金持ち家族と貧乏家族
妻の友人は、二十数年前、一流企業に勤める今の夫と結婚し、その後は一度も働いたことがなく、立派な家に住み、食料は生協の宅配、買い物の苦労もなく、コンサートだ、ランチだと、遊びまわる人生を送っている。
片や妻は私のような貧乏労働者と結婚し、語学講師という恵まれたパートではあるが、20年以上仕事を続け、それでやっと私の収入と合わせて小さな家を買い、買い物にも気を使って節約している人生。
この夏、妻のその友人はアメリカに、ツアーで親子3人で遊びに行き、グランドキャニオンなどの観光地に連れて行ってもらって見物するという、70万円程かけた旅行をした。
わたしの1人息子は大学のサークルの合宿で、何かあった時のために7万円をポケットに入れ、10日間かけて金沢から琵琶湖まで、200キロを歩く旅をした。自炊もするし、毎日野宿である。田舎の人々との様々な交流もあるだろう。しかし毎日が猛暑、それこそ命をかけている。
アメリカに行った友人の高校生の娘は、私は絶対金持ちと結婚すると、今から宣言している。
私の子供は青春を悩み、高校を3年の時退学し、1年半のアルバイト生活ののち、一念発起して猛勉強し、大学に入ることができた青春。
そして妻の友人の奥さんは、うちに遊びに来た時、一言、拓哉君もね、お金貯めて卒業までにアメリカかどっか行ったほうがいいよ、と言った。
拓哉は高校2年の時、オーストラリアに2週間ホームステイで行ったことはあるが、アメリカやヨーロッパには行ったことがない。
が、私は思う。
1日20キロ、10日間で200キロを自分の足で歩き、ゴールの琵琶湖が見えてきた時の拓哉はどんな気持ちだったろうかと。その気持ちは、ツアーの旅行しかしたことのない、妻の友人の奥さんにもその娘にも決して分からないだろうと。
私は我が家の貧乏を、今まで決して良いものとは思わなかった。しかし、ふと、この金持ちの親子3人と、私たち親子3人の、心の断層写真を撮ったら、少なくとも子供に関しては、決して彼らの断層写真より悪くないのではないかと、ふと思ったのだ。もちろん、貧乏人のひがみでも何でもなく。
人生を構成する要素は様々ある。何がいいかなんて、決して金だけでは決められないのではないか。