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第7話 喧噪の影で

日差しを吸い取ってしまう真っ黒の日傘が、ひょこひょこと目の前で揺れている。


真昼の懸念をよそに、めざめは難なく日差しの元を歩いている。

日傘を構えているとはいえ、そうしていると吸血鬼というのが信じられない。

目の前でめざめが死んでしまうのではないかとハラハラしていたのが、まるで間抜けである。


「思ったんだけど、よるにわさ……」


「なにかしら。ま・ひ・る・ちゃん」


「……めざめちゃん。血を吸って太陽光をある程度克服できるんなら」


「第三継承者も同じようにするんじゃないかってことかしら」


「話が早いね。そう思ったんだけど」


小柄なわりに足早なめざめを追って、真昼も歩みを早めた。

作り物じみた雰囲気を纏っためざめが、しゃきしゃきと足を動かしているのはミスマッチのような気がする。


「各々が持つ『爪』に応じて、吸血鬼にも才能があるのよ。得意としている領域。私は吸血と信仰への適正が高いし、第三継承者は確か姿を変えるのが得意だったんじゃないかしら。他の吸血鬼なんて興味ないから、うろ覚えだけれど」


「姿を……変える?」


「霧になったり、別の動物の姿になったり。擬態能力とでも言えばいいのかしら」


地中深くに埋葬した吸血鬼が棺から蘇るとき、霧となって隙間を通ってくるのだという。『継承者』と呼称される現実の吸血鬼もまた、同じような能力を持っているのだ。


「それにしても、また学校に行くことになるとはね」


めざめは同じペースで歩きながら、ぽつりとそう呟いた。


そういえば――めざめはなぜ、学校に籍を置いていたのだろう。


彼女が学校に来られなかった理由は明白だ。吸血鬼で、陽の光に晒されるわけにはいかないから。しかし、彼女が学校に在籍し続けていた理由は分からない。

そもそもどうして、入学したのか。


「めざ……」


「人生、分からないものね」


真昼に聞かせるつもりがないくらい、さりげない呟きだった。

それにはっとして、真昼は訊ねるのをやめた。


  ◇


一度も姿を見せたことがなかったクラスメイト、夜庭めざめの登校は大事件だった。


ちょこんと席についていためざめを見て、級友たちは目を丸くした。そして、それが長らく不登校状態だった同級生だと分かった途端、めざめは人垣に囲まれる。


喋りかけない方がいいのか? という空気の読み合いも、めざめが平然と言葉を返してくるのが分かるやいなや霧散した。


真昼が予想したとおり、それは転校生の初日の様相だ。


「体調不良って聞いてたけど、もう大丈夫なのーっ?」


身を乗り出して訊ねたのは、クラス一のムードメーカーである佐藤綾だ。

そのそばにいたクラスメイトも「今年初めてきたもんね」「今年ってか去年も?」「もしかして年齢的には上ってことー?」などと思い思いの噂話に興じている。


「ええ。体育はお休みさせて貰うかもしれないけれどね」


「それでも学校に来るだけでえらいよー。いやーえらいっ」


「仲良くしてくれると嬉しいわ」


その瞬間、背筋をアリの師団が駆け抜けていくような違和感を覚えた。


めざめの表情が可憐に綻んでいたのだ。涼しげな目元は年相応だったが、その表情はいくぶんも幼く見える。子供や、ともすれば愛玩動物へ抱くキュートさだった。

クラスメイトたちはそのあどけなさにやられて、質問攻めが苛烈になる。


(違和感の正体……)


考えるまでもなかった。

真昼と二人でいるときや、首筋に噛みついているときの印象と、クラスメイトへ向ける屈託のない笑顔が結びつかなかったから。


「体育に出れないのは残念だねー」


「あ、けど夕片さんもよく体調を崩すから、二人でおしゃべりとか楽しそうかもー」


「あー、ならウチも体育休もっかな」


「こりゃこりゃ」と綾。


ツッコまれていたクラスメイトの言葉に、しかし真昼はこっそりと同意した。

夕片翔子は体育の授業を欠席か見学することが多く、いつも一人でつまらなそうにしている。そんな彼女とめざめが会話すれば、きっと互いにいい影響があるはずだ。


だって、めざめもまた深い孤独に生きてきただろうから。

真昼が彼女を学校に連れ出したのは、吸血鬼の孤独から彼女を救うためなのだ。


『拭って』


「…………っ!」


今朝のことがリフレインされて、真昼は息を呑んだ。


(なんで思い出すの⁉)


「どしたの、真昼。ついにピン芸人になる決心がついた?」


「ピン芸人になるかどうかを迷ってるって打ち明けたことないよ私。……おはよう、京子ちゃん」


「ん、おはよー。……噂をすれば、夜庭さん来たのね」


仁多京子はちらりとめざめの方を見ると、すぐに視線を逸らして自席についた。真昼もなんとなくそちらについていって、


「体育は難しいけど、普通に学校に来る分には問題ないんだよ」


「朝からすごい人だかりね。あれじゃ夜庭さんもいい迷惑でしょ」


「あはは……でもめざめちゃんも、迷惑そうにはしてなかったよ?」


「……へぇ。そうなんだ」


低くてかすれかけた呟きだった。ともすれば不機嫌そうな声音にも聞こえるが、京子は普段からクールだ。たまたまそう聞こえただけだろう。

実際、めざめの方を一瞥したが、表情には何の感情も浮かんでいなかった。


「……京子ちゃん、生理?」


「なによー突然。違いますが。セクハラですよ、ま、ひ、る、さ、ん」


「ごめん、あはは」


「…………」


真昼は、めざめの学生生活をバッチリサポートするつもりだ。それは揺らいでいないのだが、めざめがクラスで孤立していないのなら、それは何よりだった。

孤独は一人が埋め合わせるものではない。沢山の人が、少しずつ埋め合わせるものだと思うから。


京子はスクールバッグから教科書やポーチなどを取り出しつつ、


「あんた、もしかして夜庭さんの家に行ったの? あの後」


「えっ⁉」


「あたしと綾と、それと真昼で勉強会したでしょ。先週末。その時夜庭さんの話をして、週明けに彼女が学校に来たんだから……あんたが働きかけたのかと思ったんだけど」


「えっと……」


別に隠すことはない。

本当に伏せておくべきは、めざめが吸血鬼であるという事実。そして真昼が第三継承者とやらに名指しで殺害宣告を受けているという事実だけだ。


舌の裏側で言葉が形になる。


実はそうなんだ。ていっても私は何にもしてなくて……。


『だから……血……早く』


口をつぐませたのは、なぜか今朝のセリフだった。

脳裏をよぎったのは、やはり今朝のセリフだった。


「……そんなこと、ないよ。最初に教室で会ったのが私だったから、おしゃべりはしたけどね? うん、でも、家に行ったわけじゃないよ」


「そう。熱血漢の真昼ならそのくらいするかもって思ったんだけどね」


「私男じゃないよ?」


「どうやらあたしの眼精疲労もいくところまでいったみたいね」


「私、男の子に見えてたんだ……」


「そんな甘っちょろいもんじゃないわ。漢よ、漢」


京子の言葉に笑いながらも、心には冷たいものを感じていた。

どうして嘘をついたのだろう。

自分のとっさの行動の意味が分からず、首をひねる。


めざめの方に視線を向けると、人混みは若干解消されている。だが、綾はまだめざめに質問を投げかけていた。めざめがのらりくらりとそれをやり過ごしているのには気づいていないらしい。


「学校とか案内してあげた方がいいかなーっ? あ、さすがにそれはいらない?」


「ええ。それに困ったことは彼女――」


「真昼ちゃん?」


「ええ。佐伯真昼さんに頼んでいるの。だから大丈夫よ」


「良かったー。真昼ちゃんクラス委員だもんね。まっ、アタシにもガンガン頼ってよ」


「ええ。ありがとう」


綾の肩越しに、めざめと目が合った。


グレーの瞳。


自分の嘘が見透かされている気がして、心臓がどきりと跳ねる。あるいは吸血鬼の身体能力をもってすれば、遠くの噂話も聞き取れるのだろうか。


  ◇


夜庭めざめの登校は、教師にとっても大ごとだった。

朝礼を終えた担任は、めざめを気遣ってあれやこれやとアドバイスを伝えていた。

勉強に追いつけなければ頼ってくれ、人間関係に悩むこともあるかもしれない、校舎は改修されているから位置関係が変わっているかもしれない、体調を崩したらすぐ保健室に行くように。


めざめはそのアドバイスの全てを、


「ええ。クラスメイトに頼ります」


の一言でねじ伏せた。


ちなみに彼女の言う『クラスメイト』は真昼のことだ。

それが吸血鬼との契約である。


「真昼ちゃーん、移動教室だよー。何もかも全てに取り残されちゃうよー?」


鞄から教科書を用意していると、綾に声をかけられた。妙に物騒な言い回しなのが実におかしい。「どうしてそんな残酷なこと言うの」と混ぜっ返すと、綾は満足げに口角を上げて頷いた。


「合格」


(何に合格したんだろう……?)


「真昼ー、行くわよ」


脇に教科書を抱えて、京子も現れた。


移動教室の時、真昼は彼女ら二人と行動を共にする。体育は綾がグラウンドの授業だから途中で別れるけれど、学内ではともに過ごすことの方が多い。

彼女らはいつものように、真昼を迎えに来たのだ。


「あ、ゴメン二人とも……私、めざめちゃんを案内するんだ」


「ありがとう。真昼さん」


身体の前に教科書と筆箱を抱えて、めざめが真昼の席のそばに現れた。

声音がまるで媚びるような、二人きりの時には決して聞くことのできない甘ったるいもので、真昼はそれに面食らってしまう。


「え? ならアタシたちと一緒にいこーよ。せっかくだしっ!」


「お言葉はありがたいのだけれど、ごめんなさい」


「えーっ、どうして夜庭さぁーん」


「私、大人数で行動するのはまだ苦手なんです。ごめんね」


もちろん、それはめざめの嘘だ。


学校内にはどのような危険が潜んでいるか分からない。それを真昼が取り除いてやるためには、第三者の目が邪魔だった。

周囲の目を欺くための労力は、できるだけ省いてしまいたかったのだ。

だから心が痛んでも、綾や京子の誘いは断らなければならない。


(めざめちゃんの孤独を癒やすっていう意味では、本末転倒なんだけどね……)


しかし、必要な犠牲だった。そのラインは越えられない。


「……そうなんだ……仕方ないわね、行くわよ綾ー」


「あ、待ってよ京子ちゃんー」


京子はふいと視線を外して、教室を後にした。

なんとかめざめと二人きりになれて、真昼はほっと息を漏らす。


「しんどそうね?」


「太陽だけ気をつけていれば、案外楽勝なんじゃないかなって思ってたんだけど……そうでもないんだね。正体を隠して活躍するスーパーヒーローの心労が理解できた気がするよ。なんて」


「私を学校に連れてくるなんて、しなければよかった?」


その言葉に、真昼ははっと息を呑む。


つい先刻まで人の気配が充満していたとは思えないほど、教室には凍り付いた静寂が満ちていた。遠巻きには雑談に興じる女学生の声、廊下をパタパタと駆ける靴底の音。けれどそれらが、余計にこの寂しい空気を際立たせていた。


動揺して視線をそらせなかった真昼と、瞳を動かさずじっと見つめるめざめ。

二人の視線は危ういバランスで成立つ積み木細工のように、重なり合っていた。


「……そんなこと、絶対ないよ」


「そう? じゃあ血を頂戴」


「え」


意を決した真昼の発言に、めざめの声が覆い被さった。


「後悔してないんでしょ? なら申し訳ないんだけれど、血を、頂戴」


「今朝あげたばっかりじゃ……」


「ごちゃごちゃ五月蠅(うるさ)いわね」


めざめは半歩距離を詰めると、真昼の胸のあたりを叩いた。

その勢いに押されて、真昼はすぐ後ろにあった椅子に着座する。勢いよくお尻を打ち付けたせいで、鈍い痛みが彼女の臀部を這った。


「ちょ、強引すぎ……ぃっ⁉」


「はむ」


今朝とは反対側の首筋に、めざめの細くて鋭い牙が突き立てられる。


まだ二回目だ、慣れたとは言えない。

けれど血を吸い上げられている感覚がはっきりと分かった。

まるで首筋から精気が吸い取られるような(というか実際そうなのかな)、倦怠感に包まれる心地。


「つっ……」


突然、めざめが身体を離した。

とっさに傷口から唇を話したせいで、彼女の口元にはよだれと血とがついたままだった。その様子がとても冒涜的なものに見えて、どきりとする。


「ど、どうしたの……?」


「貴女……十字架を身につけているんじゃない?」


「あ……ごっ、ごめん!」


真昼は慌てて、首から制服の内側へ垂らしていたロザリオを手に取った。数珠に市販のストラップを通して、無理矢理首から提げているものだ。


布越しとはいえ、これとめざめが触れあってしまったのだろう。

酸素を失った血液の色彩をした後悔が、どろりと喉元に這い上がってくる。


「護身用にって思ってたんだけど……すぐ外すね」


「構わないわ。むしろ――」


めざめは再び真昼の身体へ近づいた。そして、もう一度首筋に噛みつく前に、耳に口元を寄せる。


「聖者に見られながらなんて、とても背徳的……」


「ひぃ……んっ」


「変な声を出さないで。……学友に、バレてしまうわよ」


囁き声。

いつものめざめは、態度も声音も、そして吐き出す言葉も体温が低いのに。

囁く声だけは生暖かくて湿度があった。


「もう少しだけ……血を貰うわよ」


真昼とめざめは、授業に遅刻した。


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