第26話 ジュテーム、ジュテーム
佐伯真昼は公園の最奥、暗がりに立っていた。
めざめは公園の入り口に降り立って、その背中に声をかけた。
「遅れてしまったかしら?」
「ううん……ちょうど、よかった……よ」
「? そう」
真昼の声が僅かに震えているように思えたが、めざめとの別れを涙ながらに惜しんでいるなんて想像は自分に都合が良すぎるので、すぐに捨てた。
真昼は背中を向けたまま、表情は読み取れない。
やはり都合のいい妄想だ。
めざめは自分の頭上を見上げる。
偶然、彼女の頭上には街灯が輝いていた。
太陽の下に生きてきた真昼が暗がりに佇み、夜の中でしか生きていけないめざめが煌々と照らされている。皮肉な絵面だとめざめは口元を緩めた。
「これ――」
懐から手紙を取り出し、それをひらひらと振ってみせる。
真昼からの呼出状である。
「――私に、愛の告白でもするつもりなのかしら?」
「うん。……そう、だよ」
真昼はそう答えて、身体を僅かにこちらに向けた。
半身になって、横顔だけしかうかがえない。その表情は冗談を口にしているような雰囲気はなく、むしろいつもより、ずっと険しいものに見えた。
「あら。……照れるわね」
「めざめちゃん……」
「なにかしら」
「私、めざめちゃんの孤独を救うよ」
「そう、難しいと思うけれど」
わざと突き放したような言い方をした。
自分の孤独を誰かに押しつけようとは、めざめは思わない。
「だからめざめちゃん――私と、ずっと一緒にいよう」
「それは無理だって、言ったじゃない」
気持ちの問題ではない。
人と吸血鬼が一緒に居続けるのは不可能なのだ。
今まさに生まれつつある二人の間の軋轢、相違、歪みのようなモノは、加速度的に大きくなる。やがて完全に関係が終焉を迎え、互いの存在を憎むようになる前に、ここで終わりにした方がいい。
めざめが吐いた嘘も、なかったことになる。
「これ、でも……?」
真昼は右腕を持ち上げた。
その手元は闇に紛れている。けれどめざめの視力は、それをはっきりと視認した。
刃物だ。
大ぶりの、刃渡り数十センチ。どこで手に入れたのだろう、華奢で華やかな真昼には似つかわしくない野蛮な凶器である。
「私を刃物で脅すつもり?」
「………………」
「そんなに……」
そんなにも、真昼は真昼でなくなってしまったの?
めざめは愕然とする気持ちを押しとどめられなかった。
楽天的で優しい少女。
不登校少女を学校に連れ出そうとするほどの善人で、奉仕活動に喜びを見いだす被虐嗜好。めざめの冗談に目を白黒させ、あたふたとしながらも吸血のために首を差し出す純真な女の子。
素直な彼女を歪めてしまったのは、やはりめざめだ。
思いつきレベルで始めた『嘘』が招いた代償である。
「……吸血鬼に、刃物で戦うつもり? 真昼ちゃん、貴女に脅しは似合わないわよ」
「うん、そう、思うよ……だから」
からん、と甲高い音が鳴った。
真昼の握っていたナイフが地面に落ちたからだ。
「真昼ちゃん、貴女…………?」
半身にしていた姿勢を、完全にめざめの方に向けた。
見慣れた、制服姿の真昼。
暗がりの中でもまるでそこだけが昼間のように、白く輝いて見えた。
けれど彼女の制服姿は、普段と違って穢されていた。日向に落ちた影のように、どす黒い染み。
「真昼ちゃん……っ!」
次の瞬間、めざめは脱兎のごとく駆け出した。
状況を理解したのだ。
真昼の腹部には、刃物による刺し傷が深々と穿たれているということに。
「めざめ、ちゃん」
ぐらりと真昼の身体が揺れて、地面に崩れ落ちた。駆け寄っためざめは彼女を抱き起こして、腹部の傷を検める。
ぞわりと、怖気がめざめの背筋を走った。
確実に内臓を傷つけている。
生半可な傷ではなかった。制服に穿たれた穴から絶え間なく血液があふれ出し、それに伴って真昼の全身が僅かに震えている。
あと数分も放っておけば、失血死してしまうだろう。
真昼の全身からどんどん失われていく体温。
「貴女、自分で……っ」
「どう、する……? めざめちゃん」
暗がりの中、初めて真昼の表情をはっきりと見た。
そこには、血を流しているとは思えないほど穏やかな、いつもの佐伯真昼がいた。
「あ、あなた……なにを……」
「私……めざめちゃんを……救うって、言ったでしょ……」
「なにを……言って……」
「私を救うには、私に……吸血鬼の力を、継承、するしかないよ……?」
「――――っ」
ガツンと殴られたような衝撃を覚えた。
夜庭めざめを吸血鬼の孤独から救うために、吸血鬼の力を自分で引き受ける。そこまでなら、まだ発想することができた。めざめにだって、この力を誰かに押しつけてしまいたいと願ったことがある。
けれど引き受けるために、目の前でこんなことをしてみせるとは。
どうする? どうする? どうする?
めざめの思考が熱を帯び、ぐるぐると回転し始めた。
「もし、もし断られたらどうするつもりだったのよ……!」
「もし、このまま死んだら……」
真昼の息が細くなっていく。
今まさに、自分の腕の中で愛する彼女の命が潰えつつあると思うと、恐ろしい。
「もし、めざめちゃんを救えなかったなら……最期にめざめちゃんと会えて、良かったと思うよ……」
「あなた……救いようのない、バカね……」
その時、めざめの脳内に訪れた暴風雨のようなノイズは、逡巡と呼ばれるものだった。彼女の無味乾燥で平坦な生涯にはほとんど訪れたことのない、迷い。
どうすればいい?
脳裏によぎるもの。
それはいつか、めざめが第四継承者を継承したときのことだった。
(あの時と、立場が逆――)
どんどん真昼の体温が失われていく。もう猶予はないらしい。今すぐに、選択肢を選び取らなければならない。
「そうね、真昼ちゃん……私は私の責任をとるわ」
呟いて、めざめは吸血鬼の力を全開にした。
この選択を後悔する日がくるのだろうか?
めざめは暗闇に取り囲まれているような、茫漠たる寄る辺なさに苛まれた。
* * *
目を覚ます。
視界いっぱいに広がるのは、星屑が美しい夜空である。
暗闇というよりも、一切濁りのない青色のように思えた。目を覚ました直後は、自分の置かれている状況が分からず、パチパチと視線を彷徨わせる。
(ここは……えーっと……何してたんだっけ、私)
真昼はようやく、自分の状況を思い出した。
そうだ、めざめちゃん!
上体を起こし、周囲を見回した。めざめはすぐそばに倒れていた。
まるで座礁したクラゲのように力なく地面に横たわった彼女は、そうしていると死んでいるように見える。真昼は慌ててめざめの首筋に手をやって、確かに脈動があることを確かめた。
「よかった……」
めざめの健在を確かめた後、今度は自分の無事を確かめる。
腹部に手をやると、制服が血液でぐっしょりと濡れている。だがその奥、真昼の腹部には傷がなかった。
意識を失う直前まで、想像を絶する痛みがそこに這い回っていたのに。
「傷が治ってる……ということは……」
佐伯真昼は吸血鬼の力を継承した……?
意外なことに、体感は人間であったときと何も変わらなかった。
プラシーボ効果かもしれないが、少しだけ五感が鋭くなったような気はする。
真昼は立ち上がって、めざめを背中に背負った。身体を多少揺さぶった程度では、めざめは少し呻くだけで目覚める素振りを見せない。
(ほっとする……ような、残念なような……)
めざめは意識を取り戻したとき、何を言うのだろう。
感謝してくれるかもしれないし、悲しむかもしれない。
あるいは真昼がそうしたのと同じように、真昼の暴挙に怒りを示すのだろうか。
(私にも催眠術……使えるのかな)
吸血鬼の力を無理矢理継承する真昼の計画には、少しだけ続きがあった。
めざめや周囲の人間の記憶を――めざめがしたように――書き換えて、夜庭めざめが当たり前のように学校に通えるようにしたいのだ。佐伯真昼が当たり前のように享受していた人生を、彼女に与えたい。
めざめの幸せを決めつける傲慢な行いのようだけれど……。
「でも、私がそうしたいって決めたんだ」
少女一人を背負って歩くのはさほど辛くなかった。
真昼が肉体的に優れているためなのか、それとも吸血鬼になったためなのかは分からない。おそらくは後者だろう。めざめがいくら華奢な部類といえど、数十キロもある身体を担いで真昼がふらつかずに歩けるのは、尋常ではないからだ。
(私、吸血鬼になったのかな……本当に)
翼の出し方も、空の飛び方も分からない。
だからせっせと徒歩で町の方へと歩いて行った。
夜の世界を自由自在に舞い踊る吸血鬼が、地道に歩いていると思うとずいぶん間の抜けた話だ。めざめならきっと、優雅に夜空を駆け抜けるのだろう。
「ちょっと君、学生でしょう。ダメだよこんな時間に」
人家や飲食店などがまばらに並ぶくらい町の方へと戻ってくると、すぐさま真昼は二人組の警察官に呼び止められた。制服警官で、おそらくはすぐそばのスーパー裏手にある交番に勤めている人たちだろう。
そういえば真昼は制服姿だった。
「補導するから――って、君! 血だらけじゃないか!」
その瞬間、真昼は自分が置かれた状況を思い出した。
彼女が身につけているのは学校の制服だ。
その腹部には大量の血痕が付着している。それだけではない。彼女は背中に、気絶した女の子を背負っている。一見しただけで尋常ならざる事態であることは明らかであるし、問い詰められてもうまく言い訳する自信がなかった。
(なんて言い訳しよう……、どうしよう、どうしよう!)
「これは、その――いったい何なんだ?」
「おまわりさん」
真昼は意を決し、自分の肉体に秘められているはずの潜在能力を思い起こす。
催眠術。
人を完全に操ることはできない。けれど今ここで、真昼たちと出会った事実だけを忘れてもらうくらいのことは、容易いはずだ。
ちらりと真昼の瞳に、赤く光るものがあった。
「なんだ? とりあえず近くに交番があるから、そこで話を……」
「私たち、急いでいるので――行ってもいいですか?」
成功した、と直感する。
ともかくいつもの発声とは、何かが違った。
真昼の言葉と瞳をのぞき込んでいた警察官は、浮かべていた怪訝げな表情を途端に引っ込めると、「ああ……」と力なく返答した。
そして、目の前から真昼がいなくなったかのように、どこかへと歩き去ってしまう。
本当に、成功してしまった。
「私……ホントに吸血鬼になったのかな、めざめちゃん」
ちょっぴり、恐ろしいと思った。




