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第23話 凍てついたベッド

「真昼ちゃん」


空が夜の青に塗りつぶされつつある、宵の口。自宅へと戻ろうとした真昼は、ここまで送り届けてくれた夜庭めざめに呼び止められた。

足を止めて、振り返る。


めざめの背後、路面が濡れて灯ったばかりの街灯がぼんやり映り込んでいた。

昼のにわか雨はほんの一時間ほどだったけれど、夜庭めざめという少女の艶やかな立ち姿を極めて印象的に演出する。


まさに夜の主――『吸血鬼』。


目の前の女の子が、異形の者であることを思い出した。


「どうしたの?」


「身体、大丈夫かしら」


「うん。大丈夫だよ」


頭はずっしりと重たいし、気が緩めば足取りは左右に振れてしまう。けれど昨日のコンディションと比すれば、はるかにマシだった。

大丈夫、というのはあながち誤りでもない。


「そう。今日も沢山血をもらったから、どうかと思ったのよ」


「心配してくれてありがとう」


「いいえ。…………真昼ちゃん」


「なに?」


「さようなら」


「うん。また明日、ね」


重たくなった全身をようやく自宅のベッドに運ぶと、シャワーを浴びる間もなく真昼は眠りについた。


夜更けまで起きていられないほど肉体が消耗している。


どうせ早くに眠れば、早くに目覚めるのだ。朝一にシャワーを浴びて、夜庭邸に足を運び、血を与える。

すっかり日常となったルーティンを、明日もまたこなせばいいだけだ。


けれど真昼の想定とは違って、明日は予想通りの一日にはならなかった。


  ◇


いつものように、夜庭邸を訪ねる。


何度訪れても、この場所は異様だった。


なんの変哲もない一戸建て建築の隊列の中に、時代も国も間違えたような荘厳な屋敷が佇む。

ツタやコケ、そして誤魔化しようのない経年劣化が絡みついた門扉の奥には、鬱蒼と生い茂る雑草やまばらに咲いた花々が見えた。

幽霊屋敷と噂されるのも無理からぬことだ。


(って言っても、あの噂…………)


あれは真昼をめざめに近づけるために、夕片翔子が張り巡らせた罠と考えることもできる。本当は誰もそんな噂していなくて、真昼の感心を集めるためにそんな作り話をしてみせたのかも。


真昼はいつものように門扉を押して――違和感に気づいた。


「あれ…………?」


いつもなら何の抵抗もなく開く鉄製の門扉が、確かな抵抗感を示した。

施錠されているのだ。

多少力を込めても、ガチャガチャと鳴るだけで閉じたままの扉。


「めざめちゃーん!」


ご近所迷惑にならぬよう気をつけながら、声を張り上げる。

だが真昼の呼びかけも、時間の制止した庭園に転がって霧散していった。遠慮がちの大声とはいえ、めざめの耳元にまで届いたとはとても思えない手応えである。


(まだ寝てるのかな……? うーん、どうしよう)


夜庭邸は周囲を背の高い壁で囲われている。

無理をすれば乗り越えられるだろうが、泥だらけになって怪我を覚悟する必要があった。

本音を言えば、朝一に制服で地面に転がるのはゴメンである。


「待ってから、学校に行こうかな」


幸い、朝早くに家を出た。少しばかり時間を潰しても、遅刻せずに学校へ向かうことができるだろう。


小一時間ほど待って、真昼は学校へ向かった。

そろそろ向かわないと遅刻してしまうのと、それだけまってめざめが姿を現さないのは、よほど眠りが深いと判断したのだ。

めざめには申し訳ないが、今日は欠席になる。


(一人の通学路は久しぶりな気がするなぁ)


少し前までは、当たり前だったのに。

夜庭めざめの存在が日常の一部になっていることを実感して、おかしい。

吸血鬼の友達ができるなんて。


普段より二十分ほど遅れて教室に辿り着くと、真っ先に違和感に気づいた。

何か分からないけれど、何かが足りない。毎日見るものが微妙に歪んでしまっていることに、ある瞬間気づいたときのような微かな不穏。


「どーしたのー、ぼーっとして」


「あ、おはよう。綾ちゃん」


「おはよっ。珍しくギリギリだねぇ」


「うん。めざめちゃんが体調不良だったみたいで、待ち合わせできなかったんだ」


「へー? それって別のクラスの子?」


ごくごく当然のことを訊ねるように、綾が言った。

瞬間、喉元から冷たい何かがせり上がってくる。予感にも似た何かだった。

だって綾は、質の悪い冗談を言うようなタイプの子ではないから。


「……どういう、意味?」


「ん? あれ、アタシその子と知り合いだっけ。うわーっ、最低なこと言ってたかも」


「このクラス、だよね?」


「えー。さすがにそれはないよ。あはは」


薄ら寒い心地がどんどんと強まる。何も失っていないのに、腹部を這い回る正体不明の空虚さ、喪失感。


「ちょっと、ごめん」


真昼は綾との会話を打ち切って、教室を見回した。

違和感の正体――それは、席が一つ足りないことだった。先日までめざめがちょこんと腰掛けていた席がない。

どくん、どくんと心臓が脈打つ。


(どうして――――?)


  ◇


数時間も学校にいれば、状況が飲み込めてくる。


夜庭めざめという存在が、この学校から消えてしまっていたのだ。


同級生の記憶からも、担任を初めとした教師陣の記憶からも。

彼女が使っていた席もロッカーも空きになっていて、綾や京子の記憶からめざめについての噂話をした記憶すら消えてしまっていた。


それだけではない。


夕片翔子についての認識も消えていた。

彼女はめざめに打倒されて以来、学校に来ていない(当然だけれど)。

だからクラスメイトは、翔子はよほど体調を崩してしまってこられないのだろうと噂していた。

ところが今日になって突然、翔子の存在を忘れてしまったように振る舞っている。


いや――事実そうなのだろう。

二人の存在を、忘れているのだ。


(まるでめざめちゃんの存在が、幻だったみたいに……)


けれど幻であるはずがない。

首元には今でもロザリオがぶら下がっているし、真昼の首筋には塞がったばかりの傷が残っているのだから。


(可能性は……ひとつ)


吸血鬼の権能の一つ。


催眠術。


めざめ自身が言及していた。催眠術は万能ではないけれど、人の記憶を多少ばかり操作することが可能であると。


(それができるのは、『継承者』と呼ばれる吸血鬼か……それとも)


真昼は夕刻、再び夜庭邸を訪ねていた。

昨日と違って、なぜかよそよそしく、そしておどろおどろしくその姿が映る。


(めざめちゃんか……)


無駄だと分かってはいるけれど、念のため門扉を開こうとしてみる。朝と変わらず、鉄扉は強固に来訪者を拒んでいた。

柵の隙間から鍵を開けるというズルも通用しそうにないので、真昼は外壁を飛び越える覚悟を定める。


「よし……!」


学校からくすねてきたパイプ椅子に乗って、外壁に飛びつく。制服が泥やコケに汚れるのにも構わず、腕力と脚力で無理矢理に身体を持ち上げた。


「んぐぐぐぐ…………っ、はぁっ!」


壁を乗り越えるのに集中しすぎて、まともに着地できない。

間の抜けた猫が木から落ちたときのように、背中から地面に墜落する。お尻や背骨を強打して、真昼は悶絶した。


だが、侵入には成功した。

紛れもない不法侵入である。


(めざめちゃんほどの感覚器官があれば、私のことも気づいてるんだろうね……)


勝手知ったる夜庭邸が、ずいぶんと不気味なモノに見えた。翳った日差しに佇む玄関口が、まるで異界の入り口のように真昼の瞳には映った。


「入るよ――めざめちゃん」


ひそめた声で言って、真昼は扉を押し開ける。

門扉と同じように施錠されているかと思いきや、思いがけずあっさりと扉は開いた。最悪、窓を破って侵入することも思考の隅にはあったので、そんな野蛮な真似をせずに済んでほっと胸をなで下ろす。


入ってすぐの吹き抜けは、ついこの間と何ら変わらず廃墟然としている。

真昼は導かれるように、居間へと向かった。


めざめと初めて対峙した場所。

だらだらと時間を潰した、秘密基地のような場所。


「……めざめちゃん」


そこに、彼女はいた。


バルコニーへと通じる観音開きの扉を開け放って、地平線の向こうへと消えゆく陽の光を眺めている。

真昼の立っている場所からは、めざめの小さな背中しか見えなかった。逆光になって、彼女の周囲だけが完全な夜に閉ざされているように見えた。


開かれた扉から吹き込む風が、カーテンや、テーブルクロスの端を持ち上げる。

真昼の頬をなぞって、屋敷の停滞した空気の中に混ざって消えた。


「来たのね……」


「どういうことなの? 何が、なんだか……」


「思わない? 貴女と私の関係は不健全だと」


くるりと身体を翻し、優れた被写体のように右手でスカートをつまんで持ち上げた。その所作が、あまりに現実離れしていて息を呑む。

だからめざめの言葉が、鼓膜を素通りしていった。


「……どういう、意味?」


「貴女、どれだけのモノを捨てたの?」


「捨てたって――めざめちゃんのせいで、って言いたいの?」


「ええ。私の目から見れば、貴女は変わってしまったわよ」


めざめが僅かに目を見開く。

そこにはさめざめと染め上がった、真っ赤な瞳があった。

濁って向こうを見通せない、深紅の宝石のような様相である。


「変わったって……何も変わらないよっ!」


「貴女、どのくらいの期間、ボランティアに参加していないの? 生きがいだって言っていたのに。貴女、どのくらい友達の誘いを断ったの? 私を友達だと思ってくれるのは、とても光栄だわ。だけど貴女は、そのためにどれだけのモノを犠牲にしようとしているの?」


「そんなの、めざめちゃんの考えすぎだよ」


友達を独り占めしてしまっているのでは、そんな居心地の悪さを感じることはある。けれどそれは往々にして思い違いだ。

めざめは長らく社会生活から遠ざかっており、余計にそう感じるだけである。


だって真昼は真実、何も変わっていない。

確かにめざめの言うとおり、ボランティアにも、友達の誘いにも、長らく行っていないけれど。


「貴女、最近血を失いすぎよ。それでも健全だと言えるの?」


「それは……でも、そんなのここ最近だけだよ」


「分かっていたことよ。吸血鬼は人と通じ合えない」


「そんなことない」


「あるのよ。気持ちとか言動とか、そんな表面的なレベルではなくて」


言葉尻には、どこか真昼を突き飛ばすような力強さがあった。二人の間にある空間が、吹き込んできた空気に急激に冷やされていくのを感じる。


凍てついた、距離。


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