第5話 夜空ランデブー(1回目)
吸血鬼による吸血。
真昼が知る限り、その行為は相手を吸血鬼に、あるいは眷属にするためのものだ。ゾンビが人を噛むことでゾンビになるように、吸血鬼は人を噛むことで吸血鬼や眷属を作る。
きっと吸血鬼物語の発想となった、疫病、伝染病が人から人へと渡りゆくものだからなのだろう。
「――ちょ、ちょっと待ってよ⁉」
「安心なさい」
血を貰う発言に狼狽する真昼だったが、めざめは全く平然としていた。
彼女は悠然とカップを口元に運んでいる。
「吸血鬼とか眷属になっちゃわない……?」
「私、眷属を作るのは苦手なの。それに吸血鬼にもならないわ」
「そ、そうなんだ」
「『爪』と同じよ。吸血鬼の力もまた、相手から継承しなければならない。私が血を吸ったって、逆に私の血を二、三滴啜ったって、なんにも変わりはしないわ。むしろ私が貴女から血を吸うのは、太陽の下でも動き回るためのエネルギーを補給するため」
「エネルギーの補給……」
「食事のようなものよ」
真昼は一口、紅茶を啜って考える。
吸血鬼にとって、日中に活動するというのは大きなリスクなのだろう。
そのリスクを、真昼が血を分けるだけで軽減することができるのなら、喜んで協力したい。
「二つ聞きたいんだけど……」
「貴女の血よ。好きなだけ質問して」
「一つ目は、吸血鬼にとって日光ってすごく怖いと思うんだけど、私が血をあげたくらいでなんとかなるものなの?」
「私以外の吸血鬼では、なんとかならないかもしれないわね。でも私なら大丈夫」
「そ、そうなんだ」
めざめの持つ『爪』が関係しているのだろうか? 吸血鬼の能力については彼女が一方的にプロだから、真昼はそれ以上ツッコまずに次の質問に映る。
「二つ目は、どのくらいの血をあげれば良いの?」
「さあ? 欲しくなるたびに、その都度」
「失血死しない……?」
「分からないわ。せいぜい精のつくものを食べるのね」
「…………」
学校に行くための協力はなんでもする……なんて言い過ぎたかもしれない。
けれど真昼が血を与えるだけで、めざめの孤独を和らげられるなら。
「紅茶、飲み終わったわね。そろそろ帰るかしら?」
「え、あ、うん」
「今は夜。一人で出歩くと第三継承者に殺されるかもね」
「そういえばそうでした……」
めざめは立ち上がって、部屋の奥にあるガラス戸へ近づいた。厚みのあるカーテンを開けると、そこにテラスのような空間がある。
夕焼けで染まっていた町並みは既に夜の中で、空に浮かぶ月が眩しかった。
「じろじろ見ないで。デリカシーがないわね」
「え?」
小さく咳払いしためざめは、そのまま身体を弓なりに反らした。直後、彼女の小さな背中に影が集まる。
それは瞬く間に形を持った。
翼。
第三継承者の翼とは趣が異なる。鳥類の、羽根がくっついている翼だ。まるで真夏の影のように真っ黒で、室内灯の光を照り返している。
「送ってあげる。貴女の家はどこかしら」
テラスに出ると、夜風の冷たさに思わず身を固くした。
(……あれ)
真昼は屋敷の門扉に、おかしなものを見つけた。十字架のオブジェだ。意匠の中に組み込まれているため――というより、デザインとしては普通だから――見落としたのだろう。
(吸血鬼の家に十字架? 変なの……)
「さ、私にしがみついてくださる? 姫君」
「えっ、そっか、そうだよね」
両手を広げためざめに、真昼はおずおずと抱きついた。
人間の肉体とは比べものにならない、強靱な肉体を持つ吸血鬼。その事実がすっぽりと抜け落ちてしまいそうなほど、彼女の身体は華奢だった。
振り落とされないようしっかりとしがみつくと、鼻腔にフローラルな香りを感じる。
何故だろう、無性にドキドキしてしまう。
「じゃあ――いくわよ」
「うん……うわああっ⁉」
真昼がドギマギしている間に、めざめは高く飛び上がっていた。
ジェットコースターの比ではない浮遊感。恐怖で短く声が漏れ、思わずめざめに抱きつく力を強める。うっかり落下すれば、きっと痛いと感じる間もなく死んでしまうだろうから。
「どっちに進めばいいのか分からないわ。貴女……ちょっと聞いてるの?」
「聞いてません! ひぃぁっ」
「そういえば貴女、名前はなんというのかしら」
「佐伯真昼ですっ!」
「そ。で、貴女の家はどこ?」
「ひぃぃぃっ」
ちらりと下を見る。
凄まじい速度で眼下を過ぎていく夜の町並み。地方都市ということもあって、人工的な光の数はそれほどでもない。
けれど、宵闇が不自然に穴だらけになっているのは、そこに人の営みを感じられて好きだった。
そもそも、高いところは怖すぎる。
そして夜は怖すぎる。
(でも夜庭さんは……)
夜に生きる吸血鬼には、きっとこの景色は全く違うものに見えるのだろう。
滑空はものの数分ほどだった。
そもそも真昼の自宅もめざめの邸宅も、同じ学校の通学圏にあるのだ。めざめの翼をもってすれば、ほんの鼻先の距離だろう。
だが真昼には、数時間にも匹敵する数分間だった。
自宅の前に降り立ったとき、必死にしがみついていたせいで腕や身体が怠かった。
「それじゃあ、週明け……朝に迎えに来てくださる? ま・ひ・る・ちゃん」
「う、うん。あっじゃなくて」
「? お別れが寂しいのかしら」
すぐに引き返して、飛び去ろうとするめざめを呼び止める。
「今は夜だから、私が家で一人になっても大丈夫なのかな……って」
「一人? ああ、親がいないのね。私と同じ」
真昼は一人暮らししている。
両親はおらず、叔母さんの扶養を受けていた。もっとも叔母さんは超がつく仕事大好き人間だから、めったに会うことはない。海外支部でバリバリ働く叔母さんから定期的に送られてくる生活費で、真昼は生活していた。
「一人でいるところをあの吸血鬼……」
「第三継承者ね」
「第三継承者に襲われたら、ひとたまりもないかなぁー……なんて」
「大丈夫よ。吸血鬼は人の営みに祝福された領域へは、簡単に踏み込めない」
「……?」
「ロザリオを抱いて、聖書を枕元に置いて布団にくるまっていればいいのよ」
「そういうもんなんだ……うん、分かったよ。送ってくれてありがとう」
めざめはわざとらしくぺこりと腰を折って、
「私は貴女を守るナイトよ。――少なくとも夜の間は」
◇
木製の会衆席に腰を落ち着けて、真昼はそろりと視線を周囲へ巡らせた。
ステンドグラスには、聖母的なサムシングが描かれている。ちょうどガラスの向こうに太陽が昇っているらしく、線の縁が日光で潰れていた。
視線を落とすと祭壇があり、会衆席には教会を訪ねた人間の頭がちらほらと見受けられる。
真昼は目の前に、聖書がしまってある袋がぶら下がっていることに気づいた。
それを手に取り、ペラペラと頁をめくってみる。
(聖書って初めて読んだ)
さて、真昼の本題は教会の探険ではなかった。
ロザリオ。
真昼は差し出されたロザリオを受け取り、その姿を眺める。十数個の数珠と十字架で構成されており、ロザリオとしては小ぶりなものになるそうだ。
「こんなに小さいと、首にかけづらくないですか?」
「そもそも首にかけるものじゃないんですよ?」
「そうなんですか」
「手にして祈るものなんです。その数珠を数えながら、アヴェ・マリアって」
「へぇ……」
そうして真昼は聖具と呼ばれるものを手にした。
真昼自身に信仰心の類いはない。
けれど吸血鬼――第三継承者――から身を守ってくれるはずだ。
真昼の自宅は1DKだった。
叔母はもっと広いところに移っても良いと言ってくれるのだが、真昼の良心がそれを許さなかった。叔母とは血の繋がりがあるけれど、直接の親子関係ではない。
生活を支援して貰っているだけで、十分すぎるほど十分である。
自宅に舞い戻った真昼は、ようやくほっと一息ついた。
空にはぎんぎらぎんに輝く太陽。
しかし、第三継承者が現れないとは断言できない。
ロザリオと自宅(人の営みに祝福された領域)があれば、ようやく人心地つける。
「緊張した……勉強しよ」
ロザリオは別のストラップに結びつけて、首から提げることにした。
首から提げるものではないといわれても、真昼にはそれが据わりがよかった。彼女にとってその十字架は、信仰心を現すものではない。防犯ブザー代わりだ。
真昼は昼空を眺め、きたる週明けを想像した。
めざめを学校に導くのは……緊張する。




