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第14話 夜空ランデブー(2回目)


「決して狙っていたわけではないのだけど、私、お金を持っていないわ」


「このくらいプレゼントするよ。はいっ」


めざめに紙袋を差し出して、真昼はにこりと破顔した。


確かに真昼はただの高校生で、特段バイトもしていない。

時々ボランティアに参加したことのお礼として多少の金券を貰うことはあるけれど、それだってたかがしれている。

けれど叔母から十分すぎるほどの生活費を貰っているし、普段から節制して生活していた。ちょっとくらいの支出は痛くない。


それに、めざめの瞳がちらちらと輝いて見えた。

まるで、生まれて初めてのプレゼントを前にした子供のように。


(やっぱり私、めざめちゃんのお母さんなのかも……)


そんなはずはないのだが、目の前の少女に対して母性に近しい感情を抱いていることが自分でも不思議で、そんな素っ頓狂なことを考えてしまう。


「じゃあ帰ろっか」


「ええ」


示し合わせたわけではないけれど、自然と手を繋いだ。行きもそうしたのだから、帰りもそうするだろうという、ただそれだけのことだった。


めざめの手のひらの温度につられるように、そっとと視線を上げる。


夕暮れに赤く染まっていた空は、二人がショッピングモールで時間を潰している間に、夜の青へと変わりつつあった。

やがてその藍色も塗りつぶされて、透明な夜が始まるのだろう。

真昼が眠るための夜。めざめが目を覚ますための夜が。


「そろそろ日が暮れるわね。急いで貴女を送るわ」


「慌てなくてもいいよ、めざめちゃん。どうせ第三継承者はこないだろうし」


「ずいぶん確信めいたことを言うのね」


「ついさっき敗走したばっかりで、お礼参りに来るとは思えないだけ」


「言えてるわね……」


肉体的な消耗は既に癒えているかもしれない。吸血鬼だし。

だが、心理的な消耗はまだ癒えていないだろう。


「それに慌てなくたって、間に合うよ」


「……………………」


「めざめちゃん?」


変なタイミングで黙り込むので顔をのぞき込んでみる。

ちょこんとくっついた鼻先が、まるで注文を迷うときの指頭のように宙で小さな弧を描いていた。めざめがそんな風に、頭をふらふらとさせているのは珍しい。


(……様な気がする。短い付き合いだけどね)


とはいえ、その付き合いは紛れもなく、濃い。


「いえ、なんでもないのよ」


「そう? なんだか考え事してる風にみえたけど……?」


「考え事はしていたわ。だから『なんでもない』って言ったのよ」


ショッピングモールから数十分ほど歩くと、そろそろ見慣れた町並みになる。毎朝、真昼が通学のたびに歩いている風景だ。


その時、めざめが突然立ち止まった。

手を繋いでいた真昼はそれに驚き、軽く彼女の腕を引っ張ってしまう。


「どうしたの? めざめちゃん。また考え事?」


「ねえ真昼ちゃん。私のウチに寄っていかない?」


「めざめちゃんの家?」


突拍子もない提案だった。


夜庭邸の前で提案されるならともかく、ここは真昼の自宅のそばだ。

それに、このまま帰宅する流れだった。ショッピングモールの帰りからここまでの時間で、彼女に用事ができたわけでもあるまい。


「うん、別に用事もないし。数学の課題も終わらせたし。いいよ」


「なら掴まって」


「え、飛んでくの?」


「歩いていくなんて洒落臭いでしょ。もう陽も暮れるんだし」


めざめがいいのなら断る理由は無い。

真昼はおずおずと、彼女の華奢な身体に抱きついた。

自分よりも小柄な少女に全力で抱きついているのも引け目があったが、それ以上に道ばたでこんなことをしていることが恥ずかしくてたまらない。

幸いなことに、人通りは全くないけれど。


「行くわよ」


「うん――――――ひえぇぇっ!」


予兆など皆無。

次の瞬間には、真昼の身体は遙か空中に投げ出されていた。


めざめの制服に押しつけていた顔を少しずらして、チラリと下を見やる。

薄暗がりの中にずうっと広がる住宅の一つ一つが、真昼の目にはチョコレートクッキーに映った。小さくて、指先でつまんで持ち上げられそうだ。


しかし、吸い込んだ呼吸が身体の後方へと吸い込まれていく錯覚に陥る。

特別、高所恐怖症というわけではなかった。ただ、この高さを怖がらない人間なんてこの世には一人もいない。

見なければ良かった!

慌てて、めざめの身体へ鼻を押しつける。


(後悔するって分かってるのに、下を見たくなる……!)


好奇心は猫を殺す。

秘密は甘いものだ。


「到着」


夜庭邸のテラスに下ろされ、真昼は大きく深呼吸を繰り返した。確かに地面に立っている。だというのに、まだ身体はふわふわと浮ついていた。


「これ、置いてくるわね」


生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えている真昼を放っておいて、めざめが紙袋片手に部屋へ引っ込んだ。そしてすぐに戻ってくる。


「真昼ちゃん。お詫びとお礼よ」


「? 私、お礼言われるようなこと何かしたっけ?」


お詫びは分かる。気にしなくていいと伝えたけれど、第三継承者についてめざめが責任を感じているのは分かっていたから。


「……ええ。さっきの買い物、いえ、血のお礼よ」


「ふふ、変なの。いつものことなのに。うん、でも、お礼を言われて嫌な気持ちにはならないよ。どういたしまして」


「だからおかえし」


「おかえし?」


めざめはこくんと頷いて、右足を半歩ほどひいた。磨き上げられたローファーが靴底で細かな砂の粒を踏んで、小さく音を立てる。右足の動きに合わせて左足を身体の外側に開き、滑らかな動きで彼女は腰を折った。


お辞儀だ、と疎い真昼にも分かる。

左腕を水平に掲げ、右腕を胸の前に沿わせるその姿勢。

漫画の執事がそうしているのを、見たことがあった。


「わたくしがエスコート致しますわ、姫君」


「ど、どこに…………?」


「夜空へ」


めざめがそう言った途端、彼女の背中に翼が生じた。

コンサートホールの静謐を軽やかに乱すバイオリンの弦のようにしなやか。

周囲の空気を押しのけるように伸びた翼は、夜空を支配しつつあった青い闇の背中を押して、完全な夜の訪れを告げた。


お辞儀の姿勢をやめためざめが、大きく宙をかきながら手を差し伸べる。


「どうぞ」


……一連の光景に、すっかり気圧されてしまった。


「なにをぼさっとしているのかしら? 私の壮麗さに言葉も出ない?」


「そう……なのかな」


真っ赤な瞳。

宝石のように透明で、見通せない闇を帯びた瞳が、真昼を見つめている。

それに吸い寄せられるように、真昼はめざめの差し伸べた手を取った。


抱きついて、空を飛ぶ。

やることは数分前と何ら変わらない。だというのに、どうしてこうも心がかき乱されるのだろう。

思考が混線して、感情がぐちゃぐちゃになってしまうのだろうか。

夢見心地のまま、めざめの身体へしがみつく。


「さっきよりずっと――高いわよ」


「ひえぇぇ……」


洗い立ての夜を、猛烈に疾走する影が切り裂いた。

二人はほんの数秒のうちに、雲が触れそうな程の高度にいた。

だが、真昼は恐怖のあまりつぶった目を開けない。


「………………っ⁉」


突然、抱きしめていためざめの身体がすうっと遠ざかる感覚に襲われた。

こんな高度で放り出されれば、間違いなく真昼の身体なんて墜落してザクロのように弾けてしまう。

慌てて両腕をばたつかせる真昼だったが、


「目を開けて、真昼ちゃん」


「え……?」


声はやはり、少し遠くから聞こえた。

意味も分からぬまま、おそるおそる瞼を開く。


「わ…………わあぁぁっ!」


思いもしない光景に声を上げた。


有り体な表現だけれど、眼下にパノラマが広がっている。

夜の闇なのか、それとも宇宙の闇なのかもはや判然としないほど、入り交じった複雑な闇を湛える空。それが湾曲した水平線と交わり合って、見たこともない景色を作り出していた。


地球は丸かったのだと、当たり前のことを思い出すような光景。


地平には、無数の人家の輝き。

夜空から星々をつまんで、砂のようにあたりに敷き詰めたような眺めだった。田舎の町だからか所々手つかずで残された闇が、吸い込まれそうなほど深い色味を帯びているのが不思議だ。


「あれ……私、浮いてる……?」


真昼はめざめと指を絡ませているだけだ。

身体は宙に投げ出され、他に彼女を支えるものは何もない。


なのに、真昼は落下のルールを無視してふわふわとその場にとどまっている。


プールの水面でぷかぷかと浮かんでいるときのように、心地よい浮遊感だけが彼女の身体を包んでいた。


「気持ちがいいでしょう?」


「これ、どう……どうなってるのっ」


「不思議パワーよ」


「不思議パワー……」


おそらく吸血鬼の力なのだろう。

めざめの翼が小刻みに空を叩いているのは、滞空するための動作だろうか。


「お詫びとお礼に、なったかしら?」


「想像以上だよ……ありがとう、めざめちゃん」


「散歩に行きましょう」


「こっ、このまま?」


「当然でしょ」


二人の身体が下方へと傾く。

指先だけで二人は繋がっていた。

傍から見ればそれはとても不安定な結びつきだったが、めざめの言葉を合図に急降下した二人は、しかし強固に結びついたままだ。

彼女らは遙か上空から瞬く間に、街を見下ろせるほどの高さへ移動する。


「死ぬかと思ったーっ!」


「真昼ちゃん、髪がボサボサよ?」


「めざめちゃんこそ」


落下の中、暴れ狂う風に頭を撫で繰り回された二人は、寝起きのような有様になっていた。互いのそんな姿に、思わず噴き出してしまう。


めざめに導かれるようにして、真昼は夜を駆ける。


つい先ほどまで砂粒のように見えていた光が街灯や電飾だと分かるくらいにまで高度を下げ、スピードを上げる自動二輪車をはるか後方へと抜き去った。

鼓膜は猛スピードにびゅうびゅうと猛り声をあげているけれど、吸血鬼パワーなのか、やはり身体は水中のようにふわふわとしていた。


「口を開けっぱなしにしてたら、虫入ってきそう!」


「心配いらないわよ。私たちに虫けらが近づけるはずないわ」


「そうなのっ?」


景色と風とが凄まじい速度で流れていくので、自然と声を張り上げてしまう。めざめの聴覚器官をもってすればそんな心配無用なのかもしれないけれど。


「今、私たちのまわりは一種の結界状態になっているのよ」


「結界――」


第三継承者が使っていたような『常闇の結界』と同じか、それともどの吸血鬼もこの程度のことはできるのだろうか。


真昼は吸血鬼と近しいところにいるのに、本当になにも知らない。


知っても何の力にもなれないって分かっているけれど――それでも、一抹の寂しさを覚えた。血を分け与えることが、本当に夜庭めざめの助けになっているのか。


その確信が持てなかったから。



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