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<探偵・成田耕康>シリーズ

臭い仲

作者:

 探偵の仕事だけで稼いでいけるほど、現実というのは甘くはない。だから、僕こと成田耕康(なりた たがやす)は事務所の下……1階にある弁当屋でバイトをしている。


 そこの店主である丹藤(たんどう)さんは、いわゆる「推理モノ」というのが好きらしく、僕が探偵であることを知ると、すぐさまオーケーを出した。それも、「依頼が来たらそちらを優先させても良い」という破格の待遇まで貰ってしまったのだ。

 30代くらいなのだろうが若々しい。オシャレにもこだわりがあるらしく、いかにも「カッコいいオッサン」という感じだ。それでいて照れ屋で、感謝されることが苦手だという。

 そんな人の好意に対して、推理に向かない探偵としては、多少の罪悪感を感じるが……。僕はお言葉に甘えさせてもらっている。


 現実というのは甘くはない。が、どうやら無糖というわけではないようだ。






「耕康くんも結婚とかしたらどうだ?」

「え? どうしたんですか、急に?」


 店番をする僕に対して、コロッケをカラッと揚げながら、丹藤さんはサラッと聞いてきた。


「いやー。耕康くんって、探偵なのに個性が薄いだろ?」

「……もう少しオブラートに包んでくださいよ」


 ハッキリし過ぎだ。目から暖かいものが流れ出したが、これはきっと汗だろう。厨房の熱気がこっちにも来ているし。うん、汗。


「何かあるか? 能力みたいなモノ」

「……まあ、何もないんですけど」


 だべ? と、丹藤さんは笑いながら、菜箸をこちらに向ける。


「でもな、妻帯者になればアレができるだろう? ほら、『ウチのカミさんがねぇ?』ってヤツ」


 ……丹藤さん、残念ながらコロンボは探偵ではなく刑事だ。


 しかし、何というか……僕は結婚をしちゃダメな気がするのだ。探偵なんて不安定な仕事をしている僕には、他の人生を背負えない。

 愛した人を不幸にはしたくない。

 そんなことを言う僕に、丹藤さんは少し怒ったように言うのだ。


「そいだば、まいねぇな。……そったらコトはオメェが決めることじゃねぇべさ?」


 キツい訛りを使って。『それはダメだな。……それはお前が決めることではないだろう?』と。


 そして、少し照れたように頭をかいた。……訛りってカッコいいと思うんだけどな。僕たち世代になると多少の訛りはあっても、方言となると滅多に出ない。少し憧れる。


 つまりな……と仕切り直すように咳払いをして、丹藤さんは言った。


「幸せっていうのはその人個人のモノなんだから……耕康くんが決めつけていいことじゃないんだぜ?」


 諭すように優しく、脱サラして開業した弁当屋の主人は告げる。



 『決めつけ』……僕はまたやってしまった。僕の価値基準で、僕の当たり前で、判断してしまった。いつまでたっても……僕は凡人から抜け出せない。



「耕康くんと一緒に居るだけで幸せだ……と、そう言ってくれる女性がいつか現れるさ。 ……俺の嫁さんみたいに、な?」


 ……いい話だったのに、最後のノロケで台無しになったような気がするのだが。

 けれど、言ってることは正しい。丹藤さん達も決して安定しているとは言えない。それでも、付いてきてくれる人がいた。支えてくれる人がいた。

 実を言うと、かなり憧れの夫婦像だ。

 僕もいつかはあなたたちのように……何てことは本人達の前では照れくさくて言えないのだけれど。









 さて、そんなある日のコト。バイトがあり、探偵業務は無かった。これで探偵を名乗っていいのかを疑問に思いながら、弁当屋の裏口を開ける。

 店内は何とも言えない臭いに包まれていた。原因は推理するまでもなく、昨日からの新メニューである『諦めるな! 粘ぁ粘ぁギブアップ弁当』だ。ネーミングセンスはともかく、納豆とオクラという粘りの強い2つを取り入れた弁当はなかなか好評だった。


 ……まあ、おかげで昨日は服に納豆の臭いが染み付いちゃったのだけれど。


 僕が臭いに顔をしかめていると、いきなり丹藤さんが抱きついてきた。さらに言えば泣きついてきた。さながら、未来から来た猫型ロボットに頼る小学生のように。


「耕康く~ん! 助けてくれよぉ! 嫁さんが全く喋ってくれねぇんだ!」


 僕の憧れが……。






 とりあえず、店の奥へ。猫の額ほどの休憩室で僕は話を聞くことにした。まだラッシュには余裕がある。というか、丹藤さんが立ち直らない限り、店は回らないのだ。僕は料理は得意ではないし、丹藤さんの奥さんは大の納豆嫌いなのだ。臭いでアウト、らしい。


 ーーオクラ納豆弁当の期間は私は手伝えないから……あの人のコト、よろしくね?


 僕はそう言われていた。しっかり者の奥さんの意外な弱点がおかしくて、思わず笑ってしまったのだが。

 そして、今回の原因が夫婦喧嘩なら……ますます奥さんは来てくれないだろう。


「で? ……何があったんですか?」


 丹藤さんは半泣きだ。……いい大人の涙って何か胸に来るなぁ……。何だろう、この気持ち?


「浮気……」

「浮気!? ……したんですか? されたんですか?」


 と、結論を急ごうとする僕に対して、丹藤さんは、違う違うと手を振った。


「浮気を疑われたんだって! でも、俺は何にもしてないんだよぉ……ホントに……」


 何かもう幼児退行しちゃってるんだけど……。あの「カッコいいオッサン」だった丹藤さんはもはや死んでしまっている。


 しかし、浮気調査なら多少はしたことがあるが、「浮気をしていないという証明のための調査」なんて初めてだ。……というか、普通は経験しないだろう。




 ともあれ、お世話になっている丹藤さん夫婦のためだ。探偵らしく推理してみよう。


「それじゃあ、丹藤さん。何か変わったことはありませんでしたか?」

「変わったこと?」


 不思議そうな反応をする丹藤さんに対して、僕は告げる。ここで少しでも株を上げなければ……!


「浮気を疑うなら、何か理由があるはずですよ。遅く帰ったとか、そんな些細なことでもいいんですが……」

「こんな生活じゃ、遅く帰ることなんて無いしなぁ……。ましてキャバクラなんてリーマン時代でも行ってないんだぜ?」


 腕を組んで考え込む丹藤さん。ハッキリ言って、僕も丹藤さんが浮気をするわけがないと思っている。


 ……というか、本当に浮気をしていたら、まず探偵(ぼく)には頼らない。墓穴を掘ることになるからだ。「本当に浮気はしていない」という、この情報だけは僕の決めつけではない、導き出された確かな証拠だ。

 ならば、奥さんの勘違いの理由を探すのだ。




「いや、でもホントに分かんねぇんだよなぁ……。俺が帰って、風呂に入ろうと着替えて……。風呂から上がったら『浮気したでしょ』の一言。後は俺の話もシャットアウトだったし」


 丹藤さんは顔を歪めて、必死に考えている。そもそも、夫婦仲は悪くなかったのだ。丹藤さんはかなり奥さんを大切にしていたし、奥さんも丹藤さんを喜んで支えていた。

 普通だったら起こるわけのない事件だ。


「怒らせるようなことっつったら……アレか?」


 丹藤さんは僕の方に指を差す。もちろん僕を指し示しているのではない。丹藤さんが差すのは僕の後ろにある宣伝用チラシ。すなわち「『諦めるな! 粘ぁ粘ぁギブアップ弁当』、期間限定販売!」だ。


「嫁さんは納豆嫌いだからさ。当然反対したんだよね……まあ、俺が押しきっちゃったんだけど」


 ……こんな冗談みたいな説が、今は一番有力かもしれない。

 確か……ちょうどオクラ納豆弁当を始めた日の帰宅時に言われたらしいし。夫婦喧嘩の理由はそこかな?




 いや、違う。……何を言ってるんだ、僕は。



 背中にイヤな汗を感じた。ギリギリセーフ。危機一髪。またしても踏み外しかけた。やっぱり僕は推理には向いていない。


 思い出せよ。今回の依頼は夫婦喧嘩の仲裁じゃない。

 丹藤さんは、僕に何を頼んだ?




 ……そうだった。

 深く息を吸い、頭の中を一度空にしてみた。再起動だ。もう一度組み立て直そう。

 始まりは、丹藤さんからの泣きつかれた時だ。あの時、丹藤さんは僕にこう言ったのだ。


 ーー浮気を疑われたんだって!


 浮気。

 奥さんは丹藤さんの何かから、女性の影を察した。視覚、聴覚、嗅覚……どうやって察したのかは分からない。

 しかし、丹藤さんは浮気なんてしていない。それどころか奥さんを大切にしている。それは、納豆嫌いな奥さんが仕事を休むことを容認していることからも明らかだ。


 どこですれ違った? どこで勘違いした?

 浮気をしたと思われる状況はどんな状況だ?


「あ……!」


 もうすぐお昼時であり、稼ぎ時だが、残念ながら店は一旦閉めてもらおう。

 奥さんの誤解を、解きに行くために。








 それでは、今回の解決編。

 奥さんが浮気を疑った理由について。


 僕は探偵として、浮気調査をしたことがある。

 その時に妻が夫の浮気を疑うポイントをいくつか教えてもらったのだが、これがまた探偵顔負けの洞察力だった。


 例えば、視覚。分かりやすいので言えば口紅の跡。中にはシャツのちょっとしたシワなんかで分かる人もいるらしい。

 聴覚で言えば、会話。隠し事をしていると、自分では意識していなくとも変わるらしいのだ。



 そして、嗅覚。典型的な例は……香水だ。

 あの日、奥さんは丹藤さんから香りを感じた。それゆえに疑ったのだ。


 では、何故? 丹藤さんから香水の香りがしたのか?

 あの人は香水がつくような場所に行くような人でもない。

 まして、香水を女々しいと思っているタイプの人だ。普通だったら、絶対香水をつけたりしない。



 答えは簡単だ。「普通じゃない状況」だった。

 その日は、オクラ納豆弁当をつくっていた。丹藤さんの奥さんは納豆が苦手なのだ。臭いですらダメなほどに。

 だから、帰宅前に丹藤さんは香水をつけた。納豆の臭いを打ち消すために。奥さんに不快な思いをさせないように。


 何も言わずに、奥さんのために。

 ……いかにも照れ屋でカッコつけな丹藤さんのやりそうなことだ。




 丹藤さんの自宅から、事務所に戻る際。僕は自販機でコーヒーを買った。スチールの缶は片手で持っていたらヤケドをしそうなほど熱い。右手と左手で交互に持って、何とか落とさずにすんだ。

 事実を開示した後、二人はお互いに謝り合い、笑い合っていた。その光景は独り者には甘ったるくてしょうがなかった。

 普段は苦手なブラックも、今なら飲めてしまうかもしれない。


 しかし、まあ、何というか。今回の騒動にオチをつけるなら……。


「これがホントの臭い仲、ってヤツかな……?」


 寒風を感じながら、グイッとブラックコーヒーをあおったが、やっぱり苦かった。

 甘すぎず、苦すぎず……人生は微糖くらいがちょうどいいよなぁ。






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