第01話「プロローグ」
赤い雫が、落ちた。
それが、「彼女」の痛みと認識するまで何秒かかっただろうか。
白い雫が、落ちた。
それが、「彼女」の涙とわかるまで、時間はいくらかかっただろうか。
しかし、もう彼女たちが苦しむことはないだろう。
俺が、彼女たちのそばに、いてやれるのだから。
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ことの発端は、1ヶ月前にさかのぼる。
俺はそのとき、別に何かをしようとして何かをしていたわけではなく、たまたま手元にあったファッション雑誌を眺めていた。
それも、俺が買ってきたものではなく親父が「読み終わったから」といって押しつけてきたものだ。
どういう趣味だ?
ひっくり返して読もうがどうしようが、親父が読むには雑誌のターゲットが若すぎる。
しかも、本人にその手の服が似合うだけに性質が悪い。
「……ふぁ」
俺はあくびをしながら、さて昼寝でもするかと雑誌から手を離して寝転がる。どうせ今日もなにもない、休日だ。
そう思っていた時期が、俺には確かにあった。
「ネクサス」
部屋の外からそんな声がしたと思ったら、次の瞬間ドアが吹き飛んでいた。
俺の目の前に、外れたらしい二つの金具が転がってくる。
……は? と、ふつうの人は思うだろうが俺は違う。
これが日常だ。そして、さっきまでドアのあったところにたっているのは、紛れもなく俺の親父である。
吹き飛んだ木の板一枚よりも、親父の風貌の方がインパクトがあるとおもう。
銀髪に、魔王のような黒いマント。
そして、その顔に配置された眼は鋭く、人を本気で殺せそうな、あるいは独裁者のような顔つき。
それが、俺の親父だ。
「ネクサス、手紙」
「ん?」
俺は親父の前まで歩いていく。性格は至って淡白なのだが、正直その眼が全てを払拭している。
そもそも、重要な手紙じゃないのなら親父がこうやってドアを……蹴破ることなんて無かった。
手紙を渡してもらい、親父の方を見上げたら獲物を見つけた肉食獣のような顔をしていた。
……何か、とてつもなくいやな予感がする。怖い。
封筒を見て、俺はため息を付いた。
そこには「NEXUS・Arcadia」と。ファーストネームがすべて大文字とは、こいつら分かってるな……。
「はぁ……」
俺は封筒を開けて、中身の白い紙を取り出し。
ぽいっ、と興味をなくして床に投げた。
「英語で書いてくれ、読めない」
「仕方がないな、俺が読んでやる」
親父は、珍しくにやにやと笑いながら床に俺が投げた手紙を拾い上げる。
日本語ぺらぺらで読み書きも問題なくできる、日本大好きな親父は不気味なにこにこ……もといにやにや顔で読み上げた。
「【天王子学園入学のお知らせ】」
「おいちょっと待て」
まて。今なんて言った?
俺は自分の耳が信じられなかった。
これはおそらく夢だろう、そうだ夢に違いない。
「まて、意味が分からない」
「日本に行って、天王子学園を卒業してこい」
「は? え?」
まってそこじゃない。
俺はかなり悲惨な声を発したような気がするが、すべての元凶である親父は笑っていた。
どこ吹く風状態か、くそ。
「言ってないからな」
「ちょ、ま。俺はそもそも同意していないし、そこじゃなくても。この辺にも有名な学園はあるだろう!」
いやー、この一家は他と違うからさ! と親父は簡単に答えた。
確かにそうだけども。そこじゃない。
「なんでよりによってここなんだ」
「そりゃあ私が日本に行きやす……じゃなくて、世界でも有名な学園だからだ。俺やレイの出身校でもある」
今、自分の私利私欲のために、と言いそうになったぞこんの親父。
しかも、「そうですか」と納得しそうになった己を俺は今、強烈に憎んでいる。
親父は日本が好きだ。
それは暇さえあれば日本に旅行にいくレベルだし、この国のいいところのお嬢様ではなく、わざわざ日本のモデルを結婚相手にしてきたし。
いや、母さんはかなり特殊なケースか。美しいバラには刺がある、を体現したようなひとだからな。
ついこの間なんて、「ちょっと出かけてくる」といって1日帰ってこなかったから、家族全員がパニックになって……。
電話したら「今日本」とか……。
俺は幸せ全てが逃げていきそうなため息をつき、布団の中に顔を埋めて現実逃避をしようとした。
しかし、それよりも不安の方が勝ってしまう。
日本語、あと一週間ほどでマスターしなければ……無理だ。
「そんなに行く気がないのか」
「ない」
俺は親父の問いに即答した。
天王子学園なんて、冗談じゃない。
あそこは、別格なんだから……!
と、俺が首を振って必死に否定の意を示していると、親父は肩をすくめた後に誰かの肩をくむような動作をした。
と思ったら、親父の腕の中に銀髪の美女がいた。
一瞬でお取り寄せでもしてきたかのような事態に俺の頭は一瞬停止する。
「これを言うのもどうなのかなって思うけど……」
ああ、母親である、この美女。
仮にも俺を生んでいるというのに、なぜ身体が衰えないのか不思議だが。
「天王子学園は、かわいい女の子がすごく多いよ……?」
な、なんだってー!?
なんでこんな大切なこと、教えてくれなかったんだ。
行くに決まってるだろう!
「あ、いきます」
むしろ今すぐ搭乗券をくれ!
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2日。
この日数が、なにを示しているのか分かるだろうか?
俺が片言から、完璧な日本語をマスターするまでに徹夜で親父にたたき込まれた日数である。
古代のスパルタ兵は、こんなことをさせられていたのか……?
と精神的にとんでもない苦痛を味わった俺は、日本語をマスターしたと父親という名の鬼軍曹に判断されたその時点で、飛行機の搭乗券を渡されて日本まできた。
ちなみに、搭乗券を渡されて家から出るまで5分である。そうしないと間に合わなかったんだから仕方がない。
体力はともなく、気力は尽きそうだ。
今は空港である。ここは東京、なのかな?
漢字は一応一通り覚えたが、それでもやはり難しいものだ。なんで日本人はアルファベットも漢字も、ひらがなもカタカナも使うのかいまいちよく分かっていない。
あまりにも多くの言語を一度に使い過ぎだ……。
と、そんなことを思いながら俺は周りを見回した。
ここが東京であっているとするとの話だが、たしか天王子学園のある島は、人工島であって特別な便で行かないといけないとか何とか。
それはたしかに入学案内に書いてあったが……。
詳しく書いていないんだが! 本当にそれしか書いてない!
詳しくかけよ! 分からないだろう!?
「はぁ、これどうするんだよ本当に……」
「あの……えっと……」
と、不意に後ろからか細い声がした。
いない? あれ?
俺は首だけを回したが、そこに姿はない。
何かのいたずらか、と思いながら前を向くと目の前にいた。
「……!?」
「あ、驚かせてしまい申し訳ありません……えっと……」
背丈は俺よりもかなり小さく肩と対等かそれ以下だろう。
なるほど、だから首を動かしただけでは気づかなかったのか。
親父には「悪い癖だからやめろ」と何度もいわれているが、俺は今回も可愛いその子の観察を始めてしまっていた。
で、服装は下赤と黒のチェックスカートに、上は白を基調とした長袖のブレザーっぽいものの組み合わせ。
紺色と黒を基調とした服装の俺とは大違いだな。ふむ、可愛い。
と、少し襟の方に何かが見えたためそちらに意識を向けると、そこにはきらっと光る、天王子学園の校章が。
なるほど、行き先は同じ……というわけか?
そんなことを思いながら服装から少し上に視線をずらすと、まずは月夜に迷い込んだような黒い髪の毛が見える。
同時に見えるのは、同じく黒い眼か。くりっとしているが、全体的に中性的な印象を受ける顔立ちだ。
ただ、可愛い。それだけはすぐにでも言える。
超可愛い。
「えっと……君も、その、天王子学園の、新入生なの?」
うむ、声まで意識すれば中性的なことまで気が付いてしまった。
男性としては高すぎて、女性としては少し低いくらいの声だ。可愛い。
俺はそれにこくりとうなずくことによって、肯定した。
「そっか。……ちょっと安心した……」
「ということは、君もか?」
次は、俺ではなく相手側がこくりと頷く番だった。
天王子学園に行く人なんだから、能力者であることはたしかなんだが。それにしても可愛すぎる。
……とまあ、天王子までの連れができ、その子に援助を頼みつつ俺たちは便のゲートまでたどり着くことができた。
目の前には、明らかに空港の雰囲気とは違う私服の男性が立っている。
威圧感が半端ない。眼光はギラギラと煌めいており、怖い。
「天王子学園へか?」
「次に1年になります」
「そうか。学生証」
この人、素っ気ない。
ちらっ、と隣を見ると同じ思いのようで、おどおどしながらも唖然としていた様子だった。
怖い上に素っ気なかったら、どう反応すればいいのか分からなくなってしまうのは俺だけだろうか?
「「……」」
「ふむ、ネクサス・アルカディアと関帝零璃か。おいで」
へえ、零璃っていう名前なのか。
そんなことを思いながら、名前の分かった連れの方を見ると、相手は「ねくさす」と口を動かしていた。
俺の名前がそんなに珍しいか。……確かに、片言ではない日本語で普通に話しかけたら、日本人って思わなくもないか。
「んあ? 何か具合でも悪いのか?」
「う、ううん……。なんでもないよ、じゃあ行こう」
あ、零璃で呼んでいいからね、と。
……ふむ、遠慮なく呼ばせていただこう。
そしてヘリコプターである。
まさかのここでヘリコプター。
え、本当にこれに乗るの?
「ようこそ、天王子学園へ」
そんな声をかけられ、ドアを閉められてヘリは発進する。
ふむ、手際がいいな。
このまま誘拐されてもぜんぜん疑うことなくほいほいついて行けそうだ。
まあ、冗談であって普通は誘拐されたらハイジャック仕返すほどの実力はあると思っているが。
「……うぅぅ」
隣で零璃が唸っている。
顔は青く、一目見ただけでもやばそうということが分かるが、いったいどうした?
手も膝の上でくむようにしているが、それも僅かにふるえている気がした。
「なんだよ。……やっぱり具合が悪いのか?」
「……高所恐怖症で」
なるほど。
心配して損したのか、それとも万が一のことに備えて何か対策を施すべきなのか、一瞬迷ったあと俺は手を握ってやることにした。
戸惑ったように俺を見つめる、零璃。
「ん……?」
「少しは安心できたか?」
縦に揺れたか揺れていないか分からなくなるほど僅かに、しかし俺に分かるように「うん」と声を出して頷く零璃。
そして弱々しいながら零璃は俺にくすっと笑いかける。可愛い。
俺はその顔から少しずつだが色が戻っていくのを確認して、ふーとため息を付く。
……ところで、俺は何回零璃に対して可愛いと思ったっけ?
「……優しくしてくれるんだ。こんなボクにでも」
「ん?」
「ボク、男なのに優しくしてくれるんだね」
「は?」
3話まで連続投稿いたします。よろしくお願いいたします。
文章力向上に向けて、どこが面白くてどこが面白くないか、感想をいただければ幸いです。