1.『なりそこない』
声が聞こえたような気がして、遥は檻と呼ばれる格子で囲まれた部屋を見遣った。檻の中の寝台には、先ほどまでと変わらず一人の幼女が寝ていたが、今はその目は見開かれ、周囲の様子を窺っている。その瞳は赤い。
息をのんだ遥は、傍らの伝声管の#蓋__ふた__#を開けて報告を行った。状況の変化は報告せねばならない。
「四嬢より報告。対象覚醒。状況静穏」
報告しつつも、目は幼女から離すことはしない。対象を観察しつつも、哀れに思う気持ちも多少沸いてしまう。
(生き残ってしもうたんやな~)
ちらっと、そんな考えが頭をよぎる。幼女は、布団から上半身を起こすと、自分の手足や身体に巻かれた包帯をみている。その髪は全て白髪と化し、瞳は両目とも赤瞳。寝衣から覗く肌は驚くほど白いが、血管が青く透けて見えるようなことはなく、整った容姿は表情の乏しさと合わせて人形めいて見える。この檻に運び込まれて、今日でちょうど10日目。目が覚めるまで、食事や治療などの一切を与えられず、拘留期間の10日を迎えることなく大概は死にゆく、いわば死への部屋。生き残ったとしても平穏とはいえない毎日が待っている。明らかに普通の人間と異なる容姿を持つものを受け入れられるほどの余裕を持たない世界。
(十日間も飲まず食わずで、よう生きてん。すごい生命力やな~。それに、ここまで白い完全な『なりそこない』は見たことあらへんわ。今後はごっつ苦労するやろうね~)
「弐嬢了解。五嬢以下四名を回す。通常装備で待機し、随伴の医療士の指示に従え。状況に変化があれば報告せよ。」
一拍遅れて、伝声管より副長さんの指示がきこえる。明日には斬首して埋葬だろうと誰もが思っていた矢先の覚醒は、方々に負担をかけるだろう。うまくいけば、遺品を横流しできるだろうと、隙をうかがっていた輩は特に。
「四嬢了解しました。」
もともと監視任務中だったので遥は通常装備であり、傍らの刀を帯剣するだけである。刀といっても金属製ではなく、白いその刀身をもつその刀は刀長だけで3尺5寸(約133cm)。身長が170cmを超えるとはいえ、異常なほど長い刀であり、狭い場所での取り回しには不向きではある。だが、格子の間に突き入れれば容易く獲物を食い破る、獰猛な武器となる。
(まあ、最悪ばれてまうかもしれまへんが、死ぬよりよっぽどましやしね~)
遥はそう独り言ちるが、最も信頼のおける武器を手放すつもりもなく、応援の兵が来るのをまった。
程なく、階段をおりて四名の女性兵が降りてくる。遥も含め、彼女達は『嬢士隊』とよばれ、16歳以上の女性のみで編成されており、主に男街を除く街の治安維持と警備、それに戦時の戦闘を行う部隊である。同様に男性のみで編成される#『衛士隊』__えいしたい__#があり、そちらの任務は城外を主にする点が異なるだけで、編成や待遇に差異はない。また、任務中は隊長・弐嬢(or副長)・参嬢と席次で呼称されており、1分隊10名2分隊20名で1小隊の編成となる。
降りてきた四名の隊員は檻の四方に散り、各々の武器を構え中の幼女をみている。檻の中の幼女は年相応の華奢な身体にみえるが、白髪赤瞳は『なりそこない』の証であり、油断はできない。
この世界には魔獣と呼ばれる存在がいる。魔獣は山中や深い森の中に住み、通常平野部などの人が住む領域には現れない。だが、時として山や森から現れ、人を殺し喰らう。嬢士隊は街内・城内守護が主任務である為、それらと遭遇する機会は少ないものの、城や街の近郊に魔獣が現れれば支援に赴く為、無関係というわけでもない。そして『なりそこない』の存在がある。人と魔獣は相対する存在だが、落雷によって人が魔獣へと変容する事象が存在する。大概は落雷により絶命するのだが、運が良いのか悪いのか、一部の者は命をとりとめ、魔獣と化す。魔獣と化した人は、森や山中へと逃げ込む。途中で遭遇した人を殺し、喰らいながら…。『なりそこない』はそんな魔獣へと、文字通りなりそこなった存在である。その度合いによって、髪・瞳の色の白化には差異があり、白化が進めば進むほど、魔獣化も進んだ状態となる。多くは人の姿を維持していても、身体の変調に耐え切れず、目を覚ますことなく死ぬか十日経っても目を覚まさない場合が多い。しかし、生き残った場合は筋力の強化や反応速度が著しく向上し、戦闘能力が高まる場合が多い。檻には呪がかかっており、そうそう壊されるものではないが、人型の魔獣と化す場合が多い『なりそこない』に、皆が警戒するのも当然であった。
(今のとこ、普通の人と変わらへんようやね)
檻の外で五人の嬢士が武器を構える中、幼女は自分の身体をペタペタと触り確認した後、寝台からおりて檻の中を見まわしている。始めに声をあげたきり、一言も発せず、表情もかえない。トイレの存在を確認した時だけは、すこし表情が変わったような気がしたが…。
*****
誰かに見られてるような気がして、私は格子の外をみたが、格子の間の闇はかわらず何も見せてはくれなかった。目覚めてから数分以上経過していると思うが、何の変化もないということは、放置されているのか既に監視がいるのかのどちらかだろう。いずれにしても私から何かできるわけでもない。名前や両親の事も、適当な設定を作ったとしてもボロがでまくるだろうから考えるのもやめた。この状況で殺されていなかったのだし、いきなり切りつけられる事もないだろうし。
畳ベットのような寝台によじ登り、布団の上で正座してさらに待つこと数分。
「目覚めだが?こぢらの言葉は解るが?」
と、声が聞こえて私の正面の格子の闇が晴れた。そこには、二十代後半の女の人が方ひざをついて座っていた。
「?目を覚ましたか?こちらの言葉は解るか?という意味でしたら」
方言が混じっているのか、聞き取りにくかったが何とか解る範囲ではあるし。そう話す声は、やはり記憶にある『一葉』の声とは違う。答えながらも、現れた人を観察する。何にしても、情報は大事だしね。
白を基調とした羽織に、朱色の袴姿。弓道っぽい黒い胸当てをつけている事もあって、少し怖いイメージの人だ。話かけるのに不便なので名前を聞くと、単に弐嬢と呼べばいいとの事。最初と違い、普通に標準語っぽい言葉で話してくれたが、言葉使いは丁寧でも、慇懃無礼といった感じ。少なくとも歓迎されて無いことは判る口調だね。
弐嬢さんとの楽しくない会話というか尋問に近い会話が続き、自分の置かれた状況も少しわかった。名前や両親のことを聞かれたが、本当にわからないので判らないと答えると、この世界にも記憶喪失の概念はあるらしく、理解はしてもらえたようだ。
で、私の現状はというと、十日前に落雷があり、にわか雨で大きな樹下で雨宿りをしていた私の他十人程度の人達は、突然の落雷で両親もろとも、全員が死亡したらしい。私自身も昏睡状態にあり、今日まで眠りっぱなし。明日まで眠っていた場合は、そのまま斬首されて埋められていたらしい。まあ、目覚めなければ良かったのにとか、不穏な言葉も聞こえたがあえて無視。髪・瞳の色が変わったのは落雷が原因で、凶暴化する危険性もかなり高かったので隔離されていたらしい。医療士というお医者さんらしき人も一緒にきていて、手をかざすような仕草の後、問診された。進行(なんの?)は完全に止まっている点と、背中の火傷の状況を確認したくらいで、特に問題はないらしい。
今後の話もでて、あと二日このままの状態で健康状態の確認を行い、その後問題が無ければ、開放されるらしい。まあ、いきなり開放されても路頭に迷うだけなんだけど。関所での記録から、ここに着たのは学校への入学の為らしい事はわかっているとの事。ここでは、数え年六歳で親元を離れ、全寮制の学校に入るのが決まりらしい。当然お金はかかるが、私の両親は腕の良い武器・装具の職人だったとのことで、残された両親の仕事道具や書付、素材や製品といったもので賄えるらしい。一応、私向けの行李(竹製の箱状のもの)は残してくれるらしいし、学校へはどのみちお金は持って行けないらしいから、お金が無くても問題はないようだ。
両親の形見はいらないのかといわれたけど、私としては会ったことも見たことも無いまま死別した人達なので、思い入れがあるわけでも無いから、いらないと伝えたら弐嬢さんとの会話は終了。ここで過ごす二日間のお世話役として、四嬢さんという二十歳前っぽい人を紹介してくれたよ。
*****