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第13話 身体の関係(3回目)


「こんなのはどうかなっ?」


手に取ったのは淡いレモンイエローのワンピースだった。

装飾自体は必要最低限で、めざめの背丈に合わせると膝くらいの丈だ。


こういったシンプルなファッションは着る人間を選ぶ。

素材の良さを引き立ててしまうから。

けれどめざめの端整な顔立ちや清廉な佇まいがあれば、ばっちり似合うはずだ。


「なんだか、爽やかすぎないかしら?」


「夏に備えてこういったアイテムを一点持っているだけでも、全然オシャレの

選択肢が広がると思いますよ、お客様?」


「店員さんがそう言うなら、試着してみますわ、ごめんあそばせ」


悪ふざけにニコリと応じて見せためざめは、ワンピースを受け取ってそのまま試着室へと姿を消した。

そのやりとりがなんだかくすぐったくて、真昼は笑いを押し殺すのに苦労する。


(あんなすっごい可愛い服、私には似合わないんだよねぇ)


自分で服を選ぶときも、『THE・可愛い』みたいな服は避けていた。

めざめと一緒だから、真っ先に手に取ったのだ。


「着替えたわ……どうかしら?」


試着室のカーテンが引かれ、めざめが姿を現した。


「ぁ…………めざめちゃん……」


――言葉を失う。


似合っている、と端的に表現するのは簡単だ。

けれどそれを許さないほど、彼女は優麗だった。


日差しを知らぬ処女雪のような肌が、丸みを帯びたワンピースの袖口から伸びている。陽にすかせばたち消えてしまいそうなほど透き通った髪が、所在なさげに彼女の背で揺れていた。


背景が単なるアパレルショップであっても、即このままポートレートにしてしまいたいほど画になっている。


「あまり見ないで、よ」


真昼の視線が気恥ずかしいのか、めざめは腕をお腹の上あたりで交差させ、逃れるように身体をよじった。


「可愛いっっ!」


「きゃっ」


可愛すぎる!

思わず抱きすくめるように身を乗り出した真昼に、めざめがたじろいで後じさった。

いつもは真昼が迫られた末に噛みつかれている。なんだか立場が逆になったようで、少しおかしかった。


「ごめんごめん、思わず正気を失いかけてたよ。あはは」


「真昼ちゃん……貴女、少し変なところがあるわね」


「え? そうかな。私はごくごく平凡だと思うよ。ってそんなことより!」


こんなにも最高のモデルがいるのだ。

もっと色々な服を着せてみたい! と思うのもむべなるかな、彼女はすぐさま手当たり次第に似合いそうな衣服をめざめへ押しつけた。


「なんだか地味な気がするわね……」


「でも可愛いよっ」


「悪い気はしないわね」


白の長袖のブラウスに、濃紺のロングスカートという出で立ち。

オフィスカジュアルといった雰囲気があり、確かに地味な部類に入るかもしれない。けれどめざめが身に纏えば、他の人が着るのでは感じることのできない、艶やかさや華やかさが感じられた。


「これは……少し露出が多いわ」


「めざめちゃんは露出を抑えた方が、むしろ妖艶に見えるかも……?」


「貴女、さっきから変態みたいよ?」


肩が露わになったセーター。

めざめの気品ある容貌には少し似合わなかった。十分可憐なんだけれど、調味料を滅茶苦茶に入れたカレーの味のように、最善でも次善でもないというのがなんとなく分かる。


次の衣服を渡して、真昼が試着室のカーテンを閉めた。


「私を着せ替え人形だと思っているんじゃないの?」


「あはは、ごめん……ちょっとふざけすぎたかも。でも、ホントに全部似合ってたよ」


「当然ね」


「美少女っていう自覚はあるんだ?」


「貴方たちの見た目がそれほどでもないのよ」


「同じような意味なのになぜかに傷ついた!」


人を下げるより自分をあげよう。

それを心に誓う真昼だった。


カーテン越しにふと、衣擦れの音が耳朶に触れる。


この薄っぺらな布越しに夜庭めざめが服を着替えているのだ。さっきからずっとそうだったし、そんなものはごく当たり前のことである。

……にも拘わらず、そうと実感した瞬間浮ついた気持ちになった。まるで、大金の入った財布を忘れてきてしまったときのように。


(もし、暴漢がここにきて私を押しのけていったら……)


ありもしない仮定に背筋が寒くなる。

めざめは吸血鬼だ。人間の腕力ではどうあがいたって勝てはしない。

けれど彼女の容姿は華奢な女の子だから……。

真昼はめざめの陶器のような肌が衆目に晒されてはならないと、ツバを呑んだ。


「着替えたわ。……なに怖い顔しているのかしら」


「えっ、あ、うん。なんでもないよ」


「……? そう」


「スゴく可愛いっ! やっぱり私の目に狂いはなかったよ」


濃いブルーの、丈の長いワンピースだった。

腰のあたりにベルトがついていて、襟ぐりだけ布地が少ない。そのおかげで、生地の暗い色とめざめの真っ白な肌とがコントラストを描いており、引き締まって見えた。すねのあたりまで布で覆われた露出の少ない恰好である。


普段、めざめはドレスのような恰好でいることが多い。

そのせいで、少しシックな印象の衣服がよく似合って見えた。


「私に似合っているというより、貴女の趣味なんじゃないの……? こんな服、誰が着たってたいていはこうなるでしょう」


「残念ながらめざめちゃんは、超がつく美少女なんだよ……」


私とは違って、と内心で付け加える。

真昼はそばの棚に置かれていたハットを手に取って、自分の頭にのせてみた。特に意味はなかったけれど、


「あら、あまり似合っていないわね。けれど悪くないわよ」


とめざめに混ぜっ返されて、愉快な気持ちになる。


「できれば似合ってるものが欲しいかも」


「なら、オシャレは諦めた方がいいかもしれないわね」


「ヒドいよっ⁉」


「冗談よ。でも、ツバの広いハットは貴女には似合っていないと思うわ」


「うーん、そうだよねぇ」


落ち着いた雰囲気の、オトナが被るから格好いいのだ。

もしくはたっぷりとひげを蓄えた老紳士。あるいはロマンスグレーのおじさまだろうか。


「でも、今が制服だからっていう可能性もあるよ? ほら、帽子自体は可愛いし!」


「お爺さんが被っているものと大差ないと思うけれど」


「ええー、そうかなぁ?」


モンブランのような色合いで、ごわごわとしたさわり心地も高級感があっていい。どうやらめざめのお眼鏡にはかなわなかったようだ。


「あ――」


「ん? どうしたのめざめちゃん」


「こっちに来て」


めざめが小さく声を漏らしたかと思うと、そのまま真昼の腕を引いて試着室の中に入った。

無理矢理に引っ張られたわけではなかったけれど、状況が飲み込めず真昼はされるがままに従う。


「も、もしかして第三継承者っ?」


めざめがさっと試着室のカーテンを閉めて、密室が完成した。大きな声で訊ねては彼女のとっさの機転が無駄になるかもしれないと思い、声を押し殺して訊ねる。


「いいえ、違うわ」


「えっ、違うの? じゃあ――」


「クラスメイトよ。貴女の友達。名前は確か……佐藤綾」


「綾ちゃん? 放課後だし、確かにここにいてもおかしくないね」


真昼は時々しかこの複合商業施設へ足を運んでいないが、クラスメイトは毎日の様に立ち寄っているという。

なんでも、カラオケで放課後を使い果たすか、ウィンドウショッピングで使い果たすか、教室での雑談で使い果たすかが主流なのだとか。


「どうして隠れたの……? 綾ちゃんなら、別に隠れる必要なかったんじゃ……」


「……そうね……いえ、そうじゃないわ」


「?」


小首をかしげたときに、被っているハットにぶら下がったままの値札が左右に揺れて、真昼のうなじのあたりをなぞった。

くすぐったくて、チクチクする。


「真昼ちゃん」


めざめがついと視線を上げたとき、彼女の瞳が真っ赤だということに気づく。

ただ、決して充血しているわけでも、泣きじゃくったあとというわけでもない。

佐伯真昼という人間が彼女の瞳に「赤」を見ているという、それだけのことだった。


「えっ、な、なに……?」


ゆっくりと身体を近づけ、真昼の身体を壁際に追い込むめざめ。

試着室は一人で使用することを想定されている。

だから、いくら華奢なめざめとはいえ二人きりは狭かった。


あっという間に追い詰められて、真昼は何が何だか分からないと目を白黒させる。相手を突き飛ばすような空間もないから、腕は必然的に抱き留めるような恰好になった。


めざめが口元を、真昼の耳たぶにそっと沿わせる。


ずぶ濡れでプールサイドに体育座りしているとき、ふと鼓膜に触れる小さな――水音。


ぴちゃん。


「ひ…………ぅっ」


「血を、吸わせて」


めざめは承諾を待つことなく、唇をすすす……と下へおろしていった。

それに伴って、彼女の身体も僅かに前傾姿勢になる。


真昼の目の前では色素の薄い髪束が揺れていて、そのカーテンの奥に形のいい耳が見えた。

耳たぶの上辺がほんのりと桜色に染まっているのは、光の加減で血が透けて見えているせいだろうか。


「声……我慢しなさい」


囁かれてはっとする。


以前、廊下に学友がいる中教室で吸血行為をしたことがある。けれど今は、それ以上の人混みの中にいるのだ。


真昼は舌先からこぼれ落ちそうになった吐息を、自分の人差し指を加えて我慢した。身体が強ばったせいか、被っていたハットが少し斜めにずれる。


つい先ほどハットの値札が触れてくすぐったかった場所に、ややあって噛みつかれた。

吸血のはじめは、痛みを伴うときと、そうでないときとがはっきり分かれるのだが、今回は後者だった。


首筋を始点にして、植物の根のように身体を走り抜けていく鈍い痛み。

人差し指の第二関節あたりを唇で食んで、それに耐えた。


「ん…………っ」


鈍痛と、血液が抜かれていく浮遊感に耐えている間に、めざめの片手がそろりと制服の腹のあたりを撫でた。


(めざめちゃん……まただ……)


吸血をしている間、めざめはふれあいを求めてくる。

普段のクールで冷ややかな印象とはまるで対照的に、ずっと捨て置かれていた子犬のような懸命さだった。


彼女は「雰囲気が大事だから」と言う。

けれど真昼にはどうしても、彼女の背後にある『吸血鬼の孤独』へ目を向けずにはいられなかった。


(寂しい……のかな)


めざめの指が制服の内側へ侵入してきて、皮膚の上から肋骨をなぞってのぼってくる。やがてブラジャーと身体との境目に、彼女の指が到達した。

くすぐったさと、恥ずかしさ。どちらを感じるべきか分からぬまま、


「じっとしていて」


そう囁かれて、身動きがとれなくなった。


吸血鬼の力というわけではないのだろうが、彼女の言葉には思わず従ってしまう魔力が秘められていた。


座って。

上着を脱いで。

寝転がって。

目をつぶって。


耳元でそう指示されると、どうしてだろうか、抵抗できない。

そもそも抵抗するつもりもないのだけれど。死なない程度に血を提供するなんて、これまでにも何度も献血でやってきたことだ。

対象が、一個人に変わったというだけで。


真昼の心臓の鼓動を確かめるように、めざめの手のひらが双丘の上で彷徨う。

その動きに呼応するように、心臓が跳ねた。


(いや……血を抜かれてるから、なのかな……)


視界がぼんやりと歪んでいく。

胸のあたりをうろついていためざめの手が、脇腹を通り抜けて背中に辿り着いても、さほどくすぐったさを感じなかった。


長時間正座をしていたときのように、感覚が曖昧になってくる。

ブラジャーのサイドベルトを指先がなぞっていく。

その不思議な心地の中にたゆたっていると、突然耳の奥で小さな音が爆ぜた。


――ぱちん。


その正体は、考えるまでもなく直感で察することができた。


「ホック…………っ!」


「おしまい」


勝手にブラのホックを外されて、抗議しようとした真昼をあっさりと回避する。

しなだれかかるようにしていた身体をぱっと離して、全身に満ちていた浮遊感は瞬く間にたち消えてしまった。


「はぁ……はぁ……はぁ……っ」


「ごめんなさい。突然」


「ううん……いつもの、ことでしょ?」


ニコリと微笑んでみせると、それにつられてめざめも口元を綻ばせた。


真昼は身だしなみを整えながら、自分がぐっしょりと汗をかいていることに気づく。

狭い空間で、身体をくっつけていたのだ。当然、体感温度はぐっと上昇する。

夏の訪れがもうすぐそばにまで迫っているこの季節は、なかなか汗がひかなかった。


数分して、頃合いを見計らって試着室を出た。

二人同時に出てくるところを見られるわけにも行かないので、小心者の真昼の肝は冷えっぱなしである。火照った頬とは対照的だった。


「じゃあ、このワンピースとこのハット、買ってくるね」


「ハットも買うのね」


「うん。試着しっぱなしで……ごにょごにょ……しちゃったし」


「そ。立派な心がけだと思うわよ」


興味なさそう……。

レジに持って行くと、二十代半ばのオシャレな女性店員が接客してくれた。手際よく衣服を折りたたみ、ささっと値札を外していく。


「ポイントカードはお持ちですか?」


「あ、いえ……大丈夫です」


「かしこまりました。……あら?」


店員が手を止めた。


「えっと、どうかしました?」


「こちらの商品なんですけれども、値札に血液が付着しておりまして……大変申し訳ございません。ただいま、同じ商品の別の在庫のものをお持ちしますので、」


血。

その一言に、心臓がドキリと跳ねた。


(さっきのせいだ!)


「いえいえっ! いいんです! それで、はい!」


「え、その、在庫を調べてお持ちしますけど……」


「大丈夫です!」


「はぁ……? なら、こちらで」


怪訝な表情を浮かべた女性店員から紙袋を受け取って、真昼は大きく息を吐き出した。


ともかく――バレずに済んだ。


心臓はずっと前から、鳴りっぱなしだった。


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