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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

傾国

傾国

作者: まめ

グロい表現や残酷な部分が有りますので、苦手な方やお子様はご遠慮ください。

 

 寒い。

 壁に背を預け、膝を抱え頭を入れるようにして丸くなる。寒さを凌ぐ手段を持たない自分が出来る事はこのくらいだ。いったい日が暮れてから何時間こうしているだろうか。すでに体は限界を超えたのか、先程までは寒さの余りに刺す様な痛みを感じていたというのに、この垢に塗れた黒い素足でも、よれて伸びきったシャツ、ぼろぼろに破れたズボンという、少しも防寒にならない格好をしていても何も感じる事はない。五感は驚く速さで失われ、自分が震えているのかどうかさえ、今はもう分からない。ここまで来れば後は天に運を任せ目を閉じるのみ。運があれば明日も生きているし悪ければ死ぬだろう。

 ああ、ついに自分も奴らの餌食になり食われてしまうのか。よく回らない頭でそう考えると遣り切れない思いがこみ上げてきた。

 老若男女を問わず、サンブラン王国では冬に凍死することは珍しくない。特に首都の冬は厳しく、うっかり酔いつぶれ野宿しようものなら、あっという間にあの世行きになる。特にスラム街は家を持たない者が多いからか、真冬の早朝に裏道を歩けば幾つもの死体が転がっている。

 ただ不思議な事にそれらは、日が昇りきる頃には一体も残らず姿を消す。貧しい人々がそれらを市場の肉屋や、怪しい錬金術師のもとへ運び込むからだ。そうして運ばれたものはわずかな金で買い取られ、解体された後に安い豚肉として売られるか、または乾燥させ粉末にした物を万能薬だと偽り、安い値段で錬金術師が下流の貴族や商家に売りつけるのだ。

 それが如何に悍ましく愚かな行いであろうとも、人々は誰も咎めやしない。そればかりか、こぞって死体を争うように取り合うのだ。明日は我が身と知りながら、それでも彼らは生き残るために必死だ。この国は今、混沌としている。あと少しの切っ掛けがあれば、崩壊してしまうだろう。それもこれも全ては、国を統べる女王のせいだ。彼女の強欲で傲慢な性格が破滅を呼び寄せてしまった。今や下層階級のみならず、中層階級すら貧困と飢えに喘ぎ始めている。この国は黄昏の中にある。もうすぐそこまで終焉の足音は近付いて来ている。

 終焉の足音だなんて事を考えていたからだろうか。ふと気が付けば誰かがアパートの階段をゆっくりと上ってくる音がする。いったい誰が何の用で来たのだろうか。以前であれば、ここには母を含め娼婦が沢山いたが、今や客が取れるような女はいない。皆、病気や飢えが原因で死んでしまったり、下らない事で逆上した客に殺されてしまった。そうでない者は早々に国に見切りをつけ、どこかへ旅立って行った。

 自分の母も人気のある娼婦だったが、病に倒れてからは客を取れなくなった。彼女の体は実子ですら目も当てられないほど化膿し、また腐食している。病前は美しい形をしていた鼻は、随分と前に腐敗が原因で削げた様になってしまった。彼女はもういつ死んでもおかしくない状況にいる。

 やがて足音は次第にこちらへと近付き、自室の扉前で止まると扉は悲鳴のような音を立てながら開いた。

もしかしたら母が病気だと知らない客が、買いに来たのかもしれない。ああ、もしそうならば、自分は凍死より先にその男に殺されてしまうのか。

 娼婦の子供が客に殺される事は珍しくない。行為の最中に泣いたから。そんな下らない理由で殺されてしまうのだ。きっと自分は、期待した娼婦が無残な有様なのに腹を立てたこの客に殺されるのだろう。ああ、それは食肉になるよりも嫌だ。いくら五感が失われてきたとはいえ、それは苦しく辛いに違いない。

 やがて足音はだんだんと自分の方へと近付くとすぐ側で止まり、目の前に艶やかな光沢を持つ黒の革靴が現れた。

 後々この時の事を思い返してみれば、一目で上質なものだと分かる靴を履いた男が、わざわざ娼館に属さないスラムの売女を買うはずがない事くらい容易に想像できたが、当時の自分はそんなことすら考え付かないほど衰弱していた。

 殺されるのならば、せめて痛くなければいい。お願いだから痛くしないでと顔を上げ、革靴の主に懇願の眼差しを向ける事に精一杯だった。


「ああ、なんということでしょう。お可哀相に。こんなに震えていらして。さあ殿下。貴方があるべき場所に戻りましょう」


 男は一方的に意味の分からないことを話すと、羽織っていた厚手のコートを脱ぎ、それで僕を包んだ。意味は分からないけれど、どうやら彼は僕を殺すつもりはないらしい。それどころか暖かいコートを恵んで貰えるなんて少しは良い思いが出来たという思いから、自然と口角が上がった。

 すると男は僕のその様子を見て微笑み、それから母の方へと目を向けるとその有り様にひゅっと息を飲んだ。男がそうなるのも無理はない。実子の僕でさえ直視出来ない程に酷いのだから。人の姿をしていない彼女に対し、恐怖で喚かなかっただけでも彼は凄い。

 ああ、コートのおかげで体が少しばかり温もったせいか、眠気が増してもう意識を保てそうにない。僕は肌触りのいいコートに顔を埋めようと、思うように力が入らない手で必死に手繰り寄せた。


「ああ。可哀相にオーギュスタ」


 男はしばらく黙っていたが、そうぽつりと言葉を漏らした。オーギュスタ、そうだ母はそんな名前だった。もう久しく耳に入れることがなかったからすっかりと忘れていた。

 彼のその言葉を聞いた母は、どこにそんな力があったのかというほど大きな声で、ああ、ああと獣のような唸り声を上げた。


「心配をするな。もう大丈夫だ。殿下の事は私に任せていればいい。必ずや立派にお育てすることを約束しよう」


 母は彼のその言葉に尚更、声を大きくした。声を荒らげる母が心配ではあったが、もう意識が持ちそうになかった。瞼が重くどうしても開きそうにない。もうどうにでもなればいい。いっそこのまま死んでもいい。どうせ母は余命幾許もないし、自分も今日生き延びたとしても、明日は死んでいるかもしれないのだから。もうどうなろうが構わない。

 男がふっと息を吐く音が聞こえたような気がする。そうしてしばらくして彼が母に再び話しかけるのを、どこか遠くの方で聞きながら僕は意識を手放していった。

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