魔王の巨人なお店
柔らかな春の日、平和な王国の首都たる王都。文句のつけようもない平和な一日が今日も繰り返されています。
そんな王都のとある大通りを、足早に進んでいるのは綺麗な顔の冒険者さん。彼女の眉間には深いしわ。そんなにくっきり刻み付けたら金輪際取れなくなってしまいそう。
もちろん彼女が不機嫌なのには理由がありました。近頃囁かれている噂によるものーー商売が免許制のこの王都において、何でもかんでも売り買いする店がオープンしたのだそう。それがまた人気なのですって、彼女の実家の喫茶店を差し置いて!
「武器とお茶と呪文を並べて売るなんて正気の沙汰じゃないわよッ!」
彼女の怒りはごもっともです。どこの街にそんなものを並べて売る店があるのでしょう。おまけに、その店では店主が繰り出す世間話に上手いこと付き合わなければ何一つ売ってもらえないのだとか。なんたる傲慢。
もはやこれは店主の面を拝まねばなるまいと(もちろんお茶に関して少々物申すつもり)、そういうわけで、老舗喫茶店の末娘にしていっぱしの呪文剣士、アンは噂のお店へ邁進しているのでした。なお、家族は浮草家業の冒険者なんて早いところ引退してもらいたいと思っています。
さて、アンは大通りを3往復と少しして目的の店を見つけ出しました。何しろこじんまりしている上に看板がないものですから、見つけるまでに随分探す羽目になりました。看板なんか出した日には、看板で店が隠れてしまうのかもしれません。アンはそのあたり寛容でしたので、そう言うこともあるかもねと頷くだけに留めておきました。別に店主に恨みがあるわけでなし、とにかくお茶を出すのをやめてくれれば良いのです。
「頼もうッッ!」
お店に入る際の掛け声とはとても思えぬ台詞ですが、アンは至って大真面目でした。これから物申すつもりですので、これでいいのです。
「やあ、いらっしゃいませ」
傍から見れば、アンは大変怪しい客でありました。しかしさすがは節操なくなんでも売る店の店主です、なんら動揺を伺わせない穏やかな声が返ってきました。
「ここってなんでも売ってるって本当?」
カウンターの向こう、帳簿でもつけていたのでしょうか、パーテイションの向こうにはちらりと大きな机が見えています。返事はそちらからあったようでした。まあ、聞く相手が店員だろうと店主だろうとアンには関係ありません。とにかくお茶を。それも即座に。アンは意外にも家族思いでありました。
「ええ、こちらは初めてですかね……当店では、売れるものならなんでも売りますし買えるものならなんでも買いますよ。値札がないのもウリですね。やあすみません、ちょっと棚を整理していたもので、お待たせしましたね」
なんだかどうでもいいことを言いながらパーテイションから姿を表したのは、どう見ても魔王でありましたので、アンは比喩でなく数十センチほど飛び上がりました。アンとしては、腰を抜かさなかった自分を褒めてやりたいくらいです。
「まままっまままま魔王!!!」
「ええっ魔王? 大変だ、どこですか?」
大変立派な角を生やしておきながら、なんとも間の抜けた店主はきょろきょろと辺りを見回しました。血のように赤くねじれた角が風切り音を立てて振り回されています。
「あ、あんたでしょうよ! そんなツノ生やしてんだから!」
アンの渾身のツッコミに、店主は角で風を切るのをやめました。カウンターの上の何かの書類が少し乱れてしまっています。
「ああ、なんだ。これはつけ角ですから大丈夫ですよ。驚かせてしまいましたね」
店主はどちらかと言えば冷たさを感じる容姿ですけれども、ほのぼの笑って見せるものですから、アンは毒気を抜かれてしまいました。本当は、若白髪にしてはあまりに均一な白い髪とか、生え際までナチュラルな自称つけ角とか、どう考えても人間色ではないほぼ白の瞳孔とか色々問いただしたかったのですが……
「あ、あ、そうなの。騒いじゃって悪かったわね……」
「ええ、ええ。すみませんね、趣味でつけているのですが。だいぶみなさん見慣れてきたのか、話題にも上らなくなってきていたので油断していました、ははは」
ニコニコする店主にうまいこと言いくるめられて、お茶の話をするまでに5回以上通うことになるなんてーーアンはこの時ちっとも思っていませんでした。ああ、まさか、呪文剣士の装備を整えるためにあちこちのお店を梯子しまくり、相見積もりを取り、比較検討、組み合わせを調べていた手間が、この胡散臭い店主に頼めば一式スパンと揃ってしまうなんて。
呪文と盾のどっちを装備すべきかなんて贅沢な悩みを抱える日が来るなんて思いもしなかったのです。
しばらく後、アンは人気の呪文剣士になれました。実家の喫茶店はお茶を諦め、コーヒーとお菓子を売るようになりました。これはこれで人気のようなので、店主も一安心です。
「いや、手広すぎるのも少し難点かもしれませんね。喫茶店にまでは気が回りませんでした」
店主は角をピカピカに磨いて満足げに息を吐きました。自称つけ角なのですから、外して磨けば良いものを。
「隠居生活も楽じゃないなあ。しかしここは平和で良いや。つけ角と遺伝で全て押し通せるなんて流石に思わなかった」
店主はニコニコして温かいお茶を飲んでいます。何しろワンオペなので、その辺はゆるゆるです。
「ミントを束にして薬草とか、売ってて我ながらどうかと思うけど。まあ安いし、許してもらおう」
店主は見た目通り、なかなか非道なのでありました。なおこのミントはかじっても傷は治りません。