日常は元に戻らず
レアクトと名乗り悪魔を自称する青年と握手をした翌日の昼頃。慌ただしい様子の祖母が個室を開けて飛び込んできた。なにごとかと思うも、涙を浮かべ安堵の色を見せる祖母に私は何も言えなかった。
確かにかなりの量のガソリンであっただろうし、レアクトを名乗る青年の助けがなければ恐らく私は死んでいただろう。だが、この狼狽ぶりはなんだろうか。
「ちゆちゃん生きてたの? 良かった良かった……」
「おばあちゃん……?」
祖母は私の両手をきつく握りしめると蚊の鳴くような声でそう呟き続けた。あまりの状態に私も些か対処に困る。確かに家が焼かれたのは困るが、ここまでの反応を見せる必要はないのではないか?
そう、たかが家を焼かれたぐらい、再起ぐらいできるはずなのだ……。そう家を焼かれたぐらいでは……。
「ちゆちゃんだけは生き残って良かったよ……」
そこからは、私は記憶にない。
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「……知ってたの?」
「まあね? ていうかあそこまでガソリン撒いて、僕の加護なしの生き残ってる方が怖いだろう?」
夕方。気が付いた時には祖母は帰っていたようだ。どれだけぼうっとしていたのだろう。祖母の言葉を脳内で反芻しながら窓の傍に陣取っているレアクトに呟いた。
つまり、両親も兄も助からなかったということになる。事実を認識したわけでも知覚できたわけでもないが、そうであるらしいことは頭の中に入った。
なんとなく、現実感がない。心のどこかで嘘だろうと決めつけている自分がいる。しかし、これが事実であるならあの祖母の狼狽ぶりも腑に落ちてしまうし、なにより祖母が孫にこんなにも性質の悪い冗談を吹き込むわけもないだろう。
「どーする? 手始めにご家族の復讐からやる?」
「そんなわけないでしょ、復讐なんてやらない。そんなことしたらアイツ以下になっちゃうじゃないの」
「そうか」
そう言ってレアクトは肩を竦める。その仕草に私は煽るような感情が見えて苛立ったが、今はそんなことを気にしてる余裕はないのだ。
家族も家も、燃えてしまってないのだ。恐らく私は祖母に引き取られるだろうが、住所や通学路など今までと生活は大きく異なるものになるに違いない。復讐など、やる余裕はない。
そもそも、復讐は犯罪だ。許されることではない。仕事でどうとか言われても今思うと本当にやるかどうかも怪しいのだ。
「ていうか、そんなことして誰が救われるの。死人がそれを望むとでもいうの?」
「いんや、死人が救われるわけないさ」
笑うレアクトが本当に理解できない。なら、復讐なんてすることないのに。
「だって死んだ瞬間、もう彼ないし彼女らは笑うことも怒ることもできなくなるんだよ? 死ぬってのはそういうことだ。復讐で救われたいのは残された人間だけ。自分から大切な人間を奪った怨嗟を晴らす、それが僕の考える基本的な復讐」
「なにを言ってるの、意味がわからない」
「なぁに、死んだアイツの無念を晴らすだの言っても結局は自分のためだってことだよ」
「……」
今一つ納得できない。くつくつと嗤うレアクトに当惑するしかなかった。経験も知識も足りない私は、彼の言葉を肯定することも否定することもできなかった。
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「もういいの? 学校休んだら?」
「大丈夫、まだ現実感ないし、授業遅れたくないし」
退院後、やはり私は一番近場に住んでいる祖母の家から学校に通うことになった。まだ慣れないし、家族が死んだという事実を実感できていない。心のどこかでまだ生きているのではと思っている部分が大きい。
自転車で駅に向かい駅から電車に乗る。電車に乗りながら、過去を振り返る。
ああ、親孝行できなかったなぁ……。時間が経つごとにいなくなったという事実がじわじわと胸を巣食い始めていく。知らないうちに目に涙が溜まった。
きっといつかこの生活に慣れていくんだろう。
「や、生活は割と順調みたいだね」
「!!?」
不意にかけられた声にびくっと身体を跳ねさせ、そちらを見ると退院以降姿を消していたレアクトが私の隣でつり革を持ってこちらを見ていた。
彼は病院で見た時より幾分か顔色が良くなっているが、それでも目の下の隈は消えていないし病的な印象も残っている。しかもコートで隠れていた首の絞め跡は未だに残っている。
「いやぁ、新生活を邪魔しないようにしてたんだけどね? もういいかなって思って見に来ちゃった」
「来ちゃったじゃない」
ハートマークでも付きそうな彼にぼそりと言う。
「学校終わった後、迎えに行くからおいで。お仕事の案内をしてあげる」
「……わかった」
約束は約束。私はこの言葉に頷くしかない。復讐、するのだろうか、私が。