第29話 エピローク/ピロートーク
真っ白なシルクのベッドシーツの上に、真っ白な肢体が転がっている。
夜庭めざめと佐伯真昼は仲睦まじく、まるで寒さに耐えようと身をすりあわせる獣のように抱きしめ合っていた。
互いの鼻先がくっついて、これまでに感じたことのないくすぐったさを覚える。少し息を吐き出せば、それが相手の唇を乾かすほどに至近距離だ。
二人以外に、そこには何もない。
物音も、時間も、あるいは世界さえも。
そこには二人しかいなかった。
「ねぇ…………」
とても小さな声だった。
めざめの呟きは、いつもより湿って聞こえる。
「なに? めざめちゃん」
「私、孤独で、寂しかったわ」
「奇遇だね。私も寂しかったよ」
「そう。奇遇ね」
いつもより言葉数は少ない。
けれどいつも以上に深く深いところにまで潜り込んでいくような、密度のある言葉に感じられた。
どうしてだろう。
「ねぇ…………吸血鬼の瞳は、見るものによって変化するって、言ったわね」
「うん。聞いたね」
「でも、吸血鬼のその眷属には、本来の瞳の色が見えるらしいわよ」
「へぇ……そうなんだ」
「真昼ちゃん。貴女は私の瞳が――何色に見える?」
「とても、素敵な色だよ」
「……嬉しいわ」
口元をほんの少しだけ緩めて、めざめは言った。
少しの沈黙ののち、まためざめが口を開く。
「ねぇ…………私、貴女に嘘を吐いていた」
「嘘?」
「嫌わないと誓うなら、打ち明けるわ。どうかしら」
「分かってるくせに。めざめちゃん面倒くさい彼女みたい」
「小生意気な眷属ね……」
真昼の言葉は事実だった。
今の二人は繋がった後だ。もちろん、吸血鬼とその眷属として。
それ故に彼女らはある意味では一つの存在のようであり、多少の感覚は共有されている。真昼がちょっとやそっとのことでめざめに幻滅するなど、二人の間に満ちた充足感からすればあり得ないことだと簡単に分かった。
それでも訊ねるのは、ある意味自分の心を落ち着けるためだ。
少しして、めざめは述懐を始める。
「私、貴女と初めて会話したとき……血をもらう約束をしたとき……貴女のことを私の眷属にするつもりだったの」
「そうだったんだ?」
あの時交わした会話を真昼は思い出していた。
『吸血鬼とか眷属になっちゃわない……?』
『私、眷属を作るのは苦手なの。それに吸血鬼にもならないわ』
『そ、そうなんだ』
けれど本心では眷属にしようと思っていたなら、なるほど確かに嘘である。
「ほんの思いつきだったの。純然たる善人の貴女を汚して、意地悪してやりたかった。だけど私は眷属を作るのは苦手だったの。だから……」
「何度も吸血をしたってこと?」
「ええ。太陽を克服するために貴女から血をもらった。それは事実よ。だけどそれだけじゃなくて、眷属にするために血を吸ったこともあった。貴女の身体は少しずつ頑丈になっていったと思うわ」
「だから夕片さんに襲われても死ななかったのかな?」
「次第に私は、貴女がどこにいるのか分かるようになった。眷属としての繋がりが生じ始めたのよ。だけどその時には、怖くなってしまった」
美しく輝き、皆に愛される佐伯真昼。
彼女を吸血鬼の世界に――夜に引きずり込んでしまうことが。
そして、自分の嘘が露見して真昼に心底失望されることが。
恐ろしくて、怖くなった。
「貴女を突き放そうとしたのは、私の保身もあったのかもしれないわね。いえ、あったはずだわ。人と吸血鬼は分かり合えないなんて、それらしいことを言っていただけ。本当は真昼ちゃんの中の夜庭めざめ像を壊したくなかっただけ」
「今は恐ろしくないの?」
「……そうね。幸せすぎて恐ろしいかもしれないわ」
「あはは。うん……私も」
無限に続く時間。
永遠にも思える時間。
二人はただ、睦言を交わして過ごした。
昼と夜が混じり合って、街が夕暮れに染まり始めてもそうしていた。
「ねぇ…………」
「なあに、めざめちゃん」
「私ね……ファーストキスが血の味だったの」
「!」
その告白は、嘘を打ち明けるときより気恥ずかしかったのだろう。
めざめの頬が僅かに紅潮していることに気づいた。
「そうなんだ……奇遇だね」
「あら。真昼ちゃんもそうなのかしら?」
「うん。とっても奇遇なことに……ファーストキスは血の味だったよ」
「へぇ、そう。とっても奇遇ね」
「うん。奇遇」
「ねぇ…………真昼ちゃん」
「なあに?」
「私、今日は血を吸っていない。だからきっと……血の味はしないと思うわ」
真昼は思った。
いつまでもこの時間が続けばいいのに、と。
完
ひとまず完結です
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