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人鬼伝  作者: THE DART
1/2

人の巻

ちょいとばかし長い作品なので、上下で分けることにしました。

女の子を登場させると、どうしても可愛く書いてしまうのですが、後で読み返すと恥ずかしいのであまり出したくはない、しかし可愛い女の子好き、という二律背反に悩んでおります。

どうぞ、お手柔らかに。

  最初から悪役なんていなくて、

  苦悩の果てに自己犠牲で終わる、

  そんな悲しい結末のお話。



 雪が降っていた。ある日の夜のことだった。

 町は白い絨毯で覆われ、いずれは消えてしまうという儚さが白く目に映る。

 手を広げると、白い結晶が幾つか舞い降りて、消えてしまった。見上げると、それは何人もの美しい妖精が遊んでいるようにも見えた。

 俺は身震いを一つして、少し駆け出した。

 一歩踏み出すごとに冷たい感触が靴を突き抜けて足に伝わってくる。呼吸に合わせて白い吐息が外気に触れて溶ける。ポケットに入れた手は少し蒸れてしまって、徐々に汗ばんでいく。

 視界には粉砂糖のような細かい粒がしんしんと降り注ぎ、静かに地面を白く染めていた。

 曲がり角で人とぶつかりそうになって慌てて避け、なんとか接触事故は免れる。

 しばらく走っていると、行く手に見慣れた住宅街が現れた。黒い屋根に灰色の外壁の家が、今の俺の帰る場所だ。

「ただいまー」

 玄関口で、服についた雪を払い落としながら靴を脱ぐ。

 すると、とてとてと二階から階段を駆け下りる音がして、

「おかえりー!」

 九歳の妹が出迎えてくれた。頭の上で二箇所、透き通るような黒い髪を束ねている。身長は俺の胸の辺りだ。誰にでも分け隔てなく接して、仲間からも先生からも評判がいいらしい。何事もひたむきに努力する姿と、天真爛漫なその性格が彼女の美点である。

「おぉ八宵(やよい)、ちゃんとお前の好きな中華まん買ってきたぞー。後で一緒に食べような」

「わぁ! ありがとうおにいちゃん!」

 八宵は大きな瞳をきらきらと輝かせ、その喜びを全身で表現するようにぴょんぴょん飛び跳ねながら居間へと向かった。

 俺はひとまず二階の自室に戻って、脱いだコートとブレザーをハンガーに掛ける。学校や部活の荷物はそのまま、エナメルのカバンの中からほかほかの中華まん二つが入ったビニール袋を取り出した。そのビニール袋を片手に居間の扉を開ける。

「ねぇねぇおにいちゃん、はやく食べよう!」

 先に炬燵に入って俺の手土産を今か今かと待ち侘びるその姿は無垢そのもので、俺のバスケによって蓄積された疲労などは吹き飛んでしまったような気がした。

「その前にまず夕飯食べないといけないから、後になさい」

「ちぇー」

 台所で俺の食事を作っている母に向かって、八宵は唇を尖らせてみせた。俺は中華まん入りビニール袋を八宵の前に置いて、食事が終わるまで待っているよう言った。その時の八宵の嬉しそうでじれったそうな表情は、「待て」をされた犬のようだった。ダイニングテーブルには俺の大好物であるコロッケも並べてあって、堪らず俺の腹の虫が鳴き声をあげる。俺は椅子に座って箸を手に取った。

 俺の家族は母と、今はまだ仕事から帰ってきていないが父、そしてこの妹だ。ここには、どこにでもあるような幸せがちゃんとあって、だからこそ、それが一番いいと思う。きっと、これ以上あっても持て余すだけで、俺達家族はこのままで充分幸せなんだろう。このままずっとこの幸せが続くなら、大きな幸せなんて要らなくて、小さな幸せを、いつまでも、幸せだと、そう言えるような人生が、最も誇らしいんじゃないかと思う。

 俺の人生は、あくまで普通の物語で、映画とか漫画とか、そういう特異な世界とは無縁なんだと、そう思っていた。きっとそれは間違ってなんかいなくて、普通の生活をしていれば普通の幸せが得られる、それが一番幸せで、俺達が望む形なんだ。



 翌朝、八宵が騒いでいて目が覚めた。

「おにいちゃんおにいちゃん! 雪積もってるよ! 雪合戦しよう! 雪だるま作ろう!」

「……とりあえず俺の上から降りてくれ」

 八宵が馬乗りになって無邪気にはしゃいでいるのを見て、俺は毒気を抜かれてしまう。

 今日は土曜日で、部活もたまたま休み。そんな俺は八宵の格好の遊び相手で、朝ゆっくり眠るのは許されないらしい。

 とりあえず朝ご飯を食べて身支度をした後、自宅の近くにある公園に行くことになった。

 この公園は、俺の年が八宵くらいの頃は滑り台、ブランコ、シーソー、ジャングルジムや鉄棒があったが、俺がこの公園に行かなくなってから、八宵がこの公園に行くようになるまでの間に、子供が怪我をしてはいけないから、という理由で撤去されてしまっていた。今は砂場が寂しげに残されるのみで、ただの平地と化していた。

 そんな味気ないただの広場、もとい公園は、真っ白な雪で化粧をして俺と八宵を迎えた。まだ朝であるせいか、他の子供達は見られない。今は二人の貸し切り状態だ。

「おにいちゃん、さっそく雪合戦しよ!」

「負けねぇからな」

 八宵が夢中で雪玉を作っては投げ、作っては投げしている間に、俺は被弾覚悟で雪玉を量産しその後猛反撃。土壇場に追い込まれた八宵は、雪を両手で掬って目潰しにかかる。よろめいた隙に今朝同様馬乗りになり、大量に雪をかぶせてきた。雪に埋もれた俺は白旗を揚げ、八宵の勝利が決まった。

「まさかマジで負けるとは……」

「つぎ雪だるまね!」

 俺は胴体、八宵は頭をそれぞれ雪玉を転がして作り、数分後にはいい具合の大きさの雪玉ができていた。二人で協力して頭を胴体に乗せ、顔を描いて遊んだ。

「えへへ、雪だるまいっぱいできたね」

「知らない人が見たら驚くだろうなぁ」

 気が付けばもう昼近くになっており、昼ご飯を食べに一旦帰ることした。昼食後も、他の子供達に混じって、雪うさぎを如何に可愛く作るか競って大敗を喫したり、かまくらを作ろうとしたら雪が崩れてまた雪に埋もれたりした。その間、八宵はずっと笑顔で、兄冥利に尽きる一日だった。

「ねぇ、おにいちゃん」

「んー?」

「いつまでも、今日みたいにすてきな日が続いたらいいね」

「そうだなぁ」

「笑うとね、すごくしあわせなきもちになるんだ。だから、このきもちを忘れないように、ずっとしあわせなままでいたいな」

「……八宵が父さんや母さんの言うことを素直に聞いたら、きっと幸せになれるさ」

「もう! まじめな話してるのにからかわないでよ!」

「からかってなんかないさ。自分だけが嬉しくても、それは幸せじゃないだろ? みんかが嬉しくなって、それで初めて、幸せだ、って言えるんだよ」

「わかった。やよいも、おにいちゃんもうれしくなれば、しあわせになれるんだね」

「まぁそういうことだな」

 夕焼けで伸びる大きな影と小さな影は、お互いに手を握り合って、繋がっていた。

「ねぇ、いまうれしい?」

「……ちょっとだけな」

「やよいもうれしい! だから、二人ともしあわせ! ずっとしあわせなの!」



 日曜日は一日ずっと部活だったが、帰宅すると、俺がへとへとなのも構わず八宵がゲームをしようと言ってきた。仕方なく付き合っていたが、加減を間違えて勝ってしまう。何回かに一回は(バレない程度に)手を抜いて負けてやれば彼女も喜ぶのだが、偶然俺の手加減のミスや八宵の自滅で、みるみる彼女の表情が曇ってきた。まだあまりゲームが上手でない八宵と力を拮抗させるのは案外難しく、俺の白星がしばらく続いた。

 そして、俺が五連勝してしまったその時、

「もう、ちょっとくらい勝たせてよ! つまんない!」

 遂に八宵が不満を漏らした。いつもなら、宥めてから次に負けてやれば機嫌は直るのだが、今日はくたくたになって帰ってきて、急にゲームをさせられているものだから、俺もつい言い返してしまった。

「俺部活から帰ってきて疲れてんだからさ、ちょっとくらい休ませてくれよ。ほんとはさっさと飯食って風呂入って寝るつもりだったんだぞ。ゲームの相手してやってんだから、文句言うなよ」

「う……ごめんなさい」

 苛立ちが募ってきつく当たってしまった。萎縮してしまった八宵を見て、罪悪感が込み上げてきた。しかし、どうにも謝る気になれず、俺は何も言わずコントローラーを置いて自室に戻った。



 翌日、休み明けの月曜日、いつも通りバスケ部の練習で夜になってからの帰宅。だが、いつもと様子が違った。家に電気が点いていないのだ。玄関の扉からも居間からも二階の八宵の部屋からも漏れる光は無く、人がいる気配すらない。俺はそれを疑問に思いながらも、カバンから家の鍵を取り出して扉を開けた。

「ただいまー」

 念の為言ってみるが、返事はない。俺は真っ先に居間へ行き、灯りを点けた。居間には誰もおらず、ダイニングテーブルにラップのかかった晩ご飯と、何かのメモが置いてあった。

『おかえり。下校中に八宵が意識を失くし倒れていたと連絡があったので、病院に行きました。大事はないみたいなんだけど、意識がいつ戻るか分からないって。晩ご飯はそこにあるのをレンジで温めて。お父さんには連絡してあるから、仕事を早く切り上げられれば家に帰らず病院に来ると思う。明日も早いだろうから、早く寝て、ちゃんと学校に行くように。お昼ご飯の代金はカウンターの上に置いておきます。おやすみなさい』

 最初、そこに何が書いてあるのか理解できなかった。三度同じ文章を読み、遅れて実感が俺の身に染みていく。

 俺は家を飛び出した。八宵が搬送されたのは、市内唯一の病院だろう。自宅からは徒歩で二十分かかる。俺は自転車に跨って無我夢中で走り出した。

 自転車で走りながら俺は考えた。大事はない、と書いてあったが、嫌な予感がする。これで本当に何も無ければ、杞憂だ、心配性だ、と笑われておしまいだろう。だが、何もないと信じて、そこに迫る脅威が見えなくなるのが怖い。大丈夫だと思い込んで、危惧の範囲外から訪れる不幸が怖い。そして何よりも、もう取り返しのつかない事態に陥っているかもしれないことが、怖かった。

 十分もかけず病院に着いた。面会時間ぎりぎりだったらしく、もう帰り支度を始めようとしている受付の看護婦さんに妹の名前を告げ、部屋番号を教えてもらった。エレベーターで八宵のいる部屋がある階に到着する。

 部屋の前に立つと、みるみる動悸が速くなっていくのを感じた。気持ちの悪い汗が全身から噴き出し、寒気が俺を襲う。意を決して扉をノックすると、ややあって「どうぞ」と母の返事が聞こえた。扉を開けると、ベッドに横たわった八宵と、傍らで椅子に座って娘を見守る母の姿があった。

「……来たのね」

 母は、制服のままで息を荒げて訪れた俺を見て、穏やかに微笑んだ。八宵は、何も知らなければ、ただ眠っているようにしか見えない。小さな身体は規則的に上下を繰り返しており、それだけではどこにも異状はないように見受けられる。

 母が言った。

「お医者さんが言うには、怪我でも病気でもなくて、どうしてこうなったのかは分からないそうよ。倒れたのは昼過ぎで、まだそんなに寒くなかったから、あまり体温も下がってないし。ただ意識がないだけで、身体には何の傷も病気も見つからなかったって」

「……」

 俺は八宵の傍らに立って、頭をそっと撫でてやる。指で髪を梳き、そっと離した。母は壁に掛かった時計を見て呟いた。

「じきにお父さんも着くみたいだけど、もう面会時間は終わりみたいね」

「八宵は、いつ、どこで、なんで」

 俺は、すぅすぅと静かな寝息を立てる八宵を見下ろしながら、声を絞り出した。

「小学校の近くの、神社の傍で倒れていたそうよ」

「神社?」

 神社は、小学校から自宅に帰る道とは逆方向にある。下校時は寄り道などせず真っ直ぐ帰る八宵が、どうしてそんな所にいたのだろう。あちらには特に何もなかったはずだ。

「なんにせよ、原因が分からないことには手の打ちようがないって。今日はもう帰りましょう」

 俺は、まるで白雪姫のように眠る八宵を、名残惜しく思いながら部屋を後にした。


続きます。

前編では、「人鬼伝」なのに鬼が出てこないっていうね…

後編では、ラストスパートとばかりに飛ばしてくので、どうぞお楽しみに。


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