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サブリミナル  作者: 藤夜 要
本編
3/16

03. セカンドが遺していったモノ――亡き家族の真意

 キリヒトはオフィス街に連なる高層ビルの一つ、緊急用のヘリポートがある屋上でようやく移動の足を止めた。

「ここなら飛び降り防止用のフェンスが高いから、仮に侵入者が来てもソイツがもたついている間に逃げられるし。ちょっと足場が怖い場所だけど、大丈夫?」

 一応そう断ってから彼女を抱きかかえたまま立入禁止の柵の外側に着地した。カナンは自ら柵に手を伸ばしてそれを掴み、キリヒトの腕から下りる素振りを見せた。

「うん、だいじょ……うわ、高所恐怖症じゃないはずだけど、さすがに足がすくむわね」

 カナンは気丈にそう言いながらコンクリートの床に足を付けると、こわごわとその場に腰を落とした。それをカナンの同意と見做し、キリヒトも彼女の隣へゆっくりと身を屈めて腰を落ち着けた。

 二人して足を投げ出したはるか下には、主要幹線道路。その両脇を固める道路照明灯が、細い光の数珠のように遠くまで伸びている。キリヒトはそれをぼんやりと見下ろしながら、どう口火を切ろうかと思案を巡らせた。

「……これ」

 と、パーカーのポケットから缶コーヒーを取り出した。「あげる」というつもりで差し出し掛けたが、その手が途中で止まった。買ったときにはほどよい冷たさだったそれが、もうすっかりぬるくなっている。キリヒトが気まずい舌打ちとともにそれをポケットへ戻そうとすると、カナンがすかさず缶コーヒーを抜き取った。

「ありがとう。頭痛薬を飲みたかったから、丁度飲み物が欲しかったところなの。遠慮なくいただくわね」

 彼女は気恥ずかしそうに笑ってそう言うと、急いでポーチからタブレットケースを取り出して薬を口に含んだ。

(……気遣われた、のかな)

 可愛げのない優しさにどう反応していいのか困りあぐね、結局押し黙ってしまった。なんとなく、セカンドがカナンとコンタクトを続けていた理由を察した気がした。

(セカンドとはあんまり女の子の話をしたことがなかったけど、気に入った映画のヒロインは大抵、こういう感じの子だった気がする)

 泣き虫で弱いくせに、やたら強がる不器用な子。優しいくせに、それを弱さと勘違いして素直にその優しさを出せないでいるヒロインが出て来ると、セカンドは決まって「こういう子って守りたくなるよねえ」と、照れ臭そうに笑っていた。カナンはセカンドの好きな映画のヒロインとキャラがどこか被っている気がした。

 だがキリヒトの中では既に、そこに思い及ばなくてもカナンに対する疑念が萎えていた。二人の会話を聞く他者がいない高所伝いの移動中で、彼女が堰を切ったように「セカンドくんを止められなかった」と号泣しながら悔やむ気持ちを吐き連ねていたからだ。そして何よりもキリヒトを戸惑わせたのは、カナンのセカンドに対する想いがキリヒトを見つけ出すという使命感に変わってしまっているのが痛いほど伝わって来てしまったこと。

「えっと、ごめんなさい。ほかの誰かに愚痴れることでもないし、でも、初対面でいきなり大泣きするなんて、キリちゃんをかなり困らせたよね。もう、大丈夫だから」

 鼻を真っ赤にしてはにかむ横顔は、キリヒトから見ればかなり無理をしている笑顔に見えた。

「頭痛、ヘーキ? 取り敢えず連絡先を交換してもいいなら、今日のところは解散でもいいんだけど」

 これでも一応気遣いのつもりで提案したのだが、カナンはまなじりを吊り上げ「大丈夫って今言ったでしょ!」となぜか怒り出した。

「キリちゃんまで私から逃げるなんて許さないんだから。こんなのただの副作用よ。鎮痛剤を飲んで少し時間を置けばすぐ治るんだから。ちゃんと話くらいできるわ」

「分かった。分かったから怒鳴るのヤメテ。人に気付かれるとヤバいから」

「あ……ごめん、なさい」

 カナンはそう言ったかと思うと、上がっていた眉尻を急降下させ、今度はこちらのほうが罪悪感に駆られるほど申し訳なさそうな顔をした。

(……なんだかな……)

 女の子の呆れるほどにくるくると変わる表情の忙しさは、依頼を受ける中で認識していて慣れてきたはずなのに、カナンのそれはキリヒトの深部にいちいち突き刺さる。

 警戒心を抜きにした人間観察は今一つ苦手だ。女子については、特に解らない。

(まあ、どうでもいいか。敵でさえなければ)

 キリヒトはそう頭で割り切り、早々に別の話題へ転じた。

「あのさ、さっきまでの話が本当だとしたら、俺を見るのはツラいんじゃない? その……俺の見た目って、瞳の色以外はセカンドと同じだから」

 カナンはキリヒトの気遣いをどう解釈したのか、ポケットから取り出したハンカチで最後の涙を拭い取ると、途端に凛とした表情と姿勢を取ってキリヒトを直視した。

「私はセカンドくんの外見を好きになったわけじゃないわ。だからキリちゃんのことはキリちゃんにしか見えないから全然辛くなんかない。それに、君からセカンドくんの面影を追いたいとも思わない。彼がそんなことを望む人じゃないのは、キリちゃんだって知っているはずでしょう?」

 少なからぬ憤りを孕んだ灰褐色の瞳に怯む。気持ちを立て直したカナンの、そんな強気な姿勢が彼女の本質なのだと思い知らされた。

「どうだろうね。俺がいたTAMA研究区には子供が俺たちしかいなかったから、女子がいない分、その手の話題にはあまり触れたことがないし、セカンドもどこまで俺に本音で話していたのかなんて今となっては解らないから」

「セカンドくんがキリちゃんしか信用できなかったことくらい、解っているくせに。仲間を探せと言った理由を解っていないわけでもないわよね?」

「……」

 返す言葉が見つからない。これまでキリヒトはセカンドの遺言に従って“仲間を探すこと”そのものを目標にしていただけだ。だが、それを正直に言える雰囲気ではない。キリヒトが答えに窮した挙句返したのは、

「その日を生きていくので精いっぱいだったから、考える余裕なんて、なかった」

 というなんとも情けない一言だった。

 S区に辿り着いて何でも屋稼業に落ち着くまで、キリヒトは生き延びるために手段を選ばずなんでもして来た。強盗や殺人、それと身売り以外の犯罪行為にも手を染めて来た後ろめたさがキリヒトの滑舌を悪くさせた。

 それ以上何も言えなくて黙り込むと、不意にカナンの険しい表情がゆるんだ。

「そう……か、そうよね。ごめんなさい。私はかなり恵まれた環境、なのよね。セカンドくんやキリちゃんみたいにモルモットだったこともないし、姉様みたいに親から軟禁生活を強いられたというわけでもないし」

「親が娘を監禁? あんたの姉さんは親から虐待を受けているということか?」

「あ、ううん。監禁じゃなくて、軟禁。姉様は子供のころお母様に能力を見せてしまったから、お父様が研究団体に連行されるのを恐れて家から出るのを禁じたの。お母様がずっと見張っていて外に出られなかったのよ。でも両親に能力が消えたということにして信じてもらえたから、今は普通に大学へ通っているわ」

「あんたのそれ、桐之院女子の制服だよな。どうしてあんたは能力があっても自由なんだ?」

「私は三歳のとき初めて発動したのだけど、そのとき、その場に姉様しかいなかったから、両親は今でも私がサイキックだと気づいていないから。そのとき姉様が、自分みたいに友達も作れないなんて可哀想だと思ってくれて、私に能力のコントロールが必要だという話や、絶対にお父様やお母様にも知られちゃいけないという話をしてくれて。姉様がそのときだけは、すごく怖いと震えたくらい強く言ったのね。そのおかげで今の自由がある、というか」

「姉さんが前もって教えてくれたから、ちっさいころから今までずっと隠し続けている、ということか」

「そう。私はサイキックとしてはかなり幸運なのだけど、とても無知で無力な、救われてばかりの役立たずな人間でもあるのよね」

 カナンは自嘲めいた口振りでそう呟くと、気持ちを切り替えるとばかりに深い溜息を一つついた。

「キリちゃん。人ぞれぞれいろんな価値観や考え方があるのは私にも解るけれど。でもね、個別に隠れ住んでいるだけでは解決しないでしょう? きっと、仲間が集まれば助け合える。何か変化をもたらす案が浮かぶかもしれない。少なくても今のような、悪いことなんて一つもしていないのに隠れ暮らすなんて状況を覆す何かしらの変化を起こせると私も思うのよ。だからセカンドくんはキリちゃんに仲間を探せと言い残して逝ったのだと思う」

 研究者たちの野望によって、第二、第三の自分が生み出されなないために。

 そう語ったカナンの声音や眉間を寄せた表情に、今でも拭い切れない彼女の悲しみや憤りなどの、セカンドを失ったことによる幾重もの様々な感情が滲んでいた。

「本当はキリちゃんをすぐにでも探し出して安全なところへ、なんてね、当時は息巻いていたのだけれど……無力よね。私や姉様の能力なんて、相手に届かなければ、なんの役にも立たない」

 心から悔しげに呟いたカナンの横顔が苦しげにゆがんだ。

「キリちゃん、三年も独りぼっちにさせて、ごめんなさい。私がもっと年上で自由の利く大人だったら、いちいちお母様の顔色を窺わずにもっと広範囲で動けていただろうに……今ごろになってしまって、本当にごめんなさい」

 カナンの重い口調に、少なからず面食らう。だが次の瞬間には、容易にその理由が推測できた。

(ああ、そうか……そういうことか)

 年の割に意思がはっきりとしていてどこか大人びた思考を持つ彼女は、セカンドの外見や恋愛というシチュエーションではなく、セカンド自身をちゃんと見つめていたのだろう。セカンドに恋をしていた――否、現在進行形で、今もいなくなってしまった彼を恋い慕っているのだと思った。

「……お互い様、だから。一応セカンドの遺言は守るつもりでこっちも探していたけれど、なかなか仲間を見つけられないでいたし」

 だから気にするなと言いたかったのだが、なんとなく喉の奥でつかえてしまい、そこでフォローの言葉が止まってしまった。それでもキリヒトの真意は伝わったらしい。カナンは思い詰めた表情を幾分か和らげると、

「キリちゃんも探してくれてはいたのね。よかった、迷惑だと思われなくて」

 と、ようやく顔を上げてくれた。

「信じてくれてありがとう。今度姉様を紹介するわ。連絡先、教えてくれる?」

「あ、うん」

 まるで普通の友達同士のように、互いの連絡先を交換した。普通なら“ただそれだけのこと”が、キリヒトにはひどく特別なことに感じられた。

「登録できた……てか、そっち、友達の数、すごいね」

 互いのモバイル画面を覗き込んで登録の確認をしたのだが、カナンの登録数を見てつい本音の感想がぽろりと口を突いて出た。

「そう? キリちゃんこそ名前がいっぱい並んでる。それも女の子のハンドルネームっっぽい名前が大半じゃない。まさか女の子を騙してお金を貢がせていたりなんかしてないでしょうね? ただでさえ追われる立場のくせに、法に触れるようなことなんかしちゃダメよ?」

「してないよ。そんなことしたら速攻アウト、ってことくらい、ちゃんと認識してる。あんたは俺のお母さんかよ」

「せめてお姉さんって設定にして。で、もしかしてこの人たちも、仲間かもしれない候補の人?」

「いや、これは依頼主。個人情報は敢えて訊かないようにしているから便宜上。個人的な知り合いはゼロだよ」

「依頼? って?」

「あー……何でも屋、っていうの? ネットで依頼を募集していて、トークンでやり取りをして依頼の進捗状況や完了報告とかしているから、それで」

「トークンのID持ってるんだ。私もトークン使ってる。そっちの連絡先も交換しましょう。そのほうがコールやメールより便利だわ」

「あ、はい」

 カナンの質問攻めにたじろぎながらも答える時間がしばらく続き、気付けば何でも屋の仕事やサイト情報まですっぱ抜かれ、そして盛大に説教までかまされた。それはカナンが乗る路線の終電が差し迫る時刻になっていると気付くまで延々と続いた。時刻に気付いたカナンが慌てて「帰る」と言い出したことに質問攻めからの解放を喜ぶ反面、タイムアップを少し寂しいと思うキリヒトがいた。

 人目がないのを確認してから、再び跳躍者(リーパー)で地上まで降り、カナンを駅まで送った。

「じゃあ、送ってくれてありがとう。姉様との顔合わせは、姉様の都合を聞いてから改めて連絡するけれど、取り敢えずは今週末ね」

「いや、だから施しは要らないって」

「施さないわよ! 貸しよ、貸し! 真っ当な仕事に就いたらキッチリ返してもらうから、ちゃんと長期の安定した仕事を見つけるのよ。それから何でも屋なんて不安定で危ない仕事にも区切りをつけること。そのためにも、まずはそのカラスみたいな痛々しい服をなんとかしてあげるから。解った?」

「だからあんたは俺のお母さんかっつう」

「行き当たりばったりな生活をしているキリちゃんが悪いのよ。とにかく、今度の週末は開けておいてね。S駅の忠犬像の前に十時。約束よ?」

「気が向いたらね」

「も~う、まだ解ってない! あー、電車が……続きはまた今度。じゃあ、おやすみなさい!」

 カナンは言いたい放題吐き散らかした挙句、一人で幕を引いて改札の向こうへ消えていった。

「……変なコ」

 お節介で気が強くて、我も強くて、能力のこと以外については自信満々で物を言う、物怖じしない女の子――大久保カナン。

「なんか……久し振りに“人”としゃべった気がする」

 クライアントという金にしか見えなかったモノではなく、セカンドと過ごしていた三年前のように他者と言葉を交わした気分を満喫した。

 普通にボケてツッコんで、言いたい放題を言って、チクリと厭味や皮肉を返し、個人的な話を思い切りぶちまけられて、こっちのそれも聞き出そうとするカナンと攻防の舌戦を繰り広げる数時間。

「……ま、悪くは、ないか」

 仲間なんて必要ないと思っていたが、いたらいたで悪くはないと初めて思った。まだ完全にカナンを信用したわけではないけれど、娑婆慣れしたこちらを騙し果せるほどのスキルはない子だと思われる。

 見上げれば、昨日より少し欠けた月がキリヒトを見下ろしていた。昨日よりは赤くない。月本来の黄金色が摩天楼の街の色と混じり合い、微妙な色合いを醸し出している。

(ああ……カナンの髪の色とおんなじだ)

 どこかほっとする淡い褐色混じりの黄金色が、カナンの長い亜麻色の髪とよく似ていることに気が付いた。

 キリヒトは駅に背を向け、ねじろのS区へと踵を返した。のんびりと歩いて別のネカフェへ行けばいい、などと考えながら。

(今週末、か)

 その口角がキリヒトの自覚がないまま少しだけ上向いていた。

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