子 女の子
今は家にいる。いつもの生活を送るつもり。その朝は、ゆっくり起きだして、食事に下りていった。居間で三人が深刻な顔をして、何かを見ていた。パパさんが、私を手招きしてくるように言う。イスに掛けた私に、書き物を渡した。それは薄く、色を滲ませた和紙だ。 優雅に、墨も黒々と流れるような字が、書き込まれていた。
今日の午後五時、我が家にて、食事を共にしてくださることを願います。車にてお迎えに参ります。 ご一家様
招待者を見つけました。塚原源三郎 なんと学校の理事長なのだ。パパさんたちは、びっくりした後の不振に陥っている。私も同じだ。一生懸命に考えた。何か理由があるはずだ。しばらくしてそれらしき訳を思いついた。
「きっと体育祭のとき、僕は目立ちすぎ、目に付いた。理事長の気まぐれで家族を招待したんだ」と 思い付きを言うと、
「二回とも、目立ったからな」 勝彦が言う。不自然な顔つきだ。やっぱり、進一の企みはみんなにも見えみえなんだ。
「秀才のやることは、よくわからないな」私も勝彦の言葉に賛成。
今日のその後は憂うつに過ぎた。聞かれたことに、どう答えればいいかと考えて、いらいらした。時間は過ぎた。ママさんがくれた服を着て、迎えの車に乗り込んだ。
高級車は、素敵な松、ゆったり広がるもみじ、枝を丸めたつげなどに囲まれた中に、日本家屋がたつ門の前で止まった。白壁に黒板、白いレースのカーテンが揺れている家がそこにある。家族は顔を見合わせた。みんな驚いている。
「どうぞこちらへ」 の声にびっくりして我に返った。部屋に通され、またびっくり、先客がいた。少し禿げた頭の小柄な身体を、黒皮のつややかなイスに潜り込むように掛けている校長先生。レースのカーテンを、半分ほど開けて外を見ている進一がいた。彼の服装も新まっている。誰もが、この組合わせに無言でいた。
「突然の招きを悪く思わないで貰いたい」と 言いながら、和服姿の上品な老人が、部屋に現れた。
「お招き、ありがとうございます」校長先生の挨拶に、みんなでお辞儀をした。頭を上げたときには、入り口の男性が、「食堂へどうぞ」と 言う声が聞こえた。
老人は、校長先生を先にして、家族と進一を行かせた。最後を歩いている私の背中を触れるか、触れないかの力で押しながらついてきた。
広い食堂には、見事に生けられた花が飾られてある。一人のテーブルセッテングを見れば、
洋食のようだ。私は山で母に習っている。実際にはどうなるか解らないけれど手順はわかる。
私は、通された席について驚いた。前には仲田さんが掛けていた。あわてて立ち上がりイスの音を立てた。赤くなりながら仲田さんに頭を下げた。
仲田さんは微笑んでいる。みんなが見ているのも解っている。それでも私は考えた。これは私のことだ。私の変てこな生活を変えようとするんだ。私にも解らないのをどうするのだ。父さん、母さん、僕どうしたら言いのですか。
「いつまでも待たせると、コックが怒るよ」突然の声に飛び上がった。老人が笑っている。
「君の無言が永いから声をかけたよ。驚かせて悪かったね」 老人の声はやさしく聞こえた。
「さあ、食事にしよう」 老人の合図で食事が始められた。きれいに盛られた料理が、次々と出てきた。
私は、ママさんが作る食事でホークもスプーンをも使い食べている。だがここは、母さんの教えてくれたように食べなければいけないんだ。私は山の子だ。少しくらい乱暴でも許してくれるだろう。 隣の勝彦の顔を見ると頷いたので、かまわないことの同意だ。前隣の進一をもチラッと見た。「うん」と 言うように笑ってくれたが、すぐ勝彦を見たのはなぜか疑問だ。
老人は、たびたび私に笑顔を見せた。あまり食は進んでいないように見える。仲田さんは、「うんうんそれでいい。食べえるんだ」と 促しているみたい。もう一度、進一を見た。
ジュースに手を触れて待っているみたい。私もジュースに手を触れた。進一は、わずかに上に上げて笑った。私は頭を上下させて、進一の真似をしてジュースを少し持ち上げた。
老人は、一人一人に話しかけては、みんなを笑わせた。私にも、体育祭の出来事を聞かれたがうまく逃れた。それは進一の役目で、私の役ではないからだ。進一はかなり躓きながら説明していた。最後の質問で完全にダウンした。
「団子はおいしかったかね」 老人の楽しそうな笑いに、私の顔も赤くなった。
最後のコーヒーを飲み終えて、また客間に戻り、大人はワインを、私たちにはジュースが出された。それぞれ好きな所に掛けている。私は勝彦と一緒に二人掛けしている。片側に進一が、私の肩に寄りかかりそうにして、イスの袖に腰掛けている。
老人は、ワインを手に持ち、みんなを見た。その目を横に漂わせて、私をじっと見ている。私も、一人掛けのイスにゆったり掛けている老人を見た。
「少し、君の話をしてくれるとうれしいよ」と 老人は言う。私も聞き返した。
「どんな事ですか」「この町に来たことだよ」と 老人は途方にくれていた。私も戸惑った。
山の話だろうか。父と母の事か、両親は私の大切な人だ。
「君が話したいことだけでいいんだ」 老人は聞きたいのだ。みんなも聞きたいはず…。
私は話した。
遠い遠い昔、若い男の子の頭に尖ったものが伸びだしてきた。村の人は鬼子だと彼を苦しめた。彼は苦悩を逃れて山深く一人で暮らした。時々村に現れては悲しみを紛らわした。ある時、女の子が一緒に山に住み着いた。この人達が先祖になった。次々、新しい代になるに従い、角が出るのを恐れない普通の人間にあこがれた。次の代も次の代も長男だけが結婚して子供を育てた。他の兄弟姉妹は、神に願いを掛けけて、生涯を短くした。願いは、その家族の終わりを意味していた。それでも、皆は先祖の誓いを実行していった。山の自然を守るため、限られた人しか住めないから…。
繰り返し繰り返しして、じいちゃんの代のころには、憧れは叶えられていた。父が生まれた。ばあちゃんは、父を残して願いを掛けた。僕の父も、自分の代で先祖と家を終わりにする覚悟を決めていた。ところが、母が現れた。母は、中学のとき見た父を永い間待っていた。それで僕が生まれた。五歳のとき、じいが死んだ。
このとき、父と母は願いを掛けた。僕を、母の家に帰すためにね。十七才の朝、僕の手を握り締めてくれた母が、僕の役目を教えて、次に父が死んだ。二人は神の元に帰った。僕は、父と母を穴に帰した。小山の上に菜の花を置き、おぼろ月夜を歌いながら、その夜は三人で寝た。空には星がいっぱい輝いていた。
朝になり、動物たちにせかされて、山を降りた。夜は動物たちと木の根元で寝た。朝日に起こされ、また山を降りた。太陽が傾く頃、皆と別れた。その後、パパさんの車に乗り学校に行った。僕は、必死で耐えた。父に約束したんだ。泣かないと。泣かなかったよ。涙が勝手に出ただけなんだ。
無言がつずいた。フーと音がして、老人は息を吐いた。「君の母さんだがな…」と老人は話し始めた。
「私の娘だよ。どんなに結婚を勧めても、返事をしてくれない。ある時から姿が消えた。私は今まで捜していたよ。もう会えないのか」とても辛くて、悲しそうにうなだれた。
父親が、何年も捜し求めていた娘は山に帰った。娘は父を求めたのだろうか。私が生まれて邪魔をしたのか。父は母を愛した。母も父を愛した。
「ごめんなさい」 私のために悲しませたことを辛く思った。しばらく沈みこんでいたが気分を変えたのか、「そうだ、私には孫が授かったのだ。君は私の孫だ」と うれしそうな老人の声がした。
私は孫ではない。じいちゃんは一人だけだ。母さんの大事な人を取りはしない。私に心を向けてはだめです。一人でいい。皆は無言で私を見ている。
雰囲気を変えようと、決心したのかパパさんが、顔を上げて私を見た。
「聞いてもいいかね」と 言いながらママさんを見た。ママさんは頷いている。
「一週間、ホテルに行くのは、どうしてなんだね」 私の顔は、真っ赤になっているだろう。どこを見ればいい。仲田さんは助けてくれるかしら。進一が乗り出した気がする。
「それはー、それはー」 声が消えていく。皆が見ている。ママさんの顔を見た。微笑んでいる。勇気が出てきた。
「僕、女の子なんだ」 ああ、なんて顔、みんなポカンとしている。ママさんは、なんとなく女の子ではないかと疑っていたようだが、女性の日を過ごしに行くとは解らないようだった。
進一は、初めから女の子とはわかっているが、なぜ、男の子をしているのかが理解できないでいた。町に出るときは、女の子では危険だと、父に教えられていたと話した。
学校に来たときには、あまりにも疲れていたので詳しく説明できず、見たままの姿になっていたと…。
突然、校長先生の声がした。とても面白そうに、しばらく笑っていた。
「汚れたトレーナーとジーンズ姿で、イスから半身落とした格好で、ぐうぐう寝ているのを見て、女の子とは、とても思えないよ」
進一が、勝彦が、パパさんママさんが爆笑した。みんな、私の姿を見ていたからだ。
黙って、ニコニコしていた中田さんが、「ちょっと、しょう君を借りて行きます」と 私を引っ張り部屋を出た。ローカに出ると、広々と広がる前庭が見えた。見事な木々が植えられた側に池がある。芝が緑を際立たせ、大きな石、小さな石が曲がり角に頭を出している。池の際に平らな石が置かれている。
二人は、庭に面したいくつかの部屋を通りこして、一つの部屋に入った。とても広い部屋で、やわらかい光がいくつも輝いていた。仲田さんは、ベットを指差して「ママのベット」 というと顔をそむけた.ベットは、四本柱に薄くて柔らかな、シルクの布が、波打たせて、紐で結ばれていた。白い中に淡いピンクの花が浮かび、優しい夢が訪れたであろうベットが置かれていた。使うことの無い人を待ちわびて、どれほどの時間が過ぎたのどろうか。いつ帰るかと、きれいに整えられては、今に、今に帰ると聞かされたべっト…。今からは待つこともできない主人を亡くしたベットだ。
「僕の嫁さんになる人ーー」 後は声がつずかない。
「君は、僕の娘でもある」 今、初めて理解した。ホテルで、なぜあんなにも親切なのか、かわいそうな仲田さん。私はこの人からも、お嫁さんになる母を奪った。何も取ろうとなんて考えてもいないのに…。
たとえ、知らないとしても、そんなことはしたくない。私の母だっただけ。おじい様も仲田さんをも悲しませるなんて……。
「向こうの所にある服を着て」と 窓辺のほうを指差した。
「孫娘の誕生をするからね」と 言いながら仲田さんはローカに出た。私は、うろうろしながら、指示された服を着て、姿見を見てまごついた。そこには他人がいた。丸く開いた衿から、白くすっきりした首が覗き、ふんわりした、七分袖から細い手が見える。シルクの靴下を履いた足を見せて、軽やかな薄い緑色の服を着た女の子がいた。仲田さんに連れられ、客間に戻った。
あきれた顔、びっくりした顔、動揺している顔、みんなは二度も驚かされている。私自身どんな顔しているのかもわからない。
「私の孫、私の孫娘」と 喜んでくれるおじい様。「きれいね」とママさん。勝彦は複雑な顔をしている。進一は、うんうんと頷いている。イスに掛けると、すぐ手を握ってくれた。
「祥子」と 小さな優しい声で呼ぶと、手に力を入れた。
私たちは長いこと話をして、夜食をご馳走になり、家に着いた。
今も、薄緑の服を着ている。