穴穴
校門を出ると、背後から呼び止められた。聞こえなかったふりをして、そのまま歩き続けていたら、
「ねえ、ミサキ、一緒に帰ろうよ」
ランドセルを掴まれて、左右に揺さぶられる。小柄なミサキはよろめいた。
同じクラスのナナちゃんとシオリちゃん。二人はミサキを挟んで、横一列に並び歩き始めた。
「ミサキ、わたしのランドセル持ってよ」
ナナちゃんがミサキの肩に、背負っていたランドセルをかけた。するとシオリちゃんも、運動着を入れた鞄をすかさず押しつける。
「助かるぅ、ミサキは持ち物係だもんね」
キャハハ、と高らかにナナちゃんは笑っている。
シオリちゃんはずっとミサキのランドセルを引っ張っている。転びそうになるミサキを見て、ナナちゃんは一際大声ではしゃぐ。
「いつものあれ、頂戴よ」
駅に到着するなり、ナナちゃんは顎で自動販売機を指した。
財布の中身をミサキが確認していると、
「もたもたすんなよお」
シオリちゃんに脛を蹴られた。
足を引き摺るミサキに、二人は腹を抱えて涙を堪えていた。
自動販売機には、美味しそうな色とりどりのアイスクリームが描かれている。ミサキは一度も食べたことはない。
各駅で彼女らを見送って、掌に押しつけられたアイスクリームの包装紙を、降車駅で捨てた。
トイレでべとついた手を洗い、家に帰ると、お母さんが怖い顔をして待っていた。
「ミサキ、どういうことなの、説明しなさい」
毎日のアイスクリーム代が足りなくなったミサキは、お母さんの財布から時々お金を抜き取っていたことがとうとう明るみに出てしまった。
「黙ってても分からないでしょう。一体何に使ったの」
本当のことをミサキは言えない。もしも学校の先生に伝わって、ナナちゃんやシオリちゃんが注意されれば、もっと酷い仕打ちが待っているかも知れない。
結局口を割らないミサキに、怒ったお母さんは、今月からお小遣いをくれないと言う。
「どうして誰も助けてくれないんだろう」
ベッドに潜り込んだミサキの頬を涙が伝った。
翌日もまたナナちゃんとミサキちゃんに捕まった。
「ミサキ、今日はアイス二個食べたい」
「そうそう、暑いからねー」
ナナちゃんとシオリちゃんに合わせて四つのアイスクリームを買ってあげられるお金なんてない。正直に告白すると、
「じゃあ探せよ」
シオリちゃんはミサキの頭を叩いた。ミサキは痛みに蹲る。ナナちゃんが大笑いしている。
自動販売機の下に手を入れて、這いつくばったミサキの背中をナナちゃんが面白がってつつく。
「お金、あった?」
「早くしないと、みんな見てるよ」
二人に急かされたミサキの指先が、固いものに触れた。
恐る恐る手を開くと、五百円硬貨が乗っていた。
五百円は、うっすらと赤黒い染みがついていて、ミサキは気味が悪く、出来る限り早く手放したかった。
ナナちゃんが赤黒い五百円玉をミサキから奪って、
「どれにしようかなあ」
口を尖らせて迷っていると、シオリちゃんがボタンを一気に押した。
「ちょっとシオリ!」
「いーじゃない、早く食べたいしさ」
舌を出すシオリちゃんを睨み付けながら、ナナちゃんが取り出し口に手を入れる。
「あれ、シオリ、選んだのはこのアイス?」
「分かんない、いっぺんにボタン押したから」
ナナちゃんは、真っ赤な包装紙を解くと、中から黒っぽいソースにまみれたアイスが露になった。
「イチゴじゃ、ないわよね」
「ブラックベリーかしら」
二人は怪訝そうな顔をしているが、一口頬張ると、顔を綻ばせて、夢中でかぶりついている。
余程美味しいのか、二本目もペロリと平らげたナナちゃんが、ミサキのお腹を叩いた。
「次お金用意できなかったら、分かってるよね」
「痛いっ!」
算数のコンパスを取り出したナナちゃんは、ミサキの腕に躊躇なく刺した。
シオリちゃんが後ろから羽交い締めにするから、抵抗のできないミサキの体の至るところにコンパスの跡がついた。
このときミサキは心から願った。
「意地悪する人なんか、みんな消えちゃえばいい」
ポツリと呟くと、
「何か言った?」
シオリちゃんがミサキの頬をつねった。
つねる強さが徐々に小さくなってくる。
「ヤバイ、お腹痛い」
「あたしも。冷えたかな」
ナナちゃんとシオリちゃんが慌てふためいている。とても苦しそうにホームをあっちに行ったり、こっちに行ったり落ち着かない。
やがて列車がやってくると、二人はとり憑かれたように線路へ向かって走り出した。ミサキが唖然としている内に、二人の姿は列車の影に消えた。
物凄い音をたてて停止した電車の車輪は赤黒い染みがついていた。
家に帰ると、鍵が開いているのに、お母さんの姿が見えない。
「お母さん?」
リビングには毛むくじゃらの黒い塊が蠢いていた。
「やあ、ミサキちゃん。どうだい願いが叶った気分は」
「お願いなんてしてないよ」
「それは嘘さ。キミはナナちゃんとシオリちゃんに消えて欲しかったじゃないか」
ミサキは腕のコンパスの傷を擦る。
「それは、本当にそうなるなんて思わなかった。それよりお母さんはどこ?」
「お母さん?ああ、ミサキちゃんに意地悪した人はみんな消してしまったよ」
「何でよ、お母さんは何もしてない」
「いいや、お小遣いをくれないって、確かにそう言っていた」
「そんなこと。酷いよ」
ミサキは膝から崩れ落ちた。
ナナちゃんとシオリちゃんを呪ったから、二人に消えて欲しいと願ったから、お母さんまで消されちゃったんだ。
学校の先生の言葉が蘇る。
「人を呪わば穴二つ」
毛むくじゃらの黒い塊は、かげろうのように揺らめいて、端まで裂けた口を大きく広げている。
「どうしたらみんなは還ってくるの」
「どうにもできないさ」
「教えてよ」
「それは無理だ。消してしまったものは元には戻せない。あれほど嫌がっていたじゃないか」
ミサキは流れる涙を止めることができない。部屋はミサキの涙で満たされて、毛むくじゃらの黒い塊も、ミサキも息が止まって意識が途絶えた。
暗闇の中でミサキは目を覚ました。時計の針は午前零時を示している。
ベッドから起き上がり、リビングへ向かうと、
「ミサキ、まだ起きてたの?」
お母さんは驚いて口に手を当てている。リビングの机には、破れた教科書や、折れた鉛筆が並べられていた。
「お母さんごめんなさい、実はね」
みなまで言う前に、お母さんがミサキを抱き締めた。
「ごめん、お母さんは何も分かってなかった。ごめんね、ミサキ、ごめんなさい」
正直になるのが難しいときもあるけれど、勇気を出して本当のことをお母さんに伝えることができて良かったと思う。
明日学校に行ったら、必要のなくなった包丁を家に戻さないと。またお母さんにバレてしまう前に。
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