ストーカー生活一日目
彼女の朝は早い。
学校には遅い日でも7時30分までには到着している。
学校の朝のホームルームが8時30分からであるため、彼女は最低でも学校が始まる1時間前には学校に来ていることになる。
随分と真面目な性格である。
そんな彼女は朝早く学校に来て何をしているのかというと、本を読むだけ。
友達と会話や授業の予習といったような周りがやっていることは一切せずに、自分の席に座り、本を鞄から取り出しページをめくっている。
読んでいる本は日によってまちまちだが、彼女は普通の高校生が読むようなラノベや漫画といったものではなく、夏目漱石や宮沢賢治といったようなザ・文学みたいな本を読んでいる。
周りの目など一切気にせずに、一人で。
教室の隅にある自分の席で、ずーっと。
最初は友達が教室に入って来るまでの暇つぶしか何かだと思ったのだが、予鈴がなるまでずーっと読んでいるところを見る限りどうやら違うようだ。
どうやら彼女が早く登校する理由は友達と会うためでもなく授業の予習をするわけでもなくただただ本を読むためらしい。
家で読めばいいのにと思うのは自分だけだろうか。
とりあえず朝のホームルームが始まったため朝の観察はここまでにする。
授業中。
彼女は授業中何をしているのかというと、普通に授業を受けていた。
先生の話を聞きながら教科書をめくり、ノートをとる。
何か特別な事をやっている訳ではない。
まあ当然といえば当然なのだが。
どうやら授業中は特筆して書くことはないようだ。
なので、観察は一旦終了にする。
木下の観察をしていたで授業の内容が分からない。今は何をやっているのだろうか。
教師が微分積分がどうこう言っているのは聞こえるが意味が分からない。
この様子では今回のテストも友人の力を借りることになりそうだ。
友人の席をちらっとのぞき見してみると、彼は教科書を机に立てて、それに隠れて寝ていた。
あれで毎回学年一桁台をキープしているのだから腹立だしい。
むかついたので後で友人の下駄箱に赤い文字で『呪ってやる』とだけ書かれた紙を大量にいれておくことにする。
友人の慌てる顔が目に浮かぶ。今からでも楽しみになってきた。
まあそれだけでは少々可哀想なので、高川からのラブレター……を真似た俺からのラブレターを一通入れておいてやろう。
きっと喜んでくれるだろう。もしかしたら喜びのあまり泣いてしまうかもしれない。
昼休み。
彼女は4時間目が終わるとおもむろに鞄から弁当を取り出した。
どうやら彼女は弁当勢のようだ。
弁当の中は白米に卵焼き、ソーセージにプチトマト、きゅうりのハム巻きにサラダと至って普通の弁当だった。
男の俺からすれば少々物足りない弁当ではあるが、女子の弁当といえばあんな感じだろう。
それを彼女は本を片手に食べだした。
片手で本を持ち、親指でページをめくりながら、もう片方の手で箸を器用に動かし弁当を食べている。
彼女は弁当を食べる時にも本を読むのか。ずいぶんと本が好きだな。
その後何かするのかと思えば、何をすることもなくただひたすら本を読んでいた。
昼休みが終わるまでずっとだ。
観察してみると、どうやら彼女は異常なまでに本が好きなようだ。
授業中以外は常に本に触れているではないか。
これは新たな発見だ。
今後も、新たな発見を見つけるため彼女を観察していく。
放課後。
授業が終わり、皆が一息ついてカラオケの約束などをしている頃、彼女は何をしているのかと見てみると、早々に帰宅の準備を終え、今にも教室を出ようとしていた。
……いくらなんでも早すぎないか?
もっとこう……友達と話すなりなんなりあるだろうに。
随分とあっさりしているものだ。
彼女にはクラスメイトに親しい友人とかはいないのだろうか。
とりあえず彼女が帰宅したため今日の観察はここまでにする。
また明日からも続けていこう。
「……。」
「……。」
現在昼休み。
数日館の間木下を観察し、その結果を紙に記していた俺はとりあえずその結果を記した用紙を友人に見てもらうことにした。
しかしなぜか彼は一通り日記に目を通すと、「犯人はお前か!」と大声を上げて俺の腹と右頬に全力のストレートをはなってきやがった。
おかげで殴られたところがヒリヒリする。
飯を食べているのに腹を殴るのは反則だろう。
しかし何にそんなに怒っているのだろうか。
全く見当がツカナイナー。
「あのいたずらはお前だったんだな。」
「喜んでくれてたか?」
「殺すぞ。」
ひどい。
呪詛の紙もラブレターも友人が喜んでくれると思って全力でこしらえたのに。
「お前の呪詛が書かれた紙のおかげでしばらく『誰かに後ろから刺されるかも』と考えてしまってろくに飯ものどを通らなかった俺の気持ちがお前に分かるか?」
「……。」
「お前の書いたラブレターのせいで無駄に勘違いして高川に告白した結果見事に惨敗した俺の気持ちがお前に分かるか?」
「すまなかった。」
俺は友人に全力で土下座をした。
それはもうもし土下座グランプリみたいなものがあったら楽勝で優勝できるくらいの綺麗な土下座を。
「はぁ……。まあお前のいたずらは今に始まったことじゃないから別に許すけどさ。」
「さすが心の友!」
さすが俺の友人。
寛大な対応だ。
友人の寛大な対応に安心したため、土下座をやめて自分の椅子に座り直し弁当をつつき始めた。
あ、このコロッケ美味い。
「でもさすがにあのラブレターの完成度は駄目だろ……。完全に本物だと思っちまうじゃねえか……。」
「頑張ったからな。」
ラブレターは本当に頑張った。
字を似せるために高川のノートを盗み見し、ひたすら字の練習をしたからな。
おかげで今はもう高川自身と高川と親しい友人以外だったら騙せるくらいの字を書ける。
高川が選びそうなラブレターの紙を選ぶために高川の性格や好みまでサーチした。
おかげで今なら高川の趣味や性格や好みのタイプ、友人関係や家庭環境なんでも知っている。
その旨を話した途端、友人は俺を呆れた奴を見るような目で見つめてきた。
「なんだその無駄な努力。俺を騙すためだけにそこまでやるか。」
「俺はやると決めたら限界まで突き詰める派だ。」
「その努力を別のことに向けろよ。」
「無理。」
「おい。」
俺の座右の銘は『明日死ぬつもりで生きる』なんだ。
やりたくないことなんてやってられるか。
俺の態度に言っても無駄だと察したのか、友人は俺を可哀想な人を見るような目で見ることをやめ、再度『木下の観察用紙』に目を通し始めた。
「ったく……。しっかし、本当にやってたんだな。」
「何を?」
「木下の観察だよ。」
「やるって言っただろ?」
「いや言ったけどマジだとは思わないだろ普通。」
まさか冗談で言ったとでも思ってたのか?
そんなわけないだろうが。
俺はやると言ったらやる男なんだ。
「しかしお前確か木下を見てると異様に興奮するんじゃなかったのか? よく出来たな観察なんて。」
「この数日間は帰ってから最低でも5回はやっている。」
「聞きたくなかったわその情報。」
最高記録は一日に12回だ。
観察を始めてからの合計は軽く50回は越した気がする。
何がとは言わないが。
「で、俺はこれを見て何を言えば言いわけ?」
「感想と考察を頼む。」
「お前は俺に何を求めてるんだよ。こんなもん見せられてもお前に対して『うわっ……』と思う以外何もねえよ。」
「そんな馬鹿な!」
「逆にどんな感想がくると思ったんだよ。」
なんだかんだで面倒見のいい友人なら今後の参考になる考察と感想をくれると思っていたのに。
これはあまりにも予想外だ。
「何でこのストーカー日記を見せて真面目な感想を返されると思ったんだよ。」
「ストーカー日記とは失礼な!」
「事実じゃねえか。」
「うぐっ……。」
そう返されると上手く言い返すことができない……。
困った表情で歯ぎしりをしている俺を見て友人はあまりにも可哀想だと思ったのか、ため息を一つ吐くと、観察用紙に目を通しながら話し始めた。
「うーん……。この結果を見た感じだと木下は授業を受ける以外は本を読むことしかしていないわけか。」
「?」
「どうして興奮するか解明しない限りお前はこのふざけたストーカー行為を続けるつもりなんだろ? じゃあとっとと解明してやめさせるのが一番の選択だろ。」
「友人……。」
「おっと勘違いすんじゃねえぞ? 俺はお前のその行動を肯定しているわけじゃねえからな?」
そういいながら彼はやれやれといったような表情で解析を始めた。
友人……やっぱりなんだかんだで最後には協力してくれるんだよな。
本当にいいやつだよ。
これで共犯だな。
「お前ぶん殴るぞ。」
「なぜ考えがバレた!?」
「お前が自分で話してたからだ。」
「しまった!」
ここで悪い癖が出てしまった。
思わず自分の口を手で塞いでしまう。
「今さら塞いでも意味ねえよ。」
「……。」
「意味ねえって……。何回も言うが、俺はお前の行動をやめさせるために手伝うんだからな? お前の行為を助長するわけじゃねえからな?」
「……。」
「だから、共犯じゃなくてむしろ俺はお前のその行動を止める側なんだよ。」
「……。」
「何か喋れ。」
「手伝った時点で共犯」
「もういい一生喋んな。」
喋れと言ったり喋るなと言ったり。
一体どうすりゃいいんだ。
「お前は俺に手伝ってほしいのか手伝ってほしくないのかどっちなんだよ。」
「手伝ってほしい。」
「なら余計なこというんじゃねえ。」
「でも事実」
「しばくぞ。」
怖い怖い。あの目はマジな目だ。
俺は友人に何回殴る宣言をされるのだろうか。
「手伝ってほしいなら余計なことは言うな。いいな!」
「ブラジャー。」
「ラジャーな。はあ……。話を戻すが、木下がやっていることは『本を読む』ことだけだ。」
「ふむふむ。」
「なら、お前が興奮する原因はこれにあると考えるのが妥当だろう。」
「なるほど。」
「つまり、お前は『おとなしそうな容姿』で『本を読むような子』がタイプってことだろ。」
そう言って彼は結論づけた。
ふむふむ。
まあ正確にいえばタイプじゃなくて興奮するってだけなんだが、結局はそこにたどり着くのが妥当か。
しかし残念だな友人よ。そこまでは俺も考えついていたんだ。
「俺もそう思って図書室に行って本を読んでいる木下と似たようなタイプの子を観察したりしたんだが不思議と興奮しなかったんだ。」
「お前……。」
「なに?」
「そんな堂々と変態発言すんなよな……。」
「仕方ないだろ。俺の探求心はもう止められねえんだよ。」
「かっこつけて言うな。やってることはただの変態じゃねえか。」
変態とはこれまた失礼な野郎だ。
せめて変態の後に『探偵』とでもつけてくれたっていいだろうが。
変態探偵……うん。
やっぱだめだ。犯罪の匂いしかしない。
俺が心の中で『変態』がついてもかっこいい肩書を考えていると、彼は手で頬杖をつきながら俺に向かって面倒くさそうな声で喋り始めた。
「ぶっちゃけこの紙から分かるのは木下が本好きってことだけだからなあ。この結論以外は誰に聞いても出ねえと思うぞ。」
「つまり情報不足ということか。」
「まあそうなんのかなあ。」
「ならもっと情報を集めてくればいいんだな。」
「情報を集めてくるっつってもこれを見てる限り木下が学校でやってることなんて本を読んでることで全部じゃねえか。これ以上どう集めるんだよ?」
そういいながら彼は暗にもうやめとけとでもいいたそうな目で俺を見てきた。
確かに学校で木下がやっていることはそれで全てだ。
学校の中で木下を観察してもそれ以上の情報は出てこないだろう。
そう、学校の中ではな。
「今度から木下の登校、帰宅も観察してみようと思っている。」
「は?」
「それならそれ以外の情報も集められそうだろ?」
「おいおい……。」
彼はそう言いながら顔を両手で覆った。
どうしたのだろうか。あまりの天才的な発想に脱帽したのだろうか。
彼の様子を窺っていると、急に顔を上げて息早に喋りだした。
「馬鹿か! それじゃまじもんのストーカーじゃねえか! お前馬鹿だろ! ああ馬鹿だったな! 知ってたよ!」
「おおう……。」
「お前が馬鹿なのは知ってたけどそこまで馬鹿だとは知らなかった! 悪いことは言わんからここで終わっとけ! これ以上はアウトだ!」
「お、おう……。」
友人の急な語り掛けに俺はしばらく唖然としていたが、しばらくしてはっと気づいた。
友人は熱くなって気づいていないが、教室の目線が俺たちに集中している。
これはちょっと恥ずかしい。
自然と顔が赤くなってしまう。
「大体お前は昔っから……」
「あー……熱くなってるところすまん。」
「なんだ! 話はまだ……」
「ちょっと周り見渡してみ。」
「何が! ……あ。」
教室を見渡して友人も視線が集まっていることに気が付いたのか、顔を真っ赤にして黙りこんだ。
しばらく俺と友人との間に無言の静寂が訪れる。
……気まずい。
こういう時はどういう言葉をかけたらいいのだろうか。
「その……ドンマイ。」
「お前のせいだろうがあああ!」
「ぶべらっ!?」
俺が声をかけると突然のアッパーが飛んできた。
予想外の攻撃にガードも間に合わず俺の顎に友人の拳がクリーンヒットした。
ああ……綺麗な天井だなあ……。
じゃない!
「何すんだ! 痛いだろうが!」
「何がドンマイだくそ野郎! 全部お前のせいじゃねえか!」
「だからってアッパーすることはないだろうが!」
「むしろアッパーだけで終わらしてあげたことに感謝しやがれ!」
「おおそれは喧嘩の半額セールだな。ワゴンの商品全部買ってやるから表出ろやゴラァ!」
「上等だゴラァ! 二度と立てねえようにしてやんよぉ!」
その後、久しぶりに友人と本気の喧嘩をした。
結果はご想像に任せる。
そして数十分後。
「はぁ……はぁ……。」
「ふぅ……ふぅ……。」
「なあ……。」
「なんだ……。」
「俺が木下の後をつけること、異論はないな……。」
「もう勝手にしろ……。」
「よし……任せろ……。」
「何も任せてねえよ……。」
こうして、友人のお墨付きをもらった俺は、意気揚々と木下の登校時と放課後を観察することにした。