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二人の未来

 雷が落ちた木に点いていた火は完全に鎮火されるほどの雨の量。そのインパクトさえも無に帰すような言葉が、亜留たちの耳に届いていた。

「どうしたの、みんな。私、何かおかしなことを言ったかな」

 驚いた亜留たちの顔を見ながら、沙織は不思議そうな顔をして言った。

「さ、沙織、記憶、戻ったのか?」

 亜留は雨に濡れるのも構わず、ゆっくりと沙織の方に近づく。

「うん、全部思い出したよ。私が死んでから、今までずっと亜留君と一緒にいたことも、一年前に亜留君に告白して、一日デートしたことも、全部思い出したよ」

 沙織はそういうと、立ち上がって驚いている重菜たちの方に向かった。

「沙織、私たちのことも思い出したの?」

「うん。重菜のことも、佐渡君のことも。それから、えっと……リラちゃんも、私のことを、一生懸命探してくれてありがとう」

 沙織は重菜と明の顔を見ながら言うと、最後に後ろにいるリラに顔を向けた。

「ま、まあ当然のことをしたまでだ。ほとんどは、アルやアキラ、それにシゲナが動いてくれたおかげだ」

「そっか。重菜も佐渡君も、ありがとう」

 恥ずかしがるリラをよそに、沙織は重菜と明に向かって頭を下げる。

「それにしても、何で急に天川の記憶が戻ったんだ?」

「ああ、おそらくだが」

 明が尋ねると、リラが腕を組んで説明した。

「もともと、サオリの中には記憶の形成する霊的エネルギーが残っていたのだ。後は、その記憶を呼び起こすために必要な霊的エネルギーさえあれば、思い出すことができたのだろう。ところが、その分のエネルギーを、あそこにいた悪霊たちに奪われたのだ。それで、存在を維持するための霊的エネルギーを残した結果、記憶を呼び起こすための霊的エネルギーが不足し、記憶がないのと同じ状態になったのであろう」

「だったら、その霊的エネルギーさえ補充すれば、記憶が戻るんじゃないのか?」

 明が尋ねると、リラは首を横に振った。

「材料だけあっても、それを作らなければ意味がないのだ。人間でも、覚えていたことを忘れて、何かのきっかけで思い出すことがあるだろう。あれと同じようなものだ」

「そ、そうなのか? なんだかややこしい話だな」

「まあ、人間の記憶喪失みたいなものだな。忘れていたはずのことを思い出したのは、この場所に過去の記憶を残した霊的エネルギーが残っていたからだろう」

 そう言って、リラは沙織の方に向かった。


「それにしてもサオリよ、何故あんなところにいたのだ? 霊的エネルギーを補充するにしても、ろくなことが無いだろうに」

 リラは、沙織が須羅府神社にいたことを不思議に思い、沙織に尋ねた。

 沙織はリラにそう言われ、先ほどまでの笑顔から一転して、表情が暗くなる。

「えっとね、須羅府(すらふ)神社って、無病息災を祈願する神社だって言われているんだけど、もともとは、命に関すること全般を扱っている神様を祀っていたの」

「命に関する、だと?」

 沙織の話を聞いて、リラは嫌な予感がしたのか、真剣な顔つきへと変わった。

「大昔の話なんだけど、須羅府神社では、不慮の事故で亡くなった人を、元の肉体に戻す儀式が行われていたんだって。失敗がほとんどだったけど、実際に復活したっていう記録がいくつかあって、もしかしたら、私も元の体に戻ることができるかもって思ったの」

 それを聞いて、亜留もリラと同様、一つの可能性にたどり着いた。

「まさかそれって、瀬梨亜(セリア)さんが言ってた……」

「ああ、魂の復活のことだな」

 ミルキーキャニオンでリラの母親、瀬梨亜が話していたこと。亜留はそれを思い出していた。

「しかしサオリ、魂の復活と言うのは、自分の肉体が残っていて初めて意味があるのだ。自分の肉体がなければ、魂と肉体との拒絶反応が起こり、記憶はすべてなくなってしまうのだぞ?」

「……」

 リラの話を聞き、黙ってしまう沙織。しかし、一瞬の沈黙の後、沙織は表情を緩ませ、微笑みながら口を開いた。

「あのね、リラちゃん。私、死んで亜留君に告白した時から、ずっと亜留君のそばにいられて幸せだって思ってたの。実際、亜留君の体の中にいればずっと一緒だし、いつでも話ができるし、いろんな亜留君を知ることができて幸せだった。でもね」

 沙織の顔は笑顔のまま、しかしどこか寂しげな表情に変わった。

「幽霊のままだと、結局何もできないの。一緒にご飯に食べたり、手をつないだり、キスもできないし、亜留君が好きなえっちなことも。彼女のに、亜留君がしてほしいことが、何もできないから」

「だからと言って、何もかも忘れては意味がないだろう。そういうのは、きちんと記憶があってこそ価値があるものだ。記憶が無くなってしまえば、何をしたいのかも、何をしてほしいのかも忘れてしまうのだぞ」

「それでも」

 リラの言い分を聞いても、沙織は引き下がる様子はない。

「たった数ヶ月でも、何もできないっていうのがとても辛かった。リラちゃんならわかるでしょ?」

「それは……。しかし、それが死んでしまったものの運命なのだ。完全に成仏して存在しなくなるか、いつまでも現世に固執して、成仏できずに居続けるか。それしか残されていないのだぞ」

「だから私は、三つ目の選択肢を取ることにしたの」

「悪いことは言わない、生き返ろうとは思わないことだ。結局存在が消えてしまうのと同じ状態になるのだぞ」

「もう、遅いよ」

 沙織はそういうと、まだ降り続く雨の中に向かい、背を向けたまま続けた。

「私、須羅府神社で、もう復活の準備を終えてるんだ」

「え?」

 本殿の中は、埃っぽい空気と多数の霊体、そして数枚のお札。とても何かの儀式の準備が行われているとは考えられない。

「あそこで一体、どんな準備を?」

「やっぱり気づかないか。亜留君はいつもえっちなことばかりしか考えてませんから」

「えっちなことは関係ないだろう」

 亜留が少し頬をふくらますと、沙織はクスリと笑った。

「周りに、何枚かお札が貼ってあったでしょ? もともとは悪い霊を寄せ付けないものだったらしいけど、実は霊体を復活させるために必要なものでもあったの。あのお札に、復活させたい人の霊的エネルギーを溜めて昇華させることで、その霊的エネルギーは人間として生きるのに適切な霊的エネルギー、つまり肉体に宿る魂に変化させることができるんだって。もっとも、生きている人間がやる分には、対象となる霊的エネルギーがじっとしてないから、何十日も何カ月もかかったそうだけど」

「な、なんだと? そんな話、私も初めて聞いたぞ」

 沙織の説明を聞き、リラは思わず大声を上げて驚いた。

「あれ、リラは魂の復活について、詳しく知ってるんじゃないのか?」

「いや、私はそういうものがあるということしか知らぬ。具体的な方法が広まってしまうと悪用されるから、資料はどこにも残っていないのだ」

 どうやらリラは、本当に方法までは知らなかったようだ。

「ちょっと焦りすぎちゃったかな。本当は少しずつ霊的エネルギーを入れないといけないのに、あの日は記憶が無くなるくらい一気にたくさんのエネルギーを入れちゃって。それで、あそこで倒れちゃったんだ。もともとお札が悪霊を近づけないものだから、大してエネルギーを盗られることはなかったみたいだけど」

「そんなに焦ることもあるまい。そんなことをしても、アルは喜びはせんぞ? なあアル」

「もう遅いよ、リラちゃん」

 沙織がそう言ったのと同時に沙織の体を見ると、いつもよりも透けているように見えた。

「沙織、体が……」

 亜留は徐々に透けていく沙織の体に、一年前に沙織がいなくなる前に起こったことを思い出した。

「もう準備はできてるって言ったでしょ? 自分の霊的エネルギーを半分以上お札に注ぎ込んだから、後は時間が来れば勝手に私の霊的エネルギーは消えていくの。そして、私のエネルギーは、新しい魂に変わっていくの」

「そんな……じゃあ、もうすぐ沙織は……」

「うん、そうだよ、亜留君」

 困惑する亜留をよそに、沙織は何事もなかったように、残酷な事実を告げる。


「私、もうこの世界から消えちゃうんだ。人間としても、幽霊としても」


 徐々に透けていく沙織に合わせるように、降り続いた雨は弱くなっていく。その雨は、まるで沙織の魂そのもののようにも感じられた。

「そんな、沙織、せっかくまた会えたのに」

「天川、それは無いよ。どうして……」

 亜留と同じように、明と重菜も、亜留ほどではないものの、動揺を隠せない様子だ。

 特に重菜は、両手で顔を覆って今にも泣きだしそうだった。

「仕方ないよ。もう自分で決めたことなんだ。だから、最後に皆に、約束してほしいことがあるの」

 そういうと、沙織はまず明の目の前へと足を進めた。

「佐渡君、亜留君のこと、友達としてよろしくね。きっと、亜留君のことを、一番わかっていると思うから」

「……わかったよ、天川、約束する」

 うん、とうなずいた明を後にし、沙織は次に重菜のもとに向かった。

「重菜、亜留君のこと、よろしくね。今までありがとう。ずっと親友だよ」

「沙織、どうしても……どうしても、行っちゃうの?」

「うん。私が生き返ったら、また一緒に遊ぼうね」

 重菜は顔を手で覆ったまま、座り込んでしまい、それ以上しゃべることができなくなってしまった。

 そんな重菜を見ながら、今度はリラの方に向かって沙織は話しかけた。

「リラちゃん、今まで亜留君と一緒に私を探しに来てくれてありがとう。これからは、亜留君のそばにいて、助けてあげてね」

「私はまあ、サオリのことは、アルの記憶の中でしか知らないが、しかしそれで本当に後悔はないのか?」

 リラがそういうと、沙織は首を振った。

「後悔するかもしれない。でも、これは私の決めたことだから」

「……そうか。なら、私からはもう何も言うまい」

 沙織は「うん」と言うと、最後にずっと俯いている亜留の近くに向かった。

「亜留君、しばらくはいなくなるけど、ずっと私のことを忘れないでね。いざとなったら、重菜も佐渡君も、リラちゃんもいるから」

「……」

 沙織の呼びかけに、亜留は答えようとしない。

「もし、私が生き返ったら、また私のことを好きになって、いろんなところに遊びに行こうね」

「……たら……」

 亜留はうつむいたまま、鳴き声でつぶやいた。

「もし、失敗したらどうするのさ。もし、沙織が生き返らなかったら、生き返っても出会えなかったら、僕は……」

「大丈夫だよ、きっと」

 沙織は、亜留の顔を覗き込んで続けた。

「私と亜留君は、どんな時代になっても、何十年何百年経っても、どこかで出会うの。私の霊的エネルギーと、亜留君の魂は、そういう運命にあるんだから。どんなに遠く離れていても、お互い何かのきっかけで惹かれあって、出会って、二人ずっと一緒にいる。そういう、運命なんだから」

 途中で、不意に後ろからリラのため息が聞こえた。

「私は運命なんていうものは、なんていうか気持ち悪くて信じない方なのだが、霊的エネルギーには相性と言うものがあるからな。似たような性質を持つ霊的エネルギーは、互いに惹かれあうのだ。だから、サオリが言っていることはあながちウソではないぞ」

 リラが言ったことを聞いて、亜留はゆっくりと顔を上げた。

「……本当……か?」

「まあ、確信は持てんし、そもそも本当に魂の復活ができるのかと言うのは怪しいのだが、もし実際にサオリが別の人物の生まれ変わりになるなら、出会う確率はかなり高いはずだ」

「そうか……」

 亜留は流れていた涙をふき取ると、再び流れてくる涙をこらえ、沙織の前に立った。沙織も、亜留に向かい合う。

「沙織、またお別れになるけど、絶対に、また会えるよね」

 亜留の言葉が、神社中に響き渡る。それを受け、沙織は「うん」と頷いた。

「その時は、お祭りにも、海水浴にも、遊園地にも、いろんなところに行こうね。あ、亜留君の好きなえっちなことでもいいですよ」

「沙織はえっちなことが好きだな」

「ち、違います! 好きなのは、亜留君です!」

 ムキになる沙織をみて、思わず亜留は笑い出した。その亜留をみて、つられて沙織も笑い出す。


 雷の音は聞こえなくなり、雨も小降りになってきた。

 それに合わせるかのように、雨の中に立つ沙織の体も消えていく。

「もう、時間だね。亜留君、重菜、佐渡君、リラちゃん、私はいなくなってしまうけど、またどこかで会おうね」

 向こう側がほぼはっきり見えるほど透けた沙織に、明と重菜は駆け寄っていった。

「天川、本当に行ってしまうんだな」

「沙織、今度会ったら、絶対私のこと、思い出してね」

 今にも泣き出しそうな明と、雨混じりの涙を流す重菜に、沙織は「うん」と応えた。

「リラちゃんも、今度はちゃんと一緒に遊ぼうね」

 沙織は、まだ神社の階段にいるリラに呼びかけた。

「会う機会があればな。とはいっても、私はすでに霊体だからそんなに遊べることなどないぞ。もっとも、霊体の私なら、どこかで会う機会があるかもな」

 リラはそういうと、ふん、と後ろを向いてしまった。

 しばらくすると、亜留も明たちと同様、雨の中にいる沙織の元にやってきた。

「……今日は、泣かないんだな」

 亜留の声を聴き、沙織は嬉しそうに笑った。

「一年前の私とは違うんです。えっちな亜留君とは違って、私も霊体として成長したんですから」

「えっちは余計だ」

「でもえっちが余計だったら、亜留君は余計なものの塊になってしまいます」

「誰が性欲の塊だ」

 亜留と沙織のやり取りを聞いて、明と重菜の顔も自然に笑顔になってきた。

「きっと、この雨が止んだと同時に、私も消えてしまうのかな」

「去年とは逆だね。去年は、沙織がいなくなったあとすぐに大雨が降ったから」

「あ、そうなんだ。去年と逆だね」

 そういって、全員空を見上げる。傘はもう、必要ないほどに小降りになってきた。

「じゃあ、私そろそろ行くね。もう伝えたいことは大体伝えたから」

 そういうと、亜留たちは何も言わずに頷いた。それを見て、沙織は神社の入口の方に歩いて行った。

 足音の代わりに響く雨音が、徐々に小さくなる。その音も聞こえなくなった時、沙織は不意に、

「あ、亜留君、最後に一言だけ」

 と振りかえた。


「私、亜留君のことが大好きだよ。これからもずっと」

 最後に落ちた一粒の雨を感じ取った瞬間、沙織の体は消えてしまった。

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