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二人の時間

 家に帰ると、亜留はすぐさま部屋に戻り、制服から私服に着替えると、簡単な準備をして部屋から出てきた。

「あら亜留、またどこか行くの?」

 白無地のTシャツに青いデニムと言った簡単な私服でどたどたと階段を降りると、亜留の母親がダイニングから声をかけてきた。

「うん、すぐに戻るから」

 言うが早いか、亜留は玄関から飛び出した。


 玄関に立つと、亜留は今にも赤く染まりそうな空を眺め、雲の流れる速さに時間を重ねる。

 弱まりながらも必死に肌を焦がそうとする太陽の熱を、涼やかな風がすばやく奪い去っていく。

 車庫に止めてあった自転車の鍵を開け、荷物を前かごに入れると、勢いよくこぎ始めた。

『亜留君、今からどこに行くの?』

 自転車をこぎ始めてからすぐ、亜留の頭の中に沙織の声がした。

「ん、いやね、今日は九月六日でしょ。沙織が死んでちょうど二か月。だからさ」

 風を切って進む自転車は、チェーンの叫び声を上げながら住宅街を抜け、一気に川沿いの道に出る。

『だから?』

「だから、墓参りさ。沙織の」

 途中ですれ違った近所のおじさんに挨拶をしつつ、自転車は緩やかな坂道を力強く走っていく。

『墓参りって、私、ここにいるんだけど』

「まあまあ、いいじゃん」

『亜留君のやることはよくわかりませんね、さすがえっちの化身です』

 沙織の声を聴きながら進んでいく自転車は、自然のトンネルを抜け、一気に川の上流にある阿流野辺(あるのべ)神社にたどり着く。そこから墓地まではそう遠くない。


 阿流野辺地区の奥にある墓地区画。ここには、阿流野辺地区の住人たちの先祖が眠る場所である。

 段々畑を思い出させるような、最下段からすべての墓石が見渡せる配置が、墓地とは思えない美しさを見せる。

 墓地に続くあぜ道の前に自転車を止めると、亜留は近くに生えていた名も知らない花を一輪摘み取った。

『せっかくなんだから、もっと豪華な花束がよかったな』

「墓参りに豪華な花束持っていくやつがどこにいるんだよ」

 沙織の言葉を流しながら、草が好き放題生えているあぜ道を亜留は一歩ずつ進んでいく。

 徐々に傾いていく日が、肌に熱を伝える力を失っていく時、周りの景色は徐々にオレンジ色に染まっていく。

 向かい風を片手で時々避けながら階段を上り終えると、「天川家之墓」と書かれた墓石が見えた。

 沙織の祖父母は沙織が小さいころに亡くなっている。そのため、墓石には祖父母の名前が刻まれていた。

 そして、その隣に「沙織」の文字が刻まれている。

 亜留は摘み取った花を壇上に備えると、手を合わせて目を閉じた。

 別に何を思うのでもなく、ただひたすらに、目の前の無機物に面と向かうだけ。この行為にどのような意味があるのかわからない。が、こうすることで、人の心には何か達成感のようなものが生まれてくるみたいだ。

 ふと、亜留は全身が力が抜けるような感じがした。ふと目を開けて隣を見ると、亜留の体から抜けた沙織が、先ほどの亜留と同じく、手を合わせて目をつぶっている。

「自分の墓にお参りしてどうするんだよ」

「え、いいじゃない、別に」

 ショートカットに白いワンピース。透き通るような、というか透けている白い肌を見ていると、なんとなく心が落ち着いた。

「大体、こんなに頻繁に出たり入ったりして、大丈夫なのか?」

「ちょっとくらい大丈夫だって。それに墓地は、亡くなった人の霊体エネルギーの欠片が散らばっているから、霊体のエネルギー分散スピードはほかの場所より遅くなるの」

 沙織がいう霊体エネルギーとやらは、こういった場所でなければ徐々に失われて行き、やがて霊体の存在が消えていくらしい。

 その霊体状態を維持するために、沙織は亜留を霊体エネルギーの保管場所として、その体に憑依しているのだ。

「それよりも、ほかの場所よりも霊的エネルギーが強い場所だけど、亜留君は体、何ともない?」

 そういわれ、亜留は若干寒気がするのに気が付いた。

「そう言われれば、さっきからちょっと寒気がするかな。でも墓場っていうと、なんか幽霊とか人魂とか出てきそうなイメージなんだけどな。やっぱり夜じゃないと見えないのかな」

 亜留が話す言葉に、沙織はクスリと笑う。

「人の魂が、いつまでもこんな何もないところに居続けるわけないじゃない。確かに死んだ直後は、この場所に少しはいるのだけれど、いずれはどこか別の場所に移動してしまうのよ。居続けてたら、最後には消えてしまうわけだから。時々見る幽霊とか人魂っていうのは、偶然墓場にやってきた霊体の姿なのよ」

 沙織の話を聞き、亜留はへぇ、と意外そうな顔をした。

「墓場っていうから、幽霊のたまり場だと思ってたけど、そうじゃないんだな」

「そうよ。ただ、もともといた霊体がどこかに行くときに残していったエネルギーが積み重なるから、霊感が強い人は寒気がしたり、キリみたいなもやもやしたものが見えたりするの」

「へぇ、そうなんだ。てっきり、幽霊がいっぱい見えるんだと思ってた」

 そういいながら、亜留はゆっくりと元の道を歩いて戻る。

「まあ、えっちな亜留君の場合、幻覚で小さな女の子とか見えるんだろうけど」

「何で小さい女の子限定なのさ」

 何故か隣でむすっとしている沙織に向かって、亜留はつぶやいた。


『それにしても、幽霊になった後だからわかるんだけど、人ってなんでただの石にお参りしようと思うんだろうね』

 自転車の鍵を外している間にいつの間にか亜留に憑依している沙織がぽつりとつぶやく。

「多分、そこにその人がいるっていう前提がほしいんだよ。ほら、宗教とかでも偶像崇拝ってあるじゃん。何かを神に見立てて信仰することで、心の中で神様を作り上げるんだ。お墓とか仏壇とかでも、そういうものをその人に見立てて、その人が生きていた証拠にするんじゃないかな』

『本当はそんなところに、人の魂なんてないのにね。もっとも、戻ってくる人もいるらしいけど」

 自転車の鍵が開くと、亜留は自転車にまたがり、墓地を後にする。

 帰りは行きと違って下りなので、ほとんどこがずとも自転車は後ろから誰かが押しているように走り出した。

『でも、その割には人は守護霊だとか地縛霊だとかいうよね。お墓に魂があるんなら、そんなのいないはずなのに。あ、私も亜留君の守護霊みたいなものか』

「沙織の場合、ただの背後霊じゃないのか?」

『な、わ、私は亜留君のえっちな魔の手から健全な女の子を守る守護霊なんです!』

「それ、僕の守護霊じゃないよね」

 神社を過ぎ、高く生い茂る木々が太陽を遮る川沿いの道に出ると、吹いてくる向かい風が妙に涼しく感じる。

 そんな移り変わる風景を見ていると、自転車はあっという間に住宅街に入っていった。


 空が赤く染まり、徐々に藍色に変わっていく頃、亜留は家にたどり着いた。

 自転車をしまうと、すぐさま自分の部屋に戻る。まだ夕飯の時間には早いのか、母親は準備も始めていない。

 荷物を適当に放ると、亜留はベッドに腰を下ろした。

 一瞬エアコンをつけようとリモコンに手を伸ばしたが、「まあいいか」と途中でやめた。

「そういえばさ」

 やはり暑かったのか、亜留は近くにあったノートをうちわ代わりにして仰ぐ。

「最近、時々僕の体から抜けてどこかに行ってるけど、どこに行っているのさ」

 すると沙織は亜留の体からふっと抜け出し、亜留の隣に座った。

「ん、気になる? それとも、もしかして妬いてたりして」

「いや、死んでるんだから、妬く相手もいないんだけど」

 仰ぐのに必死になっている亜留を見ながら、沙織はクスリと笑いかけた。

「私は自分のエネルギーを維持するために亜留君の中にいるんだけど、同じところにずっといると、エネルギーの偏りが出ちゃうの。だから、時々外に出て、霊的エネルギーの高い場所に行って、ほかのエネルギーを充電しに行くのよ」

「エネルギーに種類があるのかよ」

「まあ、そういうこと。肉ばかり食べてたら体調悪くなっちゃうでしょ? 野菜もしっかりと食べないと。それに」

 沙織は両手をついて上を向く亜留を真似して、自分も両手をついて上を向いた。

「たまには亜留君も、一人になりたい時があるでしょ? ゲームや勉強に集中したい時とか、あとえっちな動画を見たい時とか」

「別にそんなことはないけどな。あと別にそんな動画を見る趣味はないぞ」

「ウソ、だって夜中にこっそりパソコンつけて、あんな動画やこんな動画を見てるじゃない」

 沙織がじっと亜留の顔を見ていると、亜留はびくっと反応して沙織の方を見た。

「な、何で知ってるんだよ。僕は沙織がちゃんと寝てるときに……」

「あ、やっぱりそうなんだ。やっぱり亜留君の脳は、えっちな思考の巣窟なんですね」

「おのれ沙織、嵌めたな」

 くそっ、と亜留は頭を抱えるが、沙織は足をバタバタさせて笑っている。

「まあ、いいじゃない。それが亜留君のアイデンティティーなんだから」

「だから何で僕にはそんな嫌なアイデンティティーしかないんだ」

 はぁ、とため息をつく亜留を見ながら、沙織は相変わらずにやにやしている。


「亜留君は、私とえっちなことしたいとか、思わないの?」

 いきなりの質問に、亜留は何かを吹き出した。

「なんだよそれ、急に変な質問するよな」

「え、そうかな。だって自分の彼氏が何考えてるか、知りたいじゃない」

「だとしても、それはダイレクトアタックすぎじゃないだろうか」

 沙織は亜留の顔が少し赤くなっているのを見て、またにやにやと亜留の顔を覗き込む。

「で、どうなのよ?」

「どうなのよって」

 照れ隠しなのか、亜留は困った顔をしながら、右手で頭をかきながら答える。

「そりゃまあ、僕だって男だし、そういうことは考えるよ。ましてや自分の彼女なんだから、いつかはって」

 続きに困ったのか、亜留はそこまで言うと「うぅっ」と俯いてしまった。

「やっぱり、亜留君はえっちな人ですね」

「僕に言わせておいて、それはないだろ?」

 亜留が顔を上げると、やはりにやにやとこちらを見る沙織の姿があった。しかし、どことなく安心したような感じがにじみ出ている。

「もっとも、僕がいくらそう考えても、もうそれも無理になってしまったけどな」

 亜留の言葉を聞き、現実に引き戻されたのか、沙織の顔は先ほどまでのにやけ顔が消えた。

 口元は笑っていながらも、目はどこか遠くを見ている。そんな感じだ。

「そっか、そうだよね」

 亜留は沙織に何か言わなければとしたが、気まずい雰囲気のなか、何も言えずにいた。

 わずかな沈黙と和らいでいく熱が、部屋の中を支配していく。


「それじゃあさ」

 長く続くと思われた沈黙は、沙織の言葉で打ち破られた。

「キスしようよ」

 また突飛なことを言うな、と思いながら、亜留は体を起こした。

「どうやってやるんだよ」

「うーん、なんていうか、雰囲気だけでもいいじゃない」

 何をいまさら、と亜留は思ったが、沙織の方はどうやら本気のようだ。

「雰囲気だけって言っても……」

「雰囲気だけ。触れることはできないけど、気分だけでもさ」

 そういうと、沙織は亜留の手に自分の手を重ねる。

「じゃあ、亜留君、目をつぶって」

 沙織がそういうと、亜留は「しかたないな」とばかりに目をつぶる。

 亜留が目を閉じたのを確認すると、沙織は亜留の唇に自分の唇を重ねた。

 触れることのない体。しかし、何度も重ねあってきた体のほんの一部だけが重なっていく。

 実際には触れたかどうだかわからない、不確かな体の境界線を、重なる唇を通して、亜留と沙織は感じ取っていた。


「それじゃあ亜留君、今日も少し出かけてくるから」

 沙織の言葉を聞き、閉じていた目を開くと、ベッドから立ち上がる沙織の姿があった。

 かわいらしい笑顔を見せながら、ゆっくりと部屋の窓の方へ向かう。透明に透けるワンピースを見届けると、亜留の視線は思わず細くて真っ白な足に行ってしまう。

「もう、亜留君、足ばっかり見るなんて、亜留君は足フェチですか?」

「え、いや別にそうじゃないけど」

 沙織に自分の視線に感づかれた亜留は、思わずあたふたと言い訳がましくなってしまう。

 その表情がおかしいのか、沙織はふふっと右手を口に当てて笑った。

「またしばらく離れるけど、えっちなことはほどほどにしてくださいね」

「余計な心配はしなくていいって」

 そう、と沙織がつぶやくと、ゆっくりと窓を通り抜けようとする。

 その瞬間、亜留に寒気のようなものが走った。

「沙織」

 思わず沙織の名を叫ぶと、沙織は亜留の方に振り向いた。

「どうしたの?」

 沙織に何か言おうと思ったのに、言葉が出ない。

「いや、何でもない。気を付けてね」

 そういうと、亜留はベッドから立ち上がって、手を振った。

「大丈夫だよ。今までの二か月間、私が亜留君のもとに帰ってこなかったことがありますか?」

 沙織はにこりと亜留に微笑むと、そのまま窓を通り抜けて外に出て行ってしまった。


「帰ってこなかったことがありますか、か。大丈夫だよな、きっと」

 どこから出てくるのかわからないもどかしさを持ったまま、亜留は天井を見上げる。

「亜留、ごはんよ。降りてらっしゃい」

 何かの感傷に浸る暇もなく、母親の声が聞こえた。亜留はカーテンを閉めると、部屋から出てダイニングへ向かった。

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