第174話 「月明かりの銀色少女」
「んふふ」
澪雫がベッドの上で、興奮したように笑いをこらえる。
しかしその顔からは耐え切れないほどの笑みがこぼれているし、おそらく隠すつもりもないのだろう、どこか緊張したような面持ちでもあった。
んふふ、なんていつもの澪雫なら絶対に口にしないだろう。彼女のイメージはいつだって、冷静な剣士である。
真水で時間をかけて作り上げた透明な氷のような、剣士。
凛としたその姿は、多くの人々を魅了させる。
「ネクサスくん、早く寝ましょ?」
敬語も心なしかすこし砕けている気がした。
物欲しそうな目線はまっすぐこちらに向けられており、またその眼はどこか恍惚とした表情すら浮かべている。
だが俺はまだ寝るわけには行かず、ネロとの会話を終わらせなければならなかった。
基本的には、この時間にネロと会話をする。
夜、日が変わるか変わらないかの頃だ。
「もう少しまってて」
彼女にそう伝え、俺は属性皇との会話を終わらせようとした。
これからどうなるかはよくわからないけれど、明日は氷醒槍クリュスタッロスの仕様訓練を行う。
この前は完全に【神力】が足りなかったのだ。
だから、俺の身体の中に多めに蓄えるように命の余裕を加える必要がある。なんとかしたいのだけれど、命に余裕を作るってどうやってするんだろう?
「はい、いいよ」
明日は命の余裕の作り方も教えてもらおうと考えつつ、俺は澪雫の隣に横たわる。
彼女はやっとだ、とでもいいたいのか俺と視線を合わせようと目線をこちらに上げている。
そんな彼女の頭の下に手を差し込んで、彼女がしてほしいのだろうそれをしてやる。
「あのですね?」
「ん?」
声も幾分か甘くなっているな。
普通に考えて、嬉しくないわけがないのだが。
これを日常的にしてほしいっていうのは、出来ない願いなんだろうなと。こんなに妖艶な澪雫は初めてではないが、毎回新鮮な気持ちで見ることができる。
あまりにも、いつもの彼女とかけ離れているからである。
どちらが好きで、どちらが嫌いということはないけれど。やはり同一人物なのか少し心配になってしまう程度には面倒なものであるなと。
「もう少し、強く抱いて下さいますか?」
少女はそう呟いた。俺がその通りにすると、澪雫は目を閉じて首を俺の心臓あたりにすり寄せる。
月明かりを反射して、澪雫の髪が氷色に光り輝いた。
「俺にはもったいない女性だ」
「そんなことありません。ネクサスくんは王子ですから、むしろ選んでいただいて」
彼女のぬくもりを知りたくて、より一層彼女を強く抱きしめる。
自分が何をやったのかはよく分かっている。これから、澪雫には大きな負担をかけてしまうのかもしれない。
それは魅烙もそうである。俺の一言が、彼女たちの人生を大きく狂わせてしまったのではないかと、たまに考えてしまうことがある。
それでも、やっぱり考えることがあるのだ。
もし、俺が彼女たちにあの言葉をかけていなければ、彼女たちはどうなっていたのだろうかと。
天王子学園に入学する前から俺のことが好きだったと明言している魅烙はともかく、澪雫は俺が変に関わったからこそ今の彼女があるのだろうと確信は出来てしまう。
ほんとうにソレで良いのだろうか。彼女は満足できているのだろうか。それがどうしても不安になって、最近は思いつめてしまうことがある。
もちろん、彼女たちの前でそれを表に出すことはない。彼女たちに直接聞いてみるという選択肢も自分自身には全くと言っていいほどなくて。
「私は、ネクサスくんに出会えてよかったと思っています」
貴方と出会えていなければ、今はもしかしたら生きていなかったのかもしれませんと本気のトーンで彼女は話をしていた。
こちらはまだ、何もできていない。この先のレールもまだ不鮮明。
生きていなかったかもしれないと言っても、……でも、それは確かにそうなのだから。
「こちらこそ、救えてよかった」
彼女がいなくなっていたら、この心の暖かさもなかっただろうから。目の前で救えなかったら、きっと一生後悔しただろうから。
本当に、そうならなくてよかった。澪雫と魅烙、1人もかけてはならない俺の大切な存在である。
もちろん、シルヴィーも立場は一緒で。
「……だから」
そういって、少女は眠りについてしまった。
だから何だったのか、俺は聞けない。
それがどこか怖いような気がして、尻込みしてしまう。
彼女をどこまでも信用しているはずなのに、一抹の不安が拭えない。
「……おやすみ、澪雫」
彼女の名前はやはり美しかった。澄んだ響きを感じる、素晴らしいものであった。
俺は不意に涙がこぼれないよう、上を向く。
月明かりが差し込む一室で、ただ何をするでもなく、俺は考えにふけっていた。
ただただ、未来を信じて、祈り続けることしか今は出来なかったのだ。




