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第24話 心のオーナー

「私の存在を消すのに、『夜庭めざめ』という生徒の立ち位置はとても都合が良かったわ。本来は不登校で、学校に来ても人の輪には加わらない。いてもいなくても、それほど代わり映えのしない人。……それに、容貌が目立つのも良かったわね。私に対する印象が、見た目だけに集約するから」


「……そんな話、聞きたくないよ」


「人と吸血鬼とは、関わり合うべきじゃないのよ」


真昼の反駁を、ぴしゃりとめざめが遮った。

そこには、反論を許さないとげとげしさと素早さがあった。


瞬く間に突きつけられた刃の切っ先のように、喉元が少しでも動けば貫かれる危うさ。

真昼は気圧されて、続く反論を呑み込む。


「第三継承者――夕片翔子に襲われた理由は、私をこの居城から引きずり出すためだったのでしょう。ならなおのこと、私と関わるべきじゃないと思わない?私が貴女を守り、貴女が私を学校へ連れ出す……その関係は、はじめっから第三継承者の思うつぼだったのだから。まるっきり滑稽な関係なのよ」


「めざめちゃんは私のこと――友達だと思ってくれないの?」


「そんなわけないじゃない」


「っ、なら!」


ごく当たり前の事実を確認するようにめざめは言った。二人の間に結びついた、おそらくは恋愛感情よりも強固な友情は、未だほつれていないのだ。


だというのに、距離をとるだなんて――。

意味不明じゃないか!


「私にとって貴女との関係はとても尊いものだった」


「……ありがとう」


「緊迫した状況でお礼を言うとはね。どういたしまして」


冷え切った空気に、僅かに湿度が戻った。

けれど強ばった面持ちのめざめは、その表情を崩さない。


「きっとこの先……そうね、具体的には五十年くらい……貴女との思い出を抱いて生きていけると思うわ。だからここからは、互いの日常に戻るのよ」


「そんなのやだよ……やだ」


「貴女は貴女の生活に戻るべきなのよ。沢山の友達と、無意味に時間を過ごすべきだわ。無価値な奉仕労働に肉体を疲労させて、どうだっていい勉学に精を出せばいい。そして、幸せに死ねばいいのよ」


「互いの日常に戻る――って」


それはつまり、めざめにとっては無感動で孤独な日々が始まることを意味する。

彼女ははっきりと言葉にしていた。


自分のかつての生活には、文字通り何もなかったと。


そこへ、自ら戻っていく? この僅かな期間の記憶だけを持って?


「やっぱり、そんなのダメだよ!」


「もう、決めたことなのよ」


途端、めざめの瞳が怪しく光った。

赤い瞳から発せられた赤い気配は、真昼の周囲を瞬く間に取り囲む。それがなんなのか、真昼には分からない。

けれど直感がその正体を告げていた。


催眠術。


そう判断した途端、真昼は踵を返して脱兎のごとく駆け出していた。

部屋を飛び出し、階段を転がるように下り、夜庭邸を去る。

十代の女子にしては相当な健脚でもって、彼女は未だ日差しの残る町並みへと消えていった。あのままめざめの前にいては、真昼の中からも記憶が奪われかねない。


(どうして――どうしてそんなこと、しようとするの!)


真昼の中にあった気持ちは悲しみではなかった。

怒り。

たとえ自身を思うが故の決断であったとしても、真昼にはこみ上げてくる怒りが押しとどめられなかった。


「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁっ」


顎から大粒の汗が滴り落ちた。ずっと全力疾走していたから、肺が軋むように痛む。膝や大腿部は無様に蠕動し、額から汗がボタボタと流れていた。


そこにひとしずく、他とは異なる雫。


唇の上を通って、顎のあたりで消えてしまった涙の後をこすって、真昼はようやく顔を上げた。


「私は、なにがしたいんだ。それをはっきりさせよう」


私はどうして怒っているのだろう。


それは単純だ。


夜庭めざめの決断が、真昼のことをとても大切に思っているが故のものだと分かるから。

めざめの言うとおり、きっと吸血鬼と人間は共だって生きていくことのできない種族なのだろう。めざめとその母が永遠のお別れをしたように。

だから彼女は、真昼を突き放そうとした。


(だけどそれは、優しすぎるよ)


初めて夜庭邸に顔を出したとき、めざめがとりつく島もない態度だった理由と、きっと同じなのだ。

吸血鬼である自分に、人を巻き込むまいとした。

自分が孤独であれば、他は万事うまくいくと彼女はそう判断したのである。


だからあの廃墟然とした屋敷に一人で暮らしていた。


(だから私は、怒っているんだ)


めざめ自身が、めざめのことを救ってあげようとしていないから。

夜庭めざめだけがずっと孤独で、救われていないままだから。


(なら――私がしたいことはたった一つ)


真昼は再び走り出した。

自分が具体的に何をすべきか、思考を巡らせるためだ。身体はヘトヘトなのに、それでも無酸素状態や肉体の疲労を彼女は欲していた。

もやがかかった思考の奥にある、アイデアをつかみ取るため。


(私は、今度こそ――夜庭めざめちゃんを、孤独から救うよ)


そのために、自分にできることを全て出し切ろう。

真昼の決意は夕暮れの中に、確かに輝いていた。


  ◇


夜庭めざめのいない学校生活は退屈で仕方がなかった。


――いや、学校は楽しいのだ。


大好きな友達が沢山いて、面白い先生たちに囲まれて、数式に頭を悩ませている瞬間でさえ充足感に満ちている。けれど、それでもその生活には大切な友達が足りない。


「何やらお悩みですなぁ。真昼ちゃんっ」


「綾ちゃん。京子ちゃんも。職員室行ってきたの?」


「ノートの運搬なんて、いちいち生徒にやらせないで欲しいものよね」


「確かにねぇ~」


佐藤綾と仁多京子が、自然な所作で真昼の周囲の空席に腰掛けた。

そうやって、休み時間に誰かの席を陣取るのは、ごくごく当たり前の行為だ。そうやっておしゃべりしている時間が、学校の中でも群を抜いて楽しい。


「何にお悩みかな?」


「え、うーん……」


正直に言うわけにもいかない。

真昼は少しだけ考え込んでから、適当な作り話を思いついた。


「私、両親がいなくて、叔母さんに育ててもらってるんだけど……叔母さんがこの間、真昼は一人で生活し続けた方がいいって言ったんだ。なんでも、直接の両親じゃないから、ある程度距離をとって生活した方がいいって」


「ふーむ……家庭の事情というヤツですか~」


「他人の事情に遠慮なしに踏み込むのも失礼な話だけど……真昼は叔母さんがそうやって遠慮しているのを、気にしている感じなの?」


「うん。そんなこと気にしなくていいのにーって思うんだよね」


あながち、完全な嘘というわけでもない。


叔母は真昼に遠慮して、私生活に干渉しないよう振る舞っている。顔を合わせるのも、一年のうち一ヶ月ほどだ。

だが、めざめと違って叔母は仕事が生きがいだと公言してはばからない超ビジネスウーマンだ。真昼と共に過ごすよりも、海外を股にかけて成績を伸ばす方が、よっぽど居心地がいいのだろう。だからこそ、真昼も放任状態を甘んじて受け入れられるわけである。


だからこのたとえ話は、完全にめざめのことを指していた。


「うーん……陳腐な意見だけど、本音を伝えてみる……とか?」と京子。


「でも、叔母さんは海外を飛び回って仕事してるから、直接会うのも難しいんだよね。電話しても、忙しい人だから時間をかけるのも申し訳ないし……」


「真昼ちゃんも遠慮してるところ、あると思うけどねぇ~。なら、思い出の場所を巡るとか? 叔母さんと一緒に遊んだ公園とか。案外そういうとこに、ヒントがあるもんでさあダンナぁ。灯台モトクラシーってヤツですね」


「この場合、過去の思い出にヒントがあるとは思えないけど……でも、真昼が考えを整理するのに役立つかもしれないわね」


「思い出の場所、かぁ……」


めざめとの思い出の場所……それは、どこになるのだろう。

なんてことない会話だったけれど、真昼にはヒントになった。


  ◇


めざめとの思い出の断片を追いかけてふらふらと校舎を徘徊する。


そうしていると、至る所に記憶の欠片が見つけ出せた。


夜庭めざめという存在が、いかに自分の中に浸透しているかを実感した。

校舎の隅にある二脚の椅子に二人で腰掛けて吸血したことがある。空き教室に陣取って昼食を摂ったこともあった。最上階の階段に腰掛けてだべったり、夕暮れに染まりゆく町並みを廊下の窓から眺めていたこともある。


短い期間だ。

けれどとても長い時間を過ごした。


グラウンド脇にある体育倉庫は、思いがけず命がけの現場となった。第三継承者、容貌を偽った夕片翔子に殺されかけて、めざめが助けに来てくれたのだ。自分の翼が黒い炎に包まれてしまうことにも、まるで気にとめず。


(やっぱりめざめちゃんは、ちゃんと私を守ってくれてたよね)


彼女は自分が全ての元凶だから、などと言う。

けれどそれを言えば、真昼が夜庭邸を訪れたことが全ての始まりだ。


夕片翔子が真昼を使える駒だと判断したのも、めざめを外へ連れ出すことになったのも、二人の関係が肉体的に結びついたのも。


肉体関係は始めるものではなくて、始まっているものだ。

それの原因を掘り進めていけば、関係の終焉しかない。


そんなの、真昼にはゴメンだ。


真昼の足は体育館へと向かった。

放課後になると、バレー部やバスケ部が全身に汗してコートを走り回っている。彼女らの頑張りを横目に、真昼はこそこそと舞台脇に消えた。扉を一枚隔てただけで、選手の声がずっと小さく聞こえるのだから不思議だ。


「ここも思い出……なのかな」


埃っぽい、長らく使われていないことが明白な舞台脇。

めざめに押し倒されて、汗のにおいを指摘された場面だ。床にうっすらと積もった埃も、めざめの背後で差し込んだ陽光にちらちらと輝く塵芥も、遠巻きに騒ぐクラスメイトの声も、今まさに起こっている出来事のように思い起こすことができた。


吸血行為を思い出と呼ぶのなら、思い出だ。

めざめはそれを嫌がっているのかもしれないけれど。


真昼は手首を持ち上げて、そっと自分の鼻に押し当てた。自分の手首からは、幸いなことに汗のにおいがしない。


今日は体育がなかったから。



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