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第18話 些事Ⅰ


初めは馬鹿げているけれど、ひとたび膨らみ始めれば抱えきれなくなってしまうものこそ、アイデアだ。


佐伯真昼はその日、一つのアイデアに支配されていた。

思いついたとき、彼女はそんなバカなと考えを否定した。

しかしアイデアの辻褄が合っていることに気づくと、胸の内側で心臓がバクバクと脈を打ち始める。学校の授業も頭に入ってこず、その日一日中なにごとにも上の空だった。


「真昼、どうしたの」と肩をすくめる京子と、「どうしたのー?」と首をかしげる綾にも、気の利いた返答ができない。


放課後、真昼はめざめにこう告げた。


「今から少しだけ用事があるから、ちょっとだけ待っていてくれないかな」


「また、体育倉庫の掃除かしら?」


「ううん。……十分して戻ってこなければ、助けに来てね」


「…………」


それは冗談ではなかった。


いつでも真昼を助けに来られる位置でめざめに待機してもらって、真昼は廊下の壁に背中を預けた。


廊下には、自分以外の生徒の姿はない。放課後が始まっても、すぐに校舎が無人になることは滅多になかった。だから真昼は、待ち合わせ場所に旧校舎を指定したのだ。

副教科教室や物理実験室、使われていない部屋などが並ぶ、寂れた一角である。


待ち人はすぐに来た。


「どうしたの、佐伯真昼さん。わたしなんかを呼び出して」


旧校舎のそばにある中庭には、背丈の高い木が一本だけ植わっている。

その影が廊下に差していて、そこに少女は立っていた。

夕片翔子。

うっすらと微笑みを湛え、小首をかしげている。


「夜庭さんは一緒じゃないんだ? 最近、いつも、一緒なのにね」


「ごめんね夕片さん。訊きたいことがあって」


真昼は、廊下に差し込む夕日の中に立っている。

対峙している二人は奇しくも、光と影のコントラストの対峙に巻き込まれていた。


「わたしに答えられることがあるなら、なんでも答えるよ」


「なら……私の隣に、立ってくれないかな?」


「……なんで?」


翔子の声は、ぞっとするほどに体温が低かった。

たった三文字の中に、他者を寄せ付けない金属片のような鋭さがある。

真昼は一際大きく脈打った心臓を自覚しながら、表情は冷静を努めた。


「できないの? 夕片さん」


「どうしてそこに立って欲しいの? 理由を教えてほしいな?」


「あなたが……第三継承者じゃないかって、思っちゃったから……だよ」


「第三継承者?」


ついに、真昼の喉でずっとつっかえていたアイデアを吐き出すに至った。

言葉が形になると、その身も蓋もなさに驚いてしまう。


「ふーん。どうしてそう思ったの? わたしが『吸血鬼』だって」


「……っ!」


「根拠を教えてよ、佐伯さん?」


翔子の『吸血鬼』発言は答えを示している。第三継承者が吸血鬼の肩書きであることなど、その関係者しか知り得ない情報だからだ。


普通の女子高生が知っているはず、ない。


「最初におかしいと思ったのは、体育倉庫の掃除を終えた直後に第三継承者が姿を現したこと。あの場所の掃除をしに行くことは、めざめちゃんと、夕片さんしか知らなかった。第三継承者が私のことを尾行していたって考えられなくもない、けど……」


「それはちょっと、苦しい説明だよね」


「太陽が出ているうえに、めざめちゃんがいつ私のそばから離れるか分からない。そんな状況で、わざわざ学校を襲撃場所に選ぶのは説明がつかないと思ったんだ。それでも第三継承者は、私のいるところを襲撃した」


「そこへ誘導した人間こそ、怪しいぞ……ってこと?」


真昼は小さく頷いた。

第三継承者は姿を変化させていることに長けているという。

霧になったり、動物になったり、闇に姿を変えたり。


ならば、人に変化することも可能なんではないか?

だから、翔子を疑い始めた。


「それに夕片さんは、半年前に転入してきたばかりだから、身の上も確かじゃない。そのうえいつも体育を見学して、陽の光を避けている……そんな風に考えることもできるなって、思ったんだ」


「でも、それで『吸血鬼だ!』って確信には至らないよねぇ」


「決め手は――瞳の色」


「……へぇ。めざめちゃんから聞いたのかな?」


夕片翔子の瞳の色。

全く気づかなかった。けれど思い立って観察すれば、あっさりと分かってしまう。


彼女の瞳は時々、変化していたのだ。

今の彼女の瞳は濁った赤。

その前は確か、黒だったはず。


「やっぱり夕片さんが――第三継承者、なんだね」


「うん。でも、どうしてわたしと二人っきりなんて迂闊な状況を作ったの?」


「……友達の真意を、知りたかった」


「トモダチの、真意……?」


確かに翔子とは付き合いが短い。クラスの中でも浮いていたかもしれない。

けれど、彼女と会話する時間は楽しかった。第三継承者だと明らかになってなお、真昼の心は翔子を嫌えないでいる。

だから、吸血鬼として戦いに終止符を打つ前に、彼女の心を知りたかった。


「わたしと佐伯さんって、友達なんだ? それって意味不明じゃない? わたしはアナタのことを殺そうとしたうえに、素性を偽ってたんだよ?」


「…………っ」


「馬鹿なんじゃないの?」


翔子の手が伸びる――。

だが同時に、真昼は後ろへステップした。


翔子の指先が夕日に触れて、小さな火花を散らす。すぐに手を引っ込めた翔子だったが、彼女の指先にはくすぶる程度の黒い炎が揺らめいていた。


「真昼ちゃん!」


事態の異変を察知したのか、すぐにめざめが姿を現す。

血をたっぷりとあげているおかげで、日差しがまばらに散らばった廊下を走っても、少し息を切らしている程度で済んでいた。


「バレちゃったなら、わたしも本題にうつることにするね」


さっきまでと、否、これまでとなんら変わらない調子で翔子はそう言った。

そして、焦げてしまった指先で宙を撫でる。

途端、何もない空間に文字が浮かび上がった。


「逃げるわよっ!」


めざめが真昼の首根っこを掴んで、凄まじい速度で廊下を駆け出した。

駆けたといっても走っているわけではない。いつの間にか出現させていた翼でもって、超高速度で飛行しているのだ。


めざめと真昼が通り過ぎた途端、廊下に据え付けられた窓ガラスがバタバタと揺さぶられる。

それほどの強風を巻き上げながら、やがて廊下の突き当たりへ。

そこには非常用出口があった。


「ばーん」


背後で聞こえた、翔子のはしゃぐような声。

次の瞬間、彼女が出現させた文字が火炎となって、廊下を駆け抜ける二人を追いすがった。

大量の火薬に火を放ったときのように、一瞬でトップスピードへと達する爆発。爆ぜる度に炎の進む速度は増し、やがてあっという間に二人の背中を捉えた。


「くっ!」


非常用出口へ、炎に突き飛ばされる。

二人の身体は旧校舎の外へと投げ出され、火炎の凄まじいばかりの炎に包まれた。


「きゃあああああっ」


「真昼ちゃんっ、しっかり、掴まってっ!」


真昼は視線を上げる。

今いる場所――旧校舎の外、爆発に押し上げられるように、二人は空中のただ中にいた。それはつまり、影が存在しないということを意味する。


めざめの全身へ降り注ぐ光――。


「今校舎の方へ――きゃあっ!」


「めざめちゃん!」


漆黒の翼を焼いたのはやはり、漆黒の炎だった。

宙を滑空していためざめは体勢を保つことができず、ぐらりと揺れて墜落する。


めざめに抱きすくめられたままの真昼には、地面までの数秒間に体勢を整えるなんて器用な真似はできなかった。二人は校舎の影に肩から落下して、痛みに呻く。


「だ、大丈夫っ、めざめちゃん」


「ええ――っ」


真昼はめざめの身体を引きずって、影の濃い場所へと移動した。

制服が土に汚れることにも構っていられない。

真昼の瞳には、しなやかな翼が燃え上がるまさにその瞬間がリフレインしていた。

恐ろしい。

めざめの全身が炎上してしまう様が想像できてしまったことが、恐ろしい。


「そんなに慌てないで……それより、第三継承者よ……」


「う、うん――ごめんね。私の我が儘でピンチを招いちゃって」


「まったくその通りね……だから謝らなくて良いわよ」


夕片翔子は友達だ。

だから彼女と話がしたいと、思った。

その結果、真昼とめざめは黒焦げにされかけて、めざめの翼は陽に焼かれた。


「第三継承者の口ぶりが気になったわね」


「本題にうつる、とかなんとか」


「真昼ちゃんを本気で殺そうと思うなら、第三継承者には腐るほどチャンスがあったはずよ。それこそ私と真昼ちゃんが出会う前ね。でも、私たちが出会ってから第三継承者は姿を現した……つまり彼女には、何かしら狙いがあって今まで息をひそめていたはず」


「それが……本題?」


「でしょうね」


仰臥していためざめが、緩慢な動作で上体を起こした。髪にまとわりついた細かな砂粒が、ハラハラと地面へ舞い落ちる。


「もしかしたら、私を狙っているっていうのは……嘘、だったのかも」


「第三継承者の狙いは普通に私……っていうことかしら?」


「うん。何かしらの目的があって、私を狙っているって偽っていたとか……」


「今となってはどっちだっていいことね」


めざめが肩をすくめる。


「どうして?」


「自分の正体を知っている真昼ちゃんを、今更生かしてはおかないでしょう」


「あはは……」


しゃれになっていない。

つい先ほど、爆死させられかけたばかりである。


「ひとまずここを離れましょう。陽が出ている以上、第三継承者は私たちを追撃できないはずよ。相手が何を企んでいるにしても、同じ敷地にとどまるのは良くないわね」


「うん、そうだね」


めざめが立ち上がるのを手助けすると、二人は影を伝って学校の敷地を後にした。そうしていると、翔子に追いつかれる恐れがあったけれど(彼女も影を伝って移動するだろうから)、めざめの強みは太陽を克服できることにある。

真昼が血を与えると、少しの間日向を歩いても構わない。

学内にとどまったままの翔子を引き離すのは簡単だった。


二人が向かったのは夜庭邸だ。

敵を迎え撃つにしても、自分のテリトリーの方が良いだろうという判断である。

しかし夜庭邸に向かう途中、勘の鋭くない真昼にさえ、異常が察知できた。


「これ…………」


遠巻きに夜庭邸が見える。

その頭上には、分厚く真っ黒な雨雲が垂れ込めていた。

異様なのは、夜庭邸の上空にだけ雨雲があるということだ。周辺はまばらに雲が見えるだけで、基本的には晴れている。

それだけではない。雲がかかっているだけなのに、屋敷の周辺は異様に暗かった。


暗がり。まるで――『常闇の結界』のように。


「どうやら私たちをお家に帰してはくれないようね……」

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