幻の花を咲かせん
小説のお題を出してくれるサイトで冒頭だけ考えた話を今年の夏に完成させました。
植物を育てることが苦手な作者が送る植栽奮闘記です。
「ああ、また枯れちゃった……」
私、秋庭美砂子は苦悶していた。
ここはとある県立高校。私は今、校舎脇の学級花壇の前にいる。隣にいるのは同じ飼育栽培委員会の森田春樹だ。目の前には萎れて茶色に変色した花畑が広がる。
「この花、育てるのは確かに難しいと言われているけど、ここまで難しいなんて聞いてないよ」
私は近くの石ころを蹴り飛ばす。その石ころは真っ直ぐ飛んで、校庭に居たサッカー部員のすねに当たる。うずくまるサッカー部員。ご、ごめんなさい。
審判がホイッスルを鳴らす。練習試合を中止してうずくまった男子生徒に集まる他のサッカー部員達。皆で私を一睨み。私は慌てて彼の方に走り出す。
「先に育てたいって言ったのお前だろ! 俺は付き合ってあげただけだ」
後ろで春樹が何かごちゃごちゃ言ってるけど、真面に口論をしている暇はない。
私は、一瞬だけ振り向いて、
「ノリノリだったくせに!大体、何年前の話よ」
と、言った。
この後、男子生徒を保健室に連れて行ったり、サッカー部に正座させられたり、部室掃除一週間を命じられたり、ゲーム機を壊したり、10円玉を失くしたり、飼い犬に手を噛まれたりと、散々な目に遭うのだが、そんなことよりも状況説明を書く方が先決だと思う(不幸自慢位しても良かった気はするが……)。
まず、自己紹介からさせて貰うと、私、秋庭美砂子は県内でも有名な進学校に在籍するピチピチの高校二年生である。書道部と天文部を掛け持ちしていて、ついでに飼育栽培委員会の副委員長も務める超多忙な女子高生だ。とは言え、成績は良くて中の上、悪くて中の下と中身は至って普通の高校生だ。年の離れた姉と一人の弟が居て、親はどちらも庭師をやっている。その影響もあって私もガーデニングは趣味でやっている。簡単に説明するとこうなる。これからも度々登場するだろうから、あの男についても軽く触れて置こう。本名森田春樹。飼育栽培委員会の委員長。後先を考えずにその場の勢いで物事を進め、この偏差値が滅茶苦茶に高い学校を私と共に受け、危うく私を浪人させる所だった、そんな奴だ(しかも受けた理由は花壇が大きいから! )。彼とは小学校で共に飼育委員をやった時からの腐れ縁で、私に良くないことを招き入れる。出来ることなら関わりたく無い男だ。
次に、今の私達の状況について書いておこう。話は変わるが、皆さんは絢爛豪花なる花を聞いたことがあるだろうか。ガーデニング界では幻となっている花で、この花を咲かせるのがステータスとなっている。種を植えてから花が咲くまで(順調に行けば)一年近くかかる。まず、入手すら困難なのだ。私は、小学五年生の時に親のガーデニング友達にそれを聞いた。これが全ての始まりだ。その年、親の伝手を頼って何とか絢爛豪花の種を入手して蒔いてみた。毎日水やりや雑草抜きなどのケアを怠らなかった筈なのに花は咲かないまま年が明けてしまった。それも当然だ。庭師である父でさえ一度しか咲かせたことが無いのだから。どうしても咲かせてみたくなった私は、六年生になって委員長、副委員長の関係だった春樹を誘い、一緒に花を咲かせることになったのだ。小学校を卒業して中学、高校一年、二年と一大プロジェクトとして行われていた幻の花を咲かせる挑戦は、未だ続いている。しかし、流石に私達も七年間を経て幾つかのコツをつかんで来た。花は咲かないにしろ、つぼみをつける所までは行ける様になった。前と比べたら幾分かましになったのだろう。今回もそんな矢先の出来事だった。
「ああ、悔しい。今までで一番順調に行ってたのに……」
それから一週間後、私は荒みに荒んでいた。
「また来年があるだろう。来年も花壇を使わせて貰えるとは限らないけど」
一方春樹の方はショックからすっかり立ち直ってピンピンしている。散々慰めてあげたのは誰よ!「でも、来年は高校三年生だし、飼育委員引退だし、ガーデニングに感けてる時間はないんじゃ無いのかな。ああ、今年こそは咲くと思っていたのに」
「まあ、俺はお前がやらなくてもやるけどな」
「優しくないわね。こういう時は女の子を励まして一緒に頑張る様に鼓舞するものなの。だからモテないのよ、アンタ」
春樹はムッとした顔になる。きっと図星で悔しいのだろう。
「ところで、写真の現像は出来た? 」
さりげなく話題を変えてあげる、優しい私。
「うん。ちょっとぶれちゃってるけど、枯れる前日に撮れてよかったな!」
力強く差し出された一枚の写真に私は目を疑う。
「これ、何の写真?」
「え?絢爛豪花の蕾だよ。俺の足が入り込んじゃってるけど」
「アンタの足どれ?この茶色いの?」
「これは土だよ。俺の足はこっち」
春樹が指差す先にはとても人の足とは思えない物が見える。
「シャッター切る直前にターンでもしたの。でも無ければこんなにぶれないわよ」
「息を殺してシャッター切ったし、手ぶれ補正機能もついてるよ」
私は頭を抱える。これじゃあ、誰に見せても分からないじゃない!
「分かった。これは全てカメラ係を任せた私のミス。委員会の活動記録にはポプラの木の記事を書きましょう」
「俺は絢爛豪花の方が良いけどな」
口を尖らせながら春樹は言う。
「そんなこと言ったって、写真が無いんだから。文章だけ載せる訳にも行かないでしょ」
私の学校では、半年に一回、各クラブや委員会、愛好会の実施記録として、巨大なポスターを職員室前の廊下に貼り出す。それなりの活動をしていないと、会計委員から調査が入ったり、活動費削減に協力させられたりする(かなり掠め取られる)。書き初め展を執り行っている書道部や、毎月観測会のある天文部はまず大丈夫なんだけど、文房具で7万円の予算を貰っている我らが飼育栽培委員会は大ピンチなのだ。
「結構写真撮ってる奴居ると思うぜ。かなり綺麗な蕾をつけていたからな」
花壇に向かって微笑みかける春樹。とても怪しい。
「そうかな?学級花壇にレンズを向ける純粋でピュアで植物を愛する美少年なんてそうそう居ないわよ。」
「何で美少年なんだよ。俺だってレンズ向けてたんだし、このレベルの生徒だったらざらに居るって」
「本当?」
私は疑わしい目を春樹に向ける。まあ、最悪ポプラの木の記事を書けば良いから、写真探しの方は任せようかしら。
「じゃあ、美少年を期待してるわよ」
「美少年じゃなくて、花の写真だろ」
おっと、口が滑った。
「綺麗な写真をお願いね」
私は、わざとらしく春樹の手を握って言った。
それから春樹と別れて、もう一人の飼育栽培委員会のメンバーである、ボール山バレ雄の所に向かう。彼も一応は委員会のメンバーなんだけど、バレー部の方が忙しくて滅多に顔を出さない幽霊部員だ。
私の学校ではスポーツが全体的に盛んで、石ころをぶつけたサッカー部員も県の選抜メンバーに選ばれるくらいには活躍している(後で知った)。犬も歩けば国体選手に会える世界なのだ。その中でもバレー部は特に強く、部員の数も多い。高三生も受験を投げ打って最後まで部活に参加しているという。バレーのコートの収容人数は六人。コート内に居る人にはそれぞれ役割が割り振られていて、その一枠を巡って熾烈な争いが起きているらしい(ベンチのが楽で良いのにね! )。そんな中でもバレ雄は高校一年生の時から一軍のレギュラーメンバーに選ばれている凄い人物なのだ(勿論、飼育栽培委員会の一軍のレギュラーメンバーでもある)。
私は体育館の出入り口の所に寄っかかってバレ雄が出て来るのを待つ。背も高いし待ち合わせの目印になる位には分かり易い存在だ。試合は少し前に終わった様で体育館からは他校の男子生徒がゾロゾロと退場している。彼らの後ろ姿から察するにバレ雄は今日も勝ったのね。
暫くして人の足も途絶え始めた頃、タオルを首にかけた一際背の高い男が私に声をかけて来た。
「あれ?そう言えば今日だったっけか、俺が委員会に顔を出す日って」
「その通りよ。年に二回しか無い貴重な一日なんだから! 」
私は忘れない。バレー部でレギュラーになった去年の六月にバレ雄が先輩に言った言葉を。
「俺、部活が忙しいからさ。年二回しか行けないって言ったじゃん」
「まさか本当に二回しか来ないなんて思わないじゃない」
「まあ、そんなにカリカリするなって。こうして思い出した訳だし」
「それで、今年も二回しか出れないのね?」
「入部届けの備考欄にもそう書いたけど、時間のある時には極力顔を出す様にする」
こういう人間を信用してはいけない。十中八九顔を出さないからだ。
「辞めちまえ!! 」
「それは待ってくれよ。俺、絢爛豪花の第一ファンなんだよ。どうしても咲く所が見たくて顧問に無理を言って入部したんだ。バレー部の朝練のついでに水やりも欠かさずしてるし、人一倍愛情を注いでるよ」
「……それもそうね。でも、一回でも水やりサボったら一週間はバレー部休ませるからそのつもりで」
「全国大会が終わった直後だぞ! 無茶言うなよ」
「サボらなければ良い話よ。もう、こんな所での立ち話で貴重な一日が潰れたら後悔してもしきれないから一刻も早く部室に行くわよ」
「着替えたらすぐに行くから、先に行っててくれ」
そそくさと歩き出すバレ雄。試合後のユニフォームを早く脱ぎたいのだろう。
おっといけない、忘れてた。私は慌ててバレ雄の後ろ姿に話し掛ける。
「今日、新入生歓迎会の打ち合わせするから、あんたも何か考えといてね」
遠ざかった背中が面倒臭いと語りかけていた。
一番太陽を浴びていそうなのに、曇りガラスの部室で枯れた花の処理をしている。そんな不名誉なレッテルを貼られた飼育栽培委員会が正真正銘光り輝く時がある。それが、新入生歓迎会なのだ。野球部でもサッカー部でもはたまたバレー部でもなく、一番盛り上がるのは我らが飼育栽培委員会なのだ。
私の高校の新入生歓迎会は少し特殊で、土日の二日にかけて行われる。各部活動が主体となって、ステージで踊ったり、運動部対抗のミニ運動会を開催したりして、地域の人たちや受験生、勿論新入生も参加出来るのだ。春の歓迎会、秋の文化祭と学校の双璧を成すイベントの一つで、これの成功で今年度の部活の明暗が決まるとも言われている。例年、私達は学級花壇が自由に使えることを良いことに様々な趣向を凝らした催しを行って来た。花壇に水をまいて虹を作ったり、ペットボトルロケットを飛ばしたり、去年は調理部と協力して収穫した野菜をその場でスープにして配るってこともしてたかな。とにかく広い学級花壇で普段の活動とは何の関係もないことをしているのだ(今年は絢爛豪花の押し花体験をする予定だったのに)。
私は歓迎会の新しい企画を考えながら部室へと続く廊下を歩く。いっそ、今までの催しを一度に全部やってしまうのはどうだろうか。何せ、予算は潤沢も潤沢にある。学級花壇さえ使えればこちらのものだ。新入生は少し退屈かも知れないが、地域の子供連れをターゲットに縁日を開くという手もありだろう。春樹を花壇荒らしの妖怪害虫星人に仕立ててヒーローショーでも良いかも知れない。演劇部のセットを借りたら少しは豪華になるのかな。
「企画を考えるのって楽しい。やっぱり人間は企画力が命なのよ」
「あのさ、お前の考えているだろう企画を机上の空論にする報告があるんだけど、聞きたい? 」
「わあ、ビックリした!! 」
全く、考え込んでいる人の背後から話し掛けないで頂きたい。
「何よ! ビックリしたじゃない! 」
「ごめん」
春樹は腰を曲げて深々とお辞儀をする。
「そこまでの謝罪は求めていないけど、どうしたの? 」
ゆっくりと顔を上げ、乱れた髪を整えてから春樹は言った。
「いや、あの……」
「何なのよ? 」
「ともかく、部室に入ろう。話はそれからだ」
「廊下じゃ出来ない類いの話なの? 」
私は少し声を潜める。
「ああ、ちょっと身の危険があるからな」
「それって不味いんじゃない。あんた、また何を仕出かしたの? 後先考えずに行動する節があるからね」
「それも合わせて部室で話したいんだ。だから、部室でバレ雄を待とう。三人揃ったら事の顛末を説明してやるよ」
「分かったわよ」
促されるがまま部室に入る。いつもと変わらない普通の部室だ。中央に机が置かれ、その上には封筒の中に常温保存された野菜の種が積み上げられている。周りの本棚には植物に関する本や歴代の活動記録を纏めたファイル、育てた野菜の収穫アルバム等どれも歴史はあるが埃を被ったものばかりだ。
程よく本の匂いが充満している部室は居心地が良い。けれども、春樹は居心地が悪そうに部室のドアから離れない。
「春樹も机の片付け手伝ってよ。何に巻き込まれたかは知らないけど、学校に通っている内は飼育栽培委員会のメンバーなんだから。しかも、部長でしょ」
「俺はバレ雄が来たらすぐに入れる様にドアマンをしてるんだ。手伝いは出来ない」
梃でもドアから動く気は無い様だ。仕方が無いので種を棚にしまい、今年度の委員会ノートを開く。歓迎会が最初のイベントなので当然ノートは真っ白だ。
「この白紙のノートに歴史を刻むのね。春樹、題名何にする? 」
「栽培委員会の記録とかで良いんじゃないか。大層な名前を付ける様な活動もしてないしね」
私は表紙に飼育委員会の記録と書く。何の手伝いもしないあの男へのささやかな報復だ。
生徒会に提出する新聞も大体終わっているし、バレ雄の時間を無駄にしない為にも先に歓迎会の案を出しておいた方が良さそうだ。
「歓迎会についてなんだけどさ、花壇の前に小さな屋台を幾つか作って縁日にするのはどうかな?ターゲットを子供連れと子供脳の高校生に絞ってさ」
「それも良いけど、部室にパネルを飾って普段の活動風景を紹介するのも悪くないと思うよ。飼育栽培委員会を知ってもらう為には一番の策じゃない?」
「そんなの誰が見るのよ!数々の派手な催しをして来た先輩達に示しがつかないじゃない。最低でも屋外でやるべきね」
「室内の方が絶対に良いって。派手な催しが良いとも限らないし。第一、今の学級花壇には絢爛豪花の残骸しか残って無いんだぜ? そんな惨状を地域の方々に見せる訳には行かないだろ」
「この前まで一緒に屋外の企画について話し合ってたじゃない。何で急に意見が変わるのよ! もしかしてだけど、あんた……」
「何だよ」
私と春樹の睨み合いが続く。
「学級花壇の使用許可を取り忘れたんじゃないでしょうね?」
「悪い、遅れた。もう話し合い始まってるか」
春樹が掴んでいたドアノブが回り、先ほど着替えに行っていたバレ雄が入って来た。
「本当に遅いよ! 今、正に修羅場に突入したよ! 」
春樹が吠えるが、バレ雄は軽く受け流す。
「歓迎会の計画はどうなった? 本番は手伝いに来られないけど、準備の方は出来るだけ手伝いたいと思ってる」
こういう人間を信用してはいけない。十中八九手伝わないからだ。
「あんたが来る三秒前にそれ所じゃ無くなったわ。詳細は春樹に聞いて頂戴。」
私は出来るだけ感情を押し殺した声で言った。事情を知らないバレ雄は軽いトーンで話し掛ける。
「春樹、お前また秋庭を怒らせる様な事したのか?」
「ああ、ちょっとな。もう言い訳も何もしないで全部話すから、俺と美砂子の間に立っていてくれ。」
バレ雄は私と春樹の間に入る。大きいバレ雄は小さな春樹を完全に隠してしまい、皆既日食の原理で私から春樹は見えない。
「まず一つ言っておくけど、歓迎会で学級花壇は使えない。俺が絢爛豪花の蕾の写真を探している最中で見つけた掲示板によると、新入生歓迎会のタイムスケジュールに学級花壇は含まれていなかった。生徒も部活も恐らく先生も学級花壇は飼育栽培委員会が使うものだと思っていたのだろう、どこの部活からも学級花壇の使用要請が出てなかった。だから、今年の歓迎会では学級花壇の催しは行われない」
「正に資源の無駄遣い、宝の持ち腐れね。あれ程広々としているスペースで何もしないなんて許されないわよ。校庭を仲良く四等分して使っている運動部に謝りなさい」
「いや、何かする事が許されていないんだって」
私にだけ聞こえる様な声でバレ雄が突っ込む。論点はそこじゃない!
「さっき一生懸命生徒会に掛け合ったんだけど、スケジュールを組み終わってからの変更は認められないの一点張りで。全ては許可を貰うことをすっかり忘れていた俺が悪いんだけど、もう少し融通を利かせてくれても良いと思った」
「それは完全にこちらが悪いわね。書類上のものって融通が効かないことが多いのよ。だから、あれ程提出物はちゃんとしてって言ったのに。責任を押し付けてないで反省しなさい」
「俺のせいで先輩達の意志を受け継げなくて本当にすいませんでした」
春樹は見事な九十度のお辞儀をしている気がする。私の所からでは見えないが。
「反省するなら宜しい。室内でも出来る様な新しい企画を考えましょう。元々私が押し付けた委員長なんだし、多少の失敗でくよくよしてられないわよ。その分、倍の働きを見せなさい。良いわね?」
「はい! 」
春樹が歯切れのいい挨拶をした。
結局歓迎会では紙の展示をする事になった。春樹の発案通り、パネルで普段の活動風景を紹介し、お土産に花の種と飼育方法の紙をセットで渡す事にした。何と地味で人が来なさそうな展示なのだろう。けれども、花壇が使えないのだから仕方が無い。申し訳程度にチラシを他の部活に置かせて貰って(バレー部には特に念入りに)、本番を迎える事となった。
「この上なく心配なんだけど、他の部活の当番も入っているから、後は宜しくね。接客はマニュアル通りにやれば大丈夫だから」
私は受付の机においてある冊子を指差した。
「分かってるって。もう二十回は読んだから、ばっちり接客出来るぞ」
「まあ、客が来ればの話だけどね」
「皮肉ばっかり言ってないで、行って来いよ。書道部のパフォーマンスがもう少しで始まるんだろう」
「そう言えば、そうだった。夕方辺りまでは戻って来れないけど、来客者数を正の字で数えて、種が足りなくなりそうになったら、倉庫に取りに行くのよ。後、困ったことが起きたら、プラネタリウムに来てね。天文部は高校三年生も参加する事になっているから、飼育栽培委員会と兼部してた先輩がいらっしゃる筈。とにかく任せたよ、委員長! 」
「責任を持ってやり遂げます、副委員長。行ってらっしゃいませ」
私は足早に部室を立ち去る。部室の前の廊下には通行人が一人も居なかったけど、大丈夫かな?
階段を駆け上がって三階にある書道室に向かう。全く今日は忙しくなりそうだ。
歩き慣れた廊下を部室の方へ戻る。もう日が暮れて来ていて、中庭では運営委員達の必死の解体作業が行われている。小道具として使ったのだろうか、風船の破裂音がより一層祭りの終わりを告げていた。少なくとも三万歩は歩き続けた私の足は悲鳴を上げ、特に部室の外に積み上げられたチラシの山を見た時には崩れ落ちそうになった。少しも減っていない。正の字一杯の去年とは違って今年は雲行きが怪しいらしい。部室の外に居ても意味が無いので、ぴったりと閉まったドアを開ける事にした。
「只今戻りました」
夕日が曇りガラスに遮られた部屋は程よく照らされ、それがまた虚しく感じられた。受付を任せていた筈の春樹は窓際の棚に腰を下ろし、とても店番をしている様には見えない。
「歓迎会はまだ終わってないでしょ? 後十分位、我慢しなさい」
「ああ、お帰り。まだ、終わってなかったのか。撤収作業を始める声が聞こえたから、もう終わったかと思ってた」
「お客さんも殆ど帰っちゃってるしね。まあ、私達は最後まで粘りましょう。ほら、持ち場に戻って」
春樹は渋々受付の席に戻る。私は後を付けて行って正の字の書かれた紙を取り上げる。
「三十八人か……去年各日二百人以上の来客数があった事を考えると、ちょっと物足りないわね」
「明日、四百人来れば何とかなるよ。チラシだってお土産だって沢山残ってるんだし」
「そんなに来るかしら」
「来ないだろうな」
部室に気まずい沈黙が流れる。私がこの沈黙に堪え兼ねた時、新入生歓迎会の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃあ、片付けを始めようか。私、外に出してあるチラシを取り込んで来るね。明日も使うけど、風で飛ばされたりしたら危ないし」
私はドアノブに手をかけるが、後ろから春樹が呼び止める。
「ちょっと待ってくれ。一つ言いたい事がある」
「それは良い事? 悪い事? 内容によっては臨時の飼育栽培委員会議を開く事になるけど」
「良い事とも悪い事とも取れるな。話してみないと分からない。まあ、大した話でも無いんだけどさ」
「話してみて」
「俺が店番をしていた時、暇だったから本棚にある活動記録を纏めたファイルを見てたんだ」
「一回止めよう。暇だったって何? 暇になった時は廊下で集客をするってマニュアルに書いてあったでしょ」
「まあまあ、取りあえず続けさせてよ。うちの委員会って結構歴史も長いからファイル三つ分位になってただろう。厚いし重いし今とやっている事が大して変わらないしで、誰も見てなかったよな。その中で見つけたんだけど」
春樹は窓辺に広げてあったファイルを取って来る。
「ほら、これ」
目の前に広げられた新聞記事の写真には絢爛豪花の姿が映っていた。両手を上げた部員と思われる男の子がフレームアウトしていたが、これは確かに絢爛豪花だ。
「嘘!? これって絢爛豪花の花じゃない。何で、こんな前の活動記録に絢爛豪花が映っているのよ? 」
「それは俺にも分からない。だけど嘘とも思えないし。だから、歓迎会が終わるのを待って、美砂子に相談しようと思ったんだけど」
「これ程重要な事を見つけていたんなら、速攻相談に来なさいよ。暇だったんでしょ! それにしても、酷い写真ね。飼育栽培委員会の写真下手は遺伝だったのか」
「さっきと言っている事が違ってる」
春樹にじっとりとした目で見られるが気にしない。七年間追い求めて来たものの答えがすぐ目の前まで来ている。しかも、その答えを私達の先輩が知っている。何たる偶然。
「職員室に行きましょう。確か新任の先生の中で、この学校を卒業した先生が居た筈よ。帰っちゃう前に聞いてみよう」
「そうだな、行こう。でも、俺はてっきり俺たちがこの学校で初めて絢爛豪花を咲かせるものだと思ってた。というか、絢爛豪花を育てる為にこの学校に来たと言っても過言じゃない。まさか、先達が居たとはな」
「それが、あんたの言っていた悪い事ね。私もそう思ってたけど、オンリーワンになれなかったからと言って、へこむ必要は無いと思う。先輩達より綺麗なナンバーワンな絢爛豪花を咲かせれば良いのよ。私達の七年間は無駄じゃ無かったって」
「それも、そうだな」
「じゃあ、職員室を目指しましょう」
「おう」
私達は軽い足取りで職員室に向かう。普段なら質問に来た生徒と話している先生も多いのだが、土曜日と言う事もあって先生は殆ど残っていなかった。閑散とした職員室の中で、一際若い古木先生は目立っていた。私達はそそくさと先生の机に向かうと息も絶え絶え話を始める。
「先生が残っててくれて良かったよ。でも、どうしてこんなに遅くまで残ってたんですか?」
「私、学生だった頃、このイベントが一年で一番好きだったのよ。だから、出来るだけ余韻に浸っていたくてね。それで、どうしたの?」
「詳細は私から説明します」
春樹からバトンを貰って、私は先程の事を搔い摘んで説明する。
「あら、そうだったの? あなた達が飼育栽培委員会の後輩だったのね」
「先生、飼育栽培委員会だったんですか? わあ、一緒だ」
春樹は先生にハイタッチを求める。ノリの良い先生はハイタッチを返したが、私は春樹を少し先生から遠ざける事にした。
「兼部してたんだけどね、華道部と。あの時も部員は数える程しか居なかったわ。一週間に何回も水やり当番が回って来て大変だったのよ。それと、私達の代ではまだ学級花壇が機能してたから、紫キャベツやらホウセンカやらを育てていてね。あの頃は楽しかったな、自由で」
「先生、絢爛豪花について聞きたいのですが」
私は申し訳なさそうに言う。大人の回想は長くて面白くないのを知っている。止めるなら早い内の方がいい。
「あら、ごめんなさい。つい思い出話をしちゃった。絢爛豪花の話だったわよね。あれは確か……私の一代上の先輩だったかしら、彼らも三人だったわね」
「わあ、一緒だ」
春樹がハイタッチを求めるが、私は肘で押し戻す。距離感を掴めずにハイタッチが出来なかった春樹は静かに元の位置へ戻って行った。
「顧問の先生が手に入れたっていう珍しい種を咲かせようと頑張っていたのよ。私は新入生歓迎会で先輩達が咲かせた絢爛豪花を見て入部を決意したの。本当に綺麗だったわ。宝石みたいに。あなた達も咲かせようと思っているなら、是非耳に入れておきたい情報があるんだけど」
「その情報って何ですか? 」
「私も聞いた話だから、何とも言えないんだけど、知りたい? 」
先生は少し意地悪そうに笑って言った。
「はい、勿論知りたいです! 」
「分かったわ、教えてあげる。だけど一つだけ約束してね。これから話す事を必ず信じて欲しいの。いい? 」
私達が頷いたことを確認して先生が続ける。
「先輩達は色々な人に絢爛豪花について聞いて回ったの。その中で一番有力であり、怪しかったのがこの話よ。青森の秘境にはどんな植物も咲かせてしまう幻の土があってその土でしか幻の花は咲かない。過去に普通の土で咲かせた人も居たらしいけど、殆ど伝説ね。とにかくその土を手に入れなきゃいけないのよ」
「つまり、青森まで行けってことですか?」
「そうね。先輩達は春休みに青森まで行って、土を担いで帰って来たって噂だけど、今は便利になったわね。昔はその場所まで足を運ばなければ手に入らなかった物が、送料込みで40L/2500円よ」
最後の方は通販番組の司会者の様な声で先生が言った。
「2500円!? 」
って、食いつく所はそこじゃないか。
「ええ、通販サイトから注文出来るわ。お陰で夢もロマンも半減しちゃったけど。もし、咲かせたら私にも何輪か供えてね。私達の代は土が手に入らなくて咲かなかったからね」
「分かりました。もし、咲く事があったら、その時は持って来ます」
「あんた達信じてないでしょ?言っておくけど、幻の土は信じる者の前でしかその効果を現さないからね?先輩達は三日三晩願い続けてやっとこさ咲かせたんだよ」
益々怪しい。だけど、情報がこれしか無いんだから信じるしか無いか。先生とも約束したしね。
「三日で咲くんですか!? それなら俺、祈ります。祈り続けますよ! 」
春樹はどうやら本気で信じたらしい。この猪突猛進男。
「それなら宜しい。当時は三人で咲かせたけど、あなた達が三日で咲かせられる保証は無いから心して置いた方がいいわ」
「はい! 頑張ります。今日は本当にありがとうございました」
私と春樹は一緒にお辞儀をして、職員室を去った。
職員室の帰りにパソコン室に寄り、着払いに設定して幻の土を注文する。顧問の許可は取ってないが、善は急げだ。この際、仕方が無いだろう。届くのは三日後だが、やる事は沢山ある。まず、私はお父さんに掛け合って何とか幻の花の種を入手して貰う。次の日が歓迎会二日目なので、それの準備も怠らない。春樹に電話をしたら、土が届くワクワクでテンションがおかしかったので明日の簡単な打ち合わせをして電話を切る。振り返り休日を挟んだ、来たる火曜日に備えて私達は万全の準備を整えて行った。そして土が来てから三日間、私達は三人一緒に登校して幻の土へ祈りを捧げ続けていたのである。
タイプの違う三人が雨乞いでもするかの様に花壇に向かって必死に祈ってる姿が滑稽だったのだろうか、四日目となる今日、私達に話し掛ける者は居ない。一年ちょっと通った高校だが、これ程真剣に登校するのは初めてだ。時間が早いせいもあると思うけれど、私達の周りには朝練前の運動部がひしめいていて、少しムキムキする。駅からの緩やかな坂道をしばらく上っていると、校門の前の人だかりが見えて来た。
「おい、どうしたんだい?」
思いの外友好関係が広い春樹は近くに居た男子生徒に話し掛ける。
「森田先輩、おはようございます。やりましたね! 学級花壇に見たことも無い様な美しい花が咲いてますよ! 」
「本当か? 教えてくれてありがとうな」
私達は校門の人だかりを抜けて校舎脇の学級花壇の前に行く。花壇は活動記録の写真で見た世にも美しい花で覆い尽くされていた。絢爛豪花の迫力に負けてか、辺りに人は居なかった。
「本当に三日間で咲いちゃったね。あっさりし過ぎてて、まだ実感が湧いてない」
「俺たちの七年間って何だったんだろうな」
「差し引き2500円の価値だね」
「でも、花が咲いて良かったじゃないか。俺は一年ちょっとしか携わってないけど、十分価値があると思うぜ」
私と春樹とバレ雄はそれぞれ一輪ずつ花を摘む。そして、摘んだ花を花瓶に入れて古木先生の机に供えた。その年の飼育栽培委員会の実施記録の提出は免除となった。
個人的な話ですが、筆を執ってから今年で七年が経過してしまいました。七年目にしては稚拙な文章です(^^;
これからも楽しんで書いて行きたいです。