第109話 「陸駆の威圧」
「さて、そろそろ時間だな」
待合室を見下ろし、俺は巨大な時計が正午5分前を指すのを確認した。
立ち上がるとともに、隣でそわそわしていた澪雫も同じように立ち上がろうとして、バランスを崩しかける。
そんな彼女の手をつかんで引き戻し、彼女が松葉杖の準備を終わらせたのを確認し、手を離す。
「ありがとうございます」
「気にするな」
正直、彼女が負傷したのは俺のせいだと思っている。
俺に管理能力が足りず、澪雫だけでなくほかのみんなも傷つけてしまった。
先ほどほしいといったモノだって、今の俺には無くてはならないものだ。
父親のように世界は救わなくてもいい、でも周りの人くらいは救いたいのだ。
今は力及ばず、それが出来なかったとしても。
「また、何かを思い詰めているような顔」
澪雫が、俺の変化にいち早く気づき、心配そうな顔で見つめてくる。
こうやって、彼女を心配させてしまうというのも、俺の力不足だろうな。
「いや、大丈夫」
「魅烙さんも一緒に暮らすとなれば、少しくらいは休んでくださいね」
「……そうだな」
……やっぱり、俺だけじゃダメだな。
副官がいる。俺の考えを、素早く何かモノにしてくる人が必要だ。
今の俺には、自分のことすら満足に出来ていないようだったから。
「今は前に集中だな」
「そうですね。……ずっと後ろで、応援していますから」
「これが終われば隣だ」
むしろ俺の方が後ろにいるべきか、とか一瞬まじめに考えて。
馬鹿らしくなって、俺はふぅと息を吐く。
「ベストポジションで、見てるといい」
「はい。ネクサス君の姿は、ずっと目に入ってますよ」
彼女を観客席に座らせ、俺は向こうの待合室をみる。
陸駆さんは、やっぱり姉さんを後ろに付けているか。
おもしろくなってきたかもしれない。
「ん、あれは何ですか?」
王牙さんに呼ばれるのを待っていると、澪雫に肩を叩かれた。
はっとして上を向く。
と、そこには翼の生えた人影が見えた。
誰かを抱き上げて、試合会場の上を旋回している。
翼の色は、半透明な水色だ。
例えるなら、氷の結晶を幾つもくっつけて、翼の形にしたような感じがする。
勿論、そんな翼をしたのは『氷属性』を極めた一人だけ。
そう、父親である。
「あれ、師範ですよね」
「うん」
澪雫の言うとおり、抱かれている方の女性は俺の母親である。
なぜこんなに、目立つ登場の仕方をするんだろう。
別に、今日の主役は彼らじゃないというのに。
陸駆さんと姉さんのペアも俺と澪雫の表情とそんなに変わらなかった。
そういえば、陸駆さんと姉さんってつきあっていたんだっけ?
よく分かんないや。あまりこの学園の中で姉さんと関われることがなかったから。
それはともかく、受け身もとらずにそのまま勢いよく着地した父は、母をおろして来賓席の方へと行ってしまった。
しかし、確かに母をおろすとき、俺を凝視したな。
ウインクまでされた。どうしよう。
父親にされても特にうれしくない。
『ええーと。そろそろ始めても、いいのかな』
王牙さんの声が、試合会場に響く。
マイクは……さすがに使っているか、無線だな。
とにかく、会場の中央にいつの間にか現れた彼は、俺と陸駆さんを見てこちらにくるように促す。
「私は何も言いませんよ」
澪雫の言葉は、それだけだった。
俺よりも緊張しているのは、なぜなんだろうな。
よく分からないけれど、俺は彼女にだけ分かるよううなずき立ち上がった。
それは陸駆さんも同じで。姉さんは二、三口何かを口走って、強く陸産の背中を叩く。
陸駆さんの巨体が、ガクンと揺れたのを俺は見逃さなかった。
普通の人なら骨折れてるな、あれ。
「西。ネクサス・アルカディア。『ソキウス』所属」
声援は、あまり多くない。
が、確かに俺は一定数の人が歓声をあげたのを見た。
どうも、俺たち団体で見られているのか俺個人でみられているのかは分からないが、学園すべてが俺たちの敵という訳ではなさそうである。
「東。神鳴陸駆。『楽園』所属」
きっと大歓声が試合会場をはじけさせる。
そう思っていたのだが、驚くべき事に誰も歓声を上げなかった。
不思議に重い、俺は視野を少しだけ広くする。
するとどうだろうか。
俺は、陸駆さんが発散している、すべてを押しつぶしそうな威圧感を覚え、同時に戦慄した。
不当な権利でこの人は、学園序列2位を手に入れた訳ではないというのがすぐに分かる。
この人は、強者なのだと。
「神鳴、【鍵】は使うのか?」
「はい、一段階使います」
「では、両者準備を」
鍵?
俺の分からない単語が飛び出したが、すぐに試合準備の時間がもうけられて何も質問できなかった。
日本の諺に「訊くは一瞬の恥、訊かぬは一生の恥」というものがあるが、今は放っておこう。
まずは、この威圧感に俺が立てていることに驚くべきだ。
……ああ、父親の怒ったときと比べたら虎とドラゴンくらい、違いがあるからかな。
思ったよりも、父親がそばにいてくれたという効果は強いモノらしい。
「【制限】、解除」
陸駆さんが、宣言して腕に付けられていた枷のようなモノを外した。
枷というか、外見はかなりサイバーである。
が、確かにそれは手枷だったようだ。
陸駆さんのオーラがいっそう威圧感を増した。
俺はまだ大丈夫、足は竦んでいないしこの震えは武者震いだろう。
しかし、俺よりも数十倍、遠い人は数百倍離れているというのに数人失神したらしい。
観客席が慌ただしくなり、俺たち二人の注意も一瞬だけ逸れた。
「一桁になれば、ネクサスもこうなる」
「そうですね、早く姉さんに追いつきたいものです」
「氷羅……か。まあ、妥当だろうな」
その顔は、俺を決して小馬鹿にした訳ではなく、本気でそう思っているのだろう。
口では少し笑いがこぼれていたが、目は全く笑っていない。
「さて、勝利条件と報酬を確認する。勝利条件はどちらかが戦意喪失、または戦闘不能になること。ただし相手を殺してはならない」
これは基本ルールだろうな。
ちなみに、相手を殺すとダメだが四肢をもぐなどの、生活的致命傷を与えるのはいいらしい。
一見変なルールだが、これは能力者の犯罪者がでた場合、警察が実行する方法と同じである。
まあ、この学園だとこの前に、俺たちよりも強力な能力者教師たちが止めに入るんだが。
「勝利報酬は、八神魅烙の同盟在籍権でいいんだな?」
「はい」
「はい」
同盟在籍権とはよく言ったものだ。もっと簡単に言えば、「同盟のリーダーがその人を好きにしていい権利」だというのに。
まだ前例はないらしいが、この権利があれば本当に「何をやっても」いいらしいからな。
夜伽に呼んでも、学園にいる間は罪に問われないとか、問われるとか。
ちなみに、こんな感じで取り合われる人って相当実力が高い人が多いから、最悪そのまま男としての人生がなくなってしまうかもしれないが。
……魅烙や澪雫、蒼たちがそんな目にあったら、俺は容赦なく殺すけどな。
「では、準備はいいかな?」
俺はいつでも覚醒が出来るよう準備し、属性能力で10本以上の剣を宙に浮かせる。
陸駆さんは、素手だった。
「では、始め」
戦いの幕は、切って落とされた。




