06. それは“依頼”ではなく――キリヒトの過失
ガクの説明を要約すると次のとおりだ。
今から十二年前、ガクが十六歳のときに白金トウコが彼を身請けしたそうだ。白金トウコは、TAMA研究区の所長であることをキリヒトに隠し、自分やセカンドの教育係として自己紹介したが、彼には素性を明らかにしたと言う。その上での交渉にガクは首を縦に振った。男女問わずが相手の過酷な売春生活から足を洗えるなら、まともに飯が食えるならモルモットでもいいと思ったそうだ。当時のガクはトウコを恩人だと感じていた。
ほかに生きる術を持たないガクとって、生きるための選択肢はトウコの機嫌を損ねないこと。猜疑心の強いトウコの信頼を勝ち取るため、彼は積極的に協力をしていたそうだ。
「ま、結局のところ、不特定多数の客を相手にしていた暮らしからトウコに限定しただけの違いでしかなかってんけどなあ」
という意味深な言葉は、キリヒトには刺激の過ぎる妄想が広がりそうだったので、ナチュラルに聞き流した。
ガクがキリヒトを知っているのは、トウコとのそんな関わり方から比較的自由の利く立場でいられたから、らしい。彼はトウコに同行を命じられたとき、モニター越しでキリヒトとセカンドの訓練風景を見ては見解を述べる、という、研究助手のポジションでもあったそうだ。
「それでさっき、俺の知らない能力のことまで口にしていたのか」
「絶対防御か?」
「うん」
「それやけどな、トウコは三年前の段階で暫定的な見解、みたいな言い方をしとった。何しろテスト対象がおまえさんのコピーアンドロイドだけやったやん? セカンドはキリちゃんとのシンクロ率が飛躍的に高いから、キリちゃんにダメージを与えることができたみたいや。せやけどサードやフォースは、セカンドほどの性能を発揮できひんかった。で、絶対防御の有無を白黒はっきりさせるために、俺を使おうとしてたんよ」
「って、どうやって?」
「俺の能力は粘膜接触でラーニングするやろ? せやから俺とおまえでガチバトルさせるつもりでおった」
「あんた、物理能力もあるのか?」
「ないからヤベェって焦ってたんやん! おまえさんらを“核戦争で滅んだ末期世界”という設定で騙している手前、トウコは俺を被検体にするシナリオをどうキリちゃんたちへブチ込むかで頭を悩ませていたさかい、俺としてはそろそろ潮時や思うてたトコやってん。ホンマ、そういう意味ではTAMA爆破は助かったわ」
「内心では隙あらばトウコ先生から逃げるつもりでいた、ということか?」
「当然やん。逆の立場で考えてみ? 境界干渉なんて得体の知れない精神攻撃とぶっつけ本番で死んで来い、言われているようなものやで? それも、チビっ子のお使い感覚で拒否権はなし、その上それをラーニングしてみろ、方法はてめえで考えろとか、結局俺も所詮はモルモットでしかなかった、っていうことや。分かっちゃいたけど、当時は俺の考えもかなりぬるかったわ。今は当時の自分の甘さに腹が立っとる。せやから、トウコにまたいじくり回されるのはノーサンキュー。キリちゃんと利害は一致しているはずやで。あ、それと、ここも書類上はパトロンの女が所有者になっているさかいに、安定安心の隠れ蓑っちゅう寸法や。トウコにはバレてないから安心しぃ」
話の辻褄は、合う。半信半疑ながらも、キリヒトは「まあ、一応理解した」と複雑な心境でガクの主張を呑み込んだ。
もう一つ気になったのは、ガクがどう金を工面しているのか。キリヒトはてっきり研究セクションとの繋がりから金を得ていると推測していたが、話の流れから考えるとそうではないと思われる。
「ケーベツしない?」
「これ以上ケーベツできない」
「あ、そ……」
としょげるガクいわく、女癖の悪さはガクなりの生きる術、ということらしい。金持ちそうな女性を次々とたらし込んでは、相手のほうから「金を出す」と言い出す方向へ場の雰囲気を持っていくのが常套手段とか。
ターゲットする女性の大半は年上の金持ちで、やたらプライドの高い性格の女性。そういう相手だと、勝手に入れ込んでは勝手に別れを切り出して来るので、切れても後腐れがないそうだ。
そうやって得た金で好き勝手に暮らしていると判った途端、キリヒトはトウコに対するものとは別の意味合いで、大人への嫌悪感がいや増した。
「要はヒモってことじゃんか」
と突っ込むキリヒトの目が冷ややかに細まっていく。ガクはヘラヘラとしたゆるい笑みを引っ込めたかと思うと、
「そんな身も蓋もない言い方せんといたげて。身売り生活が長過ぎて、ほかになんも取り柄なんてないねんから」
などと言って背中を丸めて涙目に訴えた。
(おっさんが涙目で上目遣いをしたところで、気持ちが悪いだけなんだけど)
という突っ込みは、あまりにも気の毒な気がしたのでやめておいた。
ガクは話の一区切りと判断したのか大儀そうに立ち上がった。
「ま、店ではいつ客が来るか解らんさかい、続きは上で話そうや」
彼はそう言ってカウンターの奥にあった簡素な扉を開けると、キリヒトに奥へ進むよう促した。少しばかりの警戒心を保ちつつそれに従ったが、扉の奥に広がった光景を目にした途端、思わずぽかりと口を開けた。
「なんだ、これ?」
てっきり居室だとばかり思っていたのに、扉の向こうにあったのは、迫り来るような壁と急勾配の階段のみ。
「元々はテナントの入った雑居ビルやったさかい、店の入り口の隣に二階へ続く入口があってん。このビルを買うたときに外からの入り口を潰してんけど、結果的にこんな形でしかリフォームできんかった、っていう」
「買った……って。あんた、どれだけ貢がせてたんだよ」
さらりと告げられた言葉に唖然としながら、手すりに掴まって階段を上る。上り切った先は幾分か圧迫感から解放される普通の空間。そこに長く伸びる廊下と、それに沿って続くいくつもの腰窓。腰窓のガラスは抜かれており、廊下から部屋の中が一望できる。キリヒトに数歩遅れて階段を上り切ったガクが、今度はキリヒトの前に立って歩を進めた。慌ててそれに従い足早についていく。
「本当にテナントが入っていたっぽいな。空き店舗みたいだ。一部屋が、すげえ広い」
「これならキリちゃんの疑いも晴れるやろ? どの部屋も見えるさかいに、ユイを隠しているのかどうか、自分の目で確かめたらええよ」
とまで言われたら逆に引く。
「別に、もう疑っちゃいないから」
「ほんなら、今度はこっちの番。カナンちゃんにはキリちゃんから接触したん?」
「決め付けるなよ。ユイさんの両親から依頼されたと考えるほうが自然だと思うけど」
そう返しながら、キリヒトの目はさりげなく腰窓の向こうを一つ一つ確認していた。
(ほとんどが映像フィルムやデータディスク、あとは本、かな? 書架っぽい感じだ。棚も整然と並んでいるし、見通しがいいから隠せそうな場所もない)
廊下の突き当たりで立ち止まり、ガクが居室にしているらしい部屋の扉を開けた。
「ユイたちの両親、なあ。まず、それはないな。下手に興信所を使うたら、ユイの遠隔通信まで勘付かれる」
確かに。カナンから聞いた両親の雰囲気を考えれば、これも嘘を言ってはいないだろう。ならば等価交換。キリヒトはガクに事実の一部を告げた。
「ユイさんの遠隔通信を通じて、カナンもTAMA研究区爆破の一連を知っていたらしいんだ」
「は? なんで? どういうこと?」
「大久保姉妹はセカンドとコンタクトを取っていたらしい」
「……マジか」
「俺はカナンのことを知らなくて、彼女がS区に当たりを付けて俺を探していたところへ偶然出くわしただけだ」
「どうだか。お得意のハッキングでカナンちゃんの弱みでも見つけて、おまえさんを探ざるを得ないように仕向けた、とかじゃないん? “クロネコ”さん」
促されるままガクの居室へ足を踏み入れ、彼の前を通り過ぎる刹那、ガクに嘲笑混じりでそう言われ、かなりカチンと来た。
(俺のことも調査済み、ってか。だったら始めからそう言えよ)
内心で毒を吐く。キリヒトが不快をあからさまにしてガクをねめつけると、彼は大袈裟に肩をすぼめて苦笑いをこぼした。
「オンライン受付専門興信所『BLACK CAT』運営人“クロネコ”。全身黒尽くめのひょろ長くて青っちょろい風貌。黒髪と、目が見えないほど遮光のキツいグラサンが特徴。自称“僕の探し方”はそれやけど、傍が“クロネコ”を探す目印にしていたのは、レアな黒髪黒い瞳と服の色そのものよりも、喪服にしか見えないのに無駄にカジュアル、っていう痛い中二病的ファッション。無地の黒ばかりでダサかったもんなあ。今のそのカッコはカナンちゃんのセンスやろ? 人のことヒモとか言えないやん」
ガクは薄笑いを浮かべてそう皮肉りながら、広いリビングの中ほどを占拠しているソファへ腰を下ろすよう指さした。渋々ながらもキリヒトが腰を落ち着けると、彼はキリヒトに背を向けてキッチンへ向かった。
「口直しに何か飲むか?」
「舌が麻痺するくらいクソ苦いコーヒー」
「根に持つなあ。キリちゃん、ひょっとして、まだドーテー? そこまでは調べてへんかったわー、カワイソ」
「うるさいな。あんたの知りたいことじゃないだろうが、そんなことは」
どうにも自分のペースを崩され、イライラが止まらない。それが日ごろのポーカーフェイスを保たせてくれず、キリヒトにらしくもない感情的な物言いをさせた。
「せやな。まあ、カナンちゃんから接触した言うのんは、あの子が頼りそうな当てではあるし、信じたるわ」
ガクはそう言って薄笑いを引っ込めた。
「そんなわけで、こっちもユイを探す手が欲しくてな。おまえさんのこともちぃとばかり調べさしてもろてんけど」
ガクはコーヒーを用意する手を動かしたまま、淡々とした口調でキリヒトの調査結果を述べた。
業界荒らしの破格値で依頼をこなす営業スタイルが災いし、一時期オフラインの同業者と揉めて以来、未成年限定で匿名の依頼を専門とする、謎の“なんでも屋”に転向。
別枠で以前の伝手を使って、裕福層からの依頼も個人の紹介に限定して継続中。
「てっきり変態親父や年増ババアをくわえ込んでパトロンにしてるとばかり思うてたわ。キリちゃん、ツラはどっちもイケそうやし」
「あんたと一緒にするな」
キリヒトが嫌悪感をあらわにしてそう突っ込むと、二人分のマグカップを手にして振り返った碧眼が哀しげにキリヒトを見つめ返した。
「まあ、否定はせんわ。ユイと逢うまでは、その手でしか生きていかれへんかったことになんの抵抗もなかってんけどなあ」
「今はあるんだ」
「一応、な。ユイは俺の恩人でもあるさかい、彼女の不利になるようなことをするなんてェのは、あり得へん。そこは信じたって」
いい歳をしたおっさんに、しかもどうやら自分以上の修羅場を経験して今がある“同類の逃亡者”に、どこか引け目を感じている自分がいた。どう反応していいのか分からなくて、話題を本題に戻す。
「カナンからの依頼は、あんたからユイさんを取り返して欲しい、ってことだったんだ」
キリヒトはユイが一ヶ月ほど前から行方不明になっていることや、彼女が消えて三日後には捜索願を出していたこと、警察がユイの年齢や失踪の仕方から考えて、誘拐よりも家出の可能性が高いと言ってまともに取り合ってくれなかったこと、今はユイから母親宛に定時連絡が来ていることも合わせて報告した。
「確かに今ごろになって急に連絡、ってのは、ユイの性格からすると奇妙やな。それでカナンちゃんが直接探し始めた、というわけか」
「うん。あんた、ユイさんやカナンには能力のことを話してあったらしいな。それでカナンはあんたがユイさんの遠隔通信をラーニングするために監禁していると思ったみたい」
「なるほど。ほんで俺がキリちゃんの網に引っ掛かった、と」
「イエス。で? そっちが等価交換にくれる情報は、何」
「直接ユイに関係する情報としては、そっちとほぼ同時期に彼女が消えたことに気付いた、といった程度しかないなあ」
ガクはそこで言葉を一度区切り、自分の淹れたコーヒーにようやく口を付けた。明かす程度を考えているのか、碧緑の瞳を小刻みに左右へ揺らし続ける。伏し目がちなのは、こちらへ心情を読ませないため、だろうか。所作としては落ち着いているものの、焦りを感じないでもない。彼は本当にユイと音信が途絶えているようだった。
「最後にユイさんと会ったのはいつ?」
「教育実習が始まるとなかなか逢われへんから、ってことで逢うたから、八月の末ごろ、だと思う」
「八月の末……二ヶ月前、か。そのあと一切連絡のやり取りはなし?」
「や、コンタクトは毎日取ってた。せやけど、特に危機感を覚えているような雰囲気はなかったさかい、いつもどおりのやり取りをしとった。それがひと月前から急にコールの数が減ってな。出先やなんやと長話もせえへんようになったし、ちと様子がおかしかってん。逢われへん状況やったし、そういう切り出しができひんくらい、ユイが一方的に忙しいアピールをしてコンタクトを切ってしまうさかい、こっちもなんかあったんやろか、思うて探し回っとったんよ」
「ガクのほうには連絡があったのか。自宅にコールし直すとか、アドリブは利かなかったのかよ」
「親には内緒で付き合うてるさかい、自宅にはコールできひんもん。それに、カナンちゃんに余計な心配掛けるのもなんやしなあ、思うて、まずはユイを掴まえることに絞っとった」
「あんたに黙っていただけ、ということは?」
「ない」
「自信たっぷりだな。その根拠は?」
「等価交換として提供する情報は?」
「……そっちの情報のが少なくね?」
はたとそれに気付き、冷静になろうとガクの淹れたコーヒーに口を付ける。キッチンにいる間、キリヒトは彼の手元をずっと観察していた。何かを盛られていることはなさそうだった。
「ほな、俺が陽光院大学の学生って嘘をついてまでユイに近付いた理由をプラスで、どないや」
「OK」
「あいつ、自分がゼミの男にナンパされとるっちゅう状況やのに、ナンパされてることにも気付いてなかってん!」
「……は?」
「お持ち帰りされそうやったさかい、思わず乱入して拉致って一緒に茶ァしばいたのがきっかけやってんー。手段を選んでる余裕なかってんー。もう、そしたら“ありがとうございます”とか、顔真っ赤にして頭とか下げちゃってー。クッソ可愛いやろ、落ちるに決まってるやろ! 一目惚れでしたー! で、うっかり同じキャンパスの院性って大嘘ぶっこいた。でないと次の約束できひんと思うて」
「――ッ!」
危うくコーヒーを噴きそうになった。
「あんた初っ端に俺を伸したからって、舐めてるだろ。油断してただけだからな。人がガチで話しているんだから、そっちももうちょっと真面目に考えて物を言えよ」
「いや、めっちゃガチで言うてるんスけど。だってさ、ユイにゃんてば、ほぼ常時遠隔通信を飛ばしまくりやってん。それで俺がナンパの現場に気付けてんもん」
「いいおっさんが“にゃん”とかキモいし、その下りはどうでもいい」
「俺は能力模倣やさかいに、ほかのサイキックの発動には敏感や。必死過ぎるから速攻判ったし、なんかもう、その必死さが可愛かってん。あ、ユイにゃんの横取り厳禁な? あれ、俺の女やから。念を押しておくで?」
「無視かよ……」
語尾にハートが飛んでいる。例えでなく一瞬吐き気がした。
「能力フル解放の理由は俺のほうから能力についてカムアウトしたときに話してくれたんやけど、社会に出遅れた分を取り返そうとしてる、っつうの? 人と巧くやっていかなアカン、みたいな。本当ならそれで精いっぱいやろうに、そんな状況でもほかのサイキックの心配までしてんねんな。そんなん聞いたら、なんや、ほっとかれへん気分になってなあ」
ガクは恥ずかしがる素振りも見せず、まっすぐにキリヒトの瞳を見てそう言った。どこか不安げな表情を滲ませたまま、彼は少しばかりの思い出話を繋いだ。
「こっちがユイをサイキックやと判っていても、向こうは気付いてなかってん。せやからカムアウトするのに結構度胸が要ったわけで」
「なんで? 相手はユイさんなんだから、同胞だと思えば逆に信用できるものじゃないのか?」
「自分はカナンちゃんと会うたとき、どないやってん」
そう言われて、はっと息を呑む。
「通報されたらオシマイ、って、ことか」
「そゆこと。キリちゃんもお察しのとおり、フリーのサイキックをリークすれば結構な報酬が得られる。自分がサイキックだとバレさえしなければ、同類だろうがなんだろうが、売るヤツは、売る。けど、あいつは、泣いたんよ」
――あなたも独りきりで仲間を探していたのね。
「探しちゃいなかったけど、まあ、そういうことにしといた。その理由も話すほうがいい?」
「要らない。のろけ話は二秒でお腹いっぱいになった」
完全に当てが外れた。カナンの先入観混じりの情報がキリヒトに無駄足を踏ませたと思うと、カナンに理不尽な憤りを感じてしまう。同時に、完全に手詰まりになった焦燥感がキリヒトの表情を曇らせた。
「ようやっと心底疑いを払えたみたいやな」
その声に一度伏せた顔を上げてみれば、先ほど見せた不安げな表情がガクの面から消えていた。
「まあ……そんなトコ。でも、手詰まりだから、あんまり嬉しい状況ではないな」
愚痴に近い返事を口にすれば、ガクはその真逆の明るい口調で話題を変えた。
「ま、そうしょげなさんな。ほんなら俺のユイ拉致疑惑が晴れたところで、面倒な駆け引きを抜きにしてお互いの情報を共有しましょか。今メインになっているサイキック量産計画の研究所は押さえてあるで。ユイがそこに収容されている可能性を考えていたところや」
あくまでもふざけた口調を崩さないまま、ガクの目だけに鋭さが増してゆく。そんな深い碧の瞳に怯んだわけではないが、ユイに関することについては信用することにした。
「こっちはカナンから依頼を受けた段階であんたに的を絞っていたから、あんたが外れだというのなら、もう提供できる情報はない。そっちに何か別情報があるなら、便乗したいとは思うけど」
「賢い選択やな。アシスト依頼の報酬はなんぼが希望?」
ガクはキリヒトにそう問いながらもタッグを組む気は既に満々らしい。彼は一度席を立って書棚から分厚いファイルを取り出し、席へ戻るとキリヒトの前に地図や資料を広げ始めた。それを眺めながら、一応答えは返しておく。
「報酬は要らない。TAMA研究区を壊滅させたのにまだサイキック狩りがある現状を知ってから、俺もその辺りは気になっていたことだし。これは自分のために動くだけだから」
その代わり、ユイを確保するまでカナンとピンで接触しないこと、という条件を提示した。
「えー、なんでー。カナンちゃんには毛嫌いされてるさかい、これが仲直りのチャンスや思うたのに」
「仲良くなりたいなら、まず女癖の悪さを直してからだな」
「原因はそこやったんか……。どうせラーニングするなら野郎より女のがオイシイ、ってだけのことやってんけどなあ。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、みたいな?」
「最低だな、あんた。サイキックじゃないのが解っていてつまみ食いしたケースもあるだろうが」
「ひどい。今はそんなことないのに。めっちゃくちゃ純愛路線まっしぐらなのに」
「ウザ」
「ユイがぴゅあっぴゅあなんだもん。合わせたらなドン引きされそうでさー」
「無視かよ」
「な、な、俺ってば可哀想だと思わへん? 遠隔通信をラーニングするどころか、ソフトキスもお預けわんこ状態やで! 手持ちのストックもう残り少ないのにユイにゃんの意向優先やで? めっちゃケナゲやろ? 実益より愛優先やで? そこ、カナンちゃんにめっちゃアピー」
「で、この地図は何?」
「人の話聞けや」
「知るか。いいから早くこの資料の説明をしろ」
「意外と真面目くんだね、キリちゃん」
「死ね、エロ中年」
「ほんなら、いい加減に本題へ入ろうか。その強気なテンション、忘れなや?」
と意味ありげに付け加えられたガクの一言と、それを口にした途端に消えた笑みが、キリヒトの背筋をぞくりとさせた。
「……テンション高かったのは自分だろ。俺はとっくに仕事モードなんだけど」
と返す言葉が若干遅れる。
「さいでっか」
そんなオチがついたところで、ガクから提供される情報を噛み砕く心の準備が整った。
IBARAKIシティ・つくば学術研究区。行政の主軸となるTOKYOシティと近距離にあるその研究区は、政府から民間企業に運営を委託されている学園都市だ。TAMA研究区壊滅後、政府がその代替機関としてTAMA研究区の次に設備の整ったこの研究区に更なる投資をし、わずか三年で驚異的な発展を遂げた区域らしい。
目の前に広げられたその都市の地図を見たキリヒトは、嫌な予感から生唾を呑んだ。
「まさかとは思うけど。この赤い印」
「俺が調べた限りの、ユイから連絡があったときのモバイル中継地点」
ガクがキリヒトの予測を言葉にしたとき、一瞬だけ忌々しげに眉根を寄せた。キリヒトは情報不足で、つくば学術研究区がどういう都市体制なのかを把握していない。ただ、人伝の話で「治外法権」という聞き慣れない言葉を知り、語意を調べた程度だ。言ってみれば、そこは盲点だった。
「この区域は確か、Sランクの固体識別コードを持たない者にとっては不利な場所、だよな」
個体識別コード・ランクSとは、マザー・コンピューターで国民を一括管理する政府が、品位や家系のほか、犯罪歴がないことや文化的貢献をした者であると認定した国民にだけ支給される、最上級ランクの識別コードだ。
「そういうこと。そのおかげでつくば先住者の半数近くが識別コードをSランクに登記変更申請した。主に裕福層がな」
つまり、政府とは別に自警形態を取っているつくば学術研究区では、Sランクの固体識別コードではないというだけで、不審に思われた場合はつくば学術研究区独自の内規に則って裁かれるというわけだ。ガクが大久保の家の人たちを巻き込まずに独自で探し始めた理由を察した。
「ユイさんは自治警察に捕まっている、ということか? でもカナンから聞いた感じでは、ユイさんと母親とのやり取りからユイさんの言動に不穏な点を感じはしなかったみたいだけど」
「それはこっちも同じや。なんでちょっとの時間も作られへんのかを訊いても、“今は理由を話せない”“いずれすべてが解決したら戻って話をする、それまでは自分を探さないで欲しい”の一点張りやってん。拘束はされていないようだったがな。自治警察に捕まっているわけとは違う」
「探すな、か。こっちと同じ内容だな」
「イエス。そこでや、ユイの指示待ちでは埒が明かんさかい、つくば近辺の情報を掻き集めて来た」
「って、あんたも識別コードがSなのか? あり得ないよな」
「お互いTAMA時代に個体識別コードはトウコに消されている身の上やろう。闇で買ったAランクやけど、別ルートで通行許可証をゲット済み。ま、その辺の話は後回しや」
と、ガクはキリヒトに“資料”とタイトルされたクリップ止めの束を突き出した。
「トウコがOSAKAシティくんだりまで俺を探しに来たのは、管内のめぼしいサイキックを根こそぎ捕獲したかららしい。で、TAMAから逃げてからこっち、俺が独自で同胞の所在を調べて来ているわけやけど、こっちは見事なくらいヒットせえへん。OSAKAシティより人口が多いにも関わらず」
そんな解説を聞きながらキリヒトが繰っているのは、つくば学術研究区に本社を置く企業の役員及び管理職リスト。出身地から家族構成、最終学歴に、そこから就職して現在までの職歴や賞罰なども網羅された極秘個人情報の資料と思われる。
「で、その資料。例えば、順二堂薬品の大谷専務の経歴を見てみぃさ」
ガクにそう促されてそのページまで資料を繰り飛ばす。
「大谷……順二堂薬品にヘッドハンティングされたのか。その前は……え、ただの、薬剤師?」
「せや。まあ大手薬局の薬剤師ではあるけど、学歴、コネ、職歴から考えると、順二堂薬品で専務の椅子を狙えるほどのものでは、ないわな」
「ということは」
「元々経営の素質があったとは思うけど、それだけでそこまではのし上がられへん。サイキックの情報を売ったと見るのが妥当やな」
ふとカナンを思い出す。能力によっては副作用が生じる。カナンはその代償として片頭痛を挙げており、初めて会った夜に缶コーヒーを渡したとき、頭痛薬をそれで服用していた。いくらサイキックであることを隠して受診したとしても、発症の時間や生活習慣、ほか諸々の情報から一貫性がないケースだった場合、サイキックに関する知識がある者であれば、その可能性を思い浮かべることもあるだろう。
「それから、つくばユニバースの竜ヶ崎教授。こいつの専門は、DNAの塩基配列に関する研究、ということになっている。けどな、竜ケ崎教授をネットのアングラソースで辿ってみたら、とうの昔に死んでいた」
そしてガクがとどめのように告げる言葉と、キリヒトが竜ヶ崎教授の資料を次ページにめくった先で微笑を浮かべる画像を目に留める瞬間が重なった。
「で、その助手として三年前に着任したのが」
――白金トウコ。
画像の下には、偽名さえ使わず堂々とガクの口にした名前が掲載されていた。才色兼備を絵にしたような微笑がキリヒトを見つめる。銀縁眼鏡の向こうで弧を描く美麗な二重の両目は、三年前に見たときと同じように澄んだ蒼なのに、当時抱いていた淡い恋心など微塵も感じなかった。むしろ吐き気に近い寒気すら走る。
「なんで……生きてる、んだ?」
呟くキリヒトの声が震えた。
『キリヒトくん、逃げなさい!』
三年前、彼女はキリヒトが仕込んだシナリオ通りに“キリヒトに恋心を抱く女性”を演じ、TAMA研究区の爆破スイッチを押して研究所とともに自爆したはずだ。
「中央司令塔から逃げる暇なんか、なかったはず、なのに……どうして……?」
動揺を隠せないキリヒトへ、ガクが追い打ちを掛けるように問い質して来た。
「おまえさんがトウコへ何かしらの境界干渉を仕込み済みだったことはその場で判った。トウコがおまえさんに“逃げろ”と言ってから周りの研究員に発砲したからな。俺はそのどさくさに紛れて逃げたさかい、そのあとの確認は一切できてへん。なあ、おまえさんはトウコの死体を確認したか? それとも自死のシナリオも仕込んであったとかか?」
シナリオの内容を言及され、つい黙り込む。ガクが興味本位で尋ねているわけではないと解っていても、素直には答えられなかった。
「ほんなら質問を変えようか。セカンドの死体をどう処理した?」
すっかり色褪せた記憶が鮮明に蘇る。その記憶が三年前の感情を引き戻し、言いようのない苛立ちや息苦しさがキリヒトを襲った。
「あいつは、果ての外へ一緒に逃げて……そしたら、融けて、消えた。固体を保てなくて、全部……土に、還った」
呻くように呟くキリヒトの手から、資料の束がそっと引き抜かれる。
「セカンドのAIチップは?」
「セカンドは人間だ! チップなんて言い方をするな!」
「現実を見ぃ。セカンドのAIチップをどうしたのか、と訊いている」
ガクの質問の意味が解らないキリヒトではなかった。ガクが繋げようとしているのは、一見バラバラに見える点と点。彼の問い掛けがキリヒトに有無を言わせず、その点たちを一本の線で繋げさせる。
「……セカンドの服と一緒に、荒野に、埋めた」
「墓のつもりで? 何もない荒野に、そんな目立つものを?」
「盛ってはいない。土も踏み固めた。肉眼では掘り起こす前と変わらないくらい、元に戻した」
「そんなもの、薬品反応と機材の測定で即バレということくらい、TAMAにいたなら判っていたはずやんな?」
返す言葉が見つからない。セカンドが存在していた証を残しておきたくて、孤独に怯えて墓を作った。自分が独りではないと自身を奮い立たせるために。いつか必ず迎えに行くと決めて――その甘さが、今になって最悪の形で返って来るとも思わずに。
「ガキのやることや、仕方がないとは思う。せやけど、詰めが甘かったな」
ガクは深い溜息をついて、キリヒトと同じ感想を漏らした。そしてうな垂れたキリヒトの前に、一枚の資料が滑り込む。
つくばユニバースの紋章を飾るキャンパスを背景に、キャンパス内にある喫茶店のテラスで笑って語り合う一組の男女の写真。女性はカナンと同じ亜麻色の長い髪をそよ風になびかせ、すみれ色の瞳でゆるい弧を描いて微笑んでいる――ユイだ。
その向かいに腰掛けているのは少年だ。少年のほうは少し憂いを帯びた笑みを浮かべてユイを見つめ返し、何かを語り掛けているように見える一枚だった。
まだ残暑を感じさせる太陽のきらめきがテラスに植えられた植栽に葉の光沢を添えている。九月辺りの撮影だろう。そしてそんな季節にも関わらず、病人のような青白い肌をした少年の髪は、陽の光を直に受けて濡れ羽色に輝いていた。懐かしい碧緑の瞳が、キリヒトではなくユイに微笑み掛ける。いつも揃いの服をまとっていたはずなのに、今のキリヒトは黒装束ではない。写真の中にいる、瞳の色以外がキリヒトと瓜二つの少年が、三年前と変わらない真っ黒な姿で向き合うユイに懐かしげな視線を向けていた。
「これ……セカン、ド?」
「せや。おそらくユイは境界干渉を仕込まれている」
「どうして……セカンドは、三年前に、俺が」
「つくばに鞍替えしたトウコがセカンドのAIチップを回収、細胞組織を土から精製させることくらい造作もないはずや。トウコはサイキックの研究のためなら、良識、モラル、人命、倫理、ほかすべてを丸無視の女や。ましてや自分の作ったヒューマノイドに人間性なんぞ感じひんやろう。AIチップに細工をすることくらい、俺でも容易に想像がつく」
ガクがキリヒトから資料を取り上げ、ユイとセカンドの画像を指で弾きながらそう言った。憤慨と嘲笑を交えたガクの告げたそれが、キリヒトには自分を糾弾する言葉に聞こえた。
「おまえの甘さがユイを窮地に追い込んだ。さて、おまえは俺に報酬は要らんと言ったから少しは期待しているわけだけど。これはそもそも依頼ではなく、おまえがやらかした過去の後始末だと思うが、どうだ?」
ガクの口調が、変わった。訛りのない流暢な東言葉で問い質されたその内容が、キリヒトを身震いさせた。
「どうだ、って」
「カナンちゃんから報酬を受け取る権利があると思うか?」
「……」
暗にキリヒトの非を諭すガクに、弁解も正当化もできない自分がいた。
「カナンちゃんを関わらせたら、家族というだけであの子まで巻き添えを食う。おまえが撒いた種だ。自分でカナンちゃんを説得しろ」
「……わか、った」
「今度こそセカンドを弔ってやれ」
ガクの冷ややかな声が、死刑宣告を告げるような響きでキリヒトの鼓膜を揺さぶった。
「とむら、う」
その言葉の意味するところを引き出すのに、随分と時間が掛かった。
「セカンドのAIチップを、潰せ」
セカンドを、二度殺す。具体的な指示を口にされると、カナンの泣き顔が脳裏を過ぎった。
「……わか、った」
ギリ、と奥歯を噛み締めて口惜しさを堪える。キリヒトの口の中に、鉄臭い味が広がった。
「ガク、一つだけ、約束してくれないか?」
そう絞り出したキリヒトの声がか細く震えた。
(これは、罰だ)
セカンドの命を踏み台にして生きているくせに、ひとときの平和を当然のように独り占めしたことに対する、自分への罰。
「カナンには、セカンドが再生されていることを、知らせないで欲しいんだ」
カナンと接するに連れて解っていった。彼女は大切な人の前にいるときほど相手の気持ちを思ってしまい、素直に泣くことすらできない。そんな不器用な形でしか優しさを表せない女の子だということを。
そんな彼女に二度もセカンドを失う思いなどさせたくない、と強く思った。
「カナンちゃんもユイと同じくらいセカンドと懇意にしていた、ということか?」
ガクのその問いには無言で頷いた。多くを語ればカナンもサイキックだとガクに勘付かれてしまうと思ったから。
「あの子、俺を信用させるために、セカンドの話をしてくれた。そのとき、初対面なのに、泣かれた」
自分よりもカナンたちと付き合いの長いガクならば、それだけで察するだろうと思った。
「迂闊なことを言えば、きっと、あの子、内側から壊れちゃう。だから」
「……せやな。分かった」
ガクは穏やかな関西弁に口調を戻してそう答えると、くしゃりとキリヒトの頭を一撫でした。その手がやけに温かく感じられた。この点についてはガクを信用してもいいだろうと思った。