第86話 「個々の事情」
「ネクサス君は、実家にはお帰りになられるのです?」
拠点で、訓練を受ける俺たちの図。
俺は澪雫や蒼と剣の訓練、ルナナは零璃と紅と能力の訓練をしている。
「いや、俺は帰らないけど。……澪雫は?」
「私は、夏休みはいつも実家にいないんですよ? 小さい頃から、そうでしたし問題はないかと」
澪雫は、本当に小さい頃から夏の合宿に行っていたらしく、そんなに夏休みに帰る、という思考がなかったらしい。
逆に、俺の心配をしてくれるとはどういうことなんだろうか。
「旅行とか、海とかどうする?」
「前半はすべて訓練や勉強につぎ込んで、後半に遊びに行くのと、その逆どっちがいいです?」
つぎ込んで、という表現に少々の戦慄を覚えつつも、俺は考える。
最初に遊んで後で苦しむか、後で遊ぶかという問題か。
いやいや、決まってるでしょ。
「前者で」
やっぱり、と目を細める澪雫。
その表情は、何というか子供を見つめる母親のような、そんな慈悲深さを心底から感じさせてくれるものだった。
「訓練は訓練として、午前中にやって。勉強はほどほどに私の部屋でしましょう」
「手料理作ってくれるんだ」
「はい。三食全部作りますよー」
にこにこ、と表情を緩ませて澪雫は腕をまくった。
うーん、可愛い。最高。満点。
「ネクサス君は、幸せそうに食べてくれるので私も嬉しいのですよ」
「いやだって、本当に美味しいし」
これが冗談じゃないほど美味しいのだから、本当に俺は幸せ者だと思う。
思うんだけど、何処かで食べたような味がしてくるのは、やっぱり澪雫の長所であり短所であるところが原因だろうか。
「師範と、同じ味はできてます?」
「ちょっと違うけど、確かににてるな」
ほらやっぱり。
母親に、おそらく料理も教わっていたのだろう。
小さい頃からずっとだもんな、そりゃあそうなんだけど。
何で自分の母親の味を出そうとしないんだ。
大丈夫なのかな、澪雫って。
「ルナナ、できない……」
「わー。そりゃあ無茶だろ……」
ついに、というか、やっぱり、というか。
巻瀬さんが弱音を吐き始める。
それはでも、確かにそうだろう。
俺からみても、正直紅の訓練というのは厳しい。
丁寧という点では全く問題がないのだが、それぞれに妥協が許されないということから分かるだろうか。
とにかく、完璧になるまで繰り返しやる。
しかも、指摘がすべて的確なのはそれだけでも精神にくるモノがある。
「でも」
「巻瀬さんは、どんな感じでここに来るまでやってたんだ?」
「殆ど何も」
まー。そうだろうな。
彼女の話によると、元々学者希望でここにきたらしいから。
巻瀬さんがこの同盟にきたのは、そういう訓練も受けたいからだと聞いていたのだが、やっぱりダメだ。
「……まあ、そんな気はしたけれども。……なら神御裂さん、僕がやるよ」
「助かる」
ここで刑道からのフォロー。
先ほどまで傍観していた……というよりは隣の同盟【楽園】で先輩方に教わってた帰りらしく、まだ肩で息をしていたのだがとりあえず変わることになる。
ふと、俺は零璃はどうなのかと思って彼女……じゃなくて彼に話しかけた。
「零璃も、正直そこまで学園に来るまでやってないだろ?」
「ボクはあれだよ。一応【5聖家】の一員だし、基本的なことはすべてたたき込んでくれたから……」
叩き込んでくれた、か。
確かに朱玄さんは剣も強かったし、確かにそうかもしれないけれども。
優しくも厳しい、と零璃は言っていたし結構いい人なんだろうな。
とは思う。
実際、俺にもよく気にかけてくれるのだ。
「普段、鍛冶しかしていないけどね。……でも、やっぱり自分の身体は自分でも守らなきゃねって」
「でも、鍛冶って力使うんじゃないのか?」
「使うよ?」
零璃が、すぐ近くに鉄の塊を生成し、軽々と持ち上げた。
「持ってみて」
「……いや、無理」
無理です。重いことがすぐに分かるから。




