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第4話 吸血鬼との契約


夜庭邸の内部は……想像と違った。


まず最初に気づいたのは、調度品の類いが洗練されている点だ。飾られているツボや絵画は当然として、それを置くための机も上質なものが選ばれている。おそらく、真昼が全く理解できない額で取引されているようなものなのだろう。


そして次に気づいたのは、埃が厚く積もっていることだ。


いかにも高価そうなツボの縁に沿って、数ミリの埃が積もっていた。


玄関をくぐってすぐに、吹き抜けのホールがある。床にはワインレッドの絨毯が隙間なく敷かれており、天井からはシャンデリアがぶら下がっていた。


だが、この絨毯も心なしか埃くさい。シャンデリアの放つ輝きもくすんでいるような気がした。


――本当に、幽霊屋敷みたいな様相。


真昼は、めざめに続いて階段を上がった。ホールの中央あたりから左右に湾曲する上り階段は、手すりのあたりにうっすらと埃を被っている。


「………………!」


階段を上りきって真っ先に視界に飛び込んでくるのは、一畳ほどもありそうな壁掛けの絵画だった。


油絵だ。様々なものがコラージュのように描かれており、統一のテーマは感じられない。


左端に陸上競技の選手が描かれ、国立競技場のような建物が描かれている。かと思えば、そのそばにはオムライスを食べる子供。中央あたりには女学生が身を寄せ合って、一冊の本を読んでいた。


右端の方には、意図的か絵が描かれていない。


「あまりじろじろ見ないで。恥ずかしいわ」


「……?」


恥ずかしいってどういうこと?


めざめは「ここ」とだけ言って、一室へ姿を消した。


真昼も部屋に踏み入った。埃だらけの道程とは違って、その部屋は清潔に保たれている。淀んだ空気から解放され、思わずほっと一呼吸吐いてしまった。


居間のような場所だ。


花柄のソファが向かい合って二脚、その間にテーブルが一脚。壁に沿って本棚が設置されており、そのそばの花瓶には花が挿してあった。


「紅茶でよかったかしら」


「えっ、あ、大丈夫……おかまいなく……」


「座って」


端的に促され、真昼はこわごわとソファに腰掛けた。緊張でカチコチに固くなっていた真昼は、ソファのクッション性の良さにびっくりしてしまう。


「…………」


部屋の隅でティーカップを用意する彼女は、どう見ても自分と同じ年頃の女の子だった。確かに作り物じみた美形だし、纏う空気感はただ者ではないけれど……。


『第三継承者』とやらが言うように、本当に吸血鬼なのだろうか。


ふいに蘇るのは、ノーモーションで十メートルを詰めた、第三継承者の超人的動き。翼を空気に叩きつけながら、まだ闇に染まりきっていない空へと消えていった姿。


そして何より、首に刻まれた怪力……。


「どうぞ。どうせ口に合うわ」


「ど、どうも……」


目の前に出されたティーカップも、これまた高価そうだ。いや、正直に告白してカップの善し悪しなんて分からないから、きっとよいものだろうという決めつけに過ぎないけれど。


なみなみと注がれた紅茶は、少し距離のある真昼の鼻腔をくすぐる芳醇さだった。


「よいしょっと。……あら、なぜ私を見ているの?」


「夜庭さんは……いったい何者なの……?」


「紅茶に口を付けてから質問してもらえる?」


「あ、ごめん、なさい」


指示通り、紅茶を口に含んだ。


舌の上を通り抜けていったのは、この茶葉特有の甘みと苦みだ。そしてそれが喉元を過ぎ去る間に、鼻から感じたことのない香気が抜けていった。口内から紅茶が消えても、その残滓は簡単には消えない。


思わず感嘆のため息をついていた。


「口に合ったでしょ」


「ため息も美味しいよ……」


「よい紅茶の前でため息なんて、私にはなかった発想ね」


「ごめんなさい……」


「それは何に対する謝罪? 生まれてきたこと?」


「良い紅茶の前でため息をついたことだよ!」


「なーんだ」


めざめも紅茶を飲む。自分と同じことをしているだけなのに、画になる。


ティーカップを置き、めざめも同じようにするまで待ってから真昼は口を開いた。


「――で、夜庭さんって吸血鬼なの?」


「そうよ」


「やっぱり、そうなんだ」


「驚かないのね」


「驚き終わってたんだよ……殺されかけたときに」


この質問はあくまでジャブ。彼女が吸血鬼であることは前提だ。

真昼が本当に知りたいのは、吸血鬼とはいったいどんな存在で、なぜ真昼が狙われたのかということ。


「知りたいことがあるなら、テキパキ答えてあげるけど」


「……じゃあ、どうして私はさっきの吸血鬼に、殺されそうになったの?」


「分からないわ。次」


「じゃあ――って、いやいや! えっ、分からないのっ⁉」


「あいにく私は、千里眼を持ち合わせていないのよ。だから知らないことはある。けれどそれは希望よね。まるで尽きることのない寿命という渇きを、知識という飲み干しきれない膨大な水で潤すことができるのだから。私は知らないことに感謝したいわ」


「私は感謝できないよ!」


「なぜ?」


「殺されかけてるから!」


自分を落ち着かせるため、真昼は紅茶を二口含んだ。不思議なもので、瞬く間に気分が落ち着いてくる。


怒鳴っても、得られる知識は変わらない。まずは現状を把握する方が先決だ。


二、三深呼吸して、再び口を開く。


「吸血鬼が人間を襲うってことは、血が目的……とかじゃ、ないのかな」


「その可能性はあるけど、殺そうとするのは解せないわね」


「そうなの?」


イメージでは、吸血鬼は沢山の人間の血を吸って眷属にしてしまう。ゴーストタウンや廃城に吸血鬼が出現した、なんて展開は物語では定番だ。


「確かに私たち吸血鬼は、食事や力を得るために吸血することはある。けれど人を殺すまで血を吸ったり、まして殺してから血を奪うなんて考えづらいわね。だって生者からでないと力を得ることはできない。それに、死者の血は不味いもの」


「そ、そうなんだ……」


吸血鬼あるあるを知ってしまった。


「むしろ吸血鬼は、同じ吸血鬼と相争うのよ」


「吸血鬼同士……? 縄張り争い、みたいな?」


「『爪』の奪い合いよ」


「つ、つめ……?」


耳馴染みのない言葉だ。もちろん真昼の指にくっついている爪とは別物だろう。


「『爪』というのは、吸血鬼が持つ独自性。いわば固有の権限よ。他の吸血鬼よりも優れていたり、他の吸血鬼が持っていない能力のこと。吸血鬼たちは、互いの『爪』を奪い合って、争うの」


「例えばさっきの吸血鬼……」


「第三継承者ね」


「……第三継承者を、夜庭さんが倒したとしたら……」


「第三継承者が持つ『爪』を、私のものにすることができる。現在私は自分の『爪』しか持っていないから、二つ目の『爪』を継承することになるわね」


吸血鬼としてパワーアップするためには、他の吸血鬼を倒して『爪』を奪わなければいけない。だから吸血鬼は相争う運命にあるわけだ。


「第三とか、あと夜庭さんが第四? 継承者って呼ばれていたけど……それって吸血鬼の肩書きみたいなものなんだよね」


「そうね。確か第七継承者までいたはずだけど」


「つまり吸血鬼は七人しかいないってこと?」


「さあ? 少なくとも、私と同じような吸血鬼は最大で七人ね」


最大で、という言い方が引っかかった。

そしてすぐに納得する。


「他の吸血鬼から『爪』を継承すると、継承元の吸血鬼は消えちゃうから……」


「そうよ。だから最大七人。今でも七人いるとは考えづらいわね。私の知らないところで継承が生じたと考えた方が、ずっと自然よ」


「そっか。でも七人かぁ」


多いのか少ないのか。

真昼はその中の二人と会っているのだから、少ない気がしてしまう。


「ひとまず納得してくれたのかしら」


「そうだね……吸血鬼の存在を受け入れた時点で、もうなんでも受け入れられるよ」


こっそりと、正面に座るめざめを一瞥する。彼女は吸血鬼だ。日光とか十字架とかニンニクとか、そういうのはやはり苦手なのだろうか。


目の前の少女が日差しの中で消えてしまう姿は、想像するにぞっとしない。


すぐに妄想を打ち消した。


「……あ、あの夜庭さん」


「なにかしら?」


「一つ、聞きたいことというかお願いがあるというか……」


「あら、私にいきなりお願いごととは、どれだけ面の皮が厚いのかしら」


「返す言葉もないんだけど……でも、夜庭さんにしか頼めないし……」


「なに?」


「私を、第三継承者から守って欲しい……んだけど……」


しん、とその場に訪れる静寂。

頼んだ本人とて、いきなり厚かましいお願いであることは自覚している。めざめが次に口を開くまで、彼女はじっと待った。


「報酬次第かしら」


「!」


「第三継承者がなぜ貴女を狙ったのか分からない。けれど可能性として、私の家を訪ねたせいで……つまり私と関わりを持ったせいでというのは考えられる。もしそうだとしたら、私はなにも悪くないけれど、貴女は可哀想だもの」


「いい人だね、夜庭さん」


「いい吸血鬼なのよ」


「なら、報酬はこんなのでどうかな。……私が夜庭さんを、学校に通えるように全面バックアップする! 日差しにあたらないように工作するのはもちろんだし、勉強を教えるとか、ともかくできることはなんでもする! どう?」


「学校ねぇ……」


真昼は内心、この要求が通ってくれれば一石何鳥にもなると考えていた。

そもそも真昼は、めざめが学校に来る気がないかを確認するためにここを訪ねたのだ。


ますます厚かましいけれど、そのくらいギャンブルに出たい。


(だって……)


『必要ないわ。帰って』『つまり私と関わりを持ったせいで』


めざめは孤独を愛しているかもしれない。

吸血鬼の百年の孤独だって、なんでもないことかもしれない。

けれど、ほんの少しでも寂しさが残っているのなら。真昼が聞いた言葉の端に滲んでいたものが、悲しさだったとしたら。


真昼には放っておけない。


たとえ疎んじられても、押しつけがましいとしても、手を差し伸べたいと思うから。


「いいわよ」


「! いっ、いいの!」


「学校に行くことで、貴女の身辺保護にもなるだろうしね。ただ……」


「ただ……?」


めざめは人差し指を立て、宙をなぞってから真昼を指さした。


「そのためには、血を貰うことになるけど」


「…………え?」

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