二人の冒険
まもなく太陽が垂直になろうかという中央公園。
照り付ける日差しで芝生が眩しい黄緑色を見せるが、貯められた温度は生ぬるい風がすべて消し去っていく。
昼食時が終わり、午前中同様、子供連れの親子の姿が多くみられる。
キャッチボールをする親子、フリスビーを飛ばす親子、芝生に寝転がる父親の姿、ベンチで缶ジュースを飲んで休憩している母親。
絵に描いた休日を青空が見守る中、アナログ時計の針はスローモーションを加速させて進んでいく。
「明はまだ来てないみたいだな」
亜留は休憩所の自動販売機で、缶コーヒーを一つ買って手に取った。
『そうすぐに準備ができるわけではないしな。ただ飯を食っているアルとは違うのだ』
亜留の脳内に、リラの毒がまき散らされる。
「別に、準備することないって言われたから、昼食に行っただけじゃないか。それに、そんなこと言うリラは中で涎垂らしているだけだし」
『な、わ、私は涎など垂らしてない! ちょっとおいしそうなハンバーグだったから、うまそうだと思っただけだ!』
「僕がごはん食べている間に涎を垂れ流すイメージ送り続けたのは誰だっけ?」
冷たい缶コーヒー片手にベンチに座りながら、周りに誰もいないことを確かめながら亜留はつぶやいた。
『あ、あんなものを見せつけられては、食べたくなるのは当たり前ではないか。幽霊は食べたくても何も食べられないのだぞ?』
「なんか、沙織と同じことを言ってるな。幽霊は死んでも食いしん坊なのか?」
缶コーヒーを開けると、少しだけ薄茶色の液体が吹きこぼれる。亜留はそれを口にする。
『まあ、霊体とはいえ、死亡当時の思考はそのまま受け継がれるからな。それに伴う欲望というのもいろいろと引き継がれてしまう。本来霊体ならば必要ないものでも、思考が欲することもあるのだ』
「なるほどねぇ。だから食欲もあるってわけか」
『まあ、そういうことだ。だから食事を摂るときは余計なことをしないように、本来は体から離れておいた方がいいのだがな』
「ならば、何故昼食の時に離れなかったのだ」
『ま、まあよいではないか。別にお前にとっていてもいなくても同じなのだからな』
ふうん、と言いながら缶コーヒーをベンチの隣に置く。
「まあ、どっちでもいいんだけどね」
空を眺めながら、流れていく雲はどんな形だろうと空想を描く。
流れる時間はゆっくりと、しかし確実に。みわたす公園の姿は、相変わらず眩しかった。
ふと亜留がベンチで体を倒したまま首を傾けると、緑色のリュックサックを背負った明が、自転車から降りている姿が見えた。
それを見て体を起こすと、亜留は残った缶コーヒーを一気に飲み上げて自動販売機近くのくずかごに捨てた。
休憩所から自転車置き場までの道は、両脇に植えられている桜の木の葉で太陽の光が遮られ、冷たい風が走る。
「随分な荷物だけど、そんなに大変なのか?」
若干息を切らしている明に、亜留は尋ねた。
「なかなかあそこにたどり着くのは大変だからな。準備しすぎることはないさ」
「そうなのか。とりあえず、行こうか」
亜留はそういうと、自分の自転車の鍵を開け、自転車にまたがった。
続いて明も自転車に乗ると、亜留の前を走り出す。
駆け抜けていくコンクリートの坂道。置いていかれるぬくもりは、ささやかな風に吹き飛ばされていく。
住宅街から離れ、車が走る国道から、ほとんど車が通らない狭い一般道へと上っていく。
その道も、しばらく走ると少し広い道へと出る。
農業車も通れる山林道。しかし、なかなかのアップダウンの激しさから、この道を自転車で通る人は少ない。
白いコンクリートの道と、茶色い崖の壁に囲まれ、その間を二台の自転車が駆ける。
「へえ、こんな道があったんだ」
「もう少し先を工事すれば、隣町まで行けるらしいんだけど、その先はまだ開通してないから、需要がないんだ」
「なるほど、そのための道だったのか。しかしえらい中途半端だよな」
立ったままだと生ぬるい風も、下り坂で受ければ一気に体温を奪う冷風に変わる。
そのスピードも、再び登り坂になれば一気に殺される。
一向に収まらない汗を流しながら、二台の自転車は目的地を目指す。
いくつもの下りと上り坂を超え、一時的に平坦になった道に入った時、明が広場になっている場所に自転車を止めた。
「ここからは歩きだね。ほら、あそこの階段」
広場と反対側を見ると、白い手すりと、道路から見える階段があった。
ほとんど手入れされておらず、草が好き勝手に生えている。どうやら最近は誰も足を踏み入れていないらしい。
「うへえ、なんだか面倒なところだなぁ」
「ここは階段があるだけマシさ。さあ行くよ」
自転車から降りた明は、すぐに階段の方に向かう。亜留も自転車を停めると、明の後をついていった。
階段の入り口に、小さな木の看板がかかっていた。わずかに「稲荷神社」という文字と、階段の方向への矢印だけは読み取れた。確かに、ここが神社の入り口のようだ。
生えている草を鎌で切り払いながら、明はどんどんと進んでいく。
木のしきりと土でできただけの簡単な階段が終わると、後は獣道のような一本道が延々続いていた。
昼間だというのに薄暗い森、進むたびに穿いていたジーンズに植物がまとわりつく。
「本当に誰も通ってないんだな。こんなところに神社なんてあるのか?」
明の後ろから、亜留が周りを見ながらつぶやいた。
『まったく、こんなところでぶつぶつ言っておったら、この先持たないぞ?』
「そんなにひどいのかよ、この先の道って」
『こんなの、普通の登山道と同じだ。言っただろ、崖を上らねばならないと』
亜留とリラが言い合う中。明は鎌で草を払いながら黙々と先に進んでいく。
『ほれ、明を見習え。お前もぐちぐち言わないで明を手伝わないか』
「……といっても、特にやることなさそうだが?」
亜留がつぶやくと、明の足が止まった。
「ん、亜留、草刈りやるか? 結構面倒だぞ?」
そう言って明は鎌を渡そうとする。
「いや、お前が前にいないと道がわからないじゃないか」
「なんだ、てっきり手伝いたいものかと」
そういうと、明は先を急ぐ。
歩けど歩けど草と木の海。なんとかわかる獣道を頼りに進むが、どこまで続くか見当がつかない。
「それにしても、結構歩いたな。まだ先なのか?」
先の見えない道を歩き続け、亜留はそんな言葉をこぼした。
「いや、距離的にはあんまりないんだけどな。ほら」
鬱蒼とした草むらの先、ふと目の前を見ると、高さ五メートルほどの崖が見えた。
茶色くごつごつした崖。そこからはみ出すように、何本か木や草が生えている。
「え、これを登るの?」
「本当はこっちに行ける道があったんだけど、土砂崩れでふさがったんだよ。だから、今はここを登るしかない」
そういうと、明はロープを取り出し、小さな輪を作り始めた。
「これが上に引っかかればいいんだけどな」
ぶんぶんと振り回し上へ投げる。が、うまく引っかからなかったのか、ロープの輪はそのまま落ちてきた。
「さすがに適当に投げてはダメだな。上の様子が分かればいいんだけど……」
それを聞いて、亜留はぽんっと手を叩いた。
「なら、リラに様子を見てきてもらおう」
『ふむ、見るだけなら何とかなるが……』
そういうと、リラは亜留の体から離れる。そして、そのまま崖の上の方に向かって行った。
「うわぁ、これは想像以上に草がすごいな。大丈夫なのかこれ?」
「いいからリラ、ロープがひっかけられそうなところを探してくれ」
「まったく、人使いが荒くてせっかちな男はモテんぞ?」
そういいながら、リラは崖の上を見渡す。
そして、崖から生えている一本の木を指さした。
「これならいいんじゃないのか? ひっかけやすいし、すぐには折れんだろう」
「お、いいんじゃない? よし、明、頼んだ」
明は持っていたロープを持つと、作った輪をその木に向かって投げる。
一投目は失敗したが、二投目でうまくその木に引っ掛かった。
「よし、大丈夫だぞ。木にしっかり引っかかっておる」
リラの言葉を受け、しっかり引っ張り折れないことを確認すると、そのロープを頼りに、明は崖を上っていく。
「リラ、危ないと思ったら教えてくれ」
「任せろ。アキラの命は私が守るからな!」
時折崖が崩れて石が落ちる音が聞こえてくる。明はロープを引っ張りながら崖の足場に足を慎重に置いて上っていく。
ロープを掛けてあった木に捕まり、一気に体を引っ張り上げ、明は崖を上り切った。
「よし、次は亜留の番だ。上から見ててやるから安心して上ってこい」
明に言われて、亜留はロープに手をかける。
崖の足場を確かめながら、一歩ずつゆっくりと上っていく。
「よし、もう少し……」
後は手を伸ばせば届く、と言ったところまで上った瞬間。
亜留は最後の崖の足場を踏み外し、足場を失った右足が宙に浮く。
「うわっ!」
落ちる。そう思った瞬間、ロープを握った手に力が入った。
「だ、だいじょうぶか!?」
明が心配して覗き込むが、亜留はなんとかロープにぶら下がったまま落ちずにすんでいた。
「あ、あぶねぇ……」
ひとまずもう一度崖の足場を確保し、何とか木に捕まろうとする。
が、今度はその木がみしみしと嫌な音を立てる。
「あ、亜留、急げ。なんかヤバそうだ」
「わ、わかってるよ」
ロープを引っかけた木にしがみつき、体を引っ張り上げる。
何とか木が折れる前に、亜留は崖を上り切った。
「な、何とか上り切った……」
「運動不足だな。アキラみたいに、少しはアルも運動したらどうだ?」
座り込んで息を切らす亜留に、腕を組んで見下しているリラが言う。
「それにしても」
亜留が立ち上がると、当たりの草むらを見渡す。
「こんなところに神社なんてあるのか?」
その風景は先ほどとほとんど変わらず、多くの木々と伸び放題の草があるだけ。
「この崖さえ上り切ればもうすぐそこだ。それにアル、お前ならそろそろ感じ取れるんじゃないのか?」
リラに言われて、亜留はふと、かすかな寒気を感じた。
風が汗を引かせていくのとは別の、皮膚ではない別のところで感じる微かな寒気。
「なるほど、この辺は霊が集まりやすいってことか」
「古い神社なんかは、霊体の格好のたまり場だからな。割と遠くからでも、霊感が強ければ霊体のエネルギーを察知できるぞ」
「……あっちからなんかすごい寒気を感じるな」
亜留は草むらの奥を指さす。
「お、すごいな亜留。そっちが神社のある方向だ」
「しかし、ここからはまったく道がないな。行けるのか?」
草だらけで、足元を見ても道らしい道はない。
「うむ、ここからはわずかな目印を頼りにするしかないな。前の人が通った跡が、かすかにあるのだ」
そういうと、リラは体を浮かせて少し先の木まで行き、その幹を指さした。
「例えばこの木。少し古いが、ナイフか何かで矢印が書かれている。こういう目印が、ところどころにあるから、それを追って行けばよい」
草むらを駆け寄り、亜留と明がそれを確認する。
「こんなところに来る物好きもいるもんだな」
「俺たちもあんまり変わらないけどな」
まだまだ明るい空。陽の光が差し込まない草むらを、亜留と明は鎌を振るって先に進んだ。
幹に刻まれた矢印にそって進むと、やがて開けた場所に出る。
その中心には、小さな木造の建物が建っていた。
かなりぼろぼろで年季を感じさせるが、はっきりと神社であることはわかる。
入り口の前には小さいながらも鳥居が立っていた。どうやら、本来の行き道はこちらなのだろう。
「へぇ、前来た時とあまり変わってないな」
明が草むらから飛び出すと、神社の入り口に向かった。
賽銭箱も鈴もぼろぼろながらきちんとある。明はせっかくなのでと、お参りをすることにした。
「ほら、亜留も……あれ、亜留?」
明が周りを見渡すと、まだ草むらから出てきてない亜留とリラの姿があった。
よくみると、両手を肩にあてて震えているように見える。
「……なあ、明、神社ってこんなに寒かったっけ?」
「そりゃ、さすがに神社ともなると霊体がうようよいるからな。アルの目にも見えるだろ?」
亜留はとんでもない寒気と同時に、神社の周りに漂う多数の霊体によって震えていた。