プロローグ
復讐。酷い目にあったら報復をしたくなるのは当然のことだ。でも、きっとそれは自分を相手以下に貶める行為でしかないのだろう。恋愛をして、結婚をして子供ができて、そういう幸せを捨ててしまうことなんだろう。
だけど、大事なものを壊されて平然としていられるわけも、なかったんだ。
昼休み。私はありきたりの学校生活の最中だ。でもきっとそのありきたりというものはなによりも尊いものだと私はアニメや漫画を鑑賞してなんとなく理解している。浅いことは承知の上だがきっとこれから生きていくにつれて深みを増していくと信じている。
一応名乗っておくと私の名前は水倉千雪。世間一般で言う二次元オタクと言われるごく平凡な女子高生である。ちなみに2年生だ。
「千雪ー、お昼食べよー!」
「うん、今日のおかずはなにかなー?」
話しかけてきた彼女の名前は有島里枝子。クラスメイトにして数少ない友人だ。別に彼女は二次元オタクではない私より今どきの女の子。お化粧にもそこそこ詳しい。
「ねー、さっきの授業わかった? わたしぜんっぜんわかんなかったー!」
「わからないことがわかる……国語しかわかんないよね」
丁度空席だった私の席に座った彼女はそうぼやきながらお弁当の包みを開ける。ここは不登校であった子の通う全日制コースのある通信高校である。ちゃんと制服だって存在している。
まあ、とにかくそういう事情があってあまり頭のいい学校というわけではないのだけど、それでも私達はあまり授業の内容を理解できていない。情けない話ではあるのだけど。
「ねー、向こうのクラスの子が相変わらず頭良くてさー。わたしそんなんわかんないよ! っことまで知っててすごーいって思ったんだー」
「あの子かー、確かにどうしてこの学校来たんだ! って思っちゃうぐらい頭良いよねー。ちゃんとしたとこ行けば良いと思うんだけどねー」
「理屈っぽいから浮いちゃったとか? わたしとしては面白いと思うけど、それぐらいしか思い浮かばないよ」
「うーん、難しいね」
他にも噂話やちょっとした教師の話題でできたとりとめのない話。こういう話がなにげに楽しかったりするのだった。
「千雪の家の近くで火事あったらしいじゃん、大丈夫?」
「あー、それねー。なんかあったんだよー。放火みたいでさ、怖くてたまんないよ」
我が家の割と近くで起こった火事。噂によると放火らしく犯人も捕まっていないとのことだ。近いし、もしかしたらうちにくるのではと内心恐ろしくてたまらなかった。消防車の音や焼けこげる臭いが漂ってきたのを忘れることができなかった。
表に出すことはなかったけど、内心震えた。
「はー、そういや明日は漫画発売するじゃん。楽しみ楽しみー……ん?」
学校帰り。自転車をこいでいる最中、一つの影があるのを見かけた。日も出てるし、別段おかしくはないだろうけど、この辺りではあまり見かけない顔であると、そう思った。
ぼんやりして帽子を被った優男風の男性。少し大きめのリュックサックが目を引く。あんなところで佇んで何をしているのだろうか。ここにはなにがあるわけでもない住宅街だというのに。
なんだか気になってじっと見ていたら男性は視線をこちらにギュンッと向けてきた。目を見開いてこちらを見るその人に、なんだか背筋が凍ってしまい私はさっさと自転車を走らせて家に向かった。
――やばいよ、目ぇ合っちゃったよ。なにあれこわっ。
最近物騒になっているという事実は本当だったようだ。
不気味とも言えるその男性のことは早々に忘れることにした。
「おかーさんどうしたのー? なんか昨日うるさかったよねー」
「あ、千雪。実はね……また近くの家が火事なんだって」
翌朝、母に聞かされた情報に愕然とすることになる。
私はどうしようもない恐怖心というか感情を抱えることになった。もしかしたらあの男性が犯人なのだろうか。警察に相談すべき? いや、違ったらどうするんだ。
ただでさえ集中できていなかったというのに、また更に集中できなくなった。
「どうしたの? なんか変だよ」
「あー、昨日ちょっと漫画に熱中しすぎちゃってさ」
「だいじょーぶ? また放火起きたんでしょー? こわいねー」
「そうだねー……」
昼にお弁当を一緒に食べている里枝子の言葉にもそう返すことしかできなかった。私は完全にどうすればいいのかわからなかった。
帰りにも私はうんうんと悩んでいた。すっぱり忘れるべきか、警察に正直に相談してみるか。日陰者だった私に確かかわからない情報を渡そうと思う程の度胸は残念ながら存在していない。けれど、人としてこれは言うべきなのだろう。もしかしたらなにかしら進展があるかもしれない。
決まりきらない心を抱えたまま自転車を走らせていると昨夜火事があった場所。今は真っ黒に焦げた木があるばかりのそこの前に一人の青年が立っているのを見かけた。
白いシャツに黒いパーカー、ジーンズという格好の青年は服装こそありふれていたが首から上はよく目を凝らすと中々におかしな存在であると気付いた。
髪の毛は銀色だし、瞳も赤い。肌も色白すぎて青白いレベル。しかも首にはなにかで絞めたような跡が残っているし顔にガーゼやらが貼ってある。
なにか精神的にヤバい人のような気配を感じ取ったため早々に通り過ぎたい。関わり合いになるととんでもないことになりそうだ。
「ねぇ、近くの人?」
「え、あ、はい」
話しかけられた。どうしよう。声は穏やかだけどちょっとしたことでプッツンする人という可能性も否めない。完全にどうしたらいいのかわからない。
とりあえず会釈だけして去ろうと背中を向けて自転車を発進させようとした。
「へぇ……気を付けてね、水倉千雪さん?」
「え!?」
どうして私の名前を。そう言おうと振り向くが、既にそこには誰もいなかった。