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第22話 神に背いて花を手折る

「真昼ぅー」


声をかけられて、真昼は教科書を鞄にしまい込む手を止めた。振り返ると、学生鞄を抱えた佐藤綾と仁多京子が立っている。


「どうしたの?」


「放課後にみんなで遊びに行かないー?」


「綾が手当たり次第誘ってるみたいよ。十人くらい?」


「十三人っ。で、真昼ちゃんが十四人目ぇー」


綾は交友関係が広い。同学年の友達が多いのはもちろんのこと、下級生や上級生にとどまらず、他校にも大勢の友達がいるようだ。

ひとえに、頻繁に友達を大勢引き連れて遊びに出かけるような彼女の社交性のたまものであろう。


「遊びにって……どこへ?」


「今日はテニースっ! 真昼ちゃん知らないー? 駅前の『ノウル』の屋上にテニスコートできたの。めっちゃ可愛くてオシャレなんだよ!」


「それで、テニスついでに下でパフェでも食べて帰らないってなったらしいわ」


ノウルは駅前にある中規模商業施設で、主に飲食店が立ち並んでいる。

綾の言うとおり、確かに屋上にテニスコートがあったはずだ。初めの方は簡素な休憩スペースだったけれど、ほんの数週間前に大改修が終わった。

高いネットに囲まれて、きちんとしたコートとテニスの機材が用意された、本格的なテニススポットへと生まれ変わったのである。


(でも――屋上で運動かぁ。めざめちゃんは来られないもんね)


真昼は少し考えてから、


「ごめん、今日はやめとくよ」


「ええーっ、真昼ちゃんが来られないなんて珍しー。用事ー?」


「……夜庭さんも、誘えばいいじゃない」


少し低い声音で、京子が言った。自分の考えをドンピシャに刺された気がして、どきりと心臓が跳ねる。


「……ううん、そう、じゃなくて……」


「あー、じゃあいつものボランティーアってヤツですかー。ま、どうせまた誘うよ~」


「……そうね。じゃあまた明日」


離れていった二人の背中を見て、なぜだか真昼は取り返しのつかないことをしてしまったような気持ちになる。


彼女らの誘いが嬉しかったことも、行きたかったことも真実で、断った理由を話さなかったのはめざめの責任にしたくなかったから。

頭ではきちんと物事の辻褄が合っているのに、それでもつっかえを感じる。


「真昼ちゃん」


「はいっ⁉」


「何を驚いた顔をしているの? 帰りましょう」


「え、あ……うん」


鞄を抱えて、めざめと共に教室を出る。

すると今度は、担任から呼び止められた。


「佐伯。明日の朝、配食のボランティアあるけど行くか?」


配食のボランティアというのは、一人暮らしのご高齢の方向けに昼食の弁当を配るという内容だ。主な参加者は中学生だが、真昼のような高校生や、大学生の参加者も少なくない。行政主導で始まった取り組みだが、地元大学のサークルとの協力もあって、毎回それなりの人数が集まる。

真昼はこのボランティアに、初めの方から参加していた。


「あー……すみません、先生。明日は用事があるので……」


「そうか、珍しいな。まあボランティアなんて参加する余裕があるときに行けばいいさ」


「ありがとうございます」


軽く手刀を切って、担任はその場を離れた。


「いいのかしら? 断ってしまっても」


「いいんだよ。めざめちゃんの家に行かなきゃだしね。それにボランティアは、いつでも参加できるよ」


「……そう」


第三継承者・夕片翔子との戦いに終止符が打たれてから、真昼とめざめの放課後の過ごし方は三パターンほどに大別できた。


強制下校時間ギリギリまで学校に残って、図書室や校舎の片隅で楽しいおしゃべりに興じる。

あるいはさっさと夜庭邸に戻って、真昼が持ち込んだドラマやめざめの気に入っている本を読む。

もしくは、体育倉庫の片隅に捨てられていたボロボロのバドミントン一式を使って、夜庭邸の入り口吹き抜けで遊ぶ。


めざめに夜おくってもらえることもあって、最近はついつい長居してしまう。


「ん…………っ」


真昼の伸ばした足が、ベッドのシーツをこすって音を立てた。自分の人差し指の第一関節を食みながら、漏れ出てくる吐息を堪えようとする。


血液を失うことで、肉体は酩酊状態になった。

四肢に力をいれていられなくなって、身体がベッドに沈み込んでいく。


身体を折り重ねていためざめがゆっくりと身体を起こした。

真昼の全身にのしかかっていた体重がひょいと消えて、吸血の圧迫感がなくなる。必然的にめざめの体温も感じられなくなるから、幾ばくかの寂しさを覚えた。


「ありがとう」


「もう、いいの……?」


「どういう意味かしら」


「だって、今から私を送ってくれるんだよね」


視線を窓の外へ向ける。

町並みが描くガタガタと歪んだ地平線に、今まさに夕日が沈みゆく。だが、紛れもなく太陽の輝く時間だ。

その中を飛べば、めざめの翼は黒い炎に燃えるだろう。


「……そう言うのなら」


再び首筋に噛みつき、血を吸い上げられる。

それになぜか、ほっと安堵の吐息が漏れた。


めざめの身体にのしかかられて、首筋に噛みつかれて、血を失う。

それは紛れもなく喪失の儀式だけれど、同時にめざめの存在を確かめる獲得の儀式でもあった。


「……少し飲み過ぎたわね。大丈夫?」


「うん、だいじょうぶ。もう、いいの……?」


「あたりまえでしょう」


自分の声にディストーションがかかって聞こえた。視界が僅かに青みがかって、景色がぐにゃんぐにゃんと歪んで見える。

頭が教科書を詰め込んだ鞄のように重たくなった。

真昼はめざめに抱き起こされて、やっと立ち上がれる。自分の身体の体幹では頭部を支えていられないほどに、全身が重たくそして怠かった。


「大丈夫じゃなさそうだけれど」


「大丈夫、だよ」


「まるで酔人の問答ね」


真昼の身体を抱きかかえて、めざめは大空へと飛び立った。

二人の全身に降り注ぐ太陽の光。けれど黒い炎は生じず、当然の権利のようにめざめは空を滑空した。


第四継承者としての権能。

たっぷりと真昼の血を吸って、めざめは多少ばかりの陽の光をモノともしない。


「ついたわよ」


有翼のめざめをぼんやりと見上げているうちに、真昼の家についていた。

地面に下ろされ、両手のひらで幾本かの木の棒をこすり合わせたときのように、棒になった身体がぐらぐらと左右にふらついた。


「危なっかしいわね、貴女。人は血を失いすぎると死ぬのよ」


「うん……ごめん」


「しっかりなさい」


「めざめちゃん、帰るとき……血は、いらないの?」


「いらないわよ」


ぴしゃりと言い返されて、思わず口をつぐんだ。

自分を心配してくれている人に、まだ血はいらないのかと聞いたのだ。呆れるか、苛立つかは当たり前だろう。


けれどそんなことにすら思考が回らないほど、真昼の頭は茹だっていた。

血を失って、ぐらぐらと揺れる視界の中に冷静さは皆無だ。


「ごめん……」


「謝ることじゃないわ。今日は早く休むことね」


「うん……ごめん」


心にぽっかりと空虚なモノを感じながら、真昼は自宅のベッドに潜り込む。

冷たくなったシーツに、自分の体温がうつっていく。マットレスカバーに吐息を吐き出すと、息が帯びていた熱がじっとりとしみこんでいった。


血液を失って、体感はとても寒いけれど、真昼の身体は確かに熱を持っているのだ。


「めざめちゃん…………」


ぷつん、と聞こえた気がした。

次の瞬間には、真昼は眠りについている。

否、それは気絶だった。

眠りと呼ぶにはあまりに暴力的な、意識の断絶である。


  ◇


「真昼、あんた顔色悪いわよ」


ノートに文字を並べていた真昼は、手を止めて顔を上げた。

その拍子に視界の端がぱちっぱちと瞬いて、平衡感覚が揺らぐ。


ここのところ、めざめへ血液を提供しすぎているのか、よくそんなふうになった。太陽の下を何食わぬ顔で歩いているめざめの姿が嬉しいせいで、ついついあげすぎてしまう。


「そうかな? そんなに体調は悪くないんだけど」


「そうは見えないわよ」


正面に、頬杖をついて目を細めている仁多京子。

彼女は顔立ちがどことなく凜としているから、切れ長の目元を細めていると、自分の何もかもが見透かされそうでどきりとする。真昼が血液不足であることも、彼女には見当がついていそうで。


「確かにちょっと怠いかな……疲労がたまってるのかも?」


「今日の体育」


「体育……?」


言い訳じみた響きを伴う真昼の言葉が、京子に遮られた。

今日の三時限目は体育だった。

制服に着替え汗もすっかり引いたから、残っているのは首元のデオドラント剤のフレーバーだけ。あとは少しばかり太ももに残った筋肉の疲労感だ。


「らしくなかったじゃない。いつもより立ち止まって、ボールを追いかけてなかった」


「厳しいね……監督?」


「いつもよりしんどくて、辛そうだったし」


「ペース配分を間違ったのかも?」


「冗談じゃなくて」


京子の言葉は静かだが、力強かった。

思いがけず突き放すような言葉の響きに、真昼は口を閉ざす。


「よほど重い生理でもきたの? それで血が足りてないとか」


「あはは……いつかの仕返し? セクハラしちゃったから」


「冗談なら良かったんだけど」


「……心配してくれてありがとう」


頬杖をついて、視線を逸らすように窓の外を見つめる京子は、ぶっきらぼうな印象がある。突き放すような語調も、言葉を遮るような語り出しも。

けれど彼女が、本心から心配して訊ねているのが分かった。


(優しいな……京子ちゃんは)


「別に、そんなんじゃないわよ。気になったから聞いただけ」


「うん。でもありがとう。寝て起きれば、きっと治るよ」


「……あっそう。ならいいわ」


京子は照れたように、チラリと向けていた視線を慌てて逸らす。クールに映る京子がそんな年相応の所作を見せると、とてもキュートだった。

真昼は思わず笑みをこぼした。


(でも――……)


心のどこかにわだかまる苦み。


なんでもないよ、と嘘をつく行為への後ろめたさだろうか。それとも、すぐに治るよと嘘をついたことへの罪悪感だろうか。

めざめに血を与え続けるかぎり、この状態は変化しないのだから。


(それでも私は、めざめちゃんの力になりたいから……)


誰かの助けになるという、ある種の欺瞞的な行為が。

佐伯真昼には、祈りにも似た行いへと変じつつあった。


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