第12話 夕刻ランデブー
節海女子生にとっての定番の寄り道はなんですか、とアンケートをとれば、おそらく九割以上の生徒が駅前のショッピングモールだと答えるだろう。
残念ながら、大都会のショッピング施設には敵わない。
けれど……アパレルショップや飲食店、本屋にゲームセンター、CDショップ。
放課後を持て余した少女たちが時間を浪費するのに、これ以上おあつらえ向けの施設を真昼は知らなかった。
「スゴい人混みね。まるで麦チョコだわ」
「何そのたとえ……? 別に今日はさほどこんでなさそうだけどね」
「真昼ちゃんはよく来るのかしら?」
「よく、ってほどじゃないよ。そりゃあ便利だからね、時々は来るけど」
「そうなの」
「綾ちゃんとかクラスの人は、毎日のように来てるみたいだけど」
真昼には真似できない。
とはいえ、その気持ちは十二分に理解できた。
アパレルが立ち並ぶ二階を見て回っているだけで、半日くらいは簡単に過ごせてしまう。特別オシャレに気を遣っているわけではない真昼でさえそうなのだから、ファッションモンスターの綾なんて……。
真昼はチラリと隣を見やった。
めざめの表情に特段の感情は見受けられない。だが真昼には、彼女が少し怯えているように見えた。同時にワクワクで浮き足立っているようにも見える。
まるで、テーマパークに迷い込んだ子供のような。
(だとしたら、私はめざめちゃんのお母さんかな)
ちょうど、手も繋いでいるし。
逆立ちしても親子の年齢差には見えないだろうけれど。
「で、どこにいくの……?」
「え?」
「だから、この場所でじっとするためにここに来たわけじゃないでしょ?」
「それもそうだね。ならテキトーに見て回ろうよ」
軽くめざめを引っ張って、二人で人混みの中へ歩き出した。
最初に立ち寄ったのは本屋だった。好きな漫画の新刊と、授業用のノートを購入したかったのだ。
「本屋なら学校の近くにもあるじゃない。確かにここより幾分、古ぼけているけれど」
「私たちショッピングしに来たんだよ。本屋に来たわけじゃないもん」
「そういうものなのね」
「多分そうだよ」
せっかくなので、本棚の間を散歩してみることにした。
服ほどではないけれど、書店の散策も楽しいものだ。最近はすっかり活字離れしてしまっているけど真昼はもともと読書好きだし、色とりどりの表紙を眺めているだけでも賑やかで楽しい。
文芸書コーナーへ足を向ける。
めざめは本の背表紙を目線で舐めながら、
「久しく、本は読んでいないわね。子供の頃は好きだったけれど」
「意外」
「そうかしら?」
「うん。だってめざめちゃん、知的な雰囲気を纏ってるよ」
「読書家の中にも大馬鹿者はいるわよ、きっと。その逆もまたしかり」
「自分が知的な雰囲気を纏っているのは、否定しないんだね」
「知的なのよ、雰囲気を纏っているわけではなく」
自分の肩にかかった髪を払って、平然と言ってのける。冗談の類いだろうけれど、不思議と説得力があった。
彼女の人間離れした容貌がそう思わせるのか、それとも涼やかな声音が納得させるのか。
「でも、あまり本を読まないとしたら、屋敷では何をしてたの?」
真昼の中にはイメージがあった。
紅茶を啜りながら、分厚い洋書をペラペラとめくる夜庭めざめ。
紙面には英語だかフランス語だかドイツ語だかが並び、部屋には薄暗がりが満ちていた。
穏やかだけれども孤独な時間は、遮光カーテンを隔てて太陽と隔絶されている。
根拠のない妄想だけれど、なんの疑いもなくその光景が真昼の脳裏にはあった。
「言ったでしょう。何もしてないって」
「何もしてないって……文字通り、何もしてないの?」
「ええ。寝て、起きて、思いつきで食事するのよ」
「食事……それって、食物の方? それとも、血液の方?」
めざめが普通の食物を食べられることは知っていた。
紅茶はもちろんとして、クッキーやチョコレートのような茶請けから、クラスメイトに分け与えられた惣菜パンまで。
人間と違って栄養効率はさほど良くないのだろうけれど。
「知りたいの?」
「え……」
「私の普段の食事――血を吸っているのか、食べ物を食べているのか」
真昼の顔をのぞき込んだ、吸血鬼の瞳。
本屋の店内で、その瞳はグレーに見えた。美しく磨き上げられた墓石の表面のように、真昼のぼんやりとしたシルエットだけが映り込んでいる。
「う、うん……興味、あるよ」
「そ。――答えは普通の食べ物よ。私はとても吸血能力が高いから」
「一度吸ったらしばらく吸わなくてもいいってこと?」
「ええ。お天道様の下に出ようなんて思わなければね」
「あはは……」
「吸血の方を好む吸血鬼もいるらしいけれどね。私は外を出歩くのが面倒になることの方が多いから、わざわざ血を吸おうと思わないわね」
ベッドに入り込んだが最後、ご飯もお風呂も面倒になるあの現象と同じだろうか?
真昼は、うめき声を上げながらベッドでゴロゴロしているめざめを想像して思わず笑ってしまった。ありありとその姿が妄想できるからだ。
(朝一はいつもそんな感じだし)
「ていうか、吸血能力っていうのがあるんだ?」
「あるわよ。同じ人から同じだけ血を吸っても、それをどれだけエネルギーに変換できるかが各々で違うのよ。人も同じじゃないかしら。少しの量で満腹になる人と、沢山食べなければ満腹にならない人。私は前者なの」
「その例えは能力とはちょっと違う気が……? でも、うん、分かるよ」
本屋での買い物を済ませ、二人は店を後にした。
目の前にコーヒーショップが見える。
薄暗くされた店内にはまばらに人がいて、みな歓談に花を咲かせていた。テーブルの上に、パイ生地で円形に成形され、その上にたっぷりと生クリームをのせた絶品(確定)が見受けられて、真昼の胃袋がうずく。
「なら、あの店に行きましょうか?」
「えっ、私そんなに物欲しそうにしてた⁉」
見透かされたような提案を受けて、思わず過剰に反応してしまう。
「ええ。それはもう、いつものように」
「私いつも物欲しそうなのっ?」
「そこが貴女の可愛いところでしょう? いやしんぼうさん」
「あんまり可愛い響きじゃないよ……」
めざめの提案に従って、コーヒーショップに入った。
飾り立てられた黒板にはおすすめメニューが記され、調度品は黒やベージュなどの落ち着いた色で統一されている。
壁際に配置された観葉植物や、壁に掛かっている現代アートらしきものも、店の格式を一つあげているような気がした。
なんだかオトナな雰囲気であるが、自分たち以外にも制服の客が見受けられる。
他校生徒のカップルだ。自分と同年代の人間を見つけて、真昼は少しだけほっとした。
「来たことがなかったのかしら? このお店」
「うん。私、基本的に家でご飯食べるからね。あまり外食していかないんだ」
「そう。初めてなのね」
「? そうだよ?」
よく分からないところを反芻するめざめ。
彼女が楽しそうだからいいけれど。
私はなんでもいいわ、貴女にお任せする。という随伴者の言葉を受け、真昼はエスプレッソと絶品(確定)ケーキを二セット注文した。
五分ほどカウンター脇で待って、注文したものを受け取る。
北アルプスのように盛り上がった生クリームに、ラズベリーのソースがかかっていた。頭のどこかで健康に悪そうだなぁ、脂肪分の塊だなぁなどと考えつつも、あふれてくるよだれを抑えることはできない。
二人がけのテーブルに向かい合って着座した。
「なんだか居心地が悪いわね。場違いな気がしてくるわ」
「そうかな? めざめちゃんなら全然オシャレさに負けてないと思うよ?」
「吸血鬼だからかもしれないわね」
気にする必要はないと思うけれど……真昼には理解してあげられない。
言葉だけの同意をするのは、むしろめざめに失礼だと思った。
「真昼ちゃん。貴女は気にしていないのかもしれないけれど……いえ、きっと気にしていないんでしょうけれど、私は責任を感じているのよ。第三継承者が白昼堂々と貴女を狙ってくるなんて、私はすっかりあり得ないと思い込んでいたの」
「気にしないでよっ。だって私を助けてくれたのも、めざめちゃんなんだから」
「そもそも私がそばにいれば、あの女に襲われることもなかったのよ」
「可能性の話だよっ。そばにいても、襲ってきたかもしれない」
真昼はフォークを手に取って、ミルフィーユ状になった生地に突き立てた。一口に最適な生地と生クリームとベリーソースの量を考えながら切り分けて、それを口へ運んだ。
「貴女、死にかけたわりにずいぶん余裕そうね」
「そうかな? うーん……そうかもしれない」
ただ、真昼には殺されかけた自覚がなかった。
第三継承者は、殺そうと思えば真昼を簡単に殺せる立場だったのだ。にも拘わらず、彼女は真昼を痛めつけるだけだった。
「なんでだろうね。最初よりは怖くなかったよ。第三継承者」
「それは重畳ね」
「めざめちゃん、この後行きたいところある?」
ようやくケーキに手をつけためざめが、口にする前に手を止める。ややあってから、「特にないわね」とだけ答えた。
「なら服を見に行こうよ」
めざめは何だって着こなしてしまう。
真昼と同じ制服を身に纏っても、シンプルな部屋着に身を包んでも、人とはどこか温度感が違った。単純な『人間と吸血鬼の違い』ではなく、天賦の才だろうと真昼は思っていた。
反面、彼女はオシャレというものに興味を示さない。
夜庭邸二階の衣装部屋に山のように積み上げられた衣服から、目についたものを身につけるだけだ。
ほつれていても、多少痛んでいても気にしているそぶりを見せなかった。
(確かに、屋敷にある服はどれもスゴく高価に見えるけどね……)
けれど少し不健全だ。
着たいものを着た方が、日々はずっと彩られるはずだから。
真昼はスニーカーのつま先で、もう片方の踵を軽く蹴る。
(このスニーカーと同じだよ)
「そうね。……服を買うなんて、ずいぶんと久しぶりのような気がするわ」




