第185話 「氷結の聖女」
「……っ」
息が苦しくなって、私は目を開けてしまいました。
目の前は暗く、明かりらしきものはカーテンから漏れる月明かりだけ。暗闇に目が慣れると、私はベッドに横たわっていて、ネクサスくんが隣で寝ていることを思い出しました。
起きて、その理由を考えます。何か思うことがあったのでしょうか。よくわかりません。すくなくとも、今抱えている問題というのはかなり少ないのです。
そう、殆ど無い。
あるとすれば、私がもう少しだけ強くなれたら、ネクサスくんに負担をかけなくても済むかな、と思うだけなのです。
私はまだ師範に全く届かない実力です。まだまだ弱いのです。能力をコントロールし、さらにそのタガが外れている状態であっても、自分に最も適した状態で、またかつ使いこなせていなければ意味は無いのです。
そのくらいよくわかっています。だからこそ、ネクサスくんに能力の訓練を申し出ました。夏休みにはアルカディア王国へいって、ネクストさんや師範に、ネクサスくんと「一緒」に教えをいただく予定です。
私はまだ、覚醒も出来ていません。学園で数人しかできていないけれど、ネクサスくんのそばにいたいのなら、恐らく覚醒は最低条件だと思うのです。
師範は能力が殆ど使えないのに、覚醒ができるという凄く珍しいケースではありますが、私は「もう」普通の能力者なのです。
極みまで達する必要はないのです。ただ、自分のもう一つの「タガ」が外れれば。いつでも大丈夫なはずなのですが。
『力がほしいのですか?』
と、どこかで声がしたような気がしました。
一瞬自分が頭おかしくなったのかと思いました。力を欲するあまり、幻聴が聞こえるようになってきたのかと。
『幻聴ではありませんよ』
隣で耳にささやきかけられているようには感じられず、直接脳の中で響いているような感覚がしました。
声は女のものです。私よりも少し上、といった感じの何か、余裕が感じ取れる声。
師範の声に似ているような気がします。
私は首を振って、部屋を見回してみました。ですが、やはり変わりはありません。
やっぱり何かの間違いかもしれません。幻聴と断定したくはないのですが、少し頭が混乱しているのかもしれません。
力を追い求めるあまり、幻聴が聞こえてくるまでに成るとは私も重症です。少し休まなければならないのかもしれませんけれど、でも、明日の訓練もネクサスくんがやってくれるのですから、休むわけにも行かないのです。
『頭のなかで考えていること、全て読み取れているのでスミマセンけれど、私は幻聴でも貴女が創りだした虚像でもありません』
『私の名前はリース。剣聖:涼野冷が宿している【因子】です。「氷結の聖女」とも呼ばれています』
『この世界、地球の他に属性皇が住まう世界があることを認識していますか?』
立て続けに問いかけられ、私は困ってしまいます。
確か、属性皇というのは、神話でよくある「神」です。
属性皇が使っている能力のことを「神力」と呼ぶのはよく知っていることで、水の属性皇「ネロ」がネクサスくんを見初めた結果、ネクサスくんがそれを使えるようになったというのは知っています。
決して手品や、詐欺の領域ではなく、現実に起こりえるものだとは知っています。
でも。
ネクサスくんが「ネロ」と接触できたのは、ネクサスくんの父親であるネクストさんが「ネロ」を宿しているからです。
私と師範に、血縁関係はありません。「御氷一族」としては親戚に当たるのでしょうけれど、6親等以上、確実に離れているのです
。
『私は、ネロが見初めた人の、一番大切な人にとともにいます』
でも、それなら私ではなく魅烙さんの場所に行くはずです。
私はネクサスくんに迷惑をかけてばっかりで、だからこそ、もっと強くなりたくて。
そうです。私は自分に自信がないのです。自信がないので、ただこうやって喚いているだけなのです。
そのくらい分かっているはずなのですが、どうしても納得出来ないことだって。
『心配しなくていいのです。ネクサスは貴女も、八神魅烙さんも同じくらい大切に思っているのです。私は涼野冷の分身であり、彼女の意思に沿った結果、こちらになったというだけなのです』
そういって、リースと名乗ったその声は、空から僅かな光を持って、球体のようなものをこちらに落下させてきました。
実体は存在しないようで、触ろうとしても手をすり抜けてしまいます。
それが、なんであるかはわかりません。ただ、それが優しい何かだということがわかります。
『私の心、です。どうぞ、受け取ってください』
リースと名乗る存在はそう私に伝えました。彼女の心を私と同一化させることで、存在を同じにしようということでしょうか。
私には難しい話がよくわかりません。今まで剣にしか脳がいっていなかったからです。名家の一つである霧氷家でも、特別な訓練は受けてきませんでした。
でも、強くなれるなら。強くなって、ネクサスくんと一緒に歩めるのなら。
それでいて、彼に大切にされたい。わがままですが、これが私の願いであり、望みなのですから。
半透明の球体が私の心臓部分に入ってきたのを感じました。
頭のなかで、いくらかのスペースが、他の人のために使われる感覚もしました。
これで私は一人ではありません。
『完了。では、よろしくおねがいしますね、澪雫さん』
「はい」




