第192話 「夜闇の二人」
「……んぅ」
隣で澪雫が、甘美な声を口から小さく漏らした。
闇の中、俺はどうとすることもなくそれを静かに見守り、彼女をそっと抱き寄せる。
生命の灯火が、今の彼女には強く宿っている。ちょっと前の彼女とは大きく違う。
どうしても、彼女のことが心配になる。どうしても、彼女を大切に想って仕方がない。
今ならわかってしまうのだ。父親が、世界を「ついで」に救って母親を守った理由が。
ネロが、リースを守るために王になった理由が。
本能的に、運命的にこれは最初から決まっていたことなのだと、わかってしまったのだ。
魅烙には申し訳ないが、彼女に対してはそんな気持ちを抱かない。
彼女は勿論将来を誓い合ったし、何か有れば守ろうと思う。自分の命をなげうっても、彼女を救い出そうと思うだろう。
しかし、澪雫か魅烙かと問われれば、俺は長く迷った結果に「澪雫」と応えるだろうと。
それが何故なのか、明確な理由は何一つわからないし、そんな俺の心を誰も説明してはくれない。
もしこの世界に運命があるのなら、やっぱりこういうことなのだと、感じてしまう。
「まって、くだ」
彼女の寝言か、そんな言葉が聞こえて俺は手を止めた。
澪雫を注意深く見つめ、何処とも変わらない彼女の、銀色の髪の毛をそっと弄くってみる。
「まってくだ、さい。…………ネクサス……、さん」
いじる手も止めてしまった。彼女の言葉が、耳に突き刺さり、心に突き刺さってしまう。
彼女は、俺に追いつきたいとか言っていたっけ。
何故俺に追いつこうとしているのだろう。その感覚こそ、俺にはない。
俺は澪雫の上に行きたいわけでも、対等な関係にしたいわけでも、また別の何かになりたいわけでもない。
一緒に、いたい。それが俺が下だろうが、彼女が下だろうが、同じだろうが、どれでもいい。
彼女は、ずっと自分の価値を悲観視しすぎなのだ。
剣術の面だけで言えば、俺達よりも遥かに強いのに。
紅や蒼にも引けをとらないどころか、絶対にそれよりも上だということは分かっているし、あの二人だってちゃんと認めた。
なのに、澪雫一人だけが、それを認めない。
「すてないで」
捨てるわけなんてないのになぁ。どうやったらこう思うのか。俺にはどうしようも思えないけれど。
俺が今までそんなことをするって本気で思っているんだろうか?
「……んぅ。……あ、あれ?」
と、ここで澪雫が目覚める。こちらを見て、困惑したように不安げな顔をした。
「起こしてしまいました? ネクサスくん」
「いや、まだ寝てないだけ」
もう、早く寝ないと明日に支障をきたしますよ、と涼風の美少女は微笑んで、俺の腰に手を伸ばしてくる。
手を回し終えたと思えば、こちらに甘えるがごとく顔を寄せてくるではないか。
「どうした?」
「……ここにいても、いいですか?」
俺は、拒否した覚えはないと答えた。それに彼女は「貴方らしい」返事です、と。
先ほどの寝言は、本当に寝言だったのだろうかと考える。
もしかしたら、俺の注意をひくためにわざとそんな感じに言ったのかなと、考えてしまう。
でも、やっぱり。この顔を見ていたら、信じるのが一番いいかもな、って。
「ずっとここに居てくれ」
彼女は、その意味を理解できただろうか。どこか不安気で、また幽玄さを保ち、同時に儚さすら併せ持つ少女は、俺の顔を見て少しだけ笑ってみせた。
その顔が美しいのは分かる。幼さも未だ、残っていることは分かっている。
どうしようもなく、美しい。魅力的だ。
その顔に対して、適確な比喩表現が不可能。
「居てくれるだけで、俺は幸せだよ」
「その意味は理解しかねますが」
っとと。やっぱり理解はされないようだな。
「ですが、分かりました。ずっと貴方のそばに居ましょう、ネクサスくん」




